2020年10月20日火曜日

「回帰する『時』」

  腕時計を新しくしました。といっても、電池と革のベルトを換えただけ。8年もつと言われた電池も7年ほど経ってさすがに弱ってきて、ベルトも相当くたびれてきました。もう以前ほどの出番はない時計ですが、どうしても使い続けたい理由があります。

 この時計は入院した父に「置いていって。明日家から腕時計持ってきて」と言われて一晩貸したものですが、突起部分を押すとバックライトで光ることに気づいた父は、自分のオメガの時計を受け取らず、「これでいい」と言って使い続けました。「これがいい」ではないのが父らしいのですが、その後、私の手元に戻ってきたのを使い続けてきました。できるだけ長持ちする電池を入れてもらいたいとお願いしたところ、時計の電池は単三などとは違うらしく、時計屋のおじさんの話では電池の寿命は同じとのことでした。今度はとのくらいもつのでしょう。

 少し前に、大学時代の同級生から精密検査をしに京都の病院まで行くという話を聞きました。「信用できる医者がいない」ので、やはり大学時代の同級生で、何故かその後医学部に入り直して医者になった親友に診てもらうとのことでした。体調という極秘事項は知り合いに知られたくない人も多いはずですが、それを調べてもらうとはよほど仲がいいのでしょう。検査入院と聞いて、「暇だったら読んで」と以前書いた書き物を渡したところ、持参して読んでくれただけでなく、主治医の同級生にも表紙だけ見せたと聞かされました。タイトルだけ見せて「これ、誰が書いたと思う?」と聞いたところ、「これは~川辺野さんあたりかな」との答えがあったそうで、それを聞いて私はじんわりとうれしくなりました。その同級生とはたぶん一、二度しか話したことがなく、私のことを覚えていてくれているだけでも有難いのに、ほとんど「隠れ切支丹」として過ごしていたつもりだった私は、そうでもなかったのかもと思えてうれしかったのです。あまっさえ、「『俺も読みたい』って言ってたから、読み終わったら送る」というメールが来たので、もちろん私からすぐに送ることにしました。検査入院の結果は何事もなかったようで、本当に良かったなと思いました。

 最近、ラジオを聞いていて思わず耳をそばだてたのは日本学術会議のニュースでした。推薦から外された六人として子どもの頃から知っている人の名が流れたからです。震災後、まだ再建前の福島教会を訪ねてくれ、四十数年前と全く変わらぬご様子でした。こういう人がこの世からはじかれてしまうのだなと受け止めました。残念ではあるけれど、むしろこれまで変わらず歩んでこられたことを寿ぐべきなのだと思います。自らの内に自らの考えと異なる視点を持つ人々を内包する包容力のない国家は滅びます。夏目漱石は『三四郎』の中で、上京する車内での会話として、日露戦争が終わって「これからは日本もだんだん発展するでしょう」という三四郎に対して、にべもなく相手の男に「滅びるね」と言わせています。これが 1908(明治41)年のことです。

 このところ記憶がどんどん回帰していく気がします。最近のことは思い出せないのに、十年前、三十年前、五十年前と記憶が飛んで、遠い遠い昔へと遡っていくのです。昔を想起させる出来事が起こったのは事実ですが、脳の老化と関わりがあるに違いありません。個人的には楽しい記憶ですが、世界の在り方としてはどうでしょうか。

かつてあったことは、これからもあり/かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない。  (コヘレトの言葉1章9節)

 まことに、「なんという空しさ/なんという空しさ、すべては空しい(コヘレトの言葉1章2節)」のです。