以前、改憲論議についての感想に、「中身に入る以前に日本と欧米では法に対する意識が違うので全くこの議論に乗れない」と書きました。日本では法に依らない方法で実効性を高める手法がとられ、その反動か、国民の合意のない案件がいったん法制化されると、苛烈で行き過ぎた実施がなされるというのが体験的にわかったことだとも書きました。
しかし、最近の報道によるともはやそういうレベルではないのです。あまりひと頃ほど改憲の話を聞かないなと思っていたら、国民投票のハードルが高すぎるためか、それを変えるための手間暇さえ惜しんで、まどろっこしいことは一切抜きで、なんと「解釈」によって改憲したのと同じ効果を得ようとしているのです。法秩序が揺らいでいるどころの話ではなく、法治そのものの崩壊だったのです。欧米とは法意識が違うといってもまさかここまでとは。クリミア編入を引き起こしたり、他国の民間企業の所有物を強制的に差押えしている国と同じレベルだったのです。
A Man for All Seasons 「すべての季節の男」 という本を思い出します。国王ヘンリー8世の離婚問題に同意せず処刑されたトーマス・モアを扱った戯曲です。大学の教養課程(昔はそんなものがあったのですね。)の英語の授業で読んだもので、いくつか印象深い場面がありました。その中に、正確な文言ではありませんが、国家を法律の木々におおわれた森になぞらえ、
「自分の都合で法律の森を切り倒してしまったら、悪魔が身をひるがえして襲いかかってきたときどこに身を隠すのか。」
というようなことを言っていた場面がありました。
欧米において人間がまがりなりにも人権意識を持った理性的な社会を築いたのは、数えきれないほどの流血の経験の後に、法の概念を確立したことによってですが、おそらく日本人にはこのことが肌感覚としてはわかっていない。このたびの為政者の法意識の軽さにうすら寒いものを覚えます。もはや日本においては、事実上法の森はことごとく切り倒され、無法の嵐が吹き荒れる直前なのかもしれません。