人間の心の闇についてはほとんど絶望的な気持ちを持っています。ここ数年で最もひどかった犯罪と私が思うのは、おそらく確実に犯罪史上に残るであろう尼崎の連続殺人事件です。あれは凶悪というよりむしろ、悪魔でもここまではやらないのではと思えるほど想像を絶する陰惨なものでした。
これほどではないにしてもニュース報道を見て気が沈まない日はないほどです。ストーカーによる殺人はもとより、誰でもよかった無差別殺人、海外ではイスラム過激派による少女の誘拐や自爆テロの強要、殺人ではないがナッツリターン事件や異物混入・万引き動画のアップ事件・・・。共通するのは、家族であれ、知人であれ、他人であれ、ヴァーチャルな世界のものであれ、一度支配する錯覚や実感を経験すると、その支配がどれほど小さなものであろうと人は強烈な快感を感じ、それを手放せなくなるのだなということです。
大韓航空の副社長はそれは大変な地位にある方なのでしょうが、対応した客室乗務員や責任者に対する態度は神になり替わろうとしているとしか思えないものでした。創世記の中で人が登場するやいなや善悪の知識の木の実を食べてしまうのはまさに神になろうとする行為ですから、まことに正鵠を射ていると言わざるを得ません。客室乗務員が接客マニュアルにそった対応をしていたことを知った後、今度は責任者に対して「お前が始めにそう言わないからこの客室乗務員を叱ってしまったではないか。」と責めるのは、神に対して「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」と答えたアダムと、「蛇がだましたので、食べてしまいました。」と答えたエバ、つまりは原初の人間の姿とまったく同じです。人間の本性を喝破したこの知恵はどこからきたのでしょうか。
創世記はバビロン捕囚時代に書かれたと言われますが、エルサレム神殿が破壊され、ユダ王国が滅亡し再興される見通しは全くない中で、自分たちの現在の有り様の原因を罪の中に見出したという民族は他にないでしょう。苦難の中で行きついたのが自らの罪を見つめることだったのです。領土を失った民族が、二千数百年ものあいだ世界中に散っても、言語を保持しアイデンティティを保つというのは普通はあり得ないことだと思います。たぶん子供のころから聖書を暗記するほど叩き込むのでしょう。詩編全編を暗唱できるユダヤ人は多いでしょうし、ということは、ユダヤ人は一人でいる時も神がともにいることを実感として知っているのでしょう。常に神と対話しているのです。ノーベル賞受賞者の少なくとも四分の一はユダヤ人だというのもむべなるかなと思います。