2014年5月24日土曜日

「国と国家」


 正確なことは調べていないのでわからないのですが、頼りない私の感覚で言うならば、国家という概念ができたのはヨーロッパなら17世紀半ばのウェストファリア条約によって、日本ならさらに二百年後の明治維新を待たねばならないだろうと思います。「郷里」とか「郷土」という意味の「国」を「国家」という概念にまで高めた人はどなたか存じませんが(一人ということはないでしょうね。)、すごい人だと思いますが、やはりちょっと無理があったのかなあという気がしています。

 国家というのはあくまで外国から見て何らかの統一政体のように見えるということであって、国民自体はよほどのことがないと「国」的意識から出ることはまれでしょう。「福島から逃げる勇気を」と言われるなら、「東京に原発を作る勇気を」と言わざるをえないのです。人種や民族および宗教の違いによる困難な問題がさほどなくてもこの有様ですから、そうでない諸外国は国家が分裂へ向かう力を押さえつけるのは大変エネルギーのいることだと思います。

 さらに国家の概念ができた頃には想像もできなかった事態が起こっています。インターネットの登場で情報に関して事実上国境線はなくなり、マネーは24時間世界を駆け巡っており、グローバリストたちはすでに母国から離脱し自分にとって最も有利な国家に移り住んでいます。また、アメリカでは富裕層が自分たちの自治体を作り、自らが支払う税金に見合うサービスを求めています。ここにはもう公という概念はなく、すべてがビジネスの言葉で語られているのです。 「国家」という概念は欧米でも400年、日本でなら200年の寿命だったのかもしれないなあと思うこの頃です。