2014年5月31日土曜日

「年齢考」


 何か大きな事件が起こるたび、それを引き起こした人の年齢を見る癖がついてしまいました。若い人の場合は目新しい手法に驚き、「最近はそんなこともできるのか。」と感心してしまうこともあるのですが、ある程度年輩の人(「天命を知る」歳を迎えた人を目安にしています。)があまりにも考えなしの事件に関わっていると、その方のそれまでの来し方が思われてブルーになります。

 一方で、こんなふうに年老いていけたらいいなと思う手本にしたい方もいます。人となり全体はその方が何十年もかけて磨いてきたものです。
「いつも朗らかで感じがいい方」、「言いにくくても必要なことをちゃんと伝えてくださる方」、「てきぱきしていていつも前向きな方」、「物静かであまり口には出さないけれど、いろいろなところに目配りしてくださる方」、「冗談がうまくて場を和ませてくれる方」・・・等々、それぞれに自分にはない素敵な側面を見せていただくことも多く、「人皆わが教師」の念を強くしています。

 先日、友人が宮崎市定による「知天命」の現代語訳を教えてくれました。宮崎によれば、この時代の天は正義を執行する神ではなく、全く不可知の恐るべき力を持った存在だったとのことで、「五十歳で人間の力の限界を知った。」と訳されていると。古典というものはどうしてこうずばずばすごいことを言うのだろうと思います。