日本各地で異常気象が報告された夏でした。実家の辺りはさほど被害のなかった地域でしたが、買い物もりくの散歩も常に雨と雷の合間を縫って上手にしなければなりませんでした。この夏、一番重宝した家電は文句なしに除湿機です。もともと冬の衣類乾燥用に買ったものでしたが、この夏はフル稼働でした。ほぼ一日中つけていても、適度な湿度になると青に変わるランプはずっと赤のままで一度も青になることはありませんでした。それほど強烈な湿気が続いたのです。しかし、除湿機があれば半日で洗濯物が乾くのはありがたいことで、文明の利器に感謝です。除湿機をかけると室温が少し上がりますが、比較的涼しい日が続いたのも幸いしました。
湿度が高い時はあまり喉の渇きを感じないので、むしろ熱中症対策のため気をつけて水分をとらなければならないとのこと、このあたりも普段の年とは違います。この雨では、農家の方や外でお仕事をされる方は本当に大変だろうと思わされましたが、一つ意外だっがのは思ったより桃がおいしかったこと。あまり期待していなかったのですが、雨の割には上出来でした。桃にはナイアシンが多いとのことで、糖質・脂質・タンパク質の代謝に役立ってくれるとは知らなかった、おいしいだけじゃなかったんですね。そう言えば、子供の頃は箱買いで、桃は足がはやいから一日何個も食べていたっけ。不思議なのは、東京ではなぜか食べたい気にならないことで、せめて福島でたくさん食べて帰ることにします。
2017年8月31日木曜日
2017年8月26日土曜日
「宗教改革記念の地を巡る思い出」
宗教改革500年となる数年前から、折に触れてその記念の地を巡るツアーの企画を耳にしました。今年になって、私はそれよりずっと前に記念の地を巡る旅を終えていたことに気づきました。西暦2000年だったと思うのですが、その地の訪問に私は無自覚的だったのです。ヘルベルトに連れて行ってもらった夏の旅行で、ドレスデンやライプチヒやマイセンに気をとられて、その年も音楽や美術ばかり堪能していました。アイゼナハにしてもバッハの出生地か・・・とぼんやり考えただけでした。それは宗教改革にさほど関心がなかったせいですが、宗教改革に関して、カトリックのヘルベルトが私以上に関心があったはずはないのです。でも確かに、あの年、アイゼナハではザクセン選帝侯がルターを匿ったワルトブルク城を見、ヴィッテンベルクでルターが95か条の論題を打ち付けた教会の扉も見たのです。確かあの町にはセミナリオもあったなあ・・・。
いつだったか、カトリックとプロテスタンットの教義の違いについてなんとなく話した時、ヘルベルトは「両者が教義上一致できることは決してない」と断言しており、ルターや宗教改革への興味は皆無で、したがってそのゆかりの場所を訪れることに関心があったはずがないことを考えると、あれは私のための旅程でした。その私がぼんやりしていてはっきりした反応がなく、きっとせっかく準備したのに張り合いがなかったことだろうと想像すると、本当に申し訳ないことをしたと今になって思うばかりです。
いつだったか、カトリックとプロテスタンットの教義の違いについてなんとなく話した時、ヘルベルトは「両者が教義上一致できることは決してない」と断言しており、ルターや宗教改革への興味は皆無で、したがってそのゆかりの場所を訪れることに関心があったはずがないことを考えると、あれは私のための旅程でした。その私がぼんやりしていてはっきりした反応がなく、きっとせっかく準備したのに張り合いがなかったことだろうと想像すると、本当に申し訳ないことをしたと今になって思うばかりです。
2017年8月22日火曜日
「紅春 110」
この夏は涼しいので、りくの食欲が落ちることもなく助かっています。ただやはり同じものを食べていると飽きるようで、チーズや蒸し肉などトッピングを工夫しています。いつもは獣医さん推奨のものの中でタンパク質含有量が最大のものを選んでいますが、これは一番少ない量でも3キロ入りなので、りくが食べきるには相当時間がかかるのです。他の柴犬は毎日どれだけ食べるのか?! 開封した後は少し小分けにし冷蔵庫で保存していますが、風味が落ちるのは避けられません。
今回違ったものを試してみようと考えネットで検索、「これだ」と思ったのは「美味しさにこだわる犬用」。りくにピッタリではありませんか。成分を調べてまずまずだったのと、1.7キロという比較的少量パックがあったことが決め手となり、さっそく注文しました。届くのを待つ間、「りく、今度変わったご飯来るよ」と期待させておきました。結果はマル。新しいパックを見せながら封を切ってあげたら、少し口に含んで移動して味見してから戻ってきて完食。トッピングなしです。やっぱり犬でも飽きるんだな~、しばらくはこれでいこうっと。
今回違ったものを試してみようと考えネットで検索、「これだ」と思ったのは「美味しさにこだわる犬用」。りくにピッタリではありませんか。成分を調べてまずまずだったのと、1.7キロという比較的少量パックがあったことが決め手となり、さっそく注文しました。届くのを待つ間、「りく、今度変わったご飯来るよ」と期待させておきました。結果はマル。新しいパックを見せながら封を切ってあげたら、少し口に含んで移動して味見してから戻ってきて完食。トッピングなしです。やっぱり犬でも飽きるんだな~、しばらくはこれでいこうっと。
2017年8月19日土曜日
「二種類の人間」
八月十五日が何の日かわからない若者が国民の7%とも言われる今日、この時期の私の気持ちはずんと沈みます。この日に向けて戦争にまつわるドキュメンタリーや特集番組が組まれ、連夜放送されるからです。今年は本土大空襲、七三一部隊、サハリン(南樺太)での終戦後の戦闘、インパール作戦だったと記憶しています。先の大戦を身をもって知る最後の生き証人が人生の終わりを前にして、己が罪を含む戦争の真実を淡々と述べていましたが、国家的事業を遂行する時の全体的構図や考え方はどの国も何一つ変わっていないように思いました。「戦争に協力している以上日本に民間人はいない。したがって日本全土が攻撃対象であり、焦土にして構わない」というのがアメリカ軍の考え方であり、今は敵に協力していなくても、敵のいるところは他の住民に配慮することなく空爆しているのですから、むしろ悪くなっているかもしれません。
優秀な研究者のみを選抜し大量殺人の研究をさせていたのは、軍部とパイプのある大学の最高幹部であり、それに従った研究者はそうしなければ渡世のたずきを失ったからだというのは今でもよく聞く話です。また、この件が大々的に裁かれなかったのは、いわば生体実験の結果をアメリカ側に渡すことで決着する司法取引でした。大学関係の上層部は処分されないどころか栄転したようで、こういうところも現在と何も変わっていないのです。裁判における証言者の肉声が見つかったとのことで、全体としてあまりに冷静に証言していることには驚きを禁じ得ませんでしたが、その中に自分のしたことを深く後悔し、涙ながらに懺悔している人もいました。この人は、「もし生まれ変わってもう一度生きることができましたら、世のため人のためになることをしたい」と言っていましたが、年老いた母や妻子に心を残しながらも、どうも大陸で服役後日本に帰国することなく自殺したようでした。この方がイエス・キリストを知ることなく亡くなったのは本当に残念ですが、イエス様は十字架上で隣にいた罪人におっしゃったように、「あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と声をかけたに違いありません。
サハリンの件はよくわかりませんでしたが、ソ連への不信感と、終戦後にもかかわらず大本営への何らかの忖度が大きな悲劇につながったと言ってよいのだろうと思います。インパール作戦の白骨街道のことは高校の授業でも聞きましたし、その後も難度か聞きました。亡くなった方のご遺族には本当に辛いことですが、太平洋戦争全体を通してこれほど無意味な死もなかったと思わされます。兵站は地味で面白みがないのであまり誰もやりたがらない業務ですが、目的遂行のためには最も重要な仕事です。担当者が「補給は全く無理」と言っているのに戦功を望む上層部に押し切られ、無謀な行軍となりました。行程だけ見ると軍事作戦ではなく、わざわざ体力のない者、不運な者たちを選別して見殺しにするためにおこなった行為としか思えませんでした。作戦を指揮した牟田口中将はどこまでも自分は悪くないと主張する他罰的な人だったようで、これも現在に至るまで高い地位にある人々にはよく見られることです。ご遺族は本当に気の毒でしかたありませんが、自分の罪と向き合えなかったのですから、これはご本人の責任としか言いようがないのです。この人たちは今どこにいるのでしょう。おそらく先ほどの研究者とは違う場所なのでしょう。こういうわけで、この時期は本当に気が滅入ってしまうので、できれば歴史の真実など知りたくないのですが、取り返しのつかないことをしでかした国民国家の一員として、毎年耐えなくてはいけないことと言い聞かせてそうしているのです。
優秀な研究者のみを選抜し大量殺人の研究をさせていたのは、軍部とパイプのある大学の最高幹部であり、それに従った研究者はそうしなければ渡世のたずきを失ったからだというのは今でもよく聞く話です。また、この件が大々的に裁かれなかったのは、いわば生体実験の結果をアメリカ側に渡すことで決着する司法取引でした。大学関係の上層部は処分されないどころか栄転したようで、こういうところも現在と何も変わっていないのです。裁判における証言者の肉声が見つかったとのことで、全体としてあまりに冷静に証言していることには驚きを禁じ得ませんでしたが、その中に自分のしたことを深く後悔し、涙ながらに懺悔している人もいました。この人は、「もし生まれ変わってもう一度生きることができましたら、世のため人のためになることをしたい」と言っていましたが、年老いた母や妻子に心を残しながらも、どうも大陸で服役後日本に帰国することなく自殺したようでした。この方がイエス・キリストを知ることなく亡くなったのは本当に残念ですが、イエス様は十字架上で隣にいた罪人におっしゃったように、「あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と声をかけたに違いありません。
サハリンの件はよくわかりませんでしたが、ソ連への不信感と、終戦後にもかかわらず大本営への何らかの忖度が大きな悲劇につながったと言ってよいのだろうと思います。インパール作戦の白骨街道のことは高校の授業でも聞きましたし、その後も難度か聞きました。亡くなった方のご遺族には本当に辛いことですが、太平洋戦争全体を通してこれほど無意味な死もなかったと思わされます。兵站は地味で面白みがないのであまり誰もやりたがらない業務ですが、目的遂行のためには最も重要な仕事です。担当者が「補給は全く無理」と言っているのに戦功を望む上層部に押し切られ、無謀な行軍となりました。行程だけ見ると軍事作戦ではなく、わざわざ体力のない者、不運な者たちを選別して見殺しにするためにおこなった行為としか思えませんでした。作戦を指揮した牟田口中将はどこまでも自分は悪くないと主張する他罰的な人だったようで、これも現在に至るまで高い地位にある人々にはよく見られることです。ご遺族は本当に気の毒でしかたありませんが、自分の罪と向き合えなかったのですから、これはご本人の責任としか言いようがないのです。この人たちは今どこにいるのでしょう。おそらく先ほどの研究者とは違う場所なのでしょう。こういうわけで、この時期は本当に気が滅入ってしまうので、できれば歴史の真実など知りたくないのですが、取り返しのつかないことをしでかした国民国家の一員として、毎年耐えなくてはいけないことと言い聞かせてそうしているのです。
2017年8月14日月曜日
「渋谷なう」
東名高速のどこぞで65キロの渋滞というニュースを聞くにつけ、帰省の時期をずらしてよかったと胸をなでおろしました。今年の大渋滞の原因は「山の日」にあると思います。「海の日」まではまだ勤めていたのではっきり覚えていますが、そもそも「山の日」はいつできたのか・・・と調べてみると、なんと昨年、2016年でした。たぶん他の方々も、なんだかわからないまま昨年を過ごし、今年が二回目の「山の日」だったはずです。8月11日と定められたこの日は、昨年は木曜でしたが今年は金曜です。大移動の出発が10日の夜に集中したのはもっともなことです。道路の渋滞もさることながら、サービスエリアの大混乱を思い浮かべてぞっとしました。
というわけで、お盆の時期は東京で普段通りすごしました。日曜日、都心の道路は空いており、池袋、新宿を通って渋谷に向かう都バスはスイスイ進みました。朝はともかく礼拝後の昼時の渋谷や表参道は、普段はものすごい人出ですが、この日は心なしか人が少ないと感じました。最近明らかに増えたなと思うのは外国人、それも一目でそれとわかる欧米系の外国人です。前の週は37度の猛暑でしたから、「この人たち大丈夫かな」と思うほどでした。若い頃ヨーロッパを旅して印象に残っているのはユースホステルの制度で、ヨーロッパ各国の若者がバックパックを背負ってかなりの距離を歩くというスタイルで、相当な数の人々が見聞を広めている姿でした。最近日本でも見かけることがあり、あの頃は圧倒的に日本の片思いだったのに、旅行業界における日本の地位向上もここまできたかと隔世の感があります。
私が唯一ひとりでも入れる渋谷の定食屋さんでは、ウェイトレスはほぼ全員東南アジアの方でおそらく留学生でしょう。流暢な日本語で問題なく仕事をこなしており、たまに知らずに来た客が日本語の質問に英語で「ノーマル」などと答えていると、笑いをかみ殺すのが大変です。東京は急速にコスモポリス化しているようです。
というわけで、お盆の時期は東京で普段通りすごしました。日曜日、都心の道路は空いており、池袋、新宿を通って渋谷に向かう都バスはスイスイ進みました。朝はともかく礼拝後の昼時の渋谷や表参道は、普段はものすごい人出ですが、この日は心なしか人が少ないと感じました。最近明らかに増えたなと思うのは外国人、それも一目でそれとわかる欧米系の外国人です。前の週は37度の猛暑でしたから、「この人たち大丈夫かな」と思うほどでした。若い頃ヨーロッパを旅して印象に残っているのはユースホステルの制度で、ヨーロッパ各国の若者がバックパックを背負ってかなりの距離を歩くというスタイルで、相当な数の人々が見聞を広めている姿でした。最近日本でも見かけることがあり、あの頃は圧倒的に日本の片思いだったのに、旅行業界における日本の地位向上もここまできたかと隔世の感があります。
私が唯一ひとりでも入れる渋谷の定食屋さんでは、ウェイトレスはほぼ全員東南アジアの方でおそらく留学生でしょう。流暢な日本語で問題なく仕事をこなしており、たまに知らずに来た客が日本語の質問に英語で「ノーマル」などと答えていると、笑いをかみ殺すのが大変です。東京は急速にコスモポリス化しているようです。
2017年8月10日木曜日
「動物は偉い! そしてせつない・・・」
ブログでアスカちゃんの様子を注視しています。飼い主の方が初めて「ぎゃあああ」という、それまで聞いたことのない発作の悲鳴を聞いた時のことを書いていましたが、私もりくが発作を起こした時のことを思い出して、身につまされました。少し前にはあまり動かずじっとしていることが多くなったと書いていたので心配しましたが、このところ小康状態のようで走ったりできることもあるようです。動物の偉いところは、どんな状態になっても前向きなところです。決して人間のように、「もう死にたい」とか「生きていても意味がないんじゃないか」といった、後ろ向きの姿勢の動物など見たことがありません。最期の瞬間まで一生懸命生きているのです。
アスカちゃんは食欲もあり、食事の時間になると「アーたんも」とやって来て、台所の壁に寄りかかって待ち、ご飯が出ると今までと変わらずがっついています。最近は飼い主さんも悔いが残らないようにと、肉三昧の食事をふんだんに与えているようです。これはアスカちゃんが死ぬまでにやっておきたいことの一つで、他に「街カフェでお茶する」とか「一緒に写真をとる」とか「ロッちゃんと散歩する」とか目標があるようです。ロッちゃんは、アスカちゃんが好きな黒柴の男の子です。また、写真を撮っている本人は被写体と一緒の写真がないというのは盲点でした。
逆に驚いたのは、妹分のセナちゃんの調子がおかしくなっていることです。腹ペコシスターズだったのに、ご飯を残すようになったと書いてありました。これは、アスカのただならぬ様子を見ていて心配し過ぎたのでしょう。アスカが最初に発作を起こした時、セナがまとわりついて離れず、離そうとしてだっこした夫のアドさんに牙をむいたとの話もありました。セナはセナでアスカを守ろうとしているのです。心配のあまりご飯が喉を通らないということが、犬でもあるというのは驚きです。こちらも普通の状態に戻ってくれるといいなと思うばかりです。いずれにしても、家族がお互い労わりあって、病に苦しむ家族を中心に日々の生活を形成しているのはつらい出来事の中にも慰められることです。
寝る前にもう一度チェックしたら、、今朝はアスカちゃんが立てなくなってしまったこと、夕方は立てない状態でもなんとか一生懸命にご飯を食べたこと、セナちゃんはついに朝ご飯に全く手をつけなくなってしまったが、アスカちゃんが食べている様子を見て夕飯は完食したことが、なんともつらい画像とともに載っていました。それを見ながら、動物のさがに涙しました。
アスカちゃんは食欲もあり、食事の時間になると「アーたんも」とやって来て、台所の壁に寄りかかって待ち、ご飯が出ると今までと変わらずがっついています。最近は飼い主さんも悔いが残らないようにと、肉三昧の食事をふんだんに与えているようです。これはアスカちゃんが死ぬまでにやっておきたいことの一つで、他に「街カフェでお茶する」とか「一緒に写真をとる」とか「ロッちゃんと散歩する」とか目標があるようです。ロッちゃんは、アスカちゃんが好きな黒柴の男の子です。また、写真を撮っている本人は被写体と一緒の写真がないというのは盲点でした。
逆に驚いたのは、妹分のセナちゃんの調子がおかしくなっていることです。腹ペコシスターズだったのに、ご飯を残すようになったと書いてありました。これは、アスカのただならぬ様子を見ていて心配し過ぎたのでしょう。アスカが最初に発作を起こした時、セナがまとわりついて離れず、離そうとしてだっこした夫のアドさんに牙をむいたとの話もありました。セナはセナでアスカを守ろうとしているのです。心配のあまりご飯が喉を通らないということが、犬でもあるというのは驚きです。こちらも普通の状態に戻ってくれるといいなと思うばかりです。いずれにしても、家族がお互い労わりあって、病に苦しむ家族を中心に日々の生活を形成しているのはつらい出来事の中にも慰められることです。
寝る前にもう一度チェックしたら、、今朝はアスカちゃんが立てなくなってしまったこと、夕方は立てない状態でもなんとか一生懸命にご飯を食べたこと、セナちゃんはついに朝ご飯に全く手をつけなくなってしまったが、アスカちゃんが食べている様子を見て夕飯は完食したことが、なんともつらい画像とともに載っていました。それを見ながら、動物のさがに涙しました。
2017年8月7日月曜日
「マウスとキーボード」
暑い夏は少し離れたところにある図書館に通っています。持ち込みのパソコンを使ってもよい席があり、落ち着いて過ごせるからです。しかし、さすがに電源はないので、バッテリーの関係でパソコンを2台持って行きます。一台は相棒ともいえる使い慣れた薄型ノートパソコン(これなしにはもはや何一つできない)、もう一台は予備のタブレットです。二つ持ってもそうかさばらず重くもない、現代のテクノロジーの成果をありがたく味わっていますが、周辺機器は必要です。ノートの方は本体にキーボードがあるのでマウスだけ持って行けばよいのですが、タブレットに関しては思案のしどころです。
パソコンの周辺機器は一見微妙だがそれなりに大きな進化を遂げているようで、工夫された製品が出ているのがわかるとつい試したくなります。マウスはとても小型化し、しかも線が巻き取り式になった製品があり、なかなか便利です。リールを引っ張りすぎると戻らなくなって苦労しますが、手荒に扱わなければ、持ち運びやすく十分役立ってくれます。
音声パソコンを扱う身にとってマウス以上に重要なのはキーボードです。どうしたわけか、いつごろからか最初のログインに必要な画面上のキーボードが現れなくなり、それがないとそもそも使い始めることができません。だからキーボードは必需品ですが、そうでなくてもとてもタッチキーボードで入力する気にはならないので、これはとても大事な機器です。大きさ以外にキーの配列やキータッチ、接続方法等、様々なバリエーションがあり、調べるといくつも試したいものが出てきます。まず、小型でキーの深い押し心地のものを試し、「ああ、昔のデスクトップのキーボードはみんなこうだったな」と懐かしく思いましたが、カシャカシャ音がすごくて図書館ではとても使えない。次にそれよりやや小型の浅くて静かなキーボードが目につき、名のあるメーカーだったので試してみたらとても良い製品でした。
一度に使えるキーボードは一つだけですから、もうこれに決めて使えばよかったのです。ところが、キーボードを巡る探求はこれで終わりませんでした。調べるうち初めて知ったのはUSBではなくBluetoothで接続するキーボードです。これまでケーブルで接続されていないマウスを見て、てっきり家の中の無線ランを利用しているのかと思っていたのですが、そうではなかったのです。つまり、パソコン側とマウスやキーボード側の双方にその機能が搭載されているなら、外に持ち出してケーブルなしで使える仕組みがあったのです。こういうことを知らずにいたので自分の場合も使えるだろうかと半信半疑で試してみました。A5版くらいの大きさのおもちゃのような超薄型キーボードで、ちゃんと機能したのでとても愉快な気分でした。タブレットのUSB端子は1つしかないので、これまでは別に4つ口の端子をつけて使っていたのです。それは見た目も煩雑で重そうな感じでしたが、今度はマウスとUSBメモリだけでよい、本当にすっきりしました。そして気づいたのです。キーボードにタッチパッドがついていればマウスもなしで最低限のことはできるということに。するとありました! B5版を少し小さくしたくらいの大きさで超薄型のキーボードが! 先ほどのおもちゃのようなキーボードは、小さいスペースにキーを押し込めたせいか、はたまた日本語仕様の製品でないせいか、日本語文章入力で頻繁に使う記号がすぐ出ないという不都合がありましたが、今回のものはほぼ支障なく使えます。図書館で間に合わせに使うには十分です。新しい製品を試してみるのはとてもわくわくする作業でした。というわけで、家にはパソコンの周辺機器が増えてしまいましたが、場所や状況に合わせてその時その時一番使いやすいものを使えばいいので、便利の選択肢が増えました。こんなに快適になっていいのだろうかという、一抹の後ろめたさはありますが、もう戻れないだろうという気がします。
パソコンの周辺機器は一見微妙だがそれなりに大きな進化を遂げているようで、工夫された製品が出ているのがわかるとつい試したくなります。マウスはとても小型化し、しかも線が巻き取り式になった製品があり、なかなか便利です。リールを引っ張りすぎると戻らなくなって苦労しますが、手荒に扱わなければ、持ち運びやすく十分役立ってくれます。
音声パソコンを扱う身にとってマウス以上に重要なのはキーボードです。どうしたわけか、いつごろからか最初のログインに必要な画面上のキーボードが現れなくなり、それがないとそもそも使い始めることができません。だからキーボードは必需品ですが、そうでなくてもとてもタッチキーボードで入力する気にはならないので、これはとても大事な機器です。大きさ以外にキーの配列やキータッチ、接続方法等、様々なバリエーションがあり、調べるといくつも試したいものが出てきます。まず、小型でキーの深い押し心地のものを試し、「ああ、昔のデスクトップのキーボードはみんなこうだったな」と懐かしく思いましたが、カシャカシャ音がすごくて図書館ではとても使えない。次にそれよりやや小型の浅くて静かなキーボードが目につき、名のあるメーカーだったので試してみたらとても良い製品でした。
一度に使えるキーボードは一つだけですから、もうこれに決めて使えばよかったのです。ところが、キーボードを巡る探求はこれで終わりませんでした。調べるうち初めて知ったのはUSBではなくBluetoothで接続するキーボードです。これまでケーブルで接続されていないマウスを見て、てっきり家の中の無線ランを利用しているのかと思っていたのですが、そうではなかったのです。つまり、パソコン側とマウスやキーボード側の双方にその機能が搭載されているなら、外に持ち出してケーブルなしで使える仕組みがあったのです。こういうことを知らずにいたので自分の場合も使えるだろうかと半信半疑で試してみました。A5版くらいの大きさのおもちゃのような超薄型キーボードで、ちゃんと機能したのでとても愉快な気分でした。タブレットのUSB端子は1つしかないので、これまでは別に4つ口の端子をつけて使っていたのです。それは見た目も煩雑で重そうな感じでしたが、今度はマウスとUSBメモリだけでよい、本当にすっきりしました。そして気づいたのです。キーボードにタッチパッドがついていればマウスもなしで最低限のことはできるということに。するとありました! B5版を少し小さくしたくらいの大きさで超薄型のキーボードが! 先ほどのおもちゃのようなキーボードは、小さいスペースにキーを押し込めたせいか、はたまた日本語仕様の製品でないせいか、日本語文章入力で頻繁に使う記号がすぐ出ないという不都合がありましたが、今回のものはほぼ支障なく使えます。図書館で間に合わせに使うには十分です。新しい製品を試してみるのはとてもわくわくする作業でした。というわけで、家にはパソコンの周辺機器が増えてしまいましたが、場所や状況に合わせてその時その時一番使いやすいものを使えばいいので、便利の選択肢が増えました。こんなに快適になっていいのだろうかという、一抹の後ろめたさはありますが、もう戻れないだろうという気がします。
2017年8月3日木曜日
「紅春 109」
夏になり、りくが起こしに来る時間はかなり早めです。「まだ早いよ」と言って帰すのですが、またすぐ「朝だよ。起きて」とやってきます。その顔たるや、真ん丸めんめで、うれしくてたまらないという表情なのです。「何がそんなにうれしいの?」と相手をしながら、だんだん起きる気分になってきます。そのうち手っこを出してくるので、「りくには勝てない」と散歩に行く準備をします。
このところいつも散歩は長靴履きです。陸が必ず川に入りたいと言うからです。大雨の後の数日間は水かさが増しているので入らずに済むのですが、しばらくするともう待ちきれないようです。最近はりくとヨルダン渡河ごっこをします。「ヨルダンを渡ろう」と声をかけてカナンに見立てた向こう岸目指して川を渡るだけですが、私たちが水に足を踏み入れても当然松川の流れは止まりません。(レビ人はすごい!) 流されないように注意してジャブジャブ渡ります。私は大丈夫でもりくは軽いからな~。時々川の水を飲みたがりますが、、「家に帰ってからね」とやめさせています。
りくも秋には11歳になります。結構な年で人間なら高齢者ですが、散歩する様子は溌剌としていてまだ壮年のようです。ちょうどよいペースでぐいぐい引いていきますし、河原に降りたければ階段を降り、好きな道を自分で決めて歩いて行きます。生前父が、「りくにはりくの考えがあるんだから」と言っていましたが、本当にそうです。道は日によって違うこともあり、犬なりに自分の考えがあるのはすごいことだと妙に感心します。家の近くの階段で、段差の大きく人間でも「よっこいしょ」と登らなければならないところも、りくはぴょんぴょん跳びながら上っていくので「おっ、元気だな」とうれしくなります。いつまでも元気で一緒に散歩したいです。
このところいつも散歩は長靴履きです。陸が必ず川に入りたいと言うからです。大雨の後の数日間は水かさが増しているので入らずに済むのですが、しばらくするともう待ちきれないようです。最近はりくとヨルダン渡河ごっこをします。「ヨルダンを渡ろう」と声をかけてカナンに見立てた向こう岸目指して川を渡るだけですが、私たちが水に足を踏み入れても当然松川の流れは止まりません。(レビ人はすごい!) 流されないように注意してジャブジャブ渡ります。私は大丈夫でもりくは軽いからな~。時々川の水を飲みたがりますが、、「家に帰ってからね」とやめさせています。
りくも秋には11歳になります。結構な年で人間なら高齢者ですが、散歩する様子は溌剌としていてまだ壮年のようです。ちょうどよいペースでぐいぐい引いていきますし、河原に降りたければ階段を降り、好きな道を自分で決めて歩いて行きます。生前父が、「りくにはりくの考えがあるんだから」と言っていましたが、本当にそうです。道は日によって違うこともあり、犬なりに自分の考えがあるのはすごいことだと妙に感心します。家の近くの階段で、段差の大きく人間でも「よっこいしょ」と登らなければならないところも、りくはぴょんぴょん跳びながら上っていくので「おっ、元気だな」とうれしくなります。いつまでも元気で一緒に散歩したいです。
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