2015年3月26日木曜日

「治安維持にかかる経費」

 3月19日版「柴犬とオランダ人と」に、大規模デモのニュースが載りました。
「水曜に極左の反資本主義デモがありまして、フランクフルト東部は大荒れでした。。。パトカーが燃やされたり、投石で銀行が壊されたり、ペンキで汚されたり。職場が東部にあるので、アドちゃん(注:筆者の夫)は家で仕事になりました。」

 以前、移民法の改正に伴うフランクフルト国際空港での騒動を書きましたが、それ以来かもしれません。或る意味いかにもドイツらしい話で、日本ではさすがに反資本主義デモは起きないでしょう。それで思い出したのは、先日特許庁に行ったとき見たデモ隊です。まあまあ天気がよかったので私は東京駅まで歩くことにしたのですが、3月11日という日が日であるだけに、また霞が関の経済産業省に近い場所だっただけに、「原発反対」のデモ隊が出ており、交差点には「福島を忘れるな」の立て看を持った人がいました。通りには警察車両が止まっており、大勢の機動隊がでていました。私は日比谷公園から皇居のお堀沿いに出て静かに歩いて東京駅へ行くつもりでしたが、どう間違えたのか新橋の方へ行ってしまい、結局高架橋に沿って二駅歩くことになりました。その途中でまたデモ隊にあったのです。このデモ隊はなぜか天皇制にも反対しているらしくシュプレヒコールはそれが原発反対とセットになっています。それを迎え撃つかのように他方の道の端には大きな日の丸をお腹のあたりで掲げ持った別の集団がずらりと並んでいました。デモ隊が通り過ぎる時、両者はお互い口汚く罵り合っており、両者が接触しないよう夥しい数の機動隊がデモ隊を取り囲む形でいっしょに進んでいきました。衝突や混乱はなかったので一切ニュースにはなりませんでしたが、その場に居合わせた者としては「すごかったなあ。」の一言です。

 「事件を起こさせない」ことだけにあれほど多くの警官が割かれたのだということをあらためて考えてしまいました。生産的なことは何一つ行われたわけではないのです。世界に目を向けてみると、もっと大きなグループが、あるいは国論を二分するくらいの大きな対立があり、実際衝突を繰り返していたり、端的に殺し合いをしていたりするのです。その治安の維持にかかる労力、経費、いや人材喪失はいかばかりでしょうか。日本が戦後経済発展をしたのは、世界レベルで見れば争いごとがなかったからだということがはっきりわかります。「和を以って貴しとなす」が国是のような国であったればこそ可能なことだったのです。