2020年4月29日水曜日

「感染症の恐怖」

 いやでも感染症について知識が深まっていく昨今ですが、知れば知るほどー不謹慎かもしれませんがー現在流行している新型コロナウイルスよりはるかに恐ろしい感染症が山ほどあるという気がしてきます。致死率が高いことで有名なエボラウイルス感染症(必ずしも出血はしないので、医学界ではこの呼び名が使用されているらしい)や、まだ記憶に新しい呼吸器系の感染症SARS、MERSは日本では流行が抑えられたこともあり、感染対策に関して中国や韓国に遠く及ばないのが現状です。或る意味、感染症は前の世代の犠牲の上に対策が強化され得る怖い病です。

 もう外国に行くことはないから自分は安全と思っていましたが、全くそうではないということがよく分かりました。2千万人、3千万人という人が出入国している現在では、遠い辺境の地の風土病とおもっていた感染症があっという間に国内に流行してしまうのです。本人の自己申告と体温測定による発熱状況だけの「水際対策」はあまりにも脆く、体調不良を感じた人が近くのクリニックを訪れ、そこから二次感染ということが当たり前に起きます。

 ワクチン開発により絶滅できた感染症は天然痘だけのようですが、今ではその製造に必要な種痘ワクチンを保存している国は非常に少なく、バイオテロなどで天然痘ウイルスがばら撒かれた時の終末的パニック状況を決して空想的と笑うことはできません。デング熱、ジカ熱、風疹、麻疹など近年よく聞く感染症も、妊婦や胎児に影響を与えたり、二度目にかかると重症化することがあるなど、それぞれの恐さがあります。昔からある破傷風は人から人へ感染する病ではありませんが、早急に血清を用いないと死に至ります。東日本大震災で明らかになったように、特に災害で傷を負った時など、傷口からの感染に注意いしないといけません。また、若い人の間では性感染症(梅毒やHIV感染症)者が急増しており、専門家は警鐘を鳴らしています。

 その他ペスト、コレラ、スペインインフルエンザ(一般にスペイン風邪と呼ばれている)、マラリア等、これまで人類が経験した感染症の概要とその発症から死に至るまでの病状をつぶさに知る(「目から血を出しながら死ぬ」、「神経を冒されて発狂して死ぬ」など)と、どんなホラーよりも震えがきます。感染症にだけは罹りたくないと痛切に思いました。ショックが強すぎて様々な感染症がごっちゃになってしまいましたが、私の記憶が正しければ、確かエボラワクチンは接種されてはいるものの、効果が確認されるには長い時間がかかるため、まだ決定的なものは完成していないのではないでしょうか。そして愕然とするのは、最終的に決定版(すなわち必ず効く)ワクチンが開発されるかどうかは経済合理性に拠っているという冷厳な事実です。開発費に見合うだけの薬剤使用料が回収できないと判断されれば、そのワクチン開発の道は閉ざされ、実用化には至らないのです。もっとも、これほどグローバル化が進んでいる現在では、先進国が我が身を守るためにあらゆるワクチンを開発せざるを得ないのではないかとも思います。

 一般論として、一番危ない生物は「蚊」です。もちろん野生生物との接触は厳に慎まなければなりませんが、コウモリやヒトコブラクダやクマネズミに頻繁に接触機会のある人はあまりいないでしょう。彼らを宿主とする蚊や蚤、とりわけ蚊は危険です。熱帯シマカはもはや亜熱帯化している日本にも生息できるでしょうが、ヒトスジシマカ(やぶ蚊とも呼ばれるどこにでもいる蚊)も同様の吸血行為で感染症を媒介します。北限は岩手とも秋田とも言われていましたが、こう温暖化したのではもっと北にも生息できているかもしれません。いずれにしても私が真っ先にしたことは、通販サイトで今夏用の電気蚊取りマットを注文することでした。マンションでは高い階までは自力では飛んで来られないのであまり心配ないのですが、田舎に帰省した時これまでは結構刺されていました。今年は絶対刺されない決心をし、最低でも通用口に2か所(さらに必要なら渦巻き型の蚊取り線香も併用する)、居室に1か所とかなりの量を買い込みました。「昨年は11月ごろまで蚊がいたなあ」と思い出しつつ。勝手口の扉を開け閉めする時に、信じられない素早さでシマカが入ってくることがあるので、絶対入ってこれないほど蚊取り線香を焚きこめるのが有効かもしれません。これこそ水際対策ならぬ外際対策でしょう。もう一つ心配なのは延び延びになっているりくの狂犬病注射はいつになるのかということです。狂犬病は罹ったら100%死ぬ感染症ですから、これもきっちりやっていただかないといけません。


2020年4月27日月曜日

「紅春 156」

「いくつになったい? 白くなったねえ。犬は後ろ脚さえ丈夫なら長生きするから。・・・」
  用事でみえた町内会の方と話しながら、兄がいろいろと答えています。りくは春と秋の町内会の大掃除に監督者として参加していますし、また、空き家になっている隣家の庭を自由に行き来して、いつも町内を見渡しているので、町内会の一員として認知されているのです。

 なるほど、犬の寿命は後ろ脚が決め手なのか。確かに、人間も二足歩行できることが長寿には決定的に大事に違いありません。りくの後ろ脚は非常に強いのです。特に朝一番の散歩では、気が急くらしくぐいぐいと力強く綱を引いていきます。私は同じ歩行速度で歩いているのですが、りくは綱がぎりぎり届く範囲内で、後方から前方へと忙しく移動しながら、くんくんし続けています。毎日チェックしなければならない場所もあるようで、どうしても立ち止まってしまう時は待っていてあげますが、それ以外は私の歩みを止めぬよう、りくはとても上手に歩きます。私がたまに少し遅れると、「ん?」と言うようにりくは振り返り、定位置に戻るまで待っています。まるで日本的気配りは柴犬のDNAにまで刷り込まれているのかと思うほどです。

 りくはまだまだ健脚で安心していますが、先日私の持病の発作が出た時などは散歩に連れて行けず、可哀そうでした。また、私がいない時は短い散歩だけで一日中寝ているので、これも心配の種です。

2020年4月22日水曜日

「資本主義の終わり」

 新型コロナによる外出自粛の中でつらつら考えるに、行きつくところは「これって終わるの?」に尽きます。ワクチンが実用化されるのに1年などと聞くと、たとえ医療崩壊を起こさない程度に感染者が増えていったとしても、1年で自然におさまるはずがないのです。集団免疫は十分な数の人が感染することによって、感染していない人が集団的に守られるというのですが、この集団免疫の形成がなされる人数はウイルスの感染力によって違うとのことです。新型コロナの場合は5割とも6割ともいわれているようですが、たとえば東京1200万人の半分、600万人が感染して抗体をもつまでにどれだけの日数がかかるのでしょう。毎日200人の感染なら、えっ、3万日、って何年だ? さらに日々の感染者が多ければ、重症化する人も多くなり、確実に死亡する人が増えてしまうでしょう。これは一日も早くワクチンを実用化してもらうしかないように思いますが、ウイルスが変異することまで考えるとこの方向に考えても頭が痛くなります。

 このままいくと、外出禁止は終わらない。ということは、人間の営みの多くが止まったままになるだろうと推測されます。もしかすると今かろうじて成り立っている企業の経済活動も厳しく制限されることさえ起こり得るかもしれないのです。家で読書に没頭というこの上ないユーフォリアに包まれ、「あ~、こうやって資本主義の時代が終わっていくんだなあ」と感慨深く思うのです。折しも米国市場で、NY原油先物が史上初めてマイナス価格で取引を終了というニュースが流れました。飛行機は飛ばない、自家用車での移動も禁止、工場もストップという先の見えない状況では、原油はだぶつき、お金を払ってでも引き取ってもらいたい物になってしまったのです。先進国だけでなく、世界中の困難な地域、特にアフリカ大陸に待ち受ける今後の展開を思い浮かべると、この疫病の終息はいつになるのか想像もつきません。

 もちろん、いつかは終わるのでしょう。そして、資本主義経済も息を吹き返すのでしょう。ただ、少なくともこの十年、末期的な事態を目の当たりにして、「始めがあれば終わりがある」と漠然と思ってきた資本主義の終焉の姿がコロナ騒動のおかげではっきりと視覚化された気がします。これから先は小さな共同体での助け合いや顔の見える付き合いが日常生活に必要なインフラになるのかもしれません。洋裁が得意な友人が型紙から形態保存マスク製造に熱中し、試作品を何十と作って完成させた労作を送ってくれました。ベージュのブロードの生地でオシャレなマスク、こういうのはとても有難くうれしいものです。先日、通院のため乗ったバスではマスクなしの人が1割ほどいましたが、全員年配の男性でした。いまやドラッグストアでマスクを見かけるのは単に幸運としか言えない感があるので、マスクなしでも責められませんが、普段から声を掛け合う人間関係を築くことがこれから来るであろうもっと大変な事態を乗り越える力になるのだろうと思わずにはいられません。

2020年4月14日火曜日

「人間の愚かさと自然の賢さ」

 厚生労働省クラスター対策班の計算をもとに「人との接触を8割減らす」ことが要請されていますが、これについての安倍首相の伝え方では「最低7割、極力8割、人との接触を減らしていただければ、必ず我々はこの事態を乗り越えることができる」というものでした。緊急事態宣言の期間はとりあえず1か月でしたから、これでは1か月で感染拡大が収まるかのように思われます。しかし、その後、どうも対策班の専門家から「7割とは言っていない。8割減らせれば1か月で減少に転じるが、7割では減少までに2か月以上かかる。接触者を5、6割減らす程度では感染者は減らずに水平に推移する」という趣旨の発言がなされているようなのです。どうしてこうも愚かなのだろうと怒りがこみ上げてきます。本当に1か月で効果を上げたいのなら、遠慮会釈なく明確な数字を伝えてもらわなくては困ります。毎日あっと驚くような三密の具体例が報道されていることから推測すれば、1か月さえ己の欲望を我慢できない人々が2か月以上も行動を抑制できるはずがありません。やる気が失せるような軽率な発言・政策は勘弁してほしいと思います。すでに私はへたするとこ半年、1年とこの状態が続くかもしれないと覚悟しました。

 こうなってくると別の方向からの考えも頭に浮かびます。先日、地球温暖化につながるCO2濃度の増加ペースが急減しているとの報道がありました。地球全体の大気中のCO2濃度は、特に冬から春にかけては例年増加するのに、新型コロナウイルスの感染が広がった去年12月から今年3月にかけての増加ペースは、ここ数年の同じ時期に比べて半減したことが環境省などが運用する人工衛星の観測で明らかになったとのことです。専門家も新型コロナウイルスの感染拡大によって人や経済の活動が低下したことを要因の一つと考えているようですが、素人が考えてもそんなことは明らかでしょう。地球という星にとっては人間の経済活動は不要なものであり、自分に害をもたらす要因なのです。考えてみれば、疫病を流行させる以外のどんな方法で人間の経済活動を止められるでしょうか。これ以外ないという自己防衛方法を地球という生命体はとったのです。地球の身になって考えれば、「もう限界です。私はこれまで完膚なきまで傷つけられ、地球上の人口は私が養える数をとうに超えています」ということなのでしょう。地球にとって人間はろくでもないことを数限りなく行う敵なのです。今のところ、悪疫は人間の小賢しい考えなど嘲笑うかのように、猛威を振るっています。気が滅入ってきました。地球が何事かを遂行するつもりなら、成し遂げるまで止むことはないでしょう。地震や台風といった自然現象と同じです。これまで人間が自然になしてきたことを考えれば、自然が人間に配慮することはきっとないでしょう。感染症との闘いは、どのような終着点があるにせよ、途轍もなく長い持久戦になりそうです。



2020年4月13日月曜日

「紅春 155」

コロナ疎開という語が話題になっていますが、毎月帰省している人を一緒にしてもらっては困るなと感じています。りくは私の不在が長引くとノイローゼ気味になるので、せっせと帰省しているのです。ところが、帰ってみると、普段は兄そっちのけで甘えてくるのに、今回はどちらかというと兄にべったり張り付いています。まさかボケたのではあるまいと思いつつ見ていると、さほどのことはありませんが、何とも言えない一呼吸の間が感じられます。そのほかに違和感を感じるのは動作が非常に緩慢なこと。散歩から帰って外につないで3分後くらいにドアをそおっと開けてみると、さっきと全く同じポーズでこちらを見ていたりするので、「大丈夫かな」と思わずぎょっとします。さて、こまめにチェックしている高速バス情報では、5月以降の予約見合わせもあるようで、本当に来月の帰省は無理かもなという悲観的な気分になっています。りくも「何かあった時、頼れるのは兄ちゃんだけ」ということを感じ取っているのかもしれません。

 コロナの影響は思いがけないところにも及んでいました。4月の帰省中に行くはずだった恒例の狂犬病注射が延期になっていたのです。おそらく混雑に伴う人や犬の感染リスクからではなく、保健所がコロナ関連の仕事で忙殺されて、犬どころではないのでしょう。注射嫌いのりくはとりあえず喜んでいますが、「あとで必ずあるんだからね」と言い聞かせています。


2020年4月7日火曜日

「医師会独自の緊急事態宣言」

 政府の「緊急事態宣言」は実効性が疑問視されていますが、某大学病院の研修医40名による会食からの感染という、あってはならない行為が現実に起きている以上、その発令はもはや不可欠です。これは4月7日の夕方に出されることになりましたが、もう一つの「緊急事態宣言」すなわち4月5日に日本医師会の尾﨑会長が発した「もしも6週間みんなで頑張れたら」を読みました。返す返すも3月下旬の三連休における自粛の緩みが悔やまれますが、さほど長くない全文の中で次のような箇所があります。

・・・ 日本でも多くの人が苦しんでいて、これまでみんなで自粛しながら頑張ってきました。でもなかなか患者さんの数が減ってきません。多分それは日本という国が自由で、それぞれの判断に任されているからだと思います。
そして、いよいよ歯止めが効かなくなって感染爆発(オーバーシュート)の可能性が出てきました。自由は日本のいいところだと思っていますが、このままでは自粛どころではなく、都市閉鎖(ロックダウン)やら、本当に窮屈になってしまうこともないとは言えません。

そして、医師会からのお願いが続きます。

皆さん想像してみて下さい。
『新型コロナウイルス感染症に、もしも今この瞬間から、東京で誰一人も新しく感染しなかったら、2週間後には、ほとんど新しい患者さんは増えなくなり、その2週間後には、ほとんどの患者さんが治っていて、その2週間後には、街にウイルスを持った患者さんがいなくなります。』
だから今から6週間、皆さんが誰からもうつされないように頑張れば、東京は大きく変わります。

 文はもう少し続きますが、私はここまでで既にこの呼びかけに説得されました。素直な気持ちで読める、静かな熱のある言葉だと思います。「現在の日本の状況は感染爆発直前のニューヨークと似ているという人もいますが・・・」との問いに、感染症の専門医が、「今は肺炎で亡くなった方に対して、新型コロナウイルス感染の有無を調べないということはあり得ない。そのうえで、死亡者数を見た時、まだそうだと述べる段階ではないと思う」と答えていたので、「なるほど、では日本のやり方で、皆さん、6週間頑張ってみましょうよ」と呼びかけたい気持ちになりました。もしこれがうまく機能すれば、それこそ他に類を見ない日本方式ということになるでしょう。いずれにしても、オーバーシュートしてからではもうできることはない。時間との闘いです。



2020年4月3日金曜日

「各国の医療:悪疫への対応力」

 新型コロナに対応する各国の医療の在り方に関する研究の総括は騒ぎがおさまってから、即ち早くて1年後くらいにわかるはずですが、終息に至るまでの要因をいくつか考えてみます。

 1.人種・民族による相違点
 民族の慣習という面からみると若干の影響はあるでしょう。例えば、ヨーロッパではラテン系の国々で感染が速かったのは、やはりよくしゃべること、身体的接触が挨拶の一部となっていること、また、日本で初期の感染が緩やかだったのは、検査実数が少なく、信頼できる基礎データがないという重大な問題はあるものの、マスク着用やうがい・手洗いが普段から生活になじんでいたことが要因として考えられるでしょう。この点で、マスク不足から何度も喧伝された「マスクに予防効果はない」という言い方は本当に罪深いものだったと思います。自分が感染しているかどうかわからない状況で、マスクをしなければ他人を感染させてしまうのですから、声を大にして「マスク(あるいはそれに代わるもの)は着用が不可欠」というべきだったのです。ニューヨークでは今になってそれが痛恨の極みだと考えられているようですが、WHOが何と言おうと、こういう時は自分の直感を信じて行動しないといけません。

 いずれにしても、ホモ・サピエンスに感染するウィルスとして、人種・民族の違いが感染を左右する根本要因にはなり得ず、iPS細胞研究の山中伸弥教授の言うように「日本だけこのまま終わるとは到底思えない」のです。感染してもほとんど無症状の人と重症化する人の差異は、年齢や基礎疾患、免疫力の差などが考えられますが、ひょっとしたらそれ以外の要因があるのかもしれません。たとえば、ウィルスにはS型とL型があるとの話ですが、ウィルスは何らかの複雑な組み合わせを通して、或る種の因子を持った人に取り付いた場合に、そうでない人とは違った展開を引き起こすというようなことがあるのかもしれません。今後このあたりのことが解明されることを願っています。

 
2.医療体制の相違点
 これについてまずは端的に、①人口に対する医師・看護師・医療スタッフの数、②人口に対する病院数・病床数、③人口に対する稼働できる医療機器数などの総合力により比較可能です。他国のことは知らないので何とも言えませんが、日本では医師が本当によく踏ん張っていると体験的に断言できます。以前、大学病院で予約していた担当医がお休みだったので「今日はだめだな」と思ったところ、休日だった初対面の医師が呼び出されたらしく、たいして待たずに診察を受けることができました。こういう真面目さは当たり前と考えてはいけないと思います。その時は、「先生も突然で大変だったことと思いますが、本当にありがとうございました」とお礼を言って診察室を出ました。

 しかし、こういった医療の頑張りにも限度があります。感染爆発して医療崩壊が起きたら、もう機能しないのはイタリア、スペインその他の例で明らかです。ですから、このような感染性の疫病に対する医療は平時の医療体制では全く歯がたちません。感染リスクは老若男女、富者も貧者も、健やかなる者も病める者も平等に襲います。およそ考えられる限りの自衛手段を個々人がとること以外できることはありません。

 
3.人の活動・移動制限に伴う相違点
 国ごとの違いが露わになるのがこれを実効あるものにする方法です。やり方によっては人権保護に抵触するからです。独裁制の国では、中国のように、ウィルス感染を止めるためにあらゆる手段を講じることができ、またIT機器によりそれを効果的に行える場合、比較的はやく終息できます。また、欧米の多くの国では、事前に法制化してある非常事態宣言等により、法の力で強制的に人の活動や移動を止めることになります。欧米的価値観からすれば、どれほどの行動制限まで耐えられるかが問われますが、人によっては報道されるような中国の統制なら「コロナに感染した方がまし」という考え方もあるかもしれませんから、このへんは微妙な兼ね合いが求められるでしょう。

 日本の場合はなんと「自粛」です。緊急事態宣言といっても、法的拘束力がないことが知れ渡っており、その言葉のインパクトはともかくとして、これが出されようと出されまいと一人一人が自分の危険な行動を自粛することが、一日も早く感染を終息させることにつながります。これを強制力を伴わない、あたかも社会契約説を地で行くやり方で成し遂げなければなりません。「自分は感染しても大丈夫」と考え、自分勝手に行動する人がいる限り、いつまでたっても不自由な制限が解けません。実際、「まだそんなことやってるのか」と唖然とするような行動も散見されますので、皆が自らの欲望を抑えて「一日も早く日常を取り戻す」ための大人の行動をとれるかどうかがカギです。つまり、日本の場合はとりわけ人間的成熟を求められる対処法なのです。


 国の経済的支援政策について延々と議論されていますが、切迫している個人事業主等に対して、とにかく速やかに手を打ってほしいです。エイプリールフールかと思うような「全世帯へのマスク二枚の配布」をしている場合ではありません。感染拡大の影響で困っている方々にピンポイントで援助してほしい。この方々が倒れてしまってはならないのです。日本では「格差社会」が問題になりつつも、世界的に見れば、今でもかなり平等な社会だと思います。平時には優れた医療システムも、疫病の流行という膨大な感染者を生む事態の前では通用しないという点で考えさせられたのは、各国の社会的格差の度合いです。国民皆保険のないアメリカであっという間に感染が拡大した背景には、べらぼうに高い医療費のために医療を受けられなかった人もいるはずですし、ドイツも当初はうまく対処できていましたが、感染者が増えすぎてもう無理です。実はドイツは医療制度が一本ではなく、富裕層の医療を担うもう一本別の制度があります。数からいってこちらはすぐに病床が埋まることを考えると、はじかれた人はどうなるのかと考えてしまいます。繰り返しますが、悪疫の流行に関しては普段合理的に思われるシステムも無力です。できるだけ平等に治療を受けられる日本のシステムが崩壊しないことを願うばかりです。新型コロナ感染が世界的終息をみた後、いったいどんな世界になっているのでしょう。そして、この災厄の各国の総決算はどのようになされるのでしょう。