2015年8月24日月曜日

「ネットサービス諸々」

 年金機構のコンピュータからデータが流出したことが大問題となった時、今年動き出す予定のマイナンバー制度でも同じことが起きるのではないかとの危惧が取り沙汰されました。実は私は少し前に住民基本台帳カードを作っていました。住民基本台帳にしてもマイナンバーにしてもいろいろと問題がある制度ではありますが、データが漏れても漏れなくてももう作られているものなのですから使わない手はないのです。住基カードの便利なところは、コンビニのマルチコピー機から住民票や印鑑登録や課税証明などが取れることで、朝6時半から夜11時まで大丈夫だしなんと料金は役所で取る時の半額です。楽なのに安いのです。

 こういう便利さを初めて感じたのは、ビューカードを作ってえきねっとで新幹線の予約ができたときでした。窓口に並ぶ必要がない、予約だけしておけば当日乗る前に券売機からすぐ切符が買えるというので本当に楽になりました。さらなる驚きだったのは、普通らくで便利なものはそれなりの手数料が必要なのにこちらは逆に安くなっているということ。高速バスでも、ネット通販でもみんなそうで、要するに費用がかさむ原因は人件費だということにようやく気付きました。だからインターネットが使えないと不便なだけでなく実質的な損失を被ります。インターネットの社会とは、持てる者は労せずに富を増し、持たざる者はより一層貧するという格差の増幅を内包しているものだということがよくわかります。

 以前からよく利用している外資系通販会社から注文品が届くのが速くなったと感じていたのですが、今月来たクレジットの明細書を見てそのからくりがわかりました。年会費の請求があって初めて気づいたのですが、驚いたことにいつのまにか自分がプライム会員になっていたのです。会員登録をした覚えはなく、調べてみると「体験」から一定の時間が経つと会員になってしまうらしいと知り、開いた口がふさがりませんでした。こういうことに疎い人がいるのをいいことに、いつのまにか年会費を引き落とすとは、これは詐欺ではないのでしょうか。すぐに退会手続きをとりましたが覆水盆に返らずです。某通販サイトに対する信頼も揺らぎました。サービスを利用した以上たとえ詐欺ではないにせよ、あまりにえげつないやり口に憤懣やるかたない気持ちです。私は朝注文して夕方届くような、それほどの速さを求めていません。日本水準で普通の、ほどほどの便利さで、そして事前にきちんとした説明責任と意思確認を果たす誠実さをもって商売を営んでほしいと願っています。



2015年8月18日火曜日

「犬たちに学ぶ安全保障」

 犬たちの世界にも様々な掟と関係性があるようです。以前「紅春 44」に電飾ガオー君のことを書きました。あの子はとにかく凶暴でそれゆえ普通の時間帯には散歩ができないのです。それでも飼い主さんに大事にされている様子はほほえましいのですが、犬社会ではやはり困った存在と言ってよいでしょう。りくがすれ違いざま襲われた時、りくは前足で相手を突いて身を振りほどくなりなにがしかのやり返しをしたのですが、これこそが正当防衛、国でいえば個別的自衛権の行使でしょう。両者の飼い主が真っ先にしたのは二匹を引き離すことでした。被害を出さないためには戦わせないことしかないのです。最悪なのは加勢が来ること。りくなりガオー君なりにそれぞれ味方がやってきたら、興奮した犬たちはもう収拾がつかず戦いは激しくなりまた拡大するのは火を見るより明らかです。だから集団的自衛権は絶対だめなのです。

 もう一つの例は毎朝のことなのですが、散歩から帰った後しばらくりくを外に出しておいた時のことです。そういう時りくは土手の道を通る人たちに挨拶したりされたりしています。大人も子供も知っている人は土手の上から「りくちゃ~ん」と声をかけてきます。りくはおすわりをして見送ります。ところが先日、犬たちの激しいガウり声が聞こえ飛んでいくと、大きくてでっぷりしたコリーと飼い主のおじさんがいて、犬同士は一戦を交えた模様でした。おじさんは平謝りしており、私はりくに怪我がないことを確認しほっとしました。このコリー君はゆったりしたおとなしい子で、普段土手の道ですれ違う時はなんの問題もありません。この時はコリー君が「りくに会いたい」というのでおじさんが庭まで連れて来たとのこと。私がその場にいれば展開は全く違ったのでしょうが、はっきりしたのはりくがこれを縄張りの侵害と受け取ったということです。りくはいつも縄張りの保全に余念がなく、猫などの敷地荒らしを許しません。今回もりくはりくなりに家を守らなければと行動に出たのです。ここからわかることは、国家でいえば普段から領土の保全にこまめな目配りをしながらしっかり防衛することと同時に、自国が他国を侵犯したと受け取られかねない行為は極力避ける、すなわち外へ出て行かないことが一にも二にも大事だということです。同盟国の援軍のつもりで第三国の領土へ出て行ったりするのはもってのほかです。

 犬は本能的に戦いを最小限にしようと行動しています。無意味な殺し合いはしないのです。なんと賢い生き物でしょうか。国会で審議中の安保法案の趣旨は、「自国が攻撃された時だけでなく、自国の存立や国民の生活に危機が迫っている時も攻撃できる。自国と密接な関係のあるる同盟国とともに世界中どこでも軍事行動ができる。」ということですが、これが「”戦争”法案」以外の何物でもないことは明白でしょう。結局そのために用いられている論拠は大きく二つ。

「自国の平和が他国の兵士の血の上になりたっている、これでよいのか。」 (「戦争に行きたくないというのはわがままだ。」という自民党若手議員のホンネはこれを延長させたもの)
「今日日本の安全保障環境は大きく変化している。横暴なふるまいをする外国の脅威には軍事力で対抗する姿勢を見せることが抑止力になる。」

 これらについては端的に「その論拠は的外れですよ。」と言っていくしかないと思う。前者については、「戦争で血を流したくないなら戦争をやめるしかないですよ」と言い続けること。「皆が戦争をやめれば血は流れない。加勢に行くのは戦争が拡がるばかりなので、絶対ダメ」と。米国の腰巾着でかつスキだらけの日本でイスラム過激派のテロが起きないのは、「曲がりなりにも平和な国として他国で人を殺してこなかったから」以外の理由があるでしょうか。米軍の軍事行動に加わった時点で日本はテロの餌食になるでしょう。今回の安保法案は日本を戦争に引き寄せると同時に、テロを日本に引き寄せるものに他なりません。

 後者については、「ありありと思い出せることとして、冷戦時代には本当に身近に核戦争の危機が迫っていた。今現在、安全保障環境の変化というなら、それはなんといってもテロの脅威でしょう。これは昔はほとんどなかったことだからです。いま本当に切迫した危機として受けとめる必要があるのは、近隣諸国の軍事的脅威よりむしろテロの脅威なのです。そして、軍備拡大と同盟国との軍事協調行動は、抑止力になるどころか相手国のさらなる軍拡を助長するだけ。まったくの逆効果です。」と言い続けること。

 どちらにしても日本政府が米国の評価を気にする仕方と程度は異常です。ひ弱で丸腰の自分がけんか好きの友人に「一緒に戦ってくれ」と言われても困る。「悪いけどそれはできない。相手が悪すぎて家族までやられちゃうから。」と断るか、端的にバイバイするしかないでしょう。別の道を考えるのです。この理路がわからない人は、何の彼の言っても戦争がしたい人だと断定して構いません。

 この二つを同時に解決する方法があります。戦争の世界から「いち抜けた」をする、すなわち世界に向かって「我が国は永世不戦国です。」と宣言することです。戦争に誘われないためには、「あのさ~、とにかくうちは戦争しないんだよね~。」と宣言して、みんなに知ってもらうのが一番ですよね。あれ、これって憲法九条そのものじゃないですか。



2015年8月15日土曜日

「Aに告ぐ」

1 父祖の無念を忘れるな。言行背反の家訓を貫徹し、しつこくしぶとく行うこと。
2 上位者の自覚を持て。上に立つものは愚昧な民衆を導いてやらねばならない。
3 目的のためには手段を選ぶな。結果が全て、流れに逆らうものはやがて消える。
4 経済を最優先せよ。パンと娯楽さえ与えておけば民衆はおとなしくなる。
5 迷わず大胆な嘘をつけ。どんな嘘でも繰り返せば本当になる。
6 マス・メディアを掌握せよ。目障りなメディアは懲らしめてやらねばならない。
7 論理破綻を恐れず同じ言葉を繰り返せ。言葉に意味を持たせてはならない。
8 うるさい反対者は受け流せ。言うことをきかない場合は時々恫喝せよ。
9 小さなほころびをを徐々に拡大せよ。既成事実の積み重ねあるのみ。
10 戦争は経済活動と心得よ。ビジネスは弱肉強食、犠牲はつきものである。

ここが正念場。
AよりAに告ぐ、戦争法案の作り方。






2015年8月14日金曜日

「共感的な傍観者」

 岩手のいじめ事件で自殺した中学生が、先生と生活記録ノートの交換をしていたことが報道されました。いじめ自殺としては2011年10月の大津の事件以来の大事件として受けとめられました。大津の場合は、担任が葬式ごっこの追悼文に加担したのをはじめ、学校と教育委員会の悪質な隠蔽工作に日本中が憤激したのですが、今回は内容を知って別の意味で愕然とした方も多かったのではないでしょうか。生徒は明白に自殺をほのめかしており、どうしてこれで何も対応しなかったのか理解できないからです。

 担任については年齢や経験等の詳細は知らされておらず、女性教諭ということしかわかりませんが、「もうつかれました。もう氏にたいと思います」「しんでいいですか?(たぶんさいきんおきるかな)」「もう市ぬ場所は決まってるんですけどね」などと書かれたら、普通まず保護者のところにすっ飛んで行く事態でしょう。(「死」という文字に当て字をしているのが今更ながらあわれです。) 生活連絡ノートはおそらくクラス全員とやっていたのでしょうから、相当な手間をかけながら返事を書いていたであろうに、一番大事なことがまるで何も書かれていなかったかのようにスルーされたのでした。まるで言葉にさえしなければ存在しないものであるかのようです。忙しすぎて場当たり的な返事を書いていたのかもしれません。もう普通の反応ができないほど神経が麻痺するような現場なのかもしれません。今となっては本人も平常な精神状態ではおられないでしょうから、責めたくはありません。でもやはりあの時思考停止してはいけなかったのです。原発事故に関して東電がとったような方策、すなわち起きてはならないことは起こらないものとして処理するような心性が働いたのではないかというのが、最も真実に近い解釈だと私は思っています。



2015年8月12日水曜日

「紅春 69」

猛暑の夏、りくの散歩コースに変化が出ています。数年かかって完成した河川敷工事のおかげで川床が整備されたのですが、家の近くに二箇所コンクリートが敷かれた場所があります。そこは普段3センチほどの水の流れがあり、りくが遊ぶのにちょうどよい深さなのです。最近は冷たくて気持ちがいいのか自分から入って行きます。私はその隣に埋め込んである大きな丸石の水上部分を飛び石のようにしながら、一緒に向こう岸まで渡ります。それから河原を歩いてもう一か所のコンクリート部分を渡って戻ってきます。念のため私はいつも長靴です。時々水かさが増えている時がありますが、そういう時はりくはじっとみていて決して水に入りません。とても用心深いのです。夏休み中の子供たちが何人かで遊んでいることもあり、りくも楽しいみたいです。思わぬ効果はお風呂に入れる時わかりました。水に慣れたせいで、以前のようにお風呂を嫌がらなくなりました。よかったです。


2015年8月11日火曜日

「株式市場」

 「どうして株なんてするんだろう。」
昔から不思議で仕方ない。あれがなぜ経済活動と呼ばれるのかさっぱりわからない。普通に考えて株とは博打だとなぜ言わないのでしょうか。こんな本当のことを声高に言って皆が株に手を出さなくなったら、国の経済が回らないのかもしれません。

 先日の中国の株式暴落の餌食になったのは8割が一般庶民だと言われていますが、あの出来事で一番世界を仰天させたのは、中国では企業が自社の判断で勝手に取引を停止できるという事実ではないでしょうか。それゆえ株の取引を停止した企業が市場の半数に上り、あとの国有企業は政府が資金を投入して買い支え、一見、上げ戻したように見せていますが、これはもう株式市場ではありません。思い出すのは、以前中国に進出した日本の企業が人件費の高騰により撤退しようとした際、工場等を差し押さえられてしまった事態で、これはまさしくその株式版と言ってよいでしょう。また信用貸し付けと称して、本来個人の自由になる額の何倍ものお金を貸し付けるところはアメリカのサブ・プライム・ローンと同じです。

 今回の出来事は中国株に投資していた外国人投資家をどれほど震撼させたことかと思います。それとも、株はギャンブルであるというマインドをしっかりもって行っていた方々なのでしょうか。日本にカジノは要りません。株でそのスリルは十分味わえるでしょうし、ひょっとしたら莫大な利益だってあげられるかもしれません。

2015年8月6日木曜日

「老化と体調管理」

 人間のすることは何千年も変わっていませんが、老化は各個人に訪れるものですので誰にとっても初めての体験です。ある程度の年齢になるといやでも体調の変化に気付くようになります。元気印で活発な友人も、「もうヨーロッパまでの12時間のフライトはつらい。」と言っていたので、彼女でもやはりそうなのかと思いました。私の場合、若いころは体調を崩す予感が前日からわかったものでしたが、最近は昨晩寝る時はなんでもなかったのに、朝目覚めたら急に具合が悪くなっていたということが起きたりもします。退職して本当によかったと思うのはこんな時です。

 職場に電話して休むのはいいとして、その際一日の予定を勘案してある程度細かく具体的な指示やお願いをするのは大変です。言っているうち、「体調がこんなに悪くなかったら出勤して仕事した方が楽」という心持ちになったものです。しかし今は誰にも気兼ねせずゆっくり寝ていてよいのです。以前、高齢者の医療費負担が無料で病院の待合がサロン化していると言われていた頃、「今日、あの方みえてないわね。どこか悪いのかしら。」という笑い話がありましたが、あれは実に真実味のある笑い話だったと思うようになりました。本当に具合の悪い時はとても病院に行ける気力・体力はないのです。風邪や普通の体調不良なら睡眠によって大抵治ります。

先日はちょうど通院の日に体調を崩しましたが、そもそも起床が早すぎたのでもう一眠りしたらなんとか行ける状態になりました。退職してもそれなりに課せられている務めがあり、そういう意味では大事な日に具合が悪くなると困りますが、そうなったらなったでそれはしかたがないのです。よい日も悪い日もあるけれど、悪い日は何もできなくてよい、少しでも気分よくいられたらよいというくらいに考えようと思います。

2015年8月3日月曜日

「紅春 68」

りくに関して心配にもなり感心もするのは、食べ物に全く執着しないところです。何かあげるとき出した途端にかっさらっていくとか、がっついて食べるということがないのです。お気に入りのおやつを「はい、食べ。」とあげる時も、まるでスローモーションのようにふわっと口をあけ、端っこをそっとくわえて私の手を離れるまでに数秒かかります。おやつを渡すだけなのにどうしてこんなに時間がかかるのかと思うくらいです。例のドイツの柴犬は始終お腹を空かせて飼い主にプレッシャーをかけているようなのが、ちょっとうらやましいくらいです。特筆すべきは、この二匹の柴犬は野生のネズミやウサギを狩ることで、これは真似してほしくない。ま、りくには無理だろうけど。犬歯の長さと鋭さがりくとまるで違うのです。いつも磨きをかけているからでしょう。

 暑くなるとりくの食欲は目に見えて落ちます。
「りくのごはん茶碗どこかやった?みあたらないんだけど。」
「いつものとこでしょ。隠してるんじゃないの。」
半信半疑でいつもの置き場の隣にあったタオルをのけてみると、確かにその下から相当ドッグフードを残したままりくの茶碗が現れました。余分な食べ物を隠しておくのは動物の習性なのでしょうが、今までも何か踏んだなと思うとりくがラグの下に鼻で隠したドッグフードだったことがよくありました。しかしこんなに完璧にタオルで隠してしまうとは・・・。食事を残したことで叱ることはないのですが、暑くて食欲がなくて残すと、「またこんなに残してる。」とがっかりしてしまいます。もしかすると家族の失意を汲み取って、この行動にさらに拍車がかかってしまうのかもしれません。こっちはこっちで、あげたものをおいしそうに食べているのを見ると無上の幸せを感じるのですからいたしかたないのです。

2015年8月1日土曜日

「静かで熱い安保法案反対運動とデモ」

 国会中継での与党答弁を見ていて思うのは、この人たち本当に戦争が好きなんだなということ。イラク戦争時に米軍と共に戦えない自衛官の苦悩を強調しているのを聞いたりすると、あれはねつ造された大量破壊兵器への脅威をてこに行われたものではなかったっけと、目が点になります。これから日本はこういうことに付き合わされるのです。アメリカ従属以外の政策をなぜ考えられないんだろうと、あまりに凝り固まった柔軟性のなさにうんざりしてしまいます。
 
 7月31日に国会近くの平河町で「安全保障関連法に反対する学生と学者の共同行動」がありました。こういう反対集会は出所が大事です。私は「安保関連法案に反対する学者の会」で知ったのですが、上野千鶴子と内田樹が前面に立って共闘なんてまずないことでしょう。今回の集会を主催したのは毎週国会前でデモを続けている学生団体「SEALDs」と、「安保関連法案に反対する学者の会」で、両団体の共同行動は初めてとのことでした。「学者の会」と言っても、サイトを開くと市民も反対署名ができます。(市民は所属や専門を「なし」にすればよい。)7月末現在、学者は1万2千人、市民は2万7千人を超える人が署名しています。デモとか好きじゃないし、夕方出かけるのはもっと嫌だけどしかたないという感じで行くことにしました。
 
 当日は第一部が「学生と学者の共同集会」、第二部が「学生と学者と市民の共同集会」でしたので、第二部の時刻に出かけましたが、両者にほとんど区別なく、学者と学生と市民(お子さん連れ、お孫さん連れらしき人多し)が入り乱れておりました。二回分で数千人といったところでしょうか。第二部では、学生(女)、学者(女)、学生(男)、学者(男)の順に一人5分くらいでスピーチがありました。学生からは、「十年前の絵本『戦争の作り方』を読み返してみて、今そうなっていることにぞっとした。私たちが学んでいるのは希望ある未来のためではなかったのか。」「安倍政権がやろうとしていることは先の戦争で亡くなった方に対する冒涜ではないのか。」との言葉を聴きました。学者は「今更立憲主義だとか、憲法を守れとか政府に言わなければならないとは情けないし恥ずかしい。」と嘆いておられましたが、論理のぶつかり合いではないのでもともと学者の出る幕ではないのです。
 
 私がはっとしたのは、学生がスピーチの中で「剣をとる者は剣で滅びる。」と述べた時です。聖書の言葉だがまあ人口に膾炙した言葉だからなと思いました。しかし本当に驚いたことに、しばらく後にその人が「私は安倍総理や政府の方々が正しい判断をできるように祈ってます。」と言ったのです。この時小さな笑いが起きたのはこれをあてこすりと解釈したからでしょうが、私は純粋に感銘を受けました。あかりちゃんが言うように「狂った政権が一番の脅威だ」と思ってきましたが、この学生さんは狂った政権のためにも祈っているのです。キリストの香りがしました。
 
 それから5列に並んで国会までデモ行進、幟やプラカードを持っている人もいます。私は「てれっとしたりくの写真」に「平和維持活動中」という紙を貼って持っていきました。警官に「水分取ってください。」と言われながら隊列は進んでいきます。私はがなりたてるような品のないシュプレヒコールが大嫌いなのですがあれがなくてよかったです。国会請願では民主党や社民党、共産党の方々に拍手で迎えられ、「へえ~、こんなことしてるんだ。」と初めて知りました。りくの可愛い写真見てくれたかなあ。

*次回は9月6日(日)、場所は青山あたりで計画中のようです。
 今日のちらしによれば、合言葉は「#本当に止める」です。