2014年6月28日土曜日

「労働力不足の実態」


 真冬の夜9時という今まで乗ったことのない時間のバスで帰宅した時のことです。
「寒い中、バスをお待ちいただきましてありがとうございます。また遅くまでお仕事お疲れ様です。」
に始まるアナウンスでバスが出発し、あまりの丁寧さに驚いていますと、
「左に曲がります。お立ちのお客様はお気を付けください。」
「赤信号のため止まります。お気を付け下さい。」
と、運転に伴う詳細なアナウンスが滔々と続きます。停留所で止まれば止まったで
「お足もとが暗いところがございます。お気を付けでお降り下さい。また、お気をつけてお帰り下さい。」
とアナウンス・・・。少し行ったところで
「さて、皆様にお願いがございます。このバスが終点に着きます頃には全てのバスの営業が終了しております。特に都心方面へのバスはなくなっておりますので、お乗り越しのないようにお願い致します。」
都バスの運転手さんの口の重い軽いは非常に幅が広く、快活な人とぶっきらぼうな人がいるとはいえ、今日のこの安全と乗り越しに関するアナウンスは社をあげてのものでしょう。ようやく業務が終わる直前で怪我をされては台無しですし、乗り越しでごねられても困ります。ご苦労がしのばれる実態を垣間見てしまったのでした。バスの運転手が確保しにくいという話を聞いたことがありますが、もっともなことだと実感しました。

 サービス業における労働力不足が深刻になりつつあることを経験する場面が増えてきました。私が帰省するためのバス待ちに利用するファミレスにも、以前はいたウェイトレスがもうおらず、厨房で調理にあたっていると思われる白衣を着た従業員が、今では料理も運ぶし会計もするという有様です。私はここでは彼らの仕事を増やすような面倒なことは一切言わず、遠慮して過ごします。先ほどの都バスの運転手さんのようなレベルの気遣いまで要求されたら、実際に働く方はとてもやってられないのではないでしょうか。あまり愛想がないのも困りますが、おもてなし志向もほどほどにしないとサービス業に携わる労働者はますます払底することでしょう。

2014年6月25日水曜日

「紅春 46」

動物病院からりくの血液検査の結果が送られてきました。恐る恐る開封してみると、昨年ひっかかった肝酵素と無機リンの数値が正常値になり、若干基準値を外れている項目があるものの、「今回の血液検査では大きな問題はありませんでした。」とのうれしいコメント。食生活に気を配っていた甲斐がありました。

 犬には良質のドッグフードが一番よく、食事はそれのみでよいのですが、すでに人間の食べ物をもらってきたグルメ犬にとってそれだけではすまないのが頭の痛い点です。少しはおいしいものをあげつつドッグフードをどれだけたくさん与えられるかが勝負です。(りくがドッグフードのみでも食べるのはお風呂に入ってあからさまに体力を消耗した時だけです。) 定番のチーズやちくわ、魚肉ソーセージは犬の健康にそう悪いこともないだろうと思うのでよくトッピングします。

 また、古代からのDNAに折り込み済みなのかと思うほどりくは米飯が大好きなので(本当のところは父の食事のお相伴をしていたからにすぎないでしょうが)、ご飯をドッグフードに混ぜて少量の肉や魚とともに与えることもよくあります。ちょっと古くなってきたかなと思う卵なども玉子焼きにしてドッグフードとともにあげます。こうしてりくの健康が保たれています。いやーよかった。

2014年6月23日月曜日

「日記について」


 日記をつけている方は多いと思います。私も日記というか備忘録をつけています。ポメラという電子手帳に書いて、月ごとにまとめてパソコンの外部記憶に連結しています。もちろん始めからパソコンで書いてもいいのですが、ポメラは備忘録専用にしているので開けて電源を入れるとすぐ書き込めるので気楽です。画像処理も表計算もメールもネットもできるマルチなパソコンは確かに便利ですが、不合理にも使用方法が1つしかないものも私にとっては好ましいのです。ポメラはテキスト入力しかできないというのがミソで迷いがありません。電子手帳大で単四電池2本でかなりもつので持ち歩きにも便利です。難点は折り畳み式のせいかキーボードの一部が弱体化するのが早いこと。すでに2台目ですが、最近はシリコンゴムでうまく調整して使っています。

 日記を電子化すると検索できるので便利です。「あれはいつ頃のことだっけ。」という時、日記にあたると自分の記憶のあいまいさが如実にわかります。暇なとき、「去年の今頃どんなことしてたっけ。」と思い音声ソフトで読ませてみると、すっかり忘れていたことを思い出したり、思いがけない発見があったりします。

 日記は正真正銘自分しか読まないものなので、特にルールは設けずに気楽に書けるのがいいところです。考えたことをずらずら書いている時もあるし、その日にやったことを箇条書きで短く書いているだけの時もあります。ただ、書くことに嘘は無いようにしているものの、あまり暗いことは書かないようにしています。毎日を明るい気持ちで過ごす方が絶対にいいし、あとで読んで気が滅入るのはできれば避けたいのです。

 日記は書かれた時にはほぼ本人にしか意味のないものですが、数百年前の外国の日記などをひょんなことから手にしたりするとこれは民俗学的に十分価値のあるものとなります。最近少しずつ読んでいるのはモンテーニュの「旅日記」。馬で旅していることを別にすればとても400年以上前に書かれたとは思えない、全く古さを感じない旅日記です。旅先で聞いた馬鹿馬鹿しい話なども拾っていて、現代人と変わらないなと思います。結石を患っていたらしいモンテーニュが、パリ近くのボーモンから始まり、ロレーヌ、アルザス、スイス、ドイツ、オーストリア、ブレンナー峠を越えてイタリア各地、再びフランスに入りボルドー近くのモンターニュまで、なかば湯治の温泉巡り・・・。久々に面白いと興味がわくルートで、ヘルベルトがいたら2~3か月かけて行きたかったなと思える旅程です。しかたがないので時々インターネットで現在の街の様子を見たりしながら、空想の旅をしてみます。これも悪くないなと思うのは、中には相当変貌していて当時の趣きがみじんもない街もあるだろうと予想されるからです。

2014年6月20日金曜日

「眠り病」


 先日、朝起きたときちょっとだるいなと感じたのですが、だるさというのはやる気の低下や怠け心と紙一重の感覚なのでいつも無視して過ごしています。その日も朝のジョギングに公園まで行きましたが、走る前からすでにいつもと違う疲れた感じで、結局半分だけジョギングしあとは歩いておしまいにし、帰る途中で予感がしたので7時から開いているスーパーに寄って、バナナやメロン、柑橘類を買って帰宅しました。

 そのままベッドに入り昏々と眠りました。目が覚めるたびに水分とエネルギー源を適宜補充し、またベッドへを繰り返し夕方になりましたが、一向に眠気はおさまりません。ちょっと頭痛はするものの熱やのどの痛み、鼻水や咳などは一切なく風邪とも思えません。ずっと寝ていたせいか起きて歩くのはつらく、直立二足歩行がこれほど背骨に負担をかけていることをあらためて知りました。疲労感はあるといっても疲れるようなことをした覚えはなく、実際疲労感を測るような検査をしたとしても疲労度の高い値が出ることはなかったでしょう。昼間寝ていたので夜は眠れないのではないかとの予想を裏切り、また昏々と眠りました。

 翌朝は元気になっていると思っていたのですが、まだまだ眠い。朝食だけ食べておとなしく眠りましたが、10時過ぎに本を返却しに行かなければならないことを思い出し出かけることにしました。図書館まで行って本を返しましたが、昨日より悪くなっているのか帰りは相当つらく買い物もせずに家に直行、昼食はとってまたベッドへ。ちなみに食欲はないものの何か食べなければという気持ちはあり、またこういうときは変なものが食べたくなるようで、白いご飯に海苔と梅干だけで滅法おいしいと感じたり、年に一回くらいしか食べず家にはないだろうと思っていた非常用のカップ面を見つけ食してみてその技術の高さに感心したりしました。 半世紀も生きていると体験した病気から対応の仕方もわかってくるものですが、今回は新種の症状。どうなることかと思いつつ、体が睡眠を欲しているのだからとまた昏々と眠りました。

 夕方5時、目覚めると体が軽くなっています。起きても背骨が痛くありません。試しに買い物に出てみると、まったく問題なくお店まで行けただけでなく、食べたいものも増えています。少量ずついろいろなものを買って帰りました。数時間前の状態が嘘のように、どうやらすっかり復活したようです。

 眠り病、といってもアフリカの風土病ではなく、妖精が眠り薬を撒くような病があればまさしくそんな病状の眠りでした。1つ思うのは、図らずも外界の情報を遮断した点がよかったのではないかということです。少し頭痛がしたことを勘案すると、加齢その他なんらかの理由で多くの情報を処理しきれなくなることが原因だったのかもしれないなと分析しています。

2014年6月17日火曜日

「渋谷の街から」


 渋谷のスクランブル交差点が外国人に人気だと聞きます。あれだけ多くの人がぶつかりもせずなんでもないようにすれ違って行くのが驚きなのだとか。田舎から出てきた人があの場を見て、「ああ、今日はなんかのお祭りなのか。」と思ったという話も聞きます。私は東京にいるとき週に1、2度渋谷に行きますが、確かに人が多すぎてある意味、毎日がお祭りといっていいのかもしれません。

 ここにはいろいろな人がいろいろなことをしに現れるようです。夕方のテレビのニュース報道の中で思わず見入ってしまったのは、一見変な人たちの紹介です。選挙運動のようなたすきをかけて世直しソングを歌う年配の女性、手品の腕前を維持するために街頭で技を披露する若者(23歳にしてすでに10年の芸歴)、捨て猫が出ないよう猫の可愛さをしってもらうために十匹くらいカートにのせて散歩しているおじさん、「大好きな渋谷が汚いのは許せないんすよ。」といいながら、赤鬼の格好でゴミ拾いをする若者たち・・・。感心だと思ったのは、みんな自分の得になることでもないことを無料で行っていることです。

 外国であれば、大道芸人を見ればそれが彼らの生活の糧であるとみんな知っているのでかごにお金を入れるのですが、日本にはその習慣がないのです。(そのため習慣の違いからトラブルが起こることもあり、某国の街頭でフラメンコをぼんやり見ていたら料金を請求され不快な気持ちになったという話をきいたことがあります。) ストリート・パフォーマンスを純粋にプレゼントとして楽しむ、もしくは街頭での演技や演奏をアーティストになる武者修行の場としてとらえ、金銭をあげるのはかえって失礼だと考えるのは日本特有のものかもしれません。

 日本では1年中祝祭的が場所があります。祭りを待つ必要はないのです。行きたいと思ってディズニーランドに行けばたちどころに非日常的空間です。たぶんヨーロッパでは意図的にそれを抑制しているのではないかと思います。メリハリをつけることで得る利益は最終的にみれば、常時祝祭的な場合より大きいのです。しかし、もうそうもいかないだろうと思うのはインターネットがあるからです。ここでは常に祭りが行われ常に祝祭的空間が続くのです。もうこの流れは止められないでしょう。日常の無味乾燥さに人々は耐えられなくなっています。このことが人の心性と習性に与える影響は計り知れず、それが不可避的かつ不可逆的なものとなった結果、どんな社会が到来するのか末恐ろしい気がします。おそらくそれは予想以上の速さで現実のものとなるでしょう。つい最近体調を崩し丸2日テレビともインターネットとも無縁の生活を送りましたが、とても平和な時間でした。現代ではこんな平安は病気にでもならないと得られないものになりつつあると実感しています。

2014年6月14日土曜日

「福島県立美術館」


 しばらく前のことですが、展覧会の鑑賞券をいただいたので久しぶりに福島県立美術館に行ってきました。昨年の若冲展以来でほぼ十カ月ぶりです。若冲展は人出が多くなんとなく平常心ではなかったため気づかなかったのですが、今回は入った途端、美術館特有の匂いをとても懐かしいもののように感じました。一瞬フランクフルトのシュテーデル美術館 Städelsches Kunstinstitut und Städtische Galerie にいるような錯覚にとらわれました。フェルメールの「地理学者」が窓から差し込む淡い明かりの中に静かにたたずむ美術館です。もう一度行ってみてもいいかなと思いましたが、フランクフルトの街並みを思い浮かべると少し体が痛んだのでやっぱりまだ無理だなと感じました。再び行ける日が来るかどうかもわかりません。

 その日は子供の絵本をめぐる絵画の展覧会で、一見してプロの作品とわかる世界中の絵が展示されていました。エリック・カールの「はらぺこあおむし」やいわさきちひろといったなじみ深い作品ばかりでなく、チェコやポーランド、中国、中南米、アフリカの作品もありましたが、つくづく絵本は万国共通のものだと思いました。子供にとって本の話と絵は一体のものであり、絵本の挿絵は一生その心にとどまるでしょう。相当時間をかけてゆっくり絵を堪能し、とても癒されました。

 日を変えて常設展にも行くことにしました。常設展は前にも見た記憶があったのでさっと見て終わるつもりだったのですが、これが誤算でした。あまり興味のない明治・大正時代の油絵は、やはりといおうか、全体に暗く離れてみると何が描いてあるのかわからないくらい黒っぽい。印象派とはいわぬまでももう少し色彩豊かでもいいのではないか、これでは油絵で描く意味がないのではないかとまず思いました。こうなってしまうのはおそらく基本が墨絵だからなのでしょう。あまりに暗い絵を見ているうちにふいに涙がにじんできました。かなり無理してなんとか西洋の画法を修得したいと必死にまねているのです。成功してはいないものの、その努力をけなげで可憐だと思いました。

 東京で何かの折に福島県立美術館の話が出て、行ったことがあるという方が、「すばらしい美術館ですね。」と言いました。さして有名とも思えないこの美術館を知っているだけでも意外なのに、その評価のコメントに驚いてもう少しどういう点がすばらしいのか聞いてみると、
「山を背景にしたあの配置がすばらしい。あんな美術館は見たことがない」と。
いつもその前を通っているので気づきませんでしたが、緑の信夫山のふもとに抱かれて建つ落ち着いた茶色の美術館(西翼が美術館、東翼が図書館で中でつながっている。)は、確かに美しいものです。よく他県から来る知人に、「福島市って街のまんなかに山があっておもしろいよね。」と言われていましたが、このひょうたん島のような信夫山を逆手にとってここに美術館を配置したのは慧眼だったかもしれません。いや、きっとそうなのです。美術館はその建物自体が芸術品であるべきですが、設計者はそれをまさしく最も効果的な場所に置いたのだということに初めて思い至ったのでした。

2014年6月10日火曜日

「マイン・フェスト Mainfest」


 フランクフルトでは確か8月初旬に何日間かかけてマイン・フェストが開かれます。普段は静かなマイン河畔に派手な屋台や遊園地が数多くでて市民でにぎわいます。数年前でもフランクフルトは既に他国籍都市といってよく、「外国人はどのくらいいるの?」と聞いたら、「人口の2割近いとのことでした。

 地域のお祭りにあわせて移動する遊園地は市庁舎のあるレーマーベルクに設置され、びゅんびゅん回るブランコなどはもう怖いくらいです。日本では絶滅寸前の子供の遊具がほとんどそのまま使われているのは驚きです。広場のレストランは満席、遊園地の歓声を聞きながらのゆっくりした食事はいやが上にも気分を高めます。メリーゴーランドはこういう場所に最もふさわしい乗り物です。どうやって運ぶのか観覧車だってあります。こういうアナクロな遊園地は大人も子供も一緒に乗れてとてもわくわくします。

 ジェラート片手になんだかわけのわからないゲームの屋台や子供だましのおもちゃを冷やかしながら歩くだけでよいのです。もちろん花火も夜空を染めます。遊覧船の明かりが灯りきれいです。いつもとちがう祝祭的空間を味わい、日常に返る日を思い、楽しい祭りの時は過ぎてゆきます。
「ほんとに外国人が多いね。」
すれちがう人の顔を眺めながら私が言うと、
「今日は外国人が90パーセントくらいかな。」
とヘルベルト。ま、私もそうなんですけど。この日は夢まぼろしのような日なのです。

2014年6月4日水曜日

「紅春 45」


 りくは普段の散歩以外は外出することが少ないので、たまのおでかけの時は落ち着きをなくします。新しいこと、久しぶりに経験することに興味津々なのです。

 先日は毎年の定期検診と混合ワクチンの注射に動物病院へ行きました。車で行くので二人いないとできない行事で、これまでは父がしていましたが今年から私の仕事です。

 入るとかごに入れられた猫の他、数匹の犬が待合室で待っていました。皆とても落ち着いていて、騒いだりする犬はいません。もっとすごい状態を想像していたのでちょっと拍子抜けしました。りくが一番興奮している感じです。しかしその日はあまり待たずに順番がまわってきました。

「りくちゃん、診察室にお入りください。」
と呼ばれ、兄はりくを診察台に上げました。獣医さんと話しながらゆっくり体重測定、体温測定、採血、問診と進んでいきます。りくは体重が9.78キロで去年と変わらないものの、これ以上体重が落ちたら痩せすぎと言われました。毎日苦労して食べさせているのにがっかりですが、もともと食が細いのですからどうしようもありません。

採血は足首のあたりからするのですが、結構時間がかかります。検査台の前に兄がいてりくの様子を見ていますが、りくは斜め後ろにいる私の方をじとっと見るので、「大丈夫だから。」と声掛けが必要です。体温は39.1度で正常値、人間より3度も高いのかと認識を新たにしました。フィラリアの検査結果は陰性で問題なし、血液検査の結果は後日郵送されることになっています。一番最後にお尻のあたりに混合ワクチンの注射がありましたが、これは痛かったらしく「きゃん」と鳴きました。

あとは家でゆっくり寝かせるだけですが、この日は兄が市役所で書類をとる用事があったのでついでに済ませて帰ることにしました。兄が用事をしている間、りくと私は駐車場の木陰で待っていると、同じく仕事で市役所に来たビジネスマン風のおじさんがりくを見つけ、声を掛けてきました。
「いくつですか。」
「7つです。」
と答えると、「えっ。」と驚いた様子。
「そんなになっているんですか。2つか3つだと思いました。」と。最近、「やはり年は争えない。りくもオヤジ顔になってきたな。」と思っていただけに、そんなに若く見えるのかとちょっとうれしく思いました。
「女の子ですか。」
「いえ、男の子です。優しい子なので女の子みたいなんですけど。」
「そうでしょう。」
本名の「紅春」からしてどうみても女の子の名前です。生まれた時からきっとぽやっとした感じの子犬だったにちがいありません。

 この日りくはちょっと疲れたようでしたが、具合が悪くなることもなく無事注射を終えて安心しました。また1年元気に過ごそうね。