りくは今度の10月13日に8歳になります。両手に乗るほど小さかった子がこんなに立派な犬になり、感無量です。今まで書いたりくのブログも50を越えました。家族の8年間の記録なので、これまでのものを1つにまとめておくことにしました。日本犬が外国で人気と言うのは本当かも知れません。「紅春」の号の時は、特に海外から見に来られる方もいるような・・・。画像は万国共通だからですね。
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それは目の光の強い子犬でした。他の子犬とは全く違い、じゃれつきもしなければ吠えもしません。ただ、じいっとこちらを見ていました。

「この子です。」
私たち大の大人3人とその子犬は、一緒に家に帰りました。2006年もあと2日を残すばかりという年の暮れでした。
10月生まれなのに福之紅春号という名のその子犬は、文字通り家に春を運んできました。縄文の昔から人間と暮らしてきた犬種です。片耳はまだ折れていましたが、二週間後に実家を訪れた時は両耳とも屹立していました。しっぽはこんもりとうず高く巻き上がってやけに立派でした。貴族のようなその名前は、家では単純明快に「りく」と呼ばれました。
りくは不思議なくらい食に関心がなく、食が細い犬というのを初めて知りました。りくにとって大事なのは家族で、誰かが帰ってくると、ごはん中でもダッシュで出迎えに行きます。
りくが来てから、二週間ぶりで初めて実家に帰った時のことです。
「ただいま。」と言って玄関の戸を開けると、いぶかしげな顔で廊下を歩いてきたりくは、私を見た途端、「あっ」というように口をぽっかりあけました。
「犬でもこんな顔するんだ・・・」と驚いていると、りくは大慌てで茶の間にとって返しました。家族の帰還を他のメンバーに知らせるためです。まだ生後3ヶ月の子犬にしてなんという記憶のよさと的確なふるまいであることか。その後の歓待の仕方は尋常ではありませんでした。私のことを「時々旅から戻る群の仲間」と認識しているらしく、帰る度に大歓迎を受けます。私の存在をこれほど全身で喜んでくれる生き物はいません。
2007年 冬
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「犬が来て買った育児書20冊」という犬川柳がありましたが、私もりくが来る前に、子犬の育て方に関する本を熟読しました。食事に関しては、「家庭内の秩序を崩さないためにも、犬の食事は必ず人間の食事が済んだ後に与えるようにしましょう。」と書いてあり、その通り実行しました。
私たちが夕飯を食べ始めると、りくは「あれっ、僕のどこだろう。」というように空っぽのごはん皿をのぞきこんだり、廊下においてあるドッグフードの袋を見に行ったりするので、私は胸がしめつけられる思いでした。父はささっと食べて、「もう終わったから。」と言い、すぐにりくにごはんをあげていました。
結局、全員食べた心地がせずこれでは身がもたないので、このやり方はこれきりになりました。育児書のためにりくがいるんじゃない!
「りく、ごはんだよ。一緒にごはん食べようね。」
それからは楽しい食卓となりました。
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りくが来て2週間ほどしたある日、日本犬保存会というところから、りくの、いや、「福之紅春号」の血統書が届きました。父は「福之大次郎号」、母は「名城の福女号」で、さらに三代さかのぼる計30頭の名前が記されています。
父方の玄祖父母には、「二代豊錦号」(岐阜大黒荘)や「誉之錦姫号」(岩代誉洞)がおり(いったいどれほど美しい犬なのでしょう)、母方の曾祖父母には、「竜王号」(二光荘)や「春姫号」(讃岐水本荘)の名前が見えます。人間よりはるかに由緒正しい家系なのです。「武蔵の紅鈴号」という名も見えますので、りくはこのあたりの名前を一字ずつもらったのかもしれません。(それにしても、なぜ女の子の名前・・・?)
さらに目を移すと、父犬の主な賞歴の欄には、
「平成17年春 栃木展 優良1席 若犬賞」、
「平成17年春 福島展 優良1席 若犬賞」、
「平成17年春 山形展 優良1席 若犬賞」
と、三県の若犬賞総なめの記録が・・・。思わずのけぞり、りくに、
「りくの父ちゃん、すごいな。」
と話しかけてしまいました。
りくはおっとりした気のいい性格で、このおっとりさ加減がお育ちの良さを表しているのでしょう。家族一同、びっくり仰天の血統書騒動でした。うちのような庶民の家庭でよろしいのでしょうか、りく。
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りくが4ヶ月ころのこと、無類の犬好きである友人がりくを見たいと言いました。彼女とは、リチャード・ギア主演のアメリカ映画「Hachi」を一緒に見に行き、「思い切り泣こうね。」と言い合った仲です。(ああいう映画は犬好きとでなければ見に行けません。秋田犬の子犬は成長がはやいという理由で、子犬時代の撮影には柴犬が用いられていました。アメリカ人には区別がつかなかったのかもしれませんが、あれはどこから見ても柴犬です。)
子犬の時代というのは短いものです。最初冗談かと思ったのですが、彼女は本当に東京からわざわざ、りくに会うためだけにやってきたのです。
その日父から、
「遠くから客人がみえるのでしっかり接待するように。」と言いつかったりくは、お客様に挨拶をし、おやつをもらい、一緒に写真におさまり、寒い2月でしたが、川原のお気に入りの砂場に遊びに行きと、半日大変楽しい時間を過ごしました。
友人の話によると、以前ゴールデンレトリバーの子犬を見に行ったことがあるが、りくのお行儀の良さは、かの犬とは比べものにならないとのことでした。
昼寝をせずに半日遊んで疲れたのでしょう、夕方のずいぶん早い時間にりくは眠ってしまいました。いつもの寝床と違うところで寝ているので、
「りくの寝るとこ、こっちでしょ。」
と言いましたが、りくにはもう立ち上がる力は残っていませんでした。子犬なりに全力を尽くしたのでしょう。そおっと寝床へ移して寝かせました。
「よくがんばったね、ゆっくりお休み。」
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りくは昼間は父と二人で過ごします。ですから、りくの教育係は父なのですが、りくはしつけや教育というものを超越していたように思います。できることは教えなくてもできるし、「できないこと」というのは端的に「やらないこと」なのです。
例えば、「お座り」というのは礼儀作法ですから、人に頼みごとをするとき(「散歩につれていってください」「おなかが空きました。ごはんをください。」などの時)、全く教えなくてもりくは居住まいを正します。それに対して、「お手」というのは芸であり、ある意味、人に媚びる動作です。りくはいくら教えても「お手」をしませんでした。困ったような悲しげな顔をするのです。「お手」をする意味がわからなかったのだと思います。
私は子供の頃、自転車で犬を散歩させている人を見て一度やってみたいものだと思ったのですが、その頃飼っていた犬は、普通の散歩でもものすごい勢いでぐいぐい引っ張るので、自転車で散歩など夢想だにできませんでした。
私はまだ子犬のりくと一度自転車での散歩を試してみることにしました。驚きです。りくは最初の1回目から、こちらのペースに合わせて走れるのです。声をかけてやると、時々ちらちらこちらの動きを見ながら、集中してピタッとついてきます。「りくは天才!」と思いました。
りくは子供の頃、毎晩寝る前に父とその日の反省をしていました。父とりくは向かい合い、ひざと前足をつきあわせての真剣な反省会でした。話すのは父です。
「今日もたくさん遊びました。でも遊んだおもちゃを片しませんでしたね。おもちゃはおもちゃ箱に片してください。」
りくは姿勢を正し、神妙な顔で父の話を聞いていますが、片しはしません。
「家族 不在と存在」
りくを初めて迎えに行った3人というのは、兄と私とヘルベルトです。
「お父さんが一番長い時間一緒に過ごすんだから、いっしょに行こう。」と言ったのですが、父は
「お前たちで行って来い。」
と言いました。おそらく父には子犬を選ぶことなどできなかったのだろうと思います。
父は時折、
「お母さんがいたら、りくはどんなにかわいがられたろうね。」
と言います。子供のころ飼っていた、我の強いお転婆犬でさえかわいがっていた母ですから、りくがどれほどかわいがられるか想像に難くありません。
楽しい時に或る人の不在を感じるのは、その人が家族だからであり、家族の中に生きているからです。一方で私は、母が生きていたら、りくを飼うことはなかっただろうと思うのです。変な感覚なのですが、りくと母はとても似ており、母がいなくなって代わりにりくがうちに来たような気がします。犬川柳に、「神様に行っておいでと言われてた?」というのがありましたが、「ああ、まさに」という感じです。
りくは兄の車が玄関につくと、「帰ってきたぞ」と全身でうれしさを表しながら家族に知らせ、迎えに行きます。その後茶の間で、兄にしかしない仕方で甘えます。兄の体に頭をつけ、1分以上、時には2、3分もじいっとしています。私には、1日あったことを話しているように見えます。その間、兄はずっとつきあっています。
りくに関して何かあった時の私の決め台詞は、「私が『この子です』と言って、りくがうちに来たんだよね。」です。(それゆえ私は、人を見る目はともかく、犬を見る目はあると言われます。)これには兄も黙ってしまい、「ん、まあ、それはそうだな・・・」と同意します。でも本当はそうではない、私たちがりくを選んだのではなく、りくが私たちを選んだのです。少し離れたところからじっとこちらを見ていたのですから。
父の口癖は、
「うちでは、一番小さい子が一番偉いんだよ。」と
「うちに来たからには、幸せになってもらわないと。」
です。私の目から見ると、時々「りくに甘すぎる!」と思うのですが、父は、私が一番りくに甘いのだと言います。
「なあ、りく、姉ちゃんなんかちょろいよな。」
家族を隅々までコントロールして、漁夫の利を得ているりくです。
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春になりました。庭の草木も花を咲かせ、自然の息づかいが戻ってきました。りくにも初めての春です。りくがすくすく育っていることは、家族のだれにとっても大きな喜びでした。その頃、父は庭仕事をするとき、いらない木材で囲った柵の中にりくを入れて、一緒に外におりました。
ある日、草むしりをしていた父がふと振り返ると、いるはずのりくがいません。りくはもう柵を越えられるほど大きくなっていたのです。
「りくーっ。」
遠くには行っていない気配なのですが、怒られると思うのか出てきません。父が思案していると、たまたまそこに八重丸の飼い主さんが通りかかりました。八重丸はりくより2才ほど年上の柴犬で、散歩仲間です。
犬にも合う犬と合わない犬があるのが不思議ですが、りくは赤ちゃんの頃から八重丸君が大好きです。八重丸君はりくよりさらにぽおっとした感じの子で、年長者の余裕かあまりりくを相手にしませんが、りくの方は散歩中出会うと大喜びでした。
事情を知った飼い主は、
「今、八重丸連れて来っから。」
と言って帰られました。
八重丸の到着とともに、事態はあっけなく収束しました。一緒に遊びたいりくはすぐ姿を現し、「ご用!」。その後父にみっしり叱られ、しばらくの間、りくは「脱走犬」と呼ばれていました。
これが、我が家で年に1度は語られる、「りく脱走で八重丸緊急出動事件」の顛末です。
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りくが子供のころ、学校帰りの子供たちが「りくと遊ばせてください。」と言って、時々大挙してやってきました。
りくは大人気なのです。無理もありません。誰とでも仲良くできる気だてのいい子で、りくを見ているとほんとにトクだなと思います。いつも「近寄ったら噛むよ。」というオーラを出している犬と比べたら、りくは何の努力もなしに、みんなから「りくちゃん、りくちゃん、かわいいなあ。」と言われます。
*背景は一度も入ったことのない犬小屋。自分は入らないのに猫が入っていると猛烈に怒ります。
おまけに見栄えが良く、なおかつ小憎らしいほど賢いのです。今は床まで届くのれんを使っているので、りくは茶の間と廊下の行き来が自由にできますが、以前は戸をガタガタさせるたびに開けてあげていました。兄が洗面所で歯を磨いていると、戸をガタガタさせているので行ってみると、戸は開いていたということがありました。りくは兄がやって来るのを見越して戸を揺すっていたのです・・・ため息。
飼い主の欲目もあるでしょうが、りくは三拍子そろっています。天は二物を与えずといいますが、与えすぎではないでしょうか。
「子供らが来てるときは、危ないから見てるようにしている。」
ある時、父が眉間にしわを寄せて言いました。
「りくは噛むような犬じゃないから大丈夫じゃない?」
「この前、りくを蹴った子がいて、そいつには『お前はもう来んな!』と言った。」
逆の心配でしたか。父は人間への信頼をなくすような行為を何より恐れたのです。
りくは子供のころ特によく遊んでくれた近所の子を覚えていて、その子が学校の行き帰りに外を通るのを見ると、大人になった今でも、「いってらっしゃい。」「お帰りなさい。」と家の中から声をかけています。たまたま外にいる時は、頭をなでてもらえます。
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生後半年頃だったでしょうか、歯が抜け替わる時、りくが何でも噛んだ時期がありました。ある日、私が昼寝している間に、りくが電動自転車の充電器のコードをかじり、ちぎれた黒いコードの破片がぼんやり見えた時、私は卒倒しそうになりながら「ああ~」と叫んでいました。
りくを見ると、目を輝かせながら、「分解しました」と得意げな顔です。
「りく~、なんてことしたんだ。」と絶叫すると、途端にりくは自分が何かまずいことをしたのがわかって、すっかりしょげてしまいました。私は、ちょっと叱りすぎたかなと後ろめたい気持ちになりました。
それから2時間くらいたった頃、父がふと言いました。
「今日はりくはおとなしいなあ。」
ああ、やはりそうなのか。
「私に叱られたから・・・」と正直に言うと、事情を知った父は、「犬が物を噛むのは当たり前だ。そんな大事な物を床に置いておいたお前が悪い。」と言いました。
おっしゃる通りです。
「りく、姉ちゃん悪かったな。・・・仲直りの散歩に行こうか。」
まだ気落ちしている様子のりくを、「行こう、行こう」とせきたてて散歩に出ると、20分ほどでようやくいつものりくに戻りました。
りくが何かを壊したのはその時だけです。
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その人が土手の道を自転車をこいでゆっくりやってくるのを見たとき、「ああ、この人か」と思いました。話に聞いていた「ジャーキーおじさん」です。ズボンの両ポケットにビーフジャーキーを大量に入れていて、散歩中の犬を見るとくれてやるのです。最初は警戒したのですが、ただの犬好きのおじさんで、犬に食べ物をあげるのがうれしくてしかたない人なのでした。
おじさんの左右のポケットには種類の違うジャーキーが入っています。一つはスティック状の細い犬用のジャーキー、もう一つは太くて短い人間が食べるようなジャーキーです。父が散歩中に、りくは両方いただいたそうです。
しばらくして、やはり父の散歩中にまたおじさんに会いました。おじさんは細いジャーキーをりくに差し出しましたが、りくはお座りの姿勢のまま微動だにしません。
「あ~、この犬はおいしい方しか食べないのか~。」
とおじさんは叫び、りくに短くて太いジャーキーを差し出しました。こちらは躊躇なく、パクッと一口で食べたそうです。りくは一度あったことは全部覚えているので、お座りの姿勢でおじさんに、「おいしい方をください」とお願いしたのでした。
「この犬だけです。」
とおじさんはしきりに感心していたそうですが、父は家に帰ってきて、
「りく~、お父さんは顔から火が出るほど恥ずかしかった。」
と嘆いていました。
りくをグルメ犬にしたのは、他ならぬあなたですよ、お父さん。
父は自分がおいしいと思うものをかまわずりくにあげるので、りくの舌は肥えていくばかりです。
私の気持ちを察したのかどうか、私がおじさんに会った時は、りくは両方のジャーキーをもらっていました。
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お風呂が好きな犬がいるのかどうか知りませんが、りくはお風呂が嫌いです。今でこそあまり嫌がらなくなりましたが、それでも気配を察して毎回勝手口まで逃げてゆきます。朝一番の散歩に行った後、冬場は寒くないようにお湯を暖め返してからりくを湯船に入れます。最初は怖がって暴れましたが、なだめすかして入れました。
「朝からお風呂に入れる犬なんていないんだよ。小原庄助さんみたいだね。」
それからいっぺん出してシャンプーし、
「かゆいとこあったら、今言ってね。あとからやっぱりここもかゆかったと言われても困るよ。」
(風呂に入れた直後に体を掻いているのを見ることほど、がっくりくるものはありません。)
最後の脅し文句は、
「きれいにしてないと八重丸君に嫌われるよ。」
泡を流した後、もう一度湯船に戻してきれいにすすいで入浴終了。吸水タオルで拭いて、晴れてお役御免となります。
お風呂の後は人が(犬が)かわったようにハイになり、たいてい茶の間で大運動会になります。それがひとしきり済んでもまだ7時、兄が起きてきていつもは廊下で「おはよう」を言うとすぐ行ってしまうりくが、まとわりついているので不思議に思い、そして気づきます。
「あ~りく、お風呂に入ったのか。いい匂いするなあ。」
りくはこれを言ってもらいたくて、嫌なお風呂も我慢しているのです。
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りくは子供のころは茶の間で寝ていたのですが、最近は季節や状況によっていろいろなところで寝ています。たいていは父の寝室に一緒に行き、母の遺影のある座卓の前の座布団の上で寝ますが、冬は寒いので父を寝かしつけてから(本当です。父が寝たのを見届けると戻って来るのです。)茶の間に戻り、余熱のあるこたつで寝ます。
私が実家に来ているときは全く状況が変わります。茶の間から私が私室としている客間に来て、ドアをカシャカシャして開けてもらおうとしますが、私が入れないとまた茶の間に戻るということを何度か繰り返します。
「明るくなる頃なら入れてやってもいいか、昼間は入って来るんだし・・・。」
と考えたのが運の尽きでした。夏なら5時にはもう明るくなりますが、冬は真っ暗です。そのうち、
「まだ暗いけど、4時半だから・・・まあ、いいか。」
となり、それが4時になり、とだんだん来る時間が早くなっていきました。やがて3時になり、2時になり、こちらも睡眠を中断されボーっとした頭で毎回時間を確かめるわけではないので、ついに12時より前にやってくるようになりました。入れなければいいのですが、カシャカシャがだんだん激しくなるのでそうもいかないのです。
それだけではなく、はじめは足元のじゅうたんの上で寝ていたのに、次第に布団の上に侵食してくるようになりました。冬は寒いのか顕著にエスカレートしていきます。ついに我慢の限界を越えたとき、私は父に窮状を訴えました。
「お父さん、見てください。あそこにりくが寝てるんです。」
私の布団のほぼ中央にあるクレーターのようなくぼみを見て、父は言いました。
「こ、こんなド真ん中に・・・これはひどい。」
「でしょう。私は左右どっちかに寄って小さくなって寝ています。あのくぼみの真下に電気あんかがあるんです。」
「ほうっ。」
「ひさしを貸して母屋を取られた気分です。お父さんからもりくに言ってください。」
「りくはあんかの上で寝てるのか。あったかいところにいるんだな。そのへんがやっぱりりくは違うな。」
だめだ、話の焦点が完全にズレている・・・。 父による解決は望み薄だ、何か手を打たないと。
その後、実家から自宅に帰って夜になり、なんだか自分がウキウキしていることに気づきました。そのわけを心の中でたどってみてわかりました。
「あー、手足を伸ばしてゆっくり寝られるのはいいなあ。」
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犬にもいろいろな性格の犬がいるように、猫にもいろいろいます。
りくには敵対心というものがないので、知らない相手に考えもなしに近寄って行きます。猫の後を追っていき、土手の階段の上で待ち構えた猫から猫パンチを食らっても、何が起きたのかわからず目をぱちくりさせたりします。
夜、家の庭で猫が鳴いている時は怒って吠えますが、猫がきらいなのではなく、縄張りを荒らされるのが嫌なのです。りくはりくで家を守っているのですから。いつまでも止まないと兄が、
「りく、悪い猫を退治しに行こうねー。」
と言って、りくと一緒に出かけていきます。何をするわけではありません。一回りパトロールすると、りくは安心するのです。
良好な関係の猫もいます。散歩中、通りがかりの人が、白と薄茶まだらの小柄な猫がりくと一緒にいるのを見て驚いていました。
「猫、逃げないんですね。」
「あの子たち、知り合いなんですよ。」
「知り合い・・・」
「ええ、お互い知り合いなんです。」
他に言いようがなく、同じ言葉を繰り返しました。別に仲がいいわけではないのですが、猫も気がいい子なので、りくに対して「なによっ。」という仕草で身を引くものの、くんくんにおいをかがれている間、じっとしています。動物にも知り合い程度の付き合いというものがあるのです。
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まだ片耳の折れていた子犬の時分からりくはヘルベルトを知っています。1年後に会った時、りくは彼のことを覚えていて歓待していました。しかし、年に一度お正月を過ごしに来る彼をりくは違う群れ Rudel の人とみなしていたようです。
「ほらね。」
客間にいた時、私は気づかなかったのですが、ヘルベルトがりくの繰り返す動作を指摘しました。
私を見る・・・、ドアを見る・・・
私を見る(「いっしょに」)・・・、ドアを見る(「茶の間に行こう」)・・・
茶の間はりくが一番落ち着ける場所です。りくにとって私は母親としての側面があるのだろうというのがヘルベルトの分析でした。この動作を延々繰り返されると、さすがに気が滅入ってきて、「ちょっと茶の間に行って来るね。」という」ことになります。
散歩にもよく3人で出かけました。言われなければ気づかないほどの変化なのですが、私とヘルベルトがずっとおしゃべりしていると、りくが微妙に間に入ってこようとするのです。りくを蚊帳の外においていたつもりはないのですが、2人で話に熱中しているのがりくにはつまらなかったのかもしれません。りく、あれは・・・やきもちですか?
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「りくは生まれて2カ月半でお母さんから離れてうちに来たんだな。」
ある時、父がしみじみ言いました。考えてみれば確かにそうです。私は急にりくが不憫になりました。
また、東日本大震災の時のこと、兄は入院中の父をたまたま見舞っていて地震に遭いましたが、その時りくは一人で留守番中でした。老朽化した病院の天井や壁がパラパラと剥がれ落ちる中、「ここでお父さんと一緒に死ぬのか」と思うくらいの揺れだったそうで、結局父は入院を打ち切って、兄と一緒に自宅に戻ってきました。二人ともりくのことが心配でドアを開けると、りくは無事でした。それどころか、「危ないから、こっちこっち。」というしぐさを見せたとのこと、どこまでけなげな犬なのか。
今では、ちょっとでも揺れるとすぐ父のもとに跳んできます。父は、
「一人で震災を耐え、怖かったんだろう。」
と言います。またまた、不憫になってしまいます。
この二つのことが心にひっかかって、ついついりくには甘くなってしまうのです。
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りくがまだ子犬の頃のことです。久しぶりに帰省し、滞在中に買い物に出かけて帰ってきた時、父が言いました。
「もう、りくには参った。」
私のいない間、ずっと父にまとわりつき、ぐずぐず何事か言っていたとのこと。訴えの中身は、
「姉ちゃんがいなくなったから探して。」
「いなくなったんじゃなくて、買い物に行ったんだよ。」
と言ってもわからず、帰るまでずっと訴えていたので、ほとほと困ったそうです。
それからは、必ず買い物に行くことを告げ、勝手口から出るようになりました。玄関から出ると、しばらく旅に出る(=いなくなる)のだなとりくは理解するのです。3時間くらいのお出かけは許容されますが、それ以上長くなると、帰った時、「遅い!」と言って怒ります。ですから、気分を変えさせるためにそのまま散歩に出るのが習いとなりました。
私は夜に外出することはまずないのですが、先日はクリスマスイヴ礼拝のため夕方出かけました。りくは4時ころから台所に行ったまま、勝手口の前でお座りしていたとのこと。
「まだ、当分戻って来ないよ。」
と父に言われてもりくは聞く耳を持たなかったそうです。私が7時過ぎに戻ってドアを開けると、果たしてりくはそこにいました。それからが大変、私は「帰りが遅い!」と叱られ、夜だというのにりくの機嫌をとるため散歩に出る羽目になったのです。
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「そろそろお父さんに電話しなくちゃ。」
一週間ほど間があくと、私は父に電話します。いつも決まって夜7時頃です。父は電話に出るとすぐに、
「あー、待って、来た来た。」
と言ってりくに代わります。その時間の電話は私からとわかるようで、りくは別の場所にいてもやってくるとのこと。父が受話器をりくの耳につけているので、私が一方的にしゃべります。
「はい、受話器なめてます。」(もしくは、「はい、電話線なめてます。」)
と、父の実況中継が入ったあと父と話します。いつも用事は特にないので雑談です。話が終わると父は、
「もう一回ね。」
と言って、再びりくに代わります。りくとしゃべっている方が長いくらいです。
毎回繰り返される出来事なので、今ではこう言うようになりました。
「あー、そろそろ、りくに電話しなくちゃ。」
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「帰ってから、りくどうしてた?」
「午後中、お休みになってました。夕方、やっと元気になったよ。」
父の言葉に私はため息をつきます。私が帰省していると、りくはいつもする昼寝をしなかったり、普段は8時前に眠るのに私にお相伴して寝るのが遅くなってしまうのです。それだけでなく、うれしくて気が張っているようで、要するに調子が狂ってしまうのです。いつも私が帰った後ぐったりするとのこと、本当に困ってしまいます。
「りくのベルト、切れちゃったよ。」
と電話があったこともありました。りくに似合うだろうと思って買った皮のハーネスでしたが、不良品だったのかなと納品書を手に帰省したところ、ハーネスには明らかにりくの歯形が・・・。
そのようなことが二度あり、どうやら私がいなくなるとりくは寂しくて革ひもを噛んでしまうのだとわかりました。可哀そうですが、どうしようもありません。革ひもはあきらめました。
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冬場はさすがにしないのですが、兄とりくはよく夜中に散歩をします。(父はこれを「夜遊び」と呼んでいます。) 夏の昼間は暑いこともあって、夜、兄が階下に降りてきた時に散歩をせがんだのが最初のようです。りくの賢いところは「無駄な動きがない」ところで、たとえばお風呂に入っている最中はまったくやって来ないのですが、入浴が終わるか終らないかのタイミングでやってくると言います。眠い時に散歩は厄介なので、「今日は来ないな、逃げ切れそうだ。」と思った瞬間に姿を現すとのこと。
或る時ふと目が覚めると、風呂場の灯りが廊下に漏れていました。兄がお風呂に入っているのだなと思いつつまた眠りに落ちようとした時、傍らで寝ていたりくがすぅっと出ていくのがわかりました。風呂場の電気が消えたのはその数秒後で、気味が悪いほど絶妙なタイミングでした。兄が言っていた言葉を目の当たりにし、その正確な予測能力に恐れ入りました。常にどんな音でも拾うべく360度小刻みに動く耳と、動物的な勘の賜物でしょう。
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りくは誰かと遊ぶのが大好きなのですが、遊んでもらえないときは一人でおもちゃで遊びます。おとなしくしているなと思うと、たいていぬいぐるみの綿出しに熱中しています。

おもちゃ箱から好みのおもちゃを持ってきて遊ぶのを見ていると、おもちゃとそうでないものの区別がついているのはすごいなとあらためて思います。大好きなぬいぐるみほどぼろぼろになっています。
たまにふざけて、
「これ貸して。」
というと、りくはぬいぐるみを噛みしめたまま、
「貸せません。」
と言います。
「なんで貸せないの?」
と聞くと、さらにぐっと噛みしめて、
「自分のだから貸せません。」
とのこと。それから私はりくの動きを観察し、隙を見て、
「そんなこと言わないで貸してよ。」
と、おもちゃの取り合いをして、ひとしきりりくと楽しく遊びます。
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夏か冬かと言われれば、りくは断然冬が好きです。柴犬の毛はダブルコートで皮膚が見えぬほどびっしり生えていますから、夏は大変です。一度もう日が傾いたから大丈夫かと散歩に連れて行ったら、熱中症の症状を引き起こし、あわてて帰ってエアコンの風に当てて事なきを得た経験があり、あの時はどうなることかと思いました。
冬は雪の中でも大喜びで跳ね回っているのに、家の中に入ると途端にいつも一番暖かいところに陣取るのです。一つ心配になるのはストーブの目の前にいることです。赤ちゃんの時はファンヒーターを使っており、熱風がものすごい勢いで出てくる真ん前に顔を向けているので、いつもすぐお尻を向け直していたのですが、気がつくとまた熱風を顔に浴びているのでした。

今は昔ながらの火の見える石油ストーブを使っていますが、同じく真ん前に陣取っているので、頭を触ってみると熱くなっています。人間が同じ位置に顔を置いてみるととても長くはいられません。
犬が好きでやっている以上、心配はないのかもしれませんが、鼻がカパカパに乾いていてもいいのでしょうか。これだけはどうしてもわかりません。
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めったに見られないのですが、りくの顔でとりわけかわいいのは、寝ている時に犬歯の先っぽがちらっと外に出ている顔です。歯茎をめくってみると大きく立派な犬歯で、「おお、やはり狼の末裔だな。」と思います。お風呂と同じで子供の頃からもっと歯磨きに慣れさせておけばよかったなあと思います。たまに歯ブラシのついた指サックで歯をみがいてやるのですが、慣れないせいか嫌がります。「いやだけどママは本気で噛めません」という犬川柳さながら、りくもそんな感じで耐えています。
以前、りくを連れて遠出した時に、自宅で黒柴を飼っているという若い姉妹が「犬触ってもいいですか。」とやってきたのですが、りくを見て、「体細い、脚長い、歯白い」と言ってほめてくれました。飼い主はほとんど何もしていないのに、りくは本当に手のかからない犬です。
りくは兄と朝食を食べるのが日課になっていますが、もらったパンのかけらに耳がついていると、「ん?ちょっと硬いな。」という顔をします。一度出して噛みなおしているのを見ると、思わず「あなたの牙は何のためにあるの?」と言ってしまいます。「りくはちっちゃい弱っちい狼だな。」と兄はあきれています。
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りくのことで家族の一致した意見は、「毎日見ててもかわいいね。」ということです。いつも正面から相手にしなければならないので疲れることもありますが、邪気がないので何もかも許せます。
りくは常に散歩に行くチャンスを狙っていて、父はやることが一段落するか気が乗らないとダメなこと、兄には前足で肩や腕をポンポン叩くと成功すること、私には礼儀正しくお座りしてじっと見つめるのが有効なことを知っており、それぞれうまく使い分けています。
寒い日で散歩に出たくない時は、りくに見つめられても目をそらし、体の向きをかえるのですが、りくはその方向に移動し目を合わそうとします。父が間髪入れず、「りく、粘れよー。」と合いの手をいれます。私は、「りく、お父さんに頼んで。」と言うのですが、りくはその時その時で状況を瞬時に判断し、ターゲットにロックオンします。結局、りくに選ばれた方が散歩に出る羽目になるのです。
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りくは素直で控えめな性格です。外の人に対してはそのまま外面よくふるまっているのですが、家族にはあまのじゃくな面を見せます。
散歩でいつもの場所のあたりまで行って「さあ、そろそろ帰ろうか。」と言うと、必ず「やだ、もう少し行く。」とがんばります。負けたふりして「じゃあ、あと少しね。」と言ってほんの10mほど歩き、「さあ帰ろう。」と言うと今度は素直についてきます。
帰ってきて家に入ろうとすると、「僕、入らない。」と一度は言います。どんなに寒い日でも毛皮を着ているのでへっちゃらです。
「姉ちゃんは家に入るよ。りくは入らないんだね。じゃあね。」
と庭につないで私は家に入ります。一人で静かに遊んでいたり、通る人や犬に声を掛けたりしているうちはいいのですが、わりとすぐ「家に入りたい。」と言って鳴きます。特に家の中から家人の話し声や笑い声が聞こえてくるともう一人ではいられないようです。やはり群れで暮らす種族なのです。
「だからさっき家に入るよって言ったでしょ。」
もう一度外へ行ってりくを抱き上げ足を洗って家に入れるのは面倒なので、私はいつもりくに文句を言うのですが、りくはどこ吹く風です。父がりくのおへそのあたりをグリグリしながら、「ここが曲がっている子がいますね。」と言うと、りくはお腹を見せてあおむけになり、すっかり甘えています。ため息・・・。
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真夜中にりくの吠える声で起こされました。夜中に吠えるのは私の知る限り初めてのことです。いつまでも止まず、「ううーっ。」とうなりながら落ち着かない様子。春のこの季節、原因は猫です。近所迷惑でもあるので、兄がりくの猫退治に同行し二人で出かけて行きます。あとで聞くと、玄関先に堂々と猫がおり、りくの縄張りを荒らしていたのでした。
また、私がいない時に、朝方吠えた時もあったそうで、父が見に行くと猫が5匹もそろって家の前でミーティングしていたとのこと。父曰く、
「あれじゃ、りくが怒るのも無理はない。」
そんなわけで、寝不足のりくは昼間ぐったりしています。両手で鼻を抱え込むようにして寝るのは、柴犬の特徴でしょうか。春はりくにとって心休まる時がない季節でもあります。
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りくは食べ物に対して執着がない犬です。父からおいしい食べ物をもらう時はそれなりに意気込んで食べますが、普段はドッグフードの食事にさほど意欲的ではないのです。犬は食欲がほぼ全てと思っていた私には驚きでした。
年に一度の検診の折、血液検査でりくが人間の食べ物を食べていることがばれてしまい、指導を受けました。今まで食べていたドッグフードは量販店で父が買ってくる柴犬用のものです。あまりおいしくはないようで、りくは父に
「ぜいたくを言うな。」
と言われていますが、チーズやお肉を細かく切って混ぜてあげないと食が進みません。特に食欲の落ちる夏場は食べさせるのに苦労します。
そのため、ものは試しと、医者に奨められたドッグフードを与えてみることにしました。ペットフードに力を入れている店には置いてありますが、どこの量販店にもあるわけではないものです。犬種によってまた年齢によって細かく種類が分かれていて、聞いたこともない犬種のものまであるのですが、外国製のためか「柴犬用」のものは見当たりません。とりあえず、「皮膚が敏感な犬用」というのを選び、購入しました。りくは皮膚が過敏な犬ではありませんが、成分に気を遣っているようなので、(犬種によってどれほどの違いがあるかわかりませんが)意味もなく「プードル用」とか「シュナウザー用」とかを与えるよりいいかなと。これを初めて食べさせたとき、今まで見たこともない勢いでバクバク食べるので圧倒されてしまいました。父も驚いて息を呑みました。
「本気になって食べてる・・・」
トッピングをせずにドッグフードのみでも食べるのはこのメーカーです。以前食べていたものの6倍の値段ですが、りくのためならえんやこらです。
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「マジ思う 犬に生まれて よかったな」
りくを見ているとこの犬川柳を思い浮かべます。父のおかげでりくは至れり尽くせりの生活を送っており、時々、「何か不足あるかい?」と聞かれていますが、あるわけがありません。
しかし、りくにもお仕事はあります。一つ目は、タイムキーパーです。私がいない時は、りくが朝父を起こして散歩に出ます。散歩は1日も欠かせないことなので大変ですが、父の健康維持に役立ってもいます。帰省中にりくと朝一の散歩をした後、7時近くになっても父が起きてこないことがあり、ちょっと怖くなって、「りく、お父さん起こしてきて。」と頼んだこともあります。この時はただの寝坊でした。私が家にいるとりくは子ども返りしてしまうようで、普段の実態が把握できないのですが、兄が起きてくる時間には廊下に出てゆき、階段の下で待っているといいます。
もう一つの仕事は、家を守ることです。いつも茶の間のカーテンの陰から外を眺め、天下国家の情勢を見極め、家にやって来る訪問者や宅急便等があれば吠えて父に知らせます。父は耳が遠く、玄関のチャイムが鳴っても聞こえないことが多いので、聴導犬としてりくは本当に大切な役割を果たしています。出入りの犬好きのガス屋さんをはじめ、外にいる時は近所の方々、通りがかりの人に至るまで、みなりくに声を掛けかわいがってくれます。
三つ目は、ホームドクターとしての役目です。りくの健気さやのんびりした様子を見ていると、たいていのことは「ま、いいか。」と思えます。疲れていてもりくと遊ぶと疲れが吹っ飛びます。
「りく、兄ちゃんに『タバコは体に悪いからやめて』って言ってね。」
「天気が悪い時はタクシー使えばいいのにね。りく、お父さんに言ってやって。」
本人を前に言いにくいことは、みんなりくに頼みます。りくは専属の精神科医です。なかなかの名医です。
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りくはお風呂や歯磨きが嫌いですが、写真撮影はもっと嫌いです。
「か、かわいい。」と思ってカメラを向けると、りくは必ず横を向いてしまいます。
「りくー、こっち向いて。」と言っても、がんとして向きません。
「やだな、また撮影か・・・」と思っているようです。まして普段と違う状況ではまったくりくのよさが出ないのです。一度、雨の日用のレインコートを着せて撮影しようとしたら、固まってしまい失敗。りくはモデル犬にはなれません。
「外にいる」と言うりくを残して家に入り、外で何をしているのかなとそっと覗いてみると、向こうも私を見ていた時の首をかしげた顔。
茶の間の扉を開けた時こちらを見る、まるでシュタイフのクマのぬいぐるみのような顔。
朝、「おはよう」を言いに来る時のうれしさに輝いた顔。
こういう顔は決して写真におさめることができないのです。なんと残念なことでしょう。

先日、八重丸君が散歩の途中でうちに寄ってくれた時、カメラが近くにあったので一緒の撮影を試みたのですが、ふたりとも撮影嫌いと判明。せっかくの時間を邪魔しちゃってごめんね。
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長かった福島の冬が終わったと思ったら、あっという間にもう夏ですが、この間に避けられないのがりくの抜け毛問題です。3月頃から4月いっぱい、ふわふわの下毛が抜けて夏用の毛皮になります。
この時期は、表面の剛毛から綿毛が飛び出ているなと思い、つまんでみるとごそっと驚くほど抜けます。首のあたりなどは下毛がだぶついたようになっているのでブラシを当ててやると、気持ちよさそうにしています。どんどん取れるのでちょっと心配になるほどで、いつまでやってもきりがありません。
「りく、ずいぶんやせたね。」
と言って、適当に終わりにします。父は風の強い日に土手の上でブラッシングをするそうです。
抜け毛の季節に特に大変なのはお風呂はです。風呂場の排水口は抜け毛の山、また風呂からあがった後にりくが歩いたところには毛が落ちています。
「りく、毛を落とすな。」
と父が言うのですが、それは無理というもの。りくが悪いわけではないのです。家中掃除機をかけてやっとお風呂が一段落、ふぅー。
秋にも毛の抜け替えがありますが春ほどではありません。抜け毛と言うとドキッとしますが、自然の摂理なので「りくの抜け毛は心配なし」っと。
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いい季節の散歩は本当に楽しいものですが、冬は大変です。特に雪道はただ歩くのも芸がないので時々買い物と組み合わせて遠出します。1キロくらい離れたコンビニによく行くのですが、りくにとって遠出の時は目新しい物が満載なのでうれしそうです。絶対必要なのはトイレ用品、道のりが長いので必ずします。
コンビニの駐車場の端の危なくないところにりくをつなぎ、
「すぐ戻るからね。いい子にして待っててね。」
と言い聞かせ、店に入ります。りくはおとなしく私を見送ります。買う物は決めてあるので時間はかかりません。店内から出てくる私の姿を見つけると、途端にりくは吠え始めます。私が駆け寄ると、全身で喜びを表現しまとわりついてきます。たぶん3分くらいしかたっていないのに、1ヶ月ぶりの再会かと錯覚するほどです。知らない人が見たら、動物虐待と思われないか心配になります。
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りくはとにかく散歩好き。散歩に行って1時間もしないうちに「また行きたい」と言うこともあり、「りくと散歩にばかり行っていられないんだよ。」ということもしばしば。朝一で行き、父が午前中に一回行き(実はりくは私が帰省している時は私と行きたいのです。父に呼ばれてもじとっと私の方を見て、後ろ髪を引かれるようにして出ていきます。)、その後私に再度せがみ、気分がよければ午後に一回、夕方食事の支度を始める前に行けたらまた行き、行けなければ夕飯後、さらに夜兄が一回と数えてみれば相当行っています。
近所に外で飼われている犬がいるのですが(昔はあたりまえのことでした。)、そちらの方はあまり通らないようにしています。なんだか可哀想なのです。1年中北側のあまり陽の当たらない場所につながれていて(もちろん散歩はしています。)、その前をこれ見よがしにりくが通ったりすると、険しい顔で歯をむいたりすることがあります。無理もないよなあと思います。この上、りくが内犬で家じゅう自由に歩き回れて寒い冬にはストーブの前でぬくぬくしているなどと知ったらどうなってしまうのでしょうか。
普段通るルートはだいたい決まっていますが、時々りくが「今日はこっちに行きたい。」と主張することがあります。行けるときはつきあいます。また猛吹雪でとても土手は歩けない時でもりくは行こうとするので、「今日は無理」と言って民家の方のルートに変えます。
犬なら本性で散歩は自然とできるのかと思っていたのですが、そうではありません。最初は外に連れていっても散歩になりませんでした。どっちに行っていいかわからず、右往左往、ちょっと進んだかと思うとまた逆方向に行こうとし・・・ああ、そんな時期もありました。今は毎日寄る場所もあってなにかりくなりにチェックすることがあるらしく、自信をもって自分のペースで散歩しています。立派な犬になりました。
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ロイヤルカナンから今年ついに柴犬用のドッグフードが発売されました。消化率90%以上のタンパク質を24%以上含み、脂質は12%以上、粗繊維等の量も申し分ないようです。洋犬のものとそう違うとも思えませんが、日本のブリーダーと共同開発とのこと、さっそく購入して与えてみました。始めはほんの少しずつ味を見ていたようでしたが、そのうちバクバク食べ出し、3回お代わりしました。今まで食べていたものも一応置いてみると食べ比べていました。
お腹が空けば何でも食べるのでしょうけれど、確かに毎日同じものだと、犬とはいえ飽きるのだろうなあと思います。このへんは新商品の発売をつい楽しみに試してしまう人間と同じす。それにしても、人間が5キロ3千円の米を食べているのに、りくは3キロ3千円のドッグフードを食べていることに多少疑問を感じないわけでもありません。
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私が子供の頃は福島は、夏とても暑い土地として有名でした。
「今日も全国で一番暑かったよ。」
という日がよくあったのです。しかし今、東京から福島に来ると、明らかに涼しいと感じます。思い出してみればあの頃は暑いといっても34℃、最高に暑くても35℃くらいだったと思います。一般家庭にエアコンが入ったのは私が高校生の頃で、それまではぬれタオルと扇風機だけでなんとかやっていたのです。今、日本で一番暑い地域はそれより5℃以上も気温が上昇しており、熱中症による命の危険を心配しなければならなくなりました。
福島は相対的に涼しくなったといっても、毛皮を着た身にはやはり暑いようです。朝早くの散歩はいいのですが、その後はもう暑くなり夕方まで外に出せないこともしばしばです。外に行きたいと言うこともありますが、実際出してみると「やっぱり無理でした」と自分でわかり、「家に帰る」と言います。家の中では風の通り道など比較的涼しいところにいますが、茶の間にいる時は父がエアコンをかけてあげています。父はエアコンも扇風機の風も苦手で、普段何も使わずに暑い茶の間にいることが多いのです。私がエアコンをかけると、「暑くない。」と言って切ってしまうほどです。それなのにりくがいると、
「あの子は暑さに弱いから。」
と言って自分でエアコンをかけるのです。これっていったい・・・。もはやりくはお犬様の域に達しているのです。
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食に関してりくは全くガツガツしたところのない犬で、時々もうちょっと食欲があればいいのになと思うことがあります。りくに食事させるのは結構大変です。ドッグフードだけを食器に入れても食べるのはよほどお腹が空いている時で、たいていはふうっと匂いを嗅いでそのまま行ってしまいます。
「そんなわがまま言う子は食べなくていいんだ。」
と私は言うのですが、また戻ってきてこちらの顔をうかがっているので、ついトッピングをしてしまいます。
りくの戦略はただ一つ、「食事は急がない」です。夏の暑い時、食欲が落ちあまりに食べないので、「このままでは夏バテしてしまう。」と、お肉やら卵やらチーズやらを混ぜて食べさせていたことから、「食べずにいるとだんだんおいしいものが出てくる」と学んだようです。 なるべくドッグフードを食べさせ、あとはご飯のおかずを少し分けてあげますが、やはり人間の食べ物の方がおいしいので、ドッグフードをえり分けて食器の外に出しながら食べています。
先日、愛犬を亡くされた方から「りくちゃんに。」と、缶詰を3缶いただきました。「ひな鶏レバーの水煮」という、りくがついぞ食べたことのない高級品です。さっそくその晩いつものドッグフードを混ぜてあげてみると、ひどく勢い込んで食べています。普段は残すドッグフードもきれいに完食! しかも、いつもは食べ終わるとスーッといなくなるのに、この日はいつまでも私のそばをうろうろしています。よほどおいしかったのでしょう。
「さくらちゃんに『おいしいものありがとう』って言わねばね。次は・・・2か月後のお誕生日!」
これは意地悪からではありません。
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りくを見ていると毎日ヒマだろうなと思います。朝、家人を起こし兄を見送った後は、郵便や宅配の対応以外はとくにすることがありません。他の家人は出かける用事や買い物があるのでその見送りやお出迎えくらいはしますが、あとは寝そべってうとうとしていたり、念入りに身づくろいをしたりしています。犬の睡眠時間は12~15時間と言いますから、まあいいのでしょう。
そのかわり、兄が帰ってきた時の喜びようは大変なものです。車が帰ってきたことを他の家人に知らせる時、吠えるだけでなく声を絞り出すようにして明らかに何か話しているのです。感極まった訴えがあまりに真剣なので、「ああ、一日中待ってたんだな。」と思います。これが毎日の出来事なのです。
兄が姿を現すまで、また洗面や着替えをしてりくを相手にできるまで結構時間がかかるので、その間、りくはうれしくてどうしていいかわからないようです。父にかかっていったり、大好きな「弟くん」という名のぬいぐるみを振り回したりしています。やっと兄と遊べるようになると、頭をつけてピョンピョン跳ねたり、お腹を出してあおむけになったり(この時前足は完全に脱力し、まるで「うらめしやー」というような格好になっています。) まったく甘えきっているのです。
りくはまもなく七つになります。犬の年齢は七掛けといいますから、人間でいえばもう「天命を知る」歳に近いのです。こんな甘えっ子でいいのでしょうか。
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帰省したら父がいなかったので、変だなとは思ったのです。りくが大喜びで迎えてくれましたが、こちらもいつもとちょっと違う感じ。なんだかびっくりして戸惑っているようでした。
理由がわかったのは一週間ほどして、来月の予定を壁に掛かったカレンダーに書き込もうとした時でした。いつも父にわかるように、到着日と出発日を赤ペンで書いておいたのですが、今月のカレンダーは真っ白でした。書き忘れたのです。何日か前に電話でも知らせておいたのですが、父は耳が遠くて伝わっていなかったようです。
「カレンダーに書き込むの忘れてた。」
と言うと、父が
「そうだよ。だから、りくには、『今月は姉ちゃん来れないんだよ。』と言い聞かせておいた。」と。
それでか・・・。だから玄関を開けた時、りくはふいを突かれていつもと対応がちがったのです。いつもは私が帰る日の3日前から、父はりくに
「いい子にしてたら、姉ちゃん帰ってくるかもしれないよ。」
と話し、当日は玄関にスリッパを出しておくので、りくは私の帰宅を確信し、期待でいっぱいになって待っているのです。うっかりしてたな、りくも調子が狂ったろうね。
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りくは父と過ごす時間が長いので対応の仕方を一番よく心得ています。説教が始まると場所を移動し、馬耳東風と聞き流します。「(散歩に)行くぞ。」と声が掛かると勇んで勝手口に馳せ参じます。父が台所に立つときは時々行って監督します。(食が細い割には、自分に関係のある物が調理されているかどうか気になるようです。)
時には「今忙しいから、自分で工夫して遊んでなさい。」という高度な課題が課せられることもありますが、それなりに理解しおもちゃ箱からその時々の気分でおもちゃを選んで遊んでいます。私が父と言葉でやり取りするとつい言いすぎて、お互い気まずい思いをすることがありますが、りくは本当に賢いなと感心します。見習わなければと思うことがしょっちゅうです。
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「あら~、美しい犬だこと。」
「きれいだね~、かわいい。」
散歩中、りくはいろいろな人からいろいろな声を掛けられます。大きな声で思ったことをそのまま発声するご婦人がいるかと思うと、ひそひそ話をしながら通るご夫婦もいます。
「あの犬、かっこいいね。」
「うん、かっこいい。」
思わず耳がダンボです。
土手を大型犬が登ってくるので、りくがお座りして通り過ぎるのを待っていたら、
「まあー、立派。なんて立派な。」
と飼い主さん。
「何か見てるんですね。」
「ええ、川を見ています。」
りくは土手の決まった場所で向こう岸に向かってきちんと座り、じっと川をながめるのが好きです。放っておくといつまでも見ているので、「そろそろ行くよ。」と言って散歩の続きを促します。
「りくちゃんですね。」
「はい、りくです。」
りくの名は知っているのですが、何かしら声を掛けたいのです。
「りくちゃんでしょう、八重丸君のお友達の。」
交友関係まで知られている・・・。
「りくちゃん、りくちゃん。」
とひたすら名前を連呼する方もいます。
りくの態度はいつも同じ、まったくどこ吹く風なのです。もうちょっと愛想よくしてちょうだい。
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私が帰省している時といない時とで、対応が変わるりくのしつけとしては「外から帰ってきた時の足の洗い方」があります。普段はぬれ雑巾で足を拭くだけで家に入れているようなのですが、私がいる時は必ず水道で足を洗うようにしています。これも子供の時からきちんと慣れさせておけばよかったと思うことです。いや、軽々抱き上げられる子犬の頃は足を洗っていたのですが、だんだん重くなるにつれて足拭きに移行していったというのが真相です。
りくにはいつも
「姉ちゃんが来たからには足を洗わないと家に入れないんだよ。」
と言っています。すでに10キロはあるりくを抱っこしたまま、まず後ろ足を水道で洗い、それから流しのふちに後ろ足で立たせて、体はしっかり支えながら前足を洗います。とても不安定な姿勢なのでりくは足を洗うのがきらいなのです。
他の家人と散歩に行って戻って来た時、勝手口に私がいないようだと思うと、りくはそのまま入ろうとしますが、たいていは待ち構えていて
「そうはいかないんだよ。悪い生活から足を洗ってください。」
と言って抱っこします。りくは
「あー、見つかっちゃった。」
というふうに仕方なく足を洗います。
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人間に利き手があるように犬にも利き前足があります。りくは前足を交差して寝そべっている時、必ず左手を上にしています。人が指を組むときどちらの親指が上にくるか決まっているのと同じです。これに気づいたのは父で、りくの姿を声に出して描写していたら、いつも「左手、前」だったのです。
東京に帰る日、兄に駅まで送ってもらう前に車の窓を開けてりくに別れの挨拶をするのですが、このとき父にだっこされたりくが出すのは決まって右前足です。犬も時と場合によって使う足が決まっているようです。私はそんなことを考えてもみなかったのですが、いつも一緒にいるだけあってさすがに父の観察は鋭い。
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りくはよく茶の間の出入り口に陣取っています。以前はうっかり開けて入ろうとして踏みそうになり、
「こんなところにいたら危ないでしょ。」
と言っていたのですが、今ではもう定位置の一つになりました。そこはりくが家族の出入りをチェックする関所なのです。
夜、茶の間で寝ているりくを残し、洗面所で歯を磨き眠ろうとしてふと見ると、廊下の先に黒々と切り立った山のような三角お耳のシルエット・・・。寝ていたはずのりくがじっとこちらを見ているのです。兄の話では、夜中に階下に下りてきて、ふと振り返るとすぐ後ろに音もなくりくがいて、「ぎょっ」とすることもたびたびとか。
りくはいつでも家族の動きを把握しています。私が帰省していると、把握しなければならない対象が増えて大変そうです。だから疲れちゃうんだよ、りく。
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りくは普段茶の間の座布団の上でおっとり、のんびりしていますが、時折同じ犬かと思うほど豹変することがあります。何かの拍子にスイッチが入ると、茶の間や土手下の小さな区画を所狭しと駆け回り、急にブレーキをかけて止まったり方向転換をしたりするのです。また、おもちゃを取り出して振り回したり放り投げてはまたくわえたり、どこにこんな敏捷性が隠れていたのかと思う動きをします。
何がスイッチになるのかよくわかりませんが、確実なのはお風呂の後。それからたまに、家族が帰宅した時や夕飯の直前に行うこともあります。たぶん気持ちが高まる時なのでしょう。この状態になると止めることはできませんし、手が付けられません。わずかに残る野生の趣を感じ、近寄るのもためらわれるので、気が済むまでやらせておきます。
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「りくに掛け布団をつくってやって。」
と父に言われ唖然としました。りくにどうして掛け布団が要るのでしょうか。りくは私がいない時はこたつの余熱のあるところで寝るのですから寒いはずはないのです。父が言うには、夜起きるたび、こたつカバーを体に掛けてあげているがもっとちゃんとしたのを掛けてあげたいとのこと。どこまで過保護なのでしょう。
外で寝ている犬だっているのです。掛け布団なんて必要ないと思いましたが、父の頼みを無下にもできません。しかたなく古い毛布をあげました。りくはもう雪ん子のようです。こんなことをしていてかえって寒さに対する耐性を失わないのでしょうか。
私が帰省しているとりくは必ず私の部屋にやってきて寝ます。掛け布団はありませんが、ずっといるところを見ると平気なのでしょう。もっとも私の部屋では、りくは始め布団のわきにいますが、そのうちズイズイと上がってきて電気あんかを探り当て、その上で寝ています。控えめなようで案外ちゃっかりしているのが柴犬の気質かもしれません。
「飼い犬にあんか取られてもらい熱」
結局、私が寒いのであんかは2つにして1つはりくが使っています。
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春の風物詩、狂犬病の予防注射に行ってきました。これまでは父がやっていた仕事です。もともとはもう一日遅く福島に帰って、翌日の注射場所に行くつもりだったのですが、そこは小学校より遠く1キロ以上離れているので一番近い場所に行くことにしたのです。
そういえば、小学校6年の或る土曜日、「今日は学校が終わったらすぐ帰ってきてね。」と母に朝念を押され、帰るとその足で一緒に犬を連れて再び学校方向にとって返し、神社の境内で行われていた予防注射をしてきたのがその場所でした。今思うと、母もあそこまで一人で犬を連れて行く自信がなかったのでしょう。
「りく、注射に行くよ。」
開始時刻の15分前くらいに家を出て、今日は道草を食わないようにしながら集合場所に行きました。いつもと違う雰囲気にりくは勢い込んでぐいぐい進んでいきます。集合場所に着くと、注射はもう始まっていました。獣医は2人。終わった犬はどんどん帰っていくのでその場にいたのは数匹ですが、最近の傾向なのか小型犬が多い。なんとそこではりくが一番大きいくらいでした。小型犬は注射の時、怖いのか、本当に痛いのか、キャンキャン鳴いて阿鼻叫喚の様相を呈していました。りくは物怖じしない様子でいましたが、獣医が注射器を持って迫ってくると逃げ腰になりました。
「だっこします。」
「だっこがいいですね。」
だっこしたまま後ろを向けるとお尻のあたりにチクッとされておしまい。りくは一言も発しませんでした。
「おりこうさんでした。」

まっすぐ帰って寝かせました。今日は大丈夫でしたが、6月ころ動物病院で行う3種混合ワクチンの注射の時は幾度か具合が悪くなったと聞いていたからです。りくはりくなりに疲れたようで、鼻を抱え込んで午後はぐっすり寝ていました。
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「電飾ガオーに会った。」
「どうだった?」
「相変わらずだけど、離しておいたから。」
私は夜はりくの散歩をしないのでその状態で会ったことがないのですが、「たぶんあの子だなあ。」と心当たりの犬がいます。昼間一度会ったとき、りくが唯一、一戦を交えた犬なのです。普通に散歩させていたら、「グルルルー」とうなり声をあげて襲ってきたのです。りくより少し大きくがたいがよい犬でした。あわててリードを引きましたが、お互い少々やりあった後でした。両者とも噛んではいないと思うのですが一応飼い主同士名前のやりとりをして別れました。
散歩中、気性が荒い犬に出会うことも結構ありますが、あれほどの犬は初めてです。りくだけでなくあらゆる犬に対して凶暴な態度を示すようでした。りくが売られた喧嘩を買うタイプというのもこの時まで知りませんでした。犬川柳にあったっけ。
「喧嘩ダメ、言いつつ内心、負けちゃダメ」
その後一回だけ昼間散歩した時にその犬に会いましたが、飼い主さんが遠くからこちらの姿を認めた途端、かなり重いだろうに犬を抱き上げて草地の端っこに寄っていました。こちらを気遣ってのことなのか、自衛のためなのかわかりませんでしたが、声を掛けられることもなくその後会うことがありませんでした。
兄の言葉では、「気の荒い犬は他にもいるけど、あの子は特別。」とのこと。昼間散歩するといろんな問題が起こるから夜散歩することにしたのだろう、それも相手に警告する意味で遠くからも見える電飾状態でやってくるのだろうと。電飾は飼い主さんもしているとのことで、私はすっかり同情してしまいました。犬だって生まれつきの性格なのだから可哀そうといえば可哀そうです。りくみたいな性格に生まれていたら、なんの苦労もなくかわいがられていたでしょうに。
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りくは普段の散歩以外は外出することが少ないので、たまのおでかけの時は落ち着きをなくします。新しいこと、久しぶりに経験することに興味津々なのです。
先日は毎年の定期検診と混合ワクチンの注射に動物病院へ行きました。車で行くので二人いないとできない行事で、これまでは父がしていましたが今年から私の仕事です。
入るとかごに入れられた猫の他、数匹の犬が待合室で待っていました。皆とても落ち着いていて、騒いだりする犬はいません。もっとすごい状態を想像していたのでちょっと拍子抜けしました。りくが一番興奮している感じです。しかしその日はあまり待たずに順番がまわってきました。
「りくちゃん、診察室にお入りください。」
と呼ばれ、兄はりくを診察台に上げました。獣医さんと話しながらゆっくり体重測定、体温測定、採血、問診と進んでいきます。りくは体重が9.78キロで去年と変わらないものの、これ以上体重が落ちたら痩せすぎと言われました。毎日苦労して食べさせているのにがっかりですが、もともと食が細いのですからどうしようもありません。
採血は足首のあたりからするのですが、結構時間がかかります。検査台の前に兄がいてりくの様子を見ていますが、りくは斜め後ろにいる私の方をじとっと見るので、「大丈夫だから。」と声掛けが必要です。体温は39.1度で正常値、人間より3度も高いのかと認識を新たにしました。フィラリアの検査結果は陰性で問題なし、血液検査の結果は後日郵送されることになっています。一番最後にお尻のあたりに混合ワクチンの注射がありましたが、これは痛かったらしく「きゃん」と鳴きました。
あとは家でゆっくり寝かせるだけですが、この日は兄が市役所で書類をとる用事があったのでついでに済ませて帰ることにしました。兄が用事をしている間、りくと私は駐車場の木陰で待っていると、同じく仕事で市役所に来たビジネスマン風のおじさんがりくを見つけ、声を掛けてきました。
「いくつですか。」
「7つです。」
と答えると、「えっ。」と驚いた様子。
「そんなになっているんですか。2つか3つだと思いました。」と。最近、「やはり年は争えない。りくもオヤジ顔になってきたな。」と思っていただけに、そんなに若く見えるのかとちょっとうれしく思いました。
「女の子ですか。」
「いえ、男の子です。優しい子なので女の子みたいなんですけど。」
「そうでしょう。」
本名の「紅春」からしてどうみても女の子の名前です。生まれた時からきっとぽやっとした感じの子犬だったにちがいありません。
この日りくはちょっと疲れたようでしたが、具合が悪くなることもなく無事注射を終えて安心しました。また1年元気に過ごそうね。
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動物病院からりくの血液検査の結果が送られてきました。恐る恐る開封してみると、昨年ひっかかった肝酵素と無機リンの数値が正常値になり、若干基準値を外れている項目があるものの、「今回の血液検査では大きな問題はありませんでした。」とのうれしいコメント。食生活に気を配っていた甲斐がありました。
犬には良質のドッグフードが一番よく、食事はそれのみでよいのですが、すでに人間の食べ物をもらってきたグルメ犬にとってそれだけではすまないのが頭の痛い点です。少しはおいしいものをあげつつドッグフードをどれだけたくさん与えられるかが勝負です。(りくがドッグフードのみでも食べるのはお風呂に入ってあからさまに体力を消耗した時だけです。) 定番のチーズやちくわ、魚肉ソーセージは犬の健康にそう悪いこともないだろうと思うのでよくトッピングします。
また、古代からのDNAに折り込み済みなのかと思うほどりくは米飯が大好きなので(本当のところは父の食事のお相伴をしていたからにすぎないでしょうが)、ご飯をドッグフードに混ぜて少量の肉や魚とともに与えることもよくあります。ちょっと古くなってきたかなと思う卵なども玉子焼きにしてドッグフードとともにあげます。こうしてりくの健康が保たれています。いやーよかった。
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最近私は、父が使っていた和室を寝室としているのですが、必ずりくがやってくるので自分の布団のわきにりくの毛布を敷いて寝床を作ってあります。これはなかなか良い方法で、りくは時々私の足元の布団の上に乗ってこようとするのですが、「だめです。」と言うとあきらめて自分の寝床にすごすごと戻ります。
夏の朝はだいたい5時半頃起きて支度をし、りくと散歩にでます。先日気配を感じて目を開けたらすぐ上にりくの顔が・・・。それから前足で肩をポンポン叩かれたので、
「まだそんな時間じゃないでしょ。」
と言って時計を見ると20分の遅刻。もうそんな時間だったのです。いつだってりくが正しい。
外出するとき、茶の間と和室の襖はだいたい閉めておくのですが、帰ってくるとたまに開いていることがあります。たまたま家に寄った兄が、「りくがカシャカシャしていたので開けてやった。」とのこと。外出するとき私は必ず
「行ってくるよ。お留守居頼むね。」
とりくに声を掛け、りくも私が勝手口から出ていくのを見ているのですが、そのうち、「ひょっとしたら和室にいるのではないか。」と思い探すようなのです。
そういえば、父がいた頃りくは、
「りく、カシャカシャじゃなくて、ノックはトントンってするんだよ。」
と言われていたっけ。お父さん、それはりくには無理でしょうが。
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父が亡くなったということをりくはどうとらえているのか・・・これは私にも謎です。父の強烈な記憶があるはずなのに、一見したところ寂しそうだとか物思いにふけっているような様子はありません。勤めていた頃たまに帰省する私を「長旅に出ている群れの仲間」と認識していたように、父のこともそう思っているのかもしれません。もし再び現れるようなことがあれば欣喜雀躍して歓待をすることでしょう。また逆に、ひょっとすると犬にとっては眼前の現実がすべてなのかもしれませんが、本当のところはわかりません。
りくにとって生活が変わったのは確かで、私がいないときは昼間は一人になってしまいました。東京でそれを思うと可哀そうでいてもたってもいられなくなるので考えないようにしています。兄が昼間家に戻れるときはできるだけ来るようにしているとのことですが、りくはだいたい寝て過ごしているようです。話を聞く限り、りくはそれなりに順応しているようなので、「あの子は賢いから。」と思って自分を納得させています。
私は6時前にりくと散歩に出ますが、私がいないときは散歩の時間が1時間以上遅くなります。いなくなった翌朝にはりくは階段の下で兄に「散歩に行こう。」とわんわん声をかけるそうですが、兄が布団の中で完全無視を決め込むと翌日からは兄が起きてくるまでおとなしく待っているといいます。また、昼間寝ているのでりくは夜眠くならず、夜中も散歩に連れ出しているとのこと、ご苦労様です。
私がいるとりくはべったりひっついていて、時々くんくんと甘えた声を出しながら「遊ぼう。」とか「散歩に連れてって。」とか言ってくるのですが、これも兄だけの時は兄の食事や用事が済むまでおとなしく待っているとのこと。要するに私がいるとりくは甘えきったダメ犬になるのです。りくのしつけには私がいない方がいいのかもと思うほどですが、もうこうなったら私がいる時は好きなだけ甘えさせてやろうと思います。
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りくにも夏休みをということで兄の車であづま運動公園に遊びに行きました。獣医さんに行くのではないとわかったらしく、車の中で窓に張り付いて外を見るのに大興奮。右、左、後ろと片時もじっとしていません。目的地に着いたらさらに興奮し、ふかふかの芝生の上をずんずん進んでいきます。お盆の真っ最中で人は少なく、手綱を離しても支障なく好きなように歩かせてやりました。30分ほど歩き結構疲れましたが、りくは元気いっぱいでした。持って行ってよかったのはなんといっても水筒。父が病院で使っていたものですが、カップに水を入れてやると飲むわ飲むわ、これがなければ大変でした。
いったん車に戻り、民家園の駐車場へ移動。民家園はりくは入れないので兄とお留守居してもらいました。兄は何度か来ているので私だけ入園、といっても無料なのは驚きでした。江戸時代から明治にかけての福島県北地方の民家を中心に、芝居小屋や商人宿等10棟ほども復元されており見ごたえのあるものでした。特に旧広瀬座という芝居小屋は圧巻で、これで舞台が中央にせり出していたら、エリザベス朝の白鳥座みたいだとぞくぞくしました。イベントとして時折、実際に歌舞伎の公演や映画上映会が開かれているようで一度見てみたいものだと思ったほどでした。りくと兄が待っていると思うと全部は見学できなかったので、またゆっくり来ようと思いました。
外に出て見回すと兄とりくがベンチで休んでおり、りくは私を見つけて手綱をつけたまま跳んできました。いつものように一か月ぶりの再会かと思われる歓待です。それから、子供たちでにぎわうアスレチックフィールドを通って、妖怪伝説のある室石を見て帰宅しました。たくさん歩いたのでおなかが減ったらしく、りくはその日の夕飯をたんと食べました。いつもの3杯ほどなのに、ドッグフードにベーコンのトッピングで5杯をぺろりとたいらげました。りく、今日はいい夏休みになったね。
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りくと散歩に出ていつも行くあたりまで行って帰ろうとしたら、りくは「まだ帰らない。」と言います。しかたなくもう少しつきあい、引き返そうとしたのですが、またもや「まだ帰らない。」とのこと。こんなことは珍しく、土手の散歩道に誰の姿もなかったので綱ひもを離し、
「姉ちゃんは帰るよ。じゃあね。」
とりくにくるりと背を向け歩き出しました。
「りくはどこへも行けやしない、すぐついてくるだろう。」
と思ったのですが、振り返ってみるとじっとこちらを見たままの姿勢。私はそのまま歩き続け、ちょっと走るまねをしたりしながら進むと、20メートル、30メートルと離れていきます。りくは身じろぎもせずに同じ姿勢でいます。
「おのれ、りく・・・」
私はそのままどんどん歩き、ついに距離は50メートルくらいになりました。りくを見ると相変わらずじっとしていましたが、その向こうに人がやってくるのがみえました。
あっ、これはまずい。
私がりくに向かってダッシュすると、その瞬間、りくも私に向かって猛ダッシュ。りくと私は真ん中あたりで合流し、りくは小刻みに足踏みしながら私に体を摺り寄せてはしゃいでいます。再会を喜び合う姿は、そこだけ見たら、「南極物語」そのものでした。