2015年1月29日木曜日

「紅春 58」


 霧雨の中、土手をりくと歩いていた時、
「ちょっとすみません。うちの犬見なかったでしょうか。」
と年配のご婦人から声をかけられました。聞けば昨日、近所で立ち話をしていたら、気の合わない犬が来たので逃げてしまったとのことでした。
「それは心配ですね。どんな犬ですか。」
とお聞きすると、白い柴の雑種でりくより少し大きい犬とおっしゃいましたが、散歩の時間帯が違うのか心当たりがありません。雨の中合羽姿で普段のコースを探していたその方は、肩を落としていらしゃいました。お名前とだいたいのお住まいをお聞きし、もし何かわかったらお知らせすることを約し別れました。その後もそれらしき犬に出会うことはありませんでしたが、そこは犬ですからさすがにもう家にもどっているのではないかと思います。

 ある日散歩から戻り、いつものように「まだ家に入らない。」と言うりくを外につないでおき、1時間ほどで家に入れようとして愕然としました。つないだつもりでつないでなかったのです。引き綱の端の輪っかを通してから留め金をしたつもりでしたが、輪っかが通っていなかったので引き綱はただ地面に落ちていたのです。りくは普段と変わりなく1時間ずっとその場におりました。つながれていると錯覚していたのかもしれませんが、おそらくりくは一人では家を離れてどこへも行けない子なのであろう可能性の方が高いと思いました。


2015年1月21日水曜日

「人の本姓」


 人間の心の闇についてはほとんど絶望的な気持ちを持っています。ここ数年で最もひどかった犯罪と私が思うのは、おそらく確実に犯罪史上に残るであろう尼崎の連続殺人事件です。あれは凶悪というよりむしろ、悪魔でもここまではやらないのではと思えるほど想像を絶する陰惨なものでした。

 これほどではないにしてもニュース報道を見て気が沈まない日はないほどです。ストーカーによる殺人はもとより、誰でもよかった無差別殺人、海外ではイスラム過激派による少女の誘拐や自爆テロの強要、殺人ではないがナッツリターン事件や異物混入・万引き動画のアップ事件・・・。共通するのは、家族であれ、知人であれ、他人であれ、ヴァーチャルな世界のものであれ、一度支配する錯覚や実感を経験すると、その支配がどれほど小さなものであろうと人は強烈な快感を感じ、それを手放せなくなるのだなということです。

 大韓航空の副社長はそれは大変な地位にある方なのでしょうが、対応した客室乗務員や責任者に対する態度は神になり替わろうとしているとしか思えないものでした。創世記の中で人が登場するやいなや善悪の知識の木の実を食べてしまうのはまさに神になろうとする行為ですから、まことに正鵠を射ていると言わざるを得ません。客室乗務員が接客マニュアルにそった対応をしていたことを知った後、今度は責任者に対して「お前が始めにそう言わないからこの客室乗務員を叱ってしまったではないか。」と責めるのは、神に対して「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」と答えたアダムと、「蛇がだましたので、食べてしまいました。」と答えたエバ、つまりは原初の人間の姿とまったく同じです。人間の本性を喝破したこの知恵はどこからきたのでしょうか。

 創世記はバビロン捕囚時代に書かれたと言われますが、エルサレム神殿が破壊され、ユダ王国が滅亡し再興される見通しは全くない中で、自分たちの現在の有り様の原因を罪の中に見出したという民族は他にないでしょう。苦難の中で行きついたのが自らの罪を見つめることだったのです。領土を失った民族が、二千数百年ものあいだ世界中に散っても、言語を保持しアイデンティティを保つというのは普通はあり得ないことだと思います。たぶん子供のころから聖書を暗記するほど叩き込むのでしょう。詩編全編を暗唱できるユダヤ人は多いでしょうし、ということは、ユダヤ人は一人でいる時も神がともにいることを実感として知っているのでしょう。常に神と対話しているのです。ノーベル賞受賞者の少なくとも四分の一はユダヤ人だというのもむべなるかなと思います。

2015年1月16日金曜日

「テロ事件の報道から」


 またテロが起きました。ヨーロッパでも特に移民問題が深刻なフランスで、起こるべくして起きた事件です。街頭インタビューを受けていたアラブ系の方は、「テロはもちろんいけない。言論の自由も大事だ。しかしあの風刺画を見れば我々は傷つく。暴力で応じるのは我々のすべきことじゃないが。」と、至極まっとうなことを言っていました。

 「私はシャルリ」というステッカーが言論や表現の自由を擁護する姿勢のように扱われていますが、言論の自由をこの上なく大切なものだと認めながらも、このステッカーをつける気にはなれません。どうしてわざわざ他人を不快にするような風刺画を描くのか私には理解できないのです。17人死亡の襲撃事件は悲惨ですが、それに対してフランス全土で370万人のデモです。自由の御旗のもと結集した人がこれだけいることに感じ入った方もいるでしょうが、入力に対しあまりに大きな出力です。こうなることはジャーナリズムに携わる人なら当然予測できたでしょうし、事件後に発行されるシャルリエブドの新聞が普段の何十倍も売れるだろうということだって頭のどこかでは織り込み済みでしょう。日常的に人口やモスクの増加を肌で感じ、生活圏を脅かされる脅威にさらされてきた人々にイスラム排斥の口実を与える動きが湧きあがることも当然予測できたでしょうし、それに対してイスラム世界が反撃することもわかっていたでしょう。そう考えると、シャルリエブドの行為はテロリストの思うつぼにはまった愚かな行為だと思われてなりません。インターネットで各地の出来事が瞬時に世界中に拡散するこの時代、もうパンドラの箱は開いてしまったのかもしれません。翻って同じころ日本で起こった事件といえば、スーパーのお菓子につまようじを刺した男がそれを自分でネットに流すという犯罪・・・これはこれなりにあまりに情けなく、世も末だなと思わされました。

2015年1月15日木曜日

「カフェ・バッハ Café Bach」


 このお店を私は全然知らなかったのですが、カフェ・バッハは小泉元首相もが訪れた店として知られる、東京でも三本の指に入るほど有名なカフェだそうです。友人に連れて行ってもらいましたが、驚いたのはその場所です。南千住に近い清川二丁目と言えば、山谷の真っただ中、そういえば最近は外国人バックパッカー向けの宿として変わりつつあるという話を聞いたことを思い出しましたが、この店はもう40年以上ここで営業しているとのことです。

カフェを訪れた日は休日で、そのせいか通りは殺風景でしたが、そのカフェだけは混雑していました。おそらく私たちと同様、みなそのカフェを目指してきた人たちだったのでしょう。運よくカウンターが空いていてすぐ座れました。店内はコーヒーのいい香りと懐かしい雰囲気に満ちていました。普通の喫茶店に比べて店員さんが異常に多く、おそらくその半分は修行にきているのでしょう。半袖の制服といい、きびきびとしたリズムのある身のこなしといい、ドイツのカフェの店員を髣髴とさせるそっくりの動きでした。ケンヒェン(ポットの)コーヒーを飲んだのは何年ぶりでしょうか。ヘルベルトはいつもケンヒェンを頼んでいたっけ。カフェ・バッハのケーキもいただきましたがどちらも絶品でした。

カフェというのは本当は中欧以東の文化なのであって、それは西欧のカフェとは違うものです。一度フランクフルトのメッセの近くにあった本物のカフェに連れて行ってもらったことがありましたが、コート掛けや何種類かの新聞、盆に乗ってコーヒーとともに出てくる小さなグラスの水が必須のアイテムで、煙草をくゆらす人々が多数います。ただのコーヒー店ではないのです。日本ではどこでも水が出てくるのであまり意識しませんが、これはウィーン以東のカフェでなければ通常はないものです。旧西ドイツだったところでは、普通のカフェはコンディトライというケーキ屋さんを主体としているお店も多く、ケーキにコーヒーを付けるという感じです。これは日本のカフェに近い。特にカフェ・バッハはまさしくドイツのカフェそのままでした。とても懐かしくゆったりくつろげる時間でした。あしたのジョーの世界はもう遠くなったのかもしれません。


2015年1月10日土曜日

「紅春 57」

りくはいつも私を見張っています。「来なくていい。」と言っているのに、郵便受けを見に行くとか、ちょっと台所に物を取りに行くとかするときまでついてくるのです。また、パソコンに向かっていたり、食事の準備をしていたりする時も、ふと気づくと私が見えるところに陣取ってこちらを見ているのです。こたつですぐそばにいる時も、そ知らぬふりをしながら私の動きを目の端に入れているので、なんだか気疲れしてしまうこともあります。

 こちらがその気のないときも、「そろそろ散歩に行く頃じゃない?」と言わんばかりにそばをうろうろしたり、きちんと座ってじっと目を見る「お座り攻撃」を仕掛けてきたりします。「さっき行ったばかりでしょ。」「今忙しいから行けない。」と話すのですが、結局熱意にほだされて連れ出すことになってしまいます。

  夜は茶の間で「おやすみ。」を言いますが、襖をわずかにあけてあるのでりくは必ずやってきます。秋までは私の布団の隣にあるりく用ベッド(毛布をたたんで積んだもの)の上で寝ていましたが、寒くなったのか今は電気毛布を使っている私の布団の上に当然のようにやってきます。私がいつもより遅くまで起きている時などは、襖をカシャカシャするので開けてやると、まるで「お先に休ませていただきます。」というかのようにトコトコ寝室に入っていきます。私が寝る時分には、りくは丸くなったり手足を伸ばしたりいろいろな格好で安心しきって眠っています。

 日本犬が海外でブームだと聞きますが、ほとんどの人がリチャード・ギア主演の「Hachi」で日本犬を知ったようです。犬の知能は人間で言えば2歳くらいでしょうか、とすればまさに幼子です。りくの態度を忠犬と言ってよいのかわかりませんし、またこんな言い方は不謹慎かもしれませんが、もし人がこの犬のように神様に対することができるなら、神様はどれほどお喜びになるだろうと思います。

2015年1月8日木曜日

「水が動くとき」


 子供というのは案外疑い深いもので、私も当時読んだ聖書の奇跡物語をあまり信じていませんでした。まさしく子供だましのような話がどうしてこんなに載っているのか、あまりに非科学的なように感じて困っていたのです。しかし、中には気に入った物語もあり、その筆頭はベテスダの池の話でした。(新共同訳ではベトザタとなっています。)


こののち、ユダヤ人の祭があったので、イエスはエルサレムに上られた。
エルサレムにある羊の門のそばに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があった。そこには五つの廊があった。 その廊の中には、病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者などが、大ぜいからだを横たえていた。〔彼らは水の動くのを待っていたのである。 それは、時々、主の御使がこの池に降りてきて水を動かすことがあるが、水が動いた時まっ先にはいる者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。〕 さて、そこに三十八年のあいだ、病気に悩んでいる人があった。 イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に「なおりたいのか」と言われた。 この病人はイエスに答えた、「主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」。 イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」。 すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った。
(ヨハネによる福音書5章1~9節 鍵括弧の部分は底本に欠けている節を異本によって補ったものとの説明があります。)

  この話はヨハネによる福音書にしかない不思議な話ですが、子供心にも「水が動いた時真っ先に入るものはどんな病気も癒される」という設定は、いかにも怪しく童話や昔話のようでとても心を引き付けられました。その頃の感想は、「38年間も可哀そうになあ。水に入ったわけでもないのにどうして治ったんだろう。」というくらいのものでしたが、今読むといろいろ考えさせられます。

 イエスは横たわっている男に向かって、「なおりたいのか。」と言います。心無い言葉のように聞こえますが、どこかで似たようなやりとりがあったなあと思い返すと、盲人に対してイエスが「何をしてほしいのか。」と問い、「目が見えるようになることです。」と答える場面が思い浮かびます。この話なら、マタイにもマルコにもルカにもあったはずです。しかしよく読んでみると、やはりかなり違う。盲人は「見えるようになることです。」とはっきり答えているのに対し、ベテスダの池の男は答えをすり替えています。「なおりたいです。なおしてください。」とは言わないのです。長年病気していると治るかも知れないという希望自体持てなくなるということもあるでしょうし、そこから生じる様々な葛藤もあるでしょう。つまり、イエスの問いは、「あなたは本当はなおりたいと思っていないでしょう。」という問いかけだった、おそらく男がうすうすは自分でも気づいていることを、イエスははっきり指摘したのだと思います。病も38年間ともなれば人生の最もよい時期のほとんどでしょうし、それなりの過ごし方も身について、むしろ治った時の生活がどうなるのかが不安になると言えるくらいの年月です。人権意識の薄かった古代世界ではどうかわかりませんが、現代では疾病利得という言葉もあるくらい病むことによって得る利益もあるというのは、ゴーストライター騒動を見てもよくわかります。

 もう一つ思うのは、この男は38年間をこうして過ごしているのですからともかくもそれなりの人間関係をもっているはずですが、彼のことを本当に親身になって心配してくれる人はいなかったということです。ベテスダの池の話のポイントは、この男のように体の動きが不自由な人は他の人の手によって池に入れてもらうしか助かる道がなかったという点です。この話のすぐ前に、息子が死にかけている役人がカナまで20~30キロの道のりをやってきて、カファルナウムまで息子を癒しに来てくれるようにイエスに頼む話があります。この父親であれば、何をおいても池を見張っていて水が動いた時息子を真っ先に入れたことでしょう。しかし、男にはそういう人はいなかった、そこまで本気になってくれる人はいなかったのです。まわりにどれだけ人がいてもこの男は孤独だったでしょう。イエスはこの男の本当の問題を見抜き、それを男にはっきり示してこれまで避けてきた問題に直面させたのです。つらくても自分の姿を認めて受け入れる以外に人が立ち上がる道はないのですから。これは子供のころには気づかなかったことです。いつ水が動いてその時がくるのか誰にもわからないように、イエスは会ってすぐこの男の心に波紋を起こしました。そして水が動いたとき、この男は真っ先にそこへ飛び込んだのです。


2015年1月4日日曜日

「自分で帯を締められるうちに」


 聖書を読んでいると、なんだか気になってしまう文言に出くわします。たぶん、主筋とは関係のないことなのでしょうが、どうにも気になる表現なのです。 

「はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」(ヨハネによる福音書21章 18節)

これは、イエスがシモン・ペトロに、「わたしを愛しているか。」と三度尋ね、そのたびに「わたしの羊を飼いなさい。」と言ったあとに述べた言葉です。ペトロがどのような死に方で神の栄光を現すようになるかを示そうとしてそう言ったと書いてあるのですが、私には何のことかさっぱりわかりません。しかし、なんだか尋常でない雰囲気があり、とても気になる表現です。

 帯を締めるというのは、きちんとするとか気を引き締めるという普通の解釈でいいのでしょうか。ここは私には休暇ごとに海外の行きたいところに行っていた若いころが思い出されて、とてもしっくりくる箇所です。思い出すと恐ろしいほどの情熱でしたが、今はすっかりそんな気がなくなってしまいました。そしてその直後に意味深で怖い言葉が続くのです。年をとると自分で帯を締めることもできなくなり行きたくもないところに連れて行かれる・・・そうかもしれません。終の棲家と定めた自宅で息を引き取る人は今では少ないでしょうから、ここは老人の見取りをする施設を思い浮かべてしまいます。これで述べられているのはたぶん人間一般の一生の終わり方なのでしょう。どんな王侯貴族も一国の首長も独裁者も、先が短いことが目に見えてはっきりしてくれば、誰も相手にしなくなるでしょう。

 正月早々もっと明るい話題はないのかと思われるかもしれませんが、これは明るい話なのです。私自身、まったく動揺がないのは昨年父の最期を見たからです。確かに父は病院で息を引き取りましたが、その4日前に病床聖餐を受けた時の様子をまざまざと思い出すのです。あれはなんと言ったらいいのでしょうか、こんな幸せそうな顔は見たことがないというくらいの表情で、ユーフォリアに包まれ、今思うとあれはこの世のものではなかった。父の国籍はすでに天に移されていた、だから誰も父を行きたくない場所に連れて行くことはできなかったのです。私も自分で帯を締められるうちに、最も安全な場所に移り住んで、少し慣れてから本格的に転居したいものだと思っています。

「給食における牛乳論争について」


 新潟県三条市の学校給食から試験的に牛乳が消えたというニュースがあり、波紋が広がっています。和食が世界遺産になったことが裏目に出たのか、牛乳は和食に合わないというのが理由のようです。そういう面がないとは言えませんが、これは子供たちにとってどうなのかと考えてしまいます。

  「牛乳以外でもカルシウムは摂れる」というのは確かでしょうが、水分補給のための他の飲料(お茶など)を用意するのも大変でしょうし、手間もかかります。給食という限られた時間内ではせわしないのではないでしょうか。牛乳にはカルシウム以外の栄養もあり、子供にとっては大変優れた飲み物だと思います。家庭での食生活の乱れも増加しているなかで、給食から牛乳が消えるのは、子供によってはその成長に致命的な影響を与えるかもしれないことを考えると、「牛乳は和食に合わない」ということ以上に優先させるべき事項があると思います。

 十年ほど前だったか、人間ドックのオプションで骨密度を測った時に聞いたのは、二十歳くらいまでにどれだけカルシウムを摂っていたかに大きく左右されるということでした。記憶が怪しくそれが本当かどうかわかりませんが、その時の私の骨密度は103%でした。子供のころ牛乳をたくさん飲んでいたからだと思ったのを覚えています。現在常用している薬の影響で骨が弱くなっているかもしれないというので、先日測定することになりました。結果は108%、若年比でも98%で全く問題ないとのこと。コーヒー以外に毎日飲んでいる飲料は牛乳だけですし、たぶん朝のジョギングもよい結果につながったのだろうと思います。そういうわけで、給食から牛乳が消えることには大きな懸念を感じます。