2017年5月29日月曜日

「家のメンテナンス」

 数年前に集合住宅の一回目の大規模修繕が終わりました。委員会から出される様々な指示に従っているだけの立場だったので気楽でしたが、全体を取り仕切っていた委員会の方々はどれほど大変だったことかと察せられます。携わる設計会社、施工業者も公募入札で決定し、その公明正大で非常に丁寧な仕事ぶりに頭が下がりました。おそらくそのせいで、今年あった共用部の火災保険見直しでは、保険会社の調査により「めったにない良い管理状態」と判定されました。ありがたいことです。

 家というのは建てるよりメンテナンスの方が大変です。家に限らず世の中の大体のことがそうかもしれません。こういった地味な保守管理によって本来の機能が保たれているのです。実家の方はかれこれ築三十年は経っていますから、相当くたびれています。到底私には手がつけられませんが、急に真夏日になった5月の或る日、蚊の侵入に際して網戸だけは張り替えないといけないと決意しました。長年の紫外線に晒されて憐れな状態のまま放置されていたものが限界を迎えていました。しかし、日程を調整して業者を呼んで・・・等と考えていたら面倒になり、それだけで疲れました。そこでふとインターネットで検索したら、「網戸の張り替えはとても簡単にできます」との表示です。金属部分をばらして張り替えるのかと思っていたのですが、ただ溝に細い専用のゴムを押し込んで固定させるだけのようです。一生のうち、自分で網戸を張り替える日が来ようとは思ってもみませんでしたが、早速ホームセンターに行って材料を買い、やってみました。結論から言うと、網戸を外すときネジで締められた突起部を緩めることさえできれば、張り替え自体はとても簡単でした。この点に関しては、何しろ古い代物ですから、ネジを外すとき頭がつぶれて外せないというのが一番大きな問題でしたが、まあできる範囲でほどほどにしました。

 網戸のことは兄も気にしていたらしく、専用のカッターを買ってきてくれたのですが、はぶの頭のような形をしたその器具を見た時、「あ~、これは・・・」と既視感がありました。どこで見たかは定かではありませんがおそらく掃除関係の器具子で、「これ何だろう」と思った記憶があったのです。そう言えば、場所によっては網戸が割としっかり張られていた所もあった、あれは父が張り替えた跡だったのでしょう。とても器用な人でしたから、日よけや風よけの柵なども河原から取ってきた葦を利用して造っていました。三年たってもうすっかり駄目になってしまい残念ですが・・。家の手入れは本当に大変ですが、今回の作業でとりあえず夏への備えはできたと思います。


2017年5月24日水曜日

「庭の手入れ」

 帰省してまず驚くのは家の一帯が緑に覆われていることです。決して喜ばしい景観ではなく、「このままでは植物に侵食され幽霊屋敷になってしまう」と恐れるのです。ですから、帰省の翌日からまず取り組むのは草むしりです。朝一でりくと散歩に行ってから、涼しいうちに毎日小一時間もやっていますが、不在中に繁茂した雑草を取りきるのは至難のわざです。たまにうっかりして、ちゃんとした庭の花を抜いてしまったり、雑草かどうか迷うこともありますが、「急速に伸びるのは雑草」という基準で間違いないようです。人間界と同じで悪いものはまたたく間に増殖するのです。

 取った草を山にしてできるだけ乾燥させ、燃えるごみ回収の前日に袋に詰めてみたら12袋にもなりました。次の回収日にもまた12袋…、驚くべき量です。「12のかごにいっぱいになった」のが、五千人の給食でのようにパン屑ならよいのですが、雑草ではどうしようもありません。藪蚊の温床ともなる雑草はりくの大敵、これから夏に向かってその生命力が益々増大すると思うと、おちおち帰京もしていられません。今回はまだ芽が出たばかりの本の小さな草も抜いて様子を見てみるつもりですが、雑草でもまだ赤ちゃんのうちはちょっと可哀想にもなり、抜くのに一瞬ためらいが生じます。しかし、ここは心を鬼にして、来月の作業量を少しでも削減しないとこちらの身がもちません。

2017年5月20日土曜日

「紅春 105」

5月半ば、りくは抜け毛で憐れな状態です。4月に一応落ち着いたように思っていたのですが、5月に入ってまた始まり、こんなにひどいのは初めてだとおもうほどの有様です。ダブルコートの内側の毛が全部抜けるのですから半端な量ではありません。毎日ごそっと抜け、胴体だけでなく手足もまだら模様になっています。知らない人が見たら、何か悪い皮膚病ではないかと思うことでしょう。頭頂部のハート形のハゲのことは以前書きましたが、目から鼻にかけては毛が抜けて黒い地肌が見えており、鼻黒イタチを通り越しカモノハシのような顔になっています。

 ただ一つ救いなのは、本人はだんだん涼しくなっていくので至って快適そうで、外観的みじめさを感じていないことです。ブラッシングは気持ちいいのか、ブラシを持っただけで自分からやって来ておとなしく抜け毛の世話をされています。しかしこれはまるできりがなく、抜け毛の季節が終わるのを待つしか手はなさそうです。


2017年5月17日水曜日

「今年の受難と小人の靴屋」

 今年参ったことの一つは、集合住宅の管理組合の理事が廻ってきたことです。輪番制だからいつかは順番になるのですが、ここ二年その順番表が出ていなかったので不意打ちを食らった感じでした。役職決めでは、不在にすることも多いため、一番これといった仕事のない副理事長にしていただきました。皆こうしたことに不慣れな者同士でしたが、わからないなりになんとか船出しました。
 ところがです。理事会が動き出して一か月ほどで、理事長が倒れられ入院されるという非常事態となりました。すぐに復帰できる状態ではなく、また他にも理事会に出られない方もいて、理事会自体が成員不足で流れてしまうという困難な状況となりました。もう一人の副理事長は昨年からの継続の方なので、理事長代理として奮闘されていますが、私も一応同じ立場なので大変なことになってきたのです。しかも今年は、大規模修繕5年目点検や長期修繕計画の見直しの年に当たっており、その仕事の質と量において到底今の理事会で対応できるものではなく、時間的にも間に合わないように思われました。他にも様々な通常業務があるのです。とりあえず大規模修繕委員をされた方にお話を伺いに行きましたが、それだけで頭がくらくらしました。以前の資料を一緒に見つけ出し、理事会耀に必要文書をコピーするだけで丸一日かかりました。そのうち、往復生活の中で無理がたたって体調を崩し、万事休す。「私の助けはどこからくるのか」と思いつつしばらく寝たり起きたりの状態でした。若干回復してから今後の方策を考えなければと、何日かぶりでパソコンを開けメールチェックをしたところ、驚きの知らせが! 理事長代理の要請に応じて、理事会業務の引き継ぎに来てくださったことのある元理事や大規模修繕委員の方々が現状を案じてくださり、援助の手を差し伸べてくれることになったという知らせでした。私が伏している間にまるで小人の靴屋のように働きがなされ、大きな問題が解決されていたのです。もちろんその方々にはひたすら感謝ですが、何より「確かに、私の助けは天地を造られた主から来た」という思いが強く、神様に心から感謝致しました。とはいえ、他の問題を含め今後も課題山積の理事会です。助けは必ず来ることを祈って進まなければなりません。


2017年5月11日木曜日

「火災保険」

 連休中にしてよかったことは、火災保険の見直しです。しばらく前に切れていたのにのんびりしていましたが、「最近火事が多いな」と気づいてハッとしました。以前は住宅ローンに付随していたところにしたので、ちゃんと調べて入るのはこれが初めてです。比較サイトで検索すると、それぞれの保険会社の加入者が感想や体験記を書いており、各人がそこに決めた合理的な理由を読んで、「皆さん、堅実に生きていらしてえらいなあ」と感心しました。それだけで疲れそうになったので、気を取り直し、とりあえず最低限必要な保障に絞ることにしました。火災とはまるで関係のない様々な災難に対応する保障が細かく決められているようで、必要な保障だけ選んで付けられるようになっています。私の場合、盗られる物がないので「盗難に対する保障はいらないな」などと、ざっくり考えました。

 ところが調べてみると、私はこういうことに全く疎いため、火災保険の常識に属することでも、これまで知らなかったことが多かったので、いくつか驚いた順に書いておきます。
1.地震で起きた火災は、地震保険に入っていないとカバーされない。
 今回、「とりあえず火事の時に保障されればよい」と考えており、何が原因でも火災は火災と思っていたので、これはびっくりです。地震保険に入っておかなければ、火災保険に入った意味は無い気がします。
2.「水災」という項目でカバーされるのは、床上浸水や土砂崩れのような場合である。
 「水災」と聞いて、台風で窓ガラスが割れ・・・といった事態を想定していただけに、ここでいう「水災」というのは、街中のマンションでしかも低層階でない場合、まずあり得ない被害だとわかりました。台風の被害のようなものは「風災」でカバーされるとのこと。したがって、この保障は心置きなく外すことができました。
3.火事はもちろん水濡れ等の被害も、他の部屋に原因がある場合でも自分で原状復帰するしかない。
 新潟県糸魚川市の大火で強調されていたのは、「火元がどこであろうと、延焼の賠償責任を負わない」ということでした。マンションの場合共用部分が原因の被害は、マンション全体で加入している火災保険でカバーされますが、何か起こるとしたら他の戸からである可能性が大きいでしょう。これは付加するのが賢明です。

 というわけで、ともかく「水災」だけ外して、個人賠償責任(他人に迷惑をかけた時の保障)を付ける方針で考えがまとまりました。あとはその路線で各社を比較し、パンフレットを送付してもらって決定。これでよかったのかどうかわかりませんが、保障年数は書いてあった中で一番長い10年にしました。一年換算の費用が安くなること以上に、もうこの件はできるだけ長く考えなくて済むからです。「保険料は払って、何も起こらないのが一番!」というのが保険の勘所だからこれでよいでしょう。

2017年5月8日月曜日

「紅春 104」


 帰省して茶の間にいる時、私は以前父がいた場所に座ります。パソコンの電源も近いし、一番いい場所なのです。ところが、私が台所仕事などして戻ってくると大抵りくがそこにいます。「ちょっとごめんね」と言ってどいてもらいますが、よく考えると一年365日、それも一日中家にいるのはりくだけなのですから、普段そこはりくの席なのです。ですが、他の席は私には不都合なので申し訳ないのですが、帰省中はそこを使わせていただかねばなりません。ですから席を立つ時は席取りのため、物を置いておきます。多くはりくのおもちゃを積み上げておくなどです。
 可哀想に、りくは「僕の席がない」というようにうろうろして、しかたなく時間をかけて別な席にクルクルポンと座ります。りくもどこでもよいというわけにはいかないようで、席決めは難しいのです。私もりくが眠そうだったり、すっかり落ち着いて座っている時は席を譲って別な席につきます。今日も席取りゲームは大変です。

2017年5月4日木曜日

「頭を空にする方法」

 世は連休気分で幾分華やいでいますが、私にはあまり関係がありません。このところ、集合住宅に関わる手に負えない面倒な用事がやって来たり、なぜこうも悲しいことが起こるのだろうという事件がお起きたりと、気が沈むことの方が多いのです。こういう時は料理以外の地味な家事をするに限ります。普段あまりしないところのお掃除とか、手洗いによる洗濯とか、どうでもいい繕い物や毛玉取りなどで、頭は使わないが適度に集中が必要な家事です。やっているうちに頭が空になるのでやる前よりは気が晴れます。

 私は仕事に伴う悩み事はないし、対人的なストレスも知れたものですが、このところ考えているのは人間にとって一番難しい問題、すなわち「謝ること」と「赦すこと」についてです。人間は自分が悪いと思ってもどうあっても謝りたくない生き物です。言い訳はいくらでも思いつきますし、一度謝ったらどんなに責められるかわからない、きっと赦してくれないだろう等々と考えると、ほとんどの人が自己保身に走ります。また、自分に対してなされた悪事を「赦すこと」の難しさを知らない人はいないでしょう。かけがえのないもの(特に命のあるもの)、大事にしてきたものを壊されたり粗末に扱われたらまず赦せないのが普通ですし、「絶対赦さない」と心に誓うこともあるでしょう。もっと瑣末なこと、他の人から見ればたいしたことでないと思えることでもしばしばそうで、暗い怨念を募らせてされたことの何倍にも値する復讐が事件化して、人間の心の闇を知らされることも少なくありません。

 「私が人を赦すのはサタンに付け込まれないためなのです」と語ったのはルターだと思っていたのですが、もともとはパウロの言葉だったようです。
「あなたがたが何かのことで赦す相手は、わたしも赦します。わたしが何かのことで人を赦したとすれば、それは、キリストの前であなたがたのために赦したのです。わたしたちがそうするのは、サタンにつけ込まれないためです。サタンのやり口は心得ているからです。」
  コリントの信徒への手紙二2:10~11 (新共同訳)

 私の場合、日が短い冬の間が憂鬱なのはずっとのことですが、少し前から五月~六月もなんだか鬱々とするようになってきました。おそらくこの時期が、新年度の様々な事項の切り替えに対処したり認定書の更新の書類をそろえたりするため、煩雑な雑事に煩わされるようになったせいです。こういうことが面倒になったのは年をとった証拠、病院で診断書を書いてもらうのも愉快なことではありません。先日の通院日は気晴らしを兼ねて、前日に焼いたシナモンアップルブレッドとサイフォンで淹れたコーヒーのポットを持って出かけ、帰りにピクニック気分を味わうことにしました。バスの乗り換え地点でよさそうな公園を見つけて気になっていたのですが、実際行ってみたら「もっと早く来ればよかった」と思うほど、緑の深い大きな公園でした。今は新緑の絶好の季節、穴場的な場所なのか人も少なく、1時間以上森林浴でぼーっとし、本当にいい息抜きができました。すっかり頭が空になって、人間に関わる事はもうどうでもよくなり、こんな環境なら「謝ること」も「赦すこと」もできそうなのだが・・・と、ふと思ったことでした。