2015年1月16日金曜日

「テロ事件の報道から」


 またテロが起きました。ヨーロッパでも特に移民問題が深刻なフランスで、起こるべくして起きた事件です。街頭インタビューを受けていたアラブ系の方は、「テロはもちろんいけない。言論の自由も大事だ。しかしあの風刺画を見れば我々は傷つく。暴力で応じるのは我々のすべきことじゃないが。」と、至極まっとうなことを言っていました。

 「私はシャルリ」というステッカーが言論や表現の自由を擁護する姿勢のように扱われていますが、言論の自由をこの上なく大切なものだと認めながらも、このステッカーをつける気にはなれません。どうしてわざわざ他人を不快にするような風刺画を描くのか私には理解できないのです。17人死亡の襲撃事件は悲惨ですが、それに対してフランス全土で370万人のデモです。自由の御旗のもと結集した人がこれだけいることに感じ入った方もいるでしょうが、入力に対しあまりに大きな出力です。こうなることはジャーナリズムに携わる人なら当然予測できたでしょうし、事件後に発行されるシャルリエブドの新聞が普段の何十倍も売れるだろうということだって頭のどこかでは織り込み済みでしょう。日常的に人口やモスクの増加を肌で感じ、生活圏を脅かされる脅威にさらされてきた人々にイスラム排斥の口実を与える動きが湧きあがることも当然予測できたでしょうし、それに対してイスラム世界が反撃することもわかっていたでしょう。そう考えると、シャルリエブドの行為はテロリストの思うつぼにはまった愚かな行為だと思われてなりません。インターネットで各地の出来事が瞬時に世界中に拡散するこの時代、もうパンドラの箱は開いてしまったのかもしれません。翻って同じころ日本で起こった事件といえば、スーパーのお菓子につまようじを刺した男がそれを自分でネットに流すという犯罪・・・これはこれなりにあまりに情けなく、世も末だなと思わされました。