行先はあづま総合運動公園方面。何度も行ってはいるが、りくを連れて行くにはよいところです。2020年のオリンピックで野球・ソフトボールの試合会場ではなかったかしら。今回は反対の端にある民家園に行き、りくと兄が外で待っている間(りくは近くの池で鯉を見て楽しんでいたとのこと)、私が見学してきました。ちゃんと見れば半日やそこらはかかるので広瀬座と旧馬場邸だけさっと見ただけですが、これは外国人にも見ていただきたい見学場所です。「東京」オリンピックがなぜ福島で・・・と、率直に不思議な気もしていたのですが、のんびりこの施設を見に来て頂くのも悪くないかなあと今は思っています。日本家屋の興味深い造りを堪能していただきたいです。この日は往復3時間弱の行楽でしたが、いい気晴らしになりました。りくも本当にうれしそうで、こちらもとても幸せな気分です。
2017年9月28日木曜日
「紅春 112」
行先はあづま総合運動公園方面。何度も行ってはいるが、りくを連れて行くにはよいところです。2020年のオリンピックで野球・ソフトボールの試合会場ではなかったかしら。今回は反対の端にある民家園に行き、りくと兄が外で待っている間(りくは近くの池で鯉を見て楽しんでいたとのこと)、私が見学してきました。ちゃんと見れば半日やそこらはかかるので広瀬座と旧馬場邸だけさっと見ただけですが、これは外国人にも見ていただきたい見学場所です。「東京」オリンピックがなぜ福島で・・・と、率直に不思議な気もしていたのですが、のんびりこの施設を見に来て頂くのも悪くないかなあと今は思っています。日本家屋の興味深い造りを堪能していただきたいです。この日は往復3時間弱の行楽でしたが、いい気晴らしになりました。りくも本当にうれしそうで、こちらもとても幸せな気分です。
2017年9月25日月曜日
「スケジュールの調整」
気が付けば一年ももう四分の三が終わってしまいました。早すぎて何をしてきたのか思い出せないくらいです。私はスケジュール管理がとても苦手で、計画を立てるのが下手、いや下手というより嫌いなのです。自宅と実家の往復生活の中でそれぞれの地ではずせない用事があり、それを調整しながらバスの予約を取るのも結構面倒なのです。
思い出せば、三月までは物語を書いていて、ちょうど終わった頃に4月の会報、集合住宅の理事会の議事録校正(これは毎月ある)をすることになり、それがちょうど終わった頃5月は大規模修繕アフター点検問題が発生し、それが収まった頃6月に理事輪番制と駐輪場関係の書類作りとなり、7月は猛暑で体調がよくなく読書が精一杯、8月は集合住宅の居住者の緊急連絡先問題から用紙のひな型作り、それからしばらく寝かせてあった物語に旧約聖書の引照を付け縦書きの本の形にしようと思い立ち、それがちょうど一段落した頃会報9月号の編集が始まり、それがちょうど終わった頃作成した物語の印刷・製本データに着手・。またそれとは別に、通院や毎年の公的申請、教会ホームページの通常業務、また、その合間に人と会ったり、他にはNHKとの契約解除に関わるやり取りがあったっけ。
私にとっては健康維持のため適度な運動をしたり、体に良い食事を作ったりということだけでも一仕事なのです。こうしてみると、そんなはずはないのにやることが多すぎる・・・。しかしここで一つ気づいたのは、次から次とやるべきことが現れるのに、その時期が重なることはなかったということ。自分で調整できるものもありますが、ほとんどは向こうからやってくるものばかりです。こんなにちょうど都合よくずれるはずがない・・・。そうなのです。何のことはない、スケジュール調整をしていたのは私ではなくて神様だったのです。そのことにやっと気づいた次第です。ということは、これからも健康状態に合わせてやってくる仕事をこなしていけばよいのだということです。ああ、これなら楽ですね。
思い出せば、三月までは物語を書いていて、ちょうど終わった頃に4月の会報、集合住宅の理事会の議事録校正(これは毎月ある)をすることになり、それがちょうど終わった頃5月は大規模修繕アフター点検問題が発生し、それが収まった頃6月に理事輪番制と駐輪場関係の書類作りとなり、7月は猛暑で体調がよくなく読書が精一杯、8月は集合住宅の居住者の緊急連絡先問題から用紙のひな型作り、それからしばらく寝かせてあった物語に旧約聖書の引照を付け縦書きの本の形にしようと思い立ち、それがちょうど一段落した頃会報9月号の編集が始まり、それがちょうど終わった頃作成した物語の印刷・製本データに着手・。またそれとは別に、通院や毎年の公的申請、教会ホームページの通常業務、また、その合間に人と会ったり、他にはNHKとの契約解除に関わるやり取りがあったっけ。
私にとっては健康維持のため適度な運動をしたり、体に良い食事を作ったりということだけでも一仕事なのです。こうしてみると、そんなはずはないのにやることが多すぎる・・・。しかしここで一つ気づいたのは、次から次とやるべきことが現れるのに、その時期が重なることはなかったということ。自分で調整できるものもありますが、ほとんどは向こうからやってくるものばかりです。こんなにちょうど都合よくずれるはずがない・・・。そうなのです。何のことはない、スケジュール調整をしていたのは私ではなくて神様だったのです。そのことにやっと気づいた次第です。ということは、これからも健康状態に合わせてやってくる仕事をこなしていけばよいのだということです。ああ、これなら楽ですね。
2017年9月21日木曜日
「アスカちゃん 逝く」
9月16日付のブログ「柴犬とオランダ人と」にアスカちゃんが亡くなった知らせがありました。それまで毎日のように更新されていた記事が三日ほど更新がなかったので、もしやと案じておりましたが「やはり」でした。支えてやらないと立てなくなったり、食事がうまく飲み込めなかたり、午前中昏々と眠って意識がないようだったりという様子を毎日読み、段々と病状が悪くなっていくのを知るのはそれなりに辛かったのですが、飼い主に比べれば何のことはありません。りくに毎日「アスカちゃん大変なんだよ」と伝えながら、りくが元気でありがたいと思ったものです。
犬を二頭飼っている場合、先にいた犬が年を取って弱っていくと序列が交代するという話をよく聞きますが、セナちゃんの場合はそんなこともなくて本当によかったです。寝そべる場所にしてもおもちゃにしても、それまで何でもアスカに譲ってきた(譲らなかったのはママの隣の場所だけ)セナですが、それは最後まで変わらなかったばかりでなく、アスカに寄り添って過ごしたという話に慰められました。セナース(ナース代わりのセナ)が、「夜勤でしたの」と言って青い顔して登場したのはごく最近のことでした。一日中寝ていたアスカが夜11時過ぎにトイレに行こうとして庭に出たものの、そのまま意識を失ったので家に戻し、午前2時半頃再びトライしてトイレを済ますことができた、そして朝5時に大きな発作があり等、ご一家の暮らしの大変さは察するに余りありました。その後、血尿の記事があって「永眠」のタイトルで短いお知らせが出たのは間もなくのことでした。最後の何日間かは眠っていることが多く苦しんだ様子はなかったようですが、今は痛みも苦しみもなくなったことに、飼い主さんも悲しみよりほっとする気持ちが強かったようです。りくのときはどうなるのかなと思いつつ、老犬の介護は独りでは無理なので、とにかく『自分が元気でいなければとあらためて気が引き締まりもしました。
* その後、比較的眠った状態で苦しまなかったのは最期の三日間以前のことだと知りました。最期の三日間は飼い主さんも「もう一度選べるなら安楽死させる」というほどの苦しみがあったようで・・・。自分にとって子供のようなアスカを殺せないと思ってしたことですが、判断ミスだったと書いておられました。アドさんが布団にくるまったまま、床でアスカの脇に寝ながら見守っている様子がなんとも言えない悲しみをそそります。すべて終わりました。ゆっくり休んでください。
犬を二頭飼っている場合、先にいた犬が年を取って弱っていくと序列が交代するという話をよく聞きますが、セナちゃんの場合はそんなこともなくて本当によかったです。寝そべる場所にしてもおもちゃにしても、それまで何でもアスカに譲ってきた(譲らなかったのはママの隣の場所だけ)セナですが、それは最後まで変わらなかったばかりでなく、アスカに寄り添って過ごしたという話に慰められました。セナース(ナース代わりのセナ)が、「夜勤でしたの」と言って青い顔して登場したのはごく最近のことでした。一日中寝ていたアスカが夜11時過ぎにトイレに行こうとして庭に出たものの、そのまま意識を失ったので家に戻し、午前2時半頃再びトライしてトイレを済ますことができた、そして朝5時に大きな発作があり等、ご一家の暮らしの大変さは察するに余りありました。その後、血尿の記事があって「永眠」のタイトルで短いお知らせが出たのは間もなくのことでした。最後の何日間かは眠っていることが多く苦しんだ様子はなかったようですが、今は痛みも苦しみもなくなったことに、飼い主さんも悲しみよりほっとする気持ちが強かったようです。りくのときはどうなるのかなと思いつつ、老犬の介護は独りでは無理なので、とにかく『自分が元気でいなければとあらためて気が引き締まりもしました。
* その後、比較的眠った状態で苦しまなかったのは最期の三日間以前のことだと知りました。最期の三日間は飼い主さんも「もう一度選べるなら安楽死させる」というほどの苦しみがあったようで・・・。自分にとって子供のようなアスカを殺せないと思ってしたことですが、判断ミスだったと書いておられました。アドさんが布団にくるまったまま、床でアスカの脇に寝ながら見守っている様子がなんとも言えない悲しみをそそります。すべて終わりました。ゆっくり休んでください。
2017年9月18日月曜日
「会報の編集後記」
なんとなく不調だった夏を過ぎ、会報の時期となって少ししゃんとしました。今回の担当ではなかったのですが、編集後記を頼まれていたのです。編集後記は編集した人が書くべきだと思うかもしれませんが、やったことがある人はわかるように、編集の実務担当者は、時間的にも精神的にもとてもそんな余裕はないのです。今年度は諸事情で三回の発行となった会報ですが、私に編集後記の順番が回ってきました。
今回編集を担当された方は初めての編集作業で大変だったことと思いますが、慣れない人なら普通尻込みしてしまうような仕事をやってくださったのです。これも取り掛かればすぐわかりますが、ワードはそもそも英文すなわち横書きで書くための仕様ですから、縦書き、それも三段組みの書式の編集は無理があるのです。不思議な現象がいろいろ起こり、私はそういうことにも多少慣れましたが、初めての方は助けが必要です。というわけで、私も少しお手伝いすることになりました。最初に行間や文字のポイントを確認すればよかったのですが、自分がやっていた時のルールに則って様子をみたところ、まだ一段分以上スペースがあるように見えました。私にとってスペースというのは原稿の文字数がオーバーする以上に恐怖です。挿し絵や写真を使うにも限界があります。そこで、今年6月に出された先生の御本『聖書 神の言葉をどのように聴くのか』の紹介をしてはどうかと提案してみました。ちょうど読んだところだったので記憶に新しかったのでしょう。それがよいという話になり、他の方に原稿依頼する時間がなかったので、自分が書くことになりました。最初は字数を気にせず要旨をまとめてみると1200字ほどになり、これを三分の一に縮めるとなると相当大胆に刈り込むというか、有り体に言えば書き直しでしたが、本の紹介というのは或る程度の字数がないと大変難しい者だと実感しました。極限まで字数を減らしましたが、結局六百字程度でゆるしてもらいOKをいただきました。
その後自分の早合点のため、行間や文字ポイントのルール変更を知り、当然スペースの量も変わり・・・という状況となり、自分なりに考えて(当然のごとく)迷走し、最終的に他の方のお考えにより収まるべき順当なところに落ち着きました。自分ではやるだけやってすっきりしましたが、つきあわされた方は大変だったかもなあと反省しました。最後のスペースに編集後記を入れて終了。事前に知らされていたので、ここはあっけないほどすんなり出来ました。この数日間は緊張に満ちたやり取りで、それまでのどよ~んとした眠りから覚醒した感じがします。とはいえ、ほぼ一週間他のことは何も手につかなかったので、一段落した今はやはり少し休みが必要です。
今回編集を担当された方は初めての編集作業で大変だったことと思いますが、慣れない人なら普通尻込みしてしまうような仕事をやってくださったのです。これも取り掛かればすぐわかりますが、ワードはそもそも英文すなわち横書きで書くための仕様ですから、縦書き、それも三段組みの書式の編集は無理があるのです。不思議な現象がいろいろ起こり、私はそういうことにも多少慣れましたが、初めての方は助けが必要です。というわけで、私も少しお手伝いすることになりました。最初に行間や文字のポイントを確認すればよかったのですが、自分がやっていた時のルールに則って様子をみたところ、まだ一段分以上スペースがあるように見えました。私にとってスペースというのは原稿の文字数がオーバーする以上に恐怖です。挿し絵や写真を使うにも限界があります。そこで、今年6月に出された先生の御本『聖書 神の言葉をどのように聴くのか』の紹介をしてはどうかと提案してみました。ちょうど読んだところだったので記憶に新しかったのでしょう。それがよいという話になり、他の方に原稿依頼する時間がなかったので、自分が書くことになりました。最初は字数を気にせず要旨をまとめてみると1200字ほどになり、これを三分の一に縮めるとなると相当大胆に刈り込むというか、有り体に言えば書き直しでしたが、本の紹介というのは或る程度の字数がないと大変難しい者だと実感しました。極限まで字数を減らしましたが、結局六百字程度でゆるしてもらいOKをいただきました。
その後自分の早合点のため、行間や文字ポイントのルール変更を知り、当然スペースの量も変わり・・・という状況となり、自分なりに考えて(当然のごとく)迷走し、最終的に他の方のお考えにより収まるべき順当なところに落ち着きました。自分ではやるだけやってすっきりしましたが、つきあわされた方は大変だったかもなあと反省しました。最後のスペースに編集後記を入れて終了。事前に知らされていたので、ここはあっけないほどすんなり出来ました。この数日間は緊張に満ちたやり取りで、それまでのどよ~んとした眠りから覚醒した感じがします。とはいえ、ほぼ一週間他のことは何も手につかなかったので、一段落した今はやはり少し休みが必要です。
2017年9月13日水曜日
「紅春 111」
先日りくをお風呂に入れようとして準備をすっかり済ませ、りくを呼んだら返事がありません。部屋を方々捜して「しまった」と思いました。二階に上がるところの柵を閉めておかなかった・・・。まだ六時で兄は寝ていると思いましたが、一応階下から「りく居る?」と聞いてみると、どうやらやはり兄のところにいるらしい。しかたなく上がって、逃げ腰のりくを捕まえ、だっこして降ろし、風呂に入れました。上がってからまた二階へ行くといけないので今度はちゃんと柵を閉めて・・・と。
また、買い物に行って三十分ほどで戻った或る時のこと、いつもは帰ると迎えに来るのに今日はひっそりしている・・・。台所でごそごそしているとそのうち、トン、トン、トンとりくが二階から降りて来ました。「こんなに早く帰って来るとは思わなかった」という顔をして。階上で寝ていたのかもしれません。
二階はりくにとって嫌なことがある時の避難所であり、兄がいれば保護してくれる一番安心な場所のようです。郵便配達や猫などの気の抜けない事態から物理的にも離れているので、昼寝の場所としては最適なのでしょう。私がいない期間は嫌いなお風呂に入れられることもなく、りくは兄と二人で気楽に過ごしているのですから、いつもの調子が狂ってしまい、疲れも出るのでしょう。普段の生活の様子が垣間見られたのはよいのですが、りくをお風呂に入れられるのは私しかいないしねえ。
また、買い物に行って三十分ほどで戻った或る時のこと、いつもは帰ると迎えに来るのに今日はひっそりしている・・・。台所でごそごそしているとそのうち、トン、トン、トンとりくが二階から降りて来ました。「こんなに早く帰って来るとは思わなかった」という顔をして。階上で寝ていたのかもしれません。
二階はりくにとって嫌なことがある時の避難所であり、兄がいれば保護してくれる一番安心な場所のようです。郵便配達や猫などの気の抜けない事態から物理的にも離れているので、昼寝の場所としては最適なのでしょう。私がいない期間は嫌いなお風呂に入れられることもなく、りくは兄と二人で気楽に過ごしているのですから、いつもの調子が狂ってしまい、疲れも出るのでしょう。普段の生活の様子が垣間見られたのはよいのですが、りくをお風呂に入れられるのは私しかいないしねえ。
2017年9月9日土曜日
「世界の大人の崩壊」
報道番組を聞いているつもりが、今はニュースとは言わず情報まとめ番組というそうです。とてもニュースとは名乗れない代物であることを放送局も自覚しているのでしょう。最近経験するのは、一事が万事この通り、確固たるものと思っていたものが溶解していく様子を砂被りで見ている感覚です。子供の頃は一目瞭然だった大人との一線はもはやなくなり、子供じみた言い訳や振る舞いをする、肩書だけは立派な大人がいるだけになってしまいました。日本だけではなく世界中どこでもそうであることに深い失望を禁じ得ません。めまぐるしい現代社会や通信手段の質的変化が目も当てられない大人の実態をあからさまにしている一因ではありましょう。世の為政者たちのなりふり構わない愚かな言動は言うに及ばず、身近な共同体でも大人の責任ある行動が崩壊しつつあるのは、金にならないことはしないという風潮が長い間かかって行きついた結果でしょう。これに対抗する有効な手立てはありません。良識ある個々人が社会にとって良いと思うことを、たとえわずかずつでもする以外ないのです。自分の責任でできることをできる範囲で地道に続けるくらいしか、崩れゆくこの世界を支える方法はありません。まして立て直すなどというのは、目も眩むような時間の果てに実現できるかできないか、といった類のことです。
最近は動物をテーマにした番組が多いように思いますが、気持ちはよくわかります。動物の場合、普通なら弱肉強食の関係であるはずの異種間においてさえ、仲良く過ごす麗しい関係が成り立ち得ることを知らされているからです。有名なのは、確か麻薬組織のペットとして飼われ、虐待されていたライオンとトラと熊の話です。つらい体験を三頭で乗り越えてきただけあって、堅い絆で結ばれており、本当に仲良く肩寄せあって生きているのです。猛獣同士ではありますが、まさしくイザヤ書11章に描かれた世界。動物でさえこうなのに、どうして人間は無意味に憎み合うのかと失望感が深まります。あり得ないような動物の映像に希望を託しているのかもしれません。
最近は動物をテーマにした番組が多いように思いますが、気持ちはよくわかります。動物の場合、普通なら弱肉強食の関係であるはずの異種間においてさえ、仲良く過ごす麗しい関係が成り立ち得ることを知らされているからです。有名なのは、確か麻薬組織のペットとして飼われ、虐待されていたライオンとトラと熊の話です。つらい体験を三頭で乗り越えてきただけあって、堅い絆で結ばれており、本当に仲良く肩寄せあって生きているのです。猛獣同士ではありますが、まさしくイザヤ書11章に描かれた世界。動物でさえこうなのに、どうして人間は無意味に憎み合うのかと失望感が深まります。あり得ないような動物の映像に希望を託しているのかもしれません。
2017年9月5日火曜日
「駐輪場問題」
シェア自転車の話を聞いて、日本でうまくいくかどうかわからないものの、参考にできる点もあるなと思いました。マンションの理事会で取り組んだことの一つとして駐輪場の問題があります。通路にはみ出た自転車に足をとられて居住者が転倒する事例が発生したからです。ここの駐輪場は一列おきに上段ラックの付いた二段式となっており、下段は混み合っていますが、上段は空きがたくさんあります。下段から上段へ何台か移動してもらうことができればわずかながら改善するのではないかと始めは考えていました。しかし、よく調べてみるとそういう問題ではありませんでした。
居住者が一日の活動を始める前の早朝、置かれた自転車の位置と形状を調査したところ、空いているように見える上段も、実は下段に後部かごやチャイルドシートのついた自転車があるためにラックを降ろせず、使用不能となっている場合が多いことがわかりました。毎日少しずつ現場検証をし、結局実際に使える空ラックを概ね確認できました。また、ラックの使用方法として、まず上段にもラックの付いた場所に駐輪してからその中間のラックに駐輪する時に限って、ラックから飛び出さずにきちんと駐輪できることがわかりました。しかし、居住者がその順番に帰宅するわけではありませんから、中間ラックに先に駐輪されてしまうと飛び出しが起こる構造になっていたのです。
空ラックが多ければ、改善案の提案も可能だったのですが、今の現状でできるのは諸事情の説明と注意喚起だけでした。今回徹底調査してよかったのは、自転車がラックから飛び出すメカニズムを解明し、理事会が駐輪場対策として打つ手はないことを証明できたことでした。とりあえず今のところ増設という方向性の考えはないので、できることとできないことをはっきり区別するのはこのような場合大事なことです。しかしここで発想を変えて、個人が自転車を所有することにこだわらなければ、部分的にシェア自転車を取りえれるという選択肢もあるなと思いました。おそらくそれは実現するにしてもだいぶ先のことであり、様々な社会的環境の整備や駐輪場使用料が減ってしまうという実際的問題を解決した後のことになるでしょう。
居住者が一日の活動を始める前の早朝、置かれた自転車の位置と形状を調査したところ、空いているように見える上段も、実は下段に後部かごやチャイルドシートのついた自転車があるためにラックを降ろせず、使用不能となっている場合が多いことがわかりました。毎日少しずつ現場検証をし、結局実際に使える空ラックを概ね確認できました。また、ラックの使用方法として、まず上段にもラックの付いた場所に駐輪してからその中間のラックに駐輪する時に限って、ラックから飛び出さずにきちんと駐輪できることがわかりました。しかし、居住者がその順番に帰宅するわけではありませんから、中間ラックに先に駐輪されてしまうと飛び出しが起こる構造になっていたのです。
空ラックが多ければ、改善案の提案も可能だったのですが、今の現状でできるのは諸事情の説明と注意喚起だけでした。今回徹底調査してよかったのは、自転車がラックから飛び出すメカニズムを解明し、理事会が駐輪場対策として打つ手はないことを証明できたことでした。とりあえず今のところ増設という方向性の考えはないので、できることとできないことをはっきり区別するのはこのような場合大事なことです。しかしここで発想を変えて、個人が自転車を所有することにこだわらなければ、部分的にシェア自転車を取りえれるという選択肢もあるなと思いました。おそらくそれは実現するにしてもだいぶ先のことであり、様々な社会的環境の整備や駐輪場使用料が減ってしまうという実際的問題を解決した後のことになるでしょう。
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