2017年8月19日土曜日

「二種類の人間」

 八月十五日が何の日かわからない若者が国民の7%とも言われる今日、この時期の私の気持ちはずんと沈みます。この日に向けて戦争にまつわるドキュメンタリーや特集番組が組まれ、連夜放送されるからです。今年は本土大空襲、七三一部隊、サハリン(南樺太)での終戦後の戦闘、インパール作戦だったと記憶しています。先の大戦を身をもって知る最後の生き証人が人生の終わりを前にして、己が罪を含む戦争の真実を淡々と述べていましたが、国家的事業を遂行する時の全体的構図や考え方はどの国も何一つ変わっていないように思いました。「戦争に協力している以上日本に民間人はいない。したがって日本全土が攻撃対象であり、焦土にして構わない」というのがアメリカ軍の考え方であり、今は敵に協力していなくても、敵のいるところは他の住民に配慮することなく空爆しているのですから、むしろ悪くなっているかもしれません。

 優秀な研究者のみを選抜し大量殺人の研究をさせていたのは、軍部とパイプのある大学の最高幹部であり、それに従った研究者はそうしなければ渡世のたずきを失ったからだというのは今でもよく聞く話です。また、この件が大々的に裁かれなかったのは、いわば生体実験の結果をアメリカ側に渡すことで決着する司法取引でした。大学関係の上層部は処分されないどころか栄転したようで、こういうところも現在と何も変わっていないのです。裁判における証言者の肉声が見つかったとのことで、全体としてあまりに冷静に証言していることには驚きを禁じ得ませんでしたが、その中に自分のしたことを深く後悔し、涙ながらに懺悔している人もいました。この人は、「もし生まれ変わってもう一度生きることができましたら、世のため人のためになることをしたい」と言っていましたが、年老いた母や妻子に心を残しながらも、どうも大陸で服役後日本に帰国することなく自殺したようでした。この方がイエス・キリストを知ることなく亡くなったのは本当に残念ですが、イエス様は十字架上で隣にいた罪人におっしゃったように、「あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と声をかけたに違いありません。

 サハリンの件はよくわかりませんでしたが、ソ連への不信感と、終戦後にもかかわらず大本営への何らかの忖度が大きな悲劇につながったと言ってよいのだろうと思います。インパール作戦の白骨街道のことは高校の授業でも聞きましたし、その後も難度か聞きました。亡くなった方のご遺族には本当に辛いことですが、太平洋戦争全体を通してこれほど無意味な死もなかったと思わされます。兵站は地味で面白みがないのであまり誰もやりたがらない業務ですが、目的遂行のためには最も重要な仕事です。担当者が「補給は全く無理」と言っているのに戦功を望む上層部に押し切られ、無謀な行軍となりました。行程だけ見ると軍事作戦ではなく、わざわざ体力のない者、不運な者たちを選別して見殺しにするためにおこなった行為としか思えませんでした。作戦を指揮した牟田口中将はどこまでも自分は悪くないと主張する他罰的な人だったようで、これも現在に至るまで高い地位にある人々にはよく見られることです。ご遺族は本当に気の毒でしかたありませんが、自分の罪と向き合えなかったのですから、これはご本人の責任としか言いようがないのです。この人たちは今どこにいるのでしょう。おそらく先ほどの研究者とは違う場所なのでしょう。こういうわけで、この時期は本当に気が滅入ってしまうので、できれば歴史の真実など知りたくないのですが、取り返しのつかないことをしでかした国民国家の一員として、毎年耐えなくてはいけないことと言い聞かせてそうしているのです。