2019年1月8日火曜日

「制度設計の変更を!」

 制度の基本設計をし直さないといけないのではないかという事態が続いています。もちろんその最大の原因は人口減少で、その中身は第一に少子化、次が高齢化です。少子化と高齢化は元来全く別の自称ですが、ダブルで人口減少を加速しています。外国人労働者を入れるにしても、サービス業をいまの状態で持続するのはどう考えても無理そうですし、身近なところで居住する集合住宅の理事をやって確信したこととして、管理組合の仕事を理事会だけで完遂するのはもう無理で、一人一人が自分たちの住まいを自分たちで守るという気構えがなくては、そこは廃墟になるだろうということです。

 政治に関しては、もはや立法府も司法も機能しておらず、内閣の暴走が止まりません。これでは民主主義の皮をかぶった独裁政権とどこも変わらない。経済も同様で、末期的な痙攣状態にある今この期に及んで、東京オリンピックや大阪万博、カジノ施設といったカンフル剤を打ってどうしようというのでしょう。もう経済は成長しない。こんな簡単なことがどうしてわからないのか。いや、わかっているだろうに、どうして顔をそむけ正面から解決する決意をしないのか。遅れれば遅れるほど手の打ちようはなくなるというのは、誰が考えてもわかります。もう経済成長が望めないことは素人でもわかりますが、事ここに及んでそれを言っているのは某外国銀行のグローバル・ストラテジストなのですから、為政者はこの警告を真剣に受け止めなければならないはずなのです。私はもう日本は経済成長しなくてよいと思っています。そう思うわけは、人口減少国家において経済成長があるとしたら、一番可能性がある原因は「戦争による破壊からの復興」もしくは「「他国での戦争における兵器の輸出」だからです。GDPが急成長するというのは或る意味社会的に大変な国家だということを忘れてはなりません。

 先日の熊本地震はこれまで未発見の断層によるものとの見解が出され、自然災害からの復興による経済成長を望む人はいないでしょう。っまだ未発見の断層があったのかと思うと、これは日本全国どこにも打倒することになり、背筋が寒く成る思いです。制度設計ミスで最も恐ろしいのは原発の配置です。二度目があれば日本は今度こそ終わるでしょう。国土の壊滅もそうですが、一度目の失敗から学ばなかった愚かな国民として、国際社会からも葬られるということです。
 みんなで堅実に縮んでいきましょうよ。できないことはありません。日本独自の文化資本だけは大切に守りながら、国家の健やかな老後を作っていきませんか。年明けにこんなことがありました。スーパーに買い物に出て、サングラスの弦を胸元に掛けて歩いていたら落としてしまいました。「やってしまった」と思いました。店内で10分以内に起きた出来事なのは確かだったので、とりあえずサービスカウンターに届けを出すつもりで寄りました。半分あきらめて「明日また来ます」というつもりでいたら、なんともう届いているではありませんか。思わず、「すごいですね。ありがとうございます」と言って深々と頭を下げていました。その直後思ったのです。「政治が駄目でも、経済が駄目でも、日本はこれでいいじゃないか」と。

 文化大国になるには、やはり国家の資本を教育に投入するしかないでしょう。とくに立ち遅れているのは高等教育、つまり大学以上の教育です。無駄でもいい、とりあえず全国の独立行政法人(昔の国公立)にふんだんに資金を投入し、好きにやらせてみてはどうでしょうか。始める前にはどの研究もどれだけ発展性があるかなんて誰にも分らないのです。それは今後のちょっとした国際状況の変化や思いもかけない社会の変化という入力変更により、結果が大幅に違ってしまうからで、それら全てをあらかじめ計算しつくして対応できることなどあり得ません。もちろん、理科系だけでなく文科系の学部にも同等の支援をします。日本語によって営まれてきた学問はすでに千数百年の歴史があるのです。日本語を守ることは人類の使命です。ここには限りないアイディアの宝が隠れています。日本語を使うことなしにはそこにアクセスできない宝の山があることを世界に知らしめ、文化の高さを享受したい人は皆日本語に引き付けられてくるような国にすることが、これから日本が目指すべき国家戦略です。貧しくても平和で安全な暮らしがしたいと願う人がわらわらと集って来るような国がよいと思います。ただ、急がないといけません。もうすでにこの国の教育はほぼ徹底的に破壊されてしまったからです。今が最後のチャンスです。まだ間に合います。呼びかける相手は内閣府? それが問題なんですよ。