2014年3月12日水曜日
「伝えられたこと、伝えたこと」
入院中言ってしまったことややらないでしまったことについて、「元気づけのつもりだったが言わなければよかった。」とか「どうしてせずにすませたのだろう。しておけばよかった。」と後悔することがいくつかありますが、「言えてよかった。」「できてよかった。」と思うこともいくつかあります。
母の時は突然だったので何か伝えるという暇もなかったのですが、私は大事なことを母に言っておかなかったことをずっと後悔してきたのです。それは「私は世界中で一番お母さんのことが好きだった。」ということです。おそらく母は知っていただろうと思いたいのですが、伝えていないことに変わりはありません。
亡くなる十日ほど前、父は兄と私に対してそれぞれ希望を述べました。兄に対する希望は具体的なものでしたが、私に対する希望は「何でも思ったこと、好きなことをやってみなさい。」というものでした。二人で相談して決めたことならお父さんは反対はしないとも言いました。それから
「お母さんとも話したけど、『大賛成』と言ってた。」
と父は言いました。このころから、壁の方を向いているなと思うと、「今、お母さんと対話してた。」と言うことが増え、先ほどの遺言めいた言葉といい、天に召される日が近いのではないかと思わざるを得ませんでした。
私も父に伝えたいと思っていたことがありましたが、タイミングが難しく、最後の言葉のように聞こえて父の生きる気力を奪ってしまわないかという心配もありました。
2月19日の早朝、父の血圧が上がらないと電話があり兄と私がかけつけたとき、幸いなことに意識ははまだありました。今しかない。
「お父さん、今日は少し早く来ましたよ。私たちがこれまで無事に生きてこれたのはすべてお父さんのおかげです。ありがとうございました。これからお父さんはまっすぐ神様のところへ行きます。何の心配もありません。イエス様にも会えますね。お母さんもいます。ヘルベルトもいます。これまでお父さんは一生懸命がんばって生きてきました。家を守ってきました。私たちはお父さんの子供で本当に幸せでした。安心して少しゆっくり休んでください。もう何の心配もいりません。」
こう言った途端、「ああっ、だめだ。」という兄の声が聞こえました。それまで100あった心拍数がすうっと40まで下がり、やがてゆっくりゼロになりました。その場にいた看護師の方によると「安心されたのでしょう。」ということでした。私の最後の声は父に届いたのです。父と私は最後の思いを伝え合うことができたのです。