2020年10月4日日曜日

「健診・検診をやめました」

  突然降って湧いた今年の感染症騒ぎにおいて、最も大きな変化の一つに医療とのかかわり方があります。多くの人が感染を恐れて医療機関を避けたため、病院に患者がいないという未曽有の事態となりました。私はどうしても必要な持病の治療には細心の注意を払って、できるだけ間隔をあけて受診していますが、これは通院が必要などなたも同じでしょう。「本当に医療が必要な人が、コロナを恐れて通院をやめているのは重大な結果を引き起こしかねない」という懸念が何度も報道されていましたが、私は完全に納得して同意することができません。感染症の致死率や症状について或る程度わかっているのですから、「本当に医療が必要な人」は病状に応じ受診しているはずです。そうでない人は現在の病状・体調と、受診した場合の感染のリスクを秤にかけて、受診を控えているのでしょう。おそらく今年、自分の病に真剣に向き合い、必要ない医療を切り捨てた人が少なくないのではないでしょうか。別の言い方をすると、感染症の流行が図らずも日本の過剰医療の実態を改善したとも言えるのです。

 私は毎年区の定期健診とその他の一部検診を受けてきました。職場の慣習として定着していたので、退職後も深く考えることなしに続けていたのです。今年は健診の案内自体が遅れて配布されましたが、その時点では受けるつもりでした。しかし、スケジュール上適当な日が見つからないまま延び延びになってみると、採血やレントゲンなど結構体に負担がかかるなと思うようになりました。職場の定期健診でも「朝食抜いて通勤なんて体にいいわけない」と健診の日は憂鬱でしたし、結果が分かってもあまりどうということはなかったのです。そして今年になり、「歳も歳だし、もう健診はいいんじゃないか」とふっと思いました。若いうちならともかく、ありがたい歳まで十分生きたし、健診はもう体にはデメリットの方が多いかなと冷静に思えました。それに伴い、以前生検までした部位の毎年の検診もやめることにしました。ただ週間で続けていた検診ですし、考えてみればあれからもう十数年たっているのです。何もないと考える方が妥当でしょう。

 私も過剰医療を自ら選択してきた一人でした。もう健診・検診を受けなくていいと思ったら、何だかパッと気持ちが明るくなりました。もちろん医療を拒否するつもりはなく、持病の通院は続けますし、どこか不調を感じたら迷わず医者に行きます。不調と言っても老化の範囲ならしかたがないと割り切って、あとはほどほどに気を付けながら、好きなものを食べ、適度に運動し、好きなことをして過ごしていこう、きっとそれが一番体にいいに違いありません。生物としてできるだけ自然な終焉を望み、あとは神様におまかせすればよいのだと自分なりの結論が出ました。コロナのことがなければ、このようにゆっくり考えることはできなかったかもしれません。その意味ではコロナのおかげ、コロナだって何の意味もなく到来したものではないはずなのですから。