2023年5月30日火曜日

「空白を埋める気晴らし」

  先日、湾岸地区をバスで訪れる機会がありました。考えてみればほとんど十年ぶりに近く、私が知っている風景とは様変わりしていました。これを「未来都市みたいできれい」と感じる方もいることでしょうが、タワーマンション群を遠くに近くに見ながらバスに揺られていたら、何だか気持ちが悪くなりました。林立するバベルの塔が空間という空間を埋め尽くしてゆき、恐らくこれは海の埋め立てが可能である限り、終わるということはないのでしょう。

 この姿は資本主義の目に見える成れの果てですが、そもそもそれがどこから来ているかと言えば、人間の自我の肥大化、欲望の膨張というほかないだろうと思います。近現代史というのは抑圧された自我の会報の歴史です。家族・親族という自我にとっての強力な抑圧体と村社会の掟という絶対的支配から放逐されれば即座に死ぬほかなかった時代から、次第に緩んでいく拘束帯を解いて自由な暮らしへと人々が抜けていったのは、ひとえに自我の欲求の無さシムるところです。皆が「干渉されずに自由に生きたい」と願ったから、今このような社会になったのです。

 自分の欲望を一つ一つかなえて、これ以上なく膨張してしまった自我はあらゆる空間、あらゆる時間を自分好みに埋め尽くそうとします。ふと、「そういう自分とは何者だろう」などと疑問を持ってはいけません。それはぽっかりと口を開けた虚無、完全な空虚でしかないからです。そんな深淵を見つめたら人は狂ってしまいます。

 以前、思春期の子供を持つ親御さんが、「部活動でもアイドルの追っかけ(今は「推し活」と言うらしい)でもいいから、とにかく夢中になれることを見つけさせて、この難しい時期を乗り越えさせたい」と言っているのを聞いたことがあります。そのためにどれほどお金がかかろうと、グレて不良化したり、いじめの対象となったりすること、あるいは引きこもってしまい、人生に悩んで自傷行為に走ってしまうことだけは避けたいとの一心のようです。

 また、老後に関する話には、判で押したように「『きょういく』と『きょうよう』を持ちましょう」というフレーズが出て来て、「『今日行く』所がある」、「『今日用』(事)がある」ことがいかに大事で、それを無理やりにでも作らないと、認知症になったり早死にしたりするリスクが高くなるといった恐~い戒めが続きます。この年代になっても、老いや必ず迎える死について考えるより、毎日目の前に広がる膨大な時間を何らかの気晴らしで埋めていくことが求められるのです。

 こんな世の中に暮らしていると、ふとした時に昔の哲学者の言葉がとんでもなく胸に沁みてきます。パスカルは、「人間は自分が悲惨であることを知っている点で偉大である」と言った後に、 「われわれの悲惨を和らげてくれる唯一のものは気晴らしである。しかしそれこそがわれわれの悲惨の最たるものである。なぜならこれこそが、われわれが自分について考えることを妨げ、われわれを知らず知らずのうちに滅ぼしてしまうからだ」と述べています。

 立ち止まって考えると、これほど当を得た言葉はないでしょう。確かに、物事をあまりに突き詰めすぎて「自分には価値がない」などと思ってしまうと、心身が重大な危険にさらされる可能性があるので、「気晴らしも必要だわな」と思いますが、それに終始してしまうなら心のどこかで虚しさが消えないのではないでしょうか。パスカルは科学者でもありますが、それにもかかわらず、「できれば神無しで済まそうとするデカルトを私は赦すことができない」といった趣旨のことも言っており、科学が完全に宗教を凌駕したかに見える現代でこそ、その言葉が重みを増すのだと感じます。パスカルは、我々が滅びに至るのを回避するには、どこか本当に深い心の深淵で神に出会うしかないことを示し、その深淵での神との邂逅へといざなっているのです。


2023年5月24日水曜日

「G7広島サミットから」

  5月19日から3日間行われた広島サミットが21日に終わりました。気の弱い私のような国民は、「とにかく無事に終わってほしい。外国の要人には何事もなく帰国してほしい」という一心でこの期間を過ごしたのではないでしょうか。大雨や真夏のような日差しの中での警備、飛び入りしたウクライナのゼレンスキー大統領の最高次レベルの警護など、関係の方々にはただ「お疲れ様」の一言です。

 そのような状態で過ごしたため中身にはとんと疎いのですが、最終日の閉会後午後3時ごろ何気なくつけたラジオからは、岸田首相の語る声が聞こえてきました。あまりこういったものに関心がない私がなんとなくラジオを消せずに聞いてしまったのは、首相が表面だけ取り繕った言葉ではなく、自分の言葉で語っているなと感じたからです。外務大臣時代にオバマ大統領の広島訪問を実現させたことといい、今回の核兵器廃絶への確信に満ちた言及といい、「広島の平和教育ってすごいな」と思わされました。これは広島出身の首相でなければ絶対できなかったことで、子供の頃から平和教育を受けて成長するとこういう大人になるのかと妙に感銘を受けてしまいました。

 オバマ大統領の訪問の時も、「謝罪は求めない、とにかく来てほしい」という広島市民の率直な声が大統領を動かしたと言われており、たとえ不十分でも互いの在り方をよい方向に進めたいと念じた結果でした。今回の事も、これまで熱心に平和活動に取り組んできた方々が言うように、「目新しいものがない」「非核化に向けた政府の実効性のある取り組みが不十分」といった点は紛れもなくありましょう。福島原発問題の後処理が何一つ進んでいないのと同様です。しかし、戦後七十七年の平和教育の中で、広島市民は「空想と理想は違う」、「理想は決して捨てない」、「現実を理想に近づけることを諦めない」、「この問題に短兵急な解決はない」、「ゆっくりでも歩み続ける」といったマインドを血肉化させていったのではないかと思わされました。気が短く、何でも早急な解決を求める現代人に、久々に考えを改めさせる手がかりを与えてくれた気がします。


2023年5月21日日曜日

「ちょうどよい街」

 選挙はいつも早めに不在者投票をすることにしている私は、先日、買い物がてらモールに行き、区議選の不在者投票をしました。その時の出来事で、隣のブースの母娘(母70代、娘40代くらいか)がボソボソ話していると、職員がすっ飛んできて「相談はなさらないでください」とのこと。「いえ、あの~、これ…母が名前を横書きにしてしまったと…」と、娘さんが説明すると、「枠の中に書いてあれば横書きでも大丈夫ですよ」と職員。しかし年老いた母は「間違えてしまった」と気に病んでいる様子。職員は、「僕が言いますから」とその場を収めていましたが、誰に何を言うのかは不明でした。それにしても、これほど厳格に、これほど真摯に投票行動を行う国民は珍しいのではと考えて、何だか笑ってしまいました。ほんと平和で有難い日常です。

 今回は区議選と市長選挙ですので投票は簡単。これまでの数年間のうちに全体として区政がよい方向に行っているか、あるいは駄目な方に向かっているかを考えればよいだけです。身の回りの事しか分かりませんが、私個人としては何の不満もなく、区政に関わる方々、また行政関係者は皆さん頑張って住みやすい区を目指しておられるように思います。

 私はもう人が多い所、混雑した場所は想像しただけで行きたくなくなりますが、週に一度バスを乗り継いで教会に行く時は、それぞれの一日の乗降客数が2百万人、3百万人という3つの駅近くを通ります。地下街を歩くだけでも人込みに負けそうですから、大きな街に住むことは考えられません。そこへいくと、今住んでいる街は自分にはちょうどいいサイズだとつくづく思います。お気に入りの広大な公園があり憩いの場となってくれる、歩いていける範囲にスーパーマーケットやコンビニがいくつもある、またモールもあって様々な用事を足すことができる・・・。最近は通りに面した歩道のそばに、生鮮食料品店やベーカリーもできたので楽しみが増えました。便利な都バスが自由自在に張り巡らされた東京では、時間さえかければ座れて疲れないバスの移動ができます。通院先で話した高齢の方も、「とてもラッシュ・アワーに電車に乗る自信はないので、バスで来ています」と言ってましたっけ。歩き、時々自転車、必要に応じタクシー代わりの都バスという環境で、これ以上何を望みましょう。地震さえなければ、年配者にとって東京は本当に住みやすい所です。


2023年5月16日火曜日

「野生の生命力」

 前回帰省先から上京する前に、まだほとんど出ていなかった雑草の草むしりを念入りにしておきました。ほんのわずかに出たばかりの芽も、「こんなに小さいのに摘み取ってごめんね」と言いながら摘み取りました。どんなに小さくてもこれを放置すると次回の帰省時にどうなっているか予想がついたからです。ところがこの5月、季節はまさに青葉の頃、帰り着いて呆然。「うそだろ」というほど庭の緑が爆発していました。幼芽へのあの配慮はいらなかった・・・土の下には数えきれない緑の部隊が潜んでいたのです。

 以来、朝は毎日無心になって草むしりです。草の匂いを吸い込みながらつくづく感じられるのは、計り知れない自然の生命力です。人間も自然の一部に違いなく、私は若い人たちの強靭な生命力を見くびっていたかもしれないとの思いを抱きました。人間は社会的動物ですから、その子供は社会の中で一定の場所を得るために必要なしつけや教育は不可欠でしょうが、子供の持つ生命の爆発力は本来そんなものを物ともしないはずだと思い直しました。むしろ年配者の余計な忖度こそ老害なのかもしれません。とはいえ、年老いた者は年老いた者として社会の役に立ちたい気持ちは大いにあるのです。今年は数年ぶりで町内会の春の清掃で側溝の泥揚げがあると聞きました。年配者は、あって当たり前と思われているインフラの保守管理など、裏方の仕事に徹した方がよいのではないかと考え始めています。


2023年5月13日土曜日

「昔の言の葉」

  遠方に住んでいる四十年来の友人から時々電話がきます。最初の職場での出会いから変わらず連絡を取り合っており、めったに会えませんが電話やメールでいつも相手の状態をだいたい把握しています。よほど気が合うのだろうと思われそうですが、そうではありません。「中学や高校のクラスメートとして出会っていたとしたら、たぶん友達にならなかったよね」という点でお互い意見が一致しています。互いの友達のタイプとは違うのです。この関係は最初の困難な職場で一日の半分以上を共に過ごし、文字通り戦友として互いの血と汗と涙を知り尽くしたことの結果です。

 最近は昔話になることも多く、「あの時こういうことあったよね」、「その時××がこう言って大笑いしたね」と、記憶を掘り起こして話すのですが、記憶のツボが違うらしく、お互いに相手の言うことを覚えていないことがたびたびです。先日はこんな会話をしました。

彼女:「前に『あなたの人生いつ始まった?』って、私に聞いたよね」

私:「私そんなこと言った?」

彼女:「言った。私、自分の答えは覚えてないけど、あなたの答えは覚えてる。『私は中学だな』って言った」

私:「全然覚えてない・・・・・・茨木のり子の『花ゲリラ』だね。」

(うーむ、あの頃そんな大それた会話をしていたのか・・・)

 私が通った中学は、確かにかなり個性的で面白い生徒が多く、山出しののんびりした私は驚きの連続でした。初めて出会うタイプのクラスメートにおっかなびっくり、時に格闘しながら過ごしたような気がします。子供時代のやり取りやぶつかり合いは強烈なものですが、それだけにその後のつながりは強く、今は東京組の同級生の訃報に、故郷組と連絡を取り合って悲しみを共にするほどです。

 しかし今気づいたのは、それと意図せずに発した自分の言葉の意味です。「自分の人生は中学の時に始まった」という言葉は、今聞くと全く違う様相を帯びてきます。というのは、私が洗礼を受けたのは中学の時だったからで、これもまた己にとっての「花ゲリラ」か。これまで自分がその場その場で適当にいい加減な言葉をまき散らしてきたことに慄き、もういい歳なのだから今後は「もうすまい」と自分を戒めました。それでも、風に吹き去るもみ殻のような言の葉の中から、千に一つとしても、その言葉を神様が真実に変えてくださっていたのだとしたら、本当にうれしいことです。


2023年5月7日日曜日

「大型連休悲喜こもごも」

  世の連休とは関係ない暮らしをしている私は、5月に限らず大型連休をむしろ人出の多さで移動に制限がかかるアンラッキーな時期と考えています。ラジオで主要な高速道路における数十キロの渋滞というニュースを聞くだけでぐったりし、連休の谷間に(おそらく希望が少なかったせいで)予約を入れられていた通院以外はほとんど家で過ごしました。海外旅行に出かける人や国内の観光地での混雑ぶりが報道されると、日本中そんな人ばかりのように錯覚しますが、ラジオのリスナーからはいろいろな話題を聞けました。「季節が前倒しになっているので田植えの準備で忙しいです(農家)」、「普段と変わらず仕事です。皆さん頑張りましょう(物流関係)」といった頭の下がる内容から、「近くの緑地に家族で遊びに行きます。朝から弁当作りで大変です(主婦)」、「中学生と高校生の子供が子供たちだけで祖父母の家に遊びに行ったので、連休は夫と二人になります。えらいことです。どう過ごしてよいか全く計画がありません(主婦)」といった、人生相談的内容もあり、なかなか笑えました。一番おかしかったのは、5月3日「マイあさ」担当のアナウンサーが別の同僚のことを「〇〇アナウンサーは今日から7日まで5連投です」と高らかに紹介していたこと。可哀そうすぎる!

 実を言うとこの連休中、私は一度だけ都バスの旅を行いました。都内の幹線道路は目に見えて空いていたこともあり、「都内ならいいかな」と油断したきらいはあります。もう何年も乗っていなかった路線を思い出し、涼しいうちに家を出て、目標の中途地点までは快調に行けました。しかしターミナル駅に着いてから乗り換えようとして行列にびっくり。休日のみ運行する行楽地への急行バスが出ていたのです。事前調査が不十分でよく分からぬままに乗り、見慣れぬ景色を堪能できたのはよかったのですが、私の目的地には行けないと知って途中下車。戻ろうとして問題発生、もちろん連休中の時刻表は休日運行になると把握していましたが、バス乗り場が休日に変更されることがあることまでは失念していました。なんとか元のターミナルに戻れたものの暑さもあって当日の予定は断念し、よく知っている路線でともかく東京駅まで来ました。

 まだ正午でしたが、疲れたのでもう帰ろうと八重洲口から丸の内方面へ地下道を抜けようとして、人、人、人の波にのまれました。お昼時だったせいか、どの店もひたすら行列で信じられない光景を目の当たりにしました。考えてみれば私が甘かった。東京駅などに来てはいけなかったのです。這う這うの体で帰路に向かうバス停でバスを待っていると、同じように這う這うの体で階段を上り、大きな樹の木陰に座り込む数名の欧米人観光客を見ました。無理もありません。東京駅をそれなりに知っているはずの私でも「もう無理」という極限の状況下で、外国人(しかもアジア的雑踏に慣れていない欧米人)に大型連休中の東京駅地下街はハードルが高過ぎたのです。お気の毒としか言えません。

 残りの休日は好きな本を音声で聴きながら、ゆったりと家事をしました。夏に向けての衣類の入れ替えや寝具の新潮、六月のマンション消防点検・排水溝清掃に向けての下準備などです。着る物や肌に触れる寝具やタオルはもう絶対綿100%でないと受け付けなくなっているので、購入時にそこだけは必ずチェック。また、新しい製品はたとえ綿製品でも化学物質が付着して臭いもあるため洗濯が必須です。大物は一遍に何枚もは干せないので毎日少しずつです。そうこうするうち、異常な人込みにあてられてすっかり狂った体調も落ち着きました。やっぱり連休は家でゆっくりが一番です。


2023年5月1日月曜日

「年配者のための乗り換え案内」

 先日、都内中心部の医療機関へ初めて行く用事があり、いろいろとルートを調べてみました。実は調べるまでもなく、最寄駅から東京メトロへ乗り入れている電車を使えば、家から駅まで歩く時間も含めても一番早く、しかも乗り換えなしで行けるのは分かっていました。私にとっては結構早い時間に到着しなければならず、なおかつ遅れられない予定だったため、そのルートを使うのは始めからほぼ決定事項でした。それにもかかわらず他のルートを探ったのは、年配者にとってもっと体に優しい方法がないかと思ったからです。今回は実現しなくても様々な別ルートを考えるのは楽しいものです。さらに最近は、突発的な事情で一つのルートが運行見合わせ等になった場合に、その他の方法を考えておくのはリスクヘッジ上大事なことだと感じています。

 いうまでもなく時間が十分あるという条件下で、「体に優しい」交通手段とは都バスの利用です。地下鉄に比べれば乗り降りが楽なだけでなく、よほど混んでいなければ座れる可能性が高く、窓の外から風景が見えるという楽しいおまけ付きです。私の場合、電車の駅よりバス停が圧倒的に近く、使い慣れているという点も大きなメリットです。自分の家から目的地までのおよその時間を比べますが、比較には運賃も大事な要素ですので、同じルートで往復した場合の運賃を2で割った金額を記します。ICカード利用で、都バスは必要に応じて一日券を利用することとします。


1.私鉄から東京メトロへの乗り入れ

一番早く着く交通手段で、駅まで歩く時間を含め所要時間1時間5分。乗り換えなしでひたすら乗り続けていれば着く。運賃:430円。

2.都バス利用のみ

 乗り換え2回で行けるが、目的地まで2時間10分。ただし、全ての路線で確実に座れる。私にとっては使い慣れた路線。運賃:(一日券500円を2で割って)250円。

3.都バスーJR―都バスの西回りルート、

上記の中間部分を電車利用にして移動時間を20分ほどカット、所要時間1時間50分。ただし、JRの駅は乗る駅も降りる駅も非常に乗降客の多い駅であることが難点。運賃:428円。

4.都バスーJR―都バスの東回りルート

上記より前のjR駅を利用するため、前半の都バス部分を20分短縮できるがJR利用時間は10分長いため、所要時間1時間40分。JRの駅は乗る駅も降りる駅も、比較的小さな駅であるが、電車の本数は多いので安心。運賃:480円。

5.都バスー東京メトロ―都バス

上記同様前半の都バス部分を20分短縮できるばかりでなく、この地下鉄は目的地まで大幅なショートカットとなる路線、全体として所要時間は待ち時間を含めても1時間15分程度。今までこの地下鉄路線はほぼ念頭になかったので、「おおっ」と思わぬ発見をした気分。運賃502円。

6.都バスー東京メトロ(乗り換え2回)

前期の後半部分を都バスを使わず東京メトロだけ利用。地下鉄の乗り換え2回がややネック、私にこなせるか若干不安。所要時間1時間25分、運賃:462円。


 調査結果は「時間もしくは手間と費用は概ね反比例する」という当たり前のものでしたが、帰りはバスでゆっくり帰って来るという選択肢もあるし、また天候という要素も徒歩移動を考えると考慮対象です。結局、「行きは絶対に遅刻できない」という緊張感から、最も安全な移動方法「1」で行ってきました。

  他の路線は何のことはないただの脳トレでしたが、いつか役立つ時が来るかもしれません。私の知る限り、webの「乗り換え案内」ではバス路線はほとんど考慮されておらず、乗り換えの複雑さやプラットホームまでの上下移動の手間、利用時間帯の車両や利用駅の混雑加減なども比較対象外です。若い方には所要時間と運賃だけで十分かも知れませんが、年配者向け、バス込みの乗り換え案内があってもよい時代ではないでしょうか。