2020年7月31日金曜日

「身体の第三段階」

 子どもの頃はどんなに遊び疲れても、「疲れを知らない子供のように」とはよく言ったもので、一晩寝ると翌日は元気になったものです。十代のうちは無謀な生活をしていてもそれで済んでいましたが、二十台になると運動した翌日には「あれっ」という感じで疲れが出なくなりました。体が鍛えられたのかと思ったら、言うまでもなく疲れは翌々日に来たのです。「疲れが翌日に出なくなったらもう『トシ』だよね」と、同じ世代の少しだけ先輩の方々は口々に言っておられましたので、「これがそうかあ」と思ったものです。
 しかし、二十代、三十代にとっての「トシ」などかわいいもので、歳をとるにつれて疲れからの回復力が落ちていくのをはっきりと感じていました。今年は7月の帰省の往復が相当体にこたえ、翌々日どころか回復にほぼ一週間を要しました。なんだかだるくてやる気が起きず、寝たり起きたりを繰り返す状態だったので、「これは新たな段階に入ったな」と実感せずにはいられませんでした。

 厚生労働省の平均余命の年次推移によると、終戦後1947年の0歳児の平均余命すなわち一般に言われる平均寿命は男50.06歳、女53.96歳と「アッ」と驚く数値が載っています。2010年の男79.64歳、女86.39歳と比べるとまるで人の寿命が30歳も延びたかのように錯覚してしまいがちですが、これはもちろんその大部分が乳幼児の死亡率の差がもたらす統計のマジックです。65歳時の平均余命は1947年の男10.16歳、女12.22歳に対し、2010年は男18.86歳、女23.89歳ですから10年ほどの延びにすぎません。これが75歳となると、平均余命は1947年の男6.09歳、女7.03歳に対し、2010年は男11.58歳、女15.38歳になり、およそ男は5年、女は8年ほどの延びということになります。もちろんこれは大きな成果ではありますが、大局的に見れば「老年に達した人の平均余命はそれほど無茶苦茶延びているわけではない、戦前も老人になるまで生きられた人はそこそこの天寿を全うできた」ということです。

 戦後、寿命が延び元気な老人が増えたとは言っても、所詮この程度の違いにすぎず、人間の身体は生物的制約を免れないのですから、そう大きく変わるものではないということがよく分かりました。そうしてみると、還暦とはケジメの歳を自覚させる実によくできた慣習です。身体が第三段階に入ったことを嫌でも知らせてくれるのです。

 昨日のことですが、早朝、公園へ行く替わりに自転車でJR駅までスイカのチャージに行きました。最近は公共交通機関をなるべく避けているので駅を通るついでにチャージするということができなくなっていたからです。往復して、心地よい疲れに体はすっきり、今日の運動は終了と思っていましたが、たまたま涼しい日だったこともあり、「今日を逃したら行く日がない」と愛用している強力粉を買いに離れた市街に行くことを思いつきました。こちらは途中まで自転車、そこから歩いていく場所にあり、実益も兼ねてバランスよく運動できるのです。疲労を感じながらも無事用事を終え、帰宅してからよくよく考えるとその日は自転車で25キロ、徒歩で3キロの運動になっていました。この結果はいつ体に来るのだろうと怯えつつ、今を過ごしています。しばらくはどの程度無理しても平気なのかをテストしていくしかないようです。この先の古稀やら喜寿やら米寿、卒寿等々と命名される区切りの歳も何かしら身体の変化に伴う、意味のある階梯を表しているのでしょうが、それがどのようなものなのかは今の段階では想像もつきません。