2014年3月10日月曜日
「会堂建築と父」
会堂がない中、伝道館で父の葬儀を執り行っていただいたことを今思い返し、これは決して当たり前のことではなかったと感じています。父が亡くなってすぐに私は牧師先生に「本当は無理なのでしょうが、伝道館で葬儀をさせてください。」と言いました。父をどこかの斎場から送り出すわけにはいかない、父を送れる場所は福島教会以外ないのだという一心からでした。似田先生も教会の皆様も父の葬儀のために最大限心を砕いてくださり、大変温かい立派な葬儀をあげてくださいました。確かに新会堂の建築には間に合わなかったけれども、父は全幅の信頼を置く似田先生の司式により、愛する福島教会の方々が心をこめて準備してくださった場で最期のお別れをすることができました。無牧の時もあったのだ思うと、これが恵みでなくて何でしょうか。
私自身、2年近く福島教会の方々との交わりがありましたので、父の入院中も、「何があっても似田先生と教会の方々がいてくださる」と思い、一切不安を感じることなく過ごすことができました。毎朝ちょうど一日分の仕事が与えられ、それを終えると夜になるという繰り返しで、主イエスが寄り添っていてくださることをはっきりと感じていましたし、「一日の苦労は一日にて足れり」という御言葉をこれほど身をもって体験したことはありませんでした。
震災後、伝道館で礼拝が守られたのは幸いでしたが、だからといって会堂がなくてもよいとは父は思っていませんでした。「神様がここに教会を建てなさいといってできた教会なのだから、必ずここに会堂は再建されなければならない、会堂は必ず再建されるのだ。」と父はかたく信じていました。その点では全くぶれることがありませんでした。会堂建築の道筋が整い、基本設計もできて、あとは施工業者を決めて建築するというところまできましたので、父は入院中、会堂建築に関する心配を口にすることはありませんでした。また、自分の寿命が新会堂の完成に間に合いそうもないと知っていたかもしれませんが、それも問題ではありませんでした。父の頭の中ではもう会堂は建っていたのです。最期の表情があまりにも穏やかだったので、父が全く安らかな気持ちでこの世を去ったのは確かです。