宗教改革500年となる数年前から、折に触れてその記念の地を巡るツアーの企画を耳にしました。今年になって、私はそれよりずっと前に記念の地を巡る旅を終えていたことに気づきました。西暦2000年だったと思うのですが、その地の訪問に私は無自覚的だったのです。ヘルベルトに連れて行ってもらった夏の旅行で、ドレスデンやライプチヒやマイセンに気をとられて、その年も音楽や美術ばかり堪能していました。アイゼナハにしてもバッハの出生地か・・・とぼんやり考えただけでした。それは宗教改革にさほど関心がなかったせいですが、宗教改革に関して、カトリックのヘルベルトが私以上に関心があったはずはないのです。でも確かに、あの年、アイゼナハではザクセン選帝侯がルターを匿ったワルトブルク城を見、ヴィッテンベルクでルターが95か条の論題を打ち付けた教会の扉も見たのです。確かあの町にはセミナリオもあったなあ・・・。
いつだったか、カトリックとプロテスタンットの教義の違いについてなんとなく話した時、ヘルベルトは「両者が教義上一致できることは決してない」と断言しており、ルターや宗教改革への興味は皆無で、したがってそのゆかりの場所を訪れることに関心があったはずがないことを考えると、あれは私のための旅程でした。その私がぼんやりしていてはっきりした反応がなく、きっとせっかく準備したのに張り合いがなかったことだろうと想像すると、本当に申し訳ないことをしたと今になって思うばかりです。