北朝鮮の核ミサイル発射のエックス・デイが子供の間でも話題になっていると聞きました。一部の子供たちは「僕たちもうすぐ死ぬんだね」と話しているのだとか。一方で、家庭用の核シェルターも売れていると言います。聞けば、わりと手の届きそうな値段なのですが、そこまでして生き残りたいという前向きな気持ちを持てることの方がすごい、と正直思います。こういう生活の在り方は或る意味、持病を抱えているのと同じ心境でしょう。その日はいつ来るかわからない。なるべく先送りする努力は必要ですが、その先についての準備をしたり心持ちを整えるのも同じくらい大事だと思っています。
昨今の社会状況は国の内外を問わず、最悪レベルまで下がっているとしか思えず、劇画的な言い方をすれば神の怒りがいつ爆発してもおかしくないと感じています。最近の事件で一番つらかったのは安孫子の幼女連れ去り殺人事件です。こういう無抵抗で弱い者、人を信じている小さな者に対する犯罪は聞くだけでも気持ちがどーんと落ち込み、人間の罪悪の計り知れぬ深さを思い知らされます。犯人はもちろん赦し難い極悪人ですが、この点は犯人が死刑になればそれで済むものでもないと強く感じますし、底なしの罪悪に沈んだ人をどうするべきか全く見当もつきません。神の怒りのしるしはいつか下されるでしょう。「復讐はわたしのすること、わたしが報復する(ローマの信徒への手紙12:19)」とあるからです。
今村雅弘復興大臣はやはり辞職となりました。更迭と言った方がいいかもしれません。問題発言は二階派の集まりでの講演で起きましたが、それは東日本大震災の被害について触れた次の言葉です。
「これはまだ東北で、あっちの方だったから良かった。首都圏に近かったりすると、莫大な、甚大な額になった」
正直な人です。ただ愚かなのです。下を向いて原稿を読んでいた他の部分は、おそらく官僚の作文でそつのない文章だったのでしょうが、唯一顔を上げてアドリブで言ったこの部分が命取りとなりました。佐賀出身とのことですが、私の想像ではこの方は東京暮らしが長く、熊本の大地震についてもきっと同じ感想をもたれたのではないでしょうか。語弊があるかもしれませんが、これが東京に住んでいる者の感覚なのです。東京人の考えは私にもよくわかります。こんなことを言うと災厄を呼び寄せそうで恐いのですが、東京人は東京に被害が及ばない限り決して他の地域について深く考えることはないでしょう。いや、この方の場合は仕事にもかかわらず、当の担当地域に対して「あっち」という遠称の指示代名詞でしか呼べない距離感が一番駄目なところと言うべきか。
ただ、一連の騒動に関してもっと問題だったのは二階俊博幹事長のコメントで、
「政治家の話をマスコミが余すところなく記録をとって、一行悪いところがあったら『すぐ首を取れ』と。何ちゅうことか。それの方(マスコミ)の首、取った方がいいぐらい。そんな人は初めから排除して、入れないようにしなきゃダメ」
と述べたことです。ここまで認識不足と独裁体質が身体化してしまっていたら、「そんな人は初めから排除して、政治家になれないようにしなきゃダメだな」と、私は思ったのですが、他の東北人の反応はもっとおおらかでした。インスタグラムに満開の弘前の桜を載せ、「東北でよかった」の文字。今村大臣の言葉を逆手にとっての見事な切り返しに、私はかなり東京ナイズされてしまった、東北人として再修業しなければと反省しました。
2017年4月29日土曜日
2017年4月25日火曜日
「やり残していた仕事」
昨年の夏から結構本気で旧約聖書を読み出し、耳で聞いただけではすり抜けてしまうことを書きとめる、調べる等を繰り返すうち、自分の中でまとまってくるお話がありました。消えないうちにと書き始め、大げさに言うと寝食忘れて二週間で最初の稿ができ、ふうっと脱力。あまり簡単に書けたので自分で書いている気がしないほどでした。創作という活動はもともと自分の楽しみのためのものであり、自分にとってだけ面白ければよいというのが常々私の持論ですが、この時も出来栄えに結構満足し、それで終わってよかったし、終わりにしたつもりでした。
しかしその後も旧約聖書を読んでいると、さらにわかってくることが急激に増え、自分の理解を書きとめる必要がでてきました。せっかくなので出来上がっていた作品にわかったことをどんどん盛り込んでいくことにしました。これは全く地道な作業で、フィクションを書いた時のようにすいすいとは進みませんでしたが、この過程で発見することは多く、口語訳と新共同訳の比較から思わぬことに気づいたり、各書のつながりが見えたりして別の楽しさがありました。結局、分量が3倍になりその分中身も厚みが増して、話の骨格は同じながらなんだか違う作品になった気がしました。とりあえず完成としたのは、聖書を読み込むという営みは終わらないと言えばいつまでも終わらないからで、しかしどこかで切らないときりがないためでした。
もともと出来上がったらちょっとずつブログに載せようと思っていましたが、途中ではたと思い返し、それはいつでもできることだからその前にどこかに応募してみることにしました。自分なりには旧約聖書を概ね概観できるので、確かにかなり特殊なお話ではあるものの、聖書と無縁な一般的日本人にも案外伝わるのではないかと思います。とりあえずもう送ったので、半年は塩漬けです。少し後始末がありますが、いまさら致命的な間違いを見つけても困るし、あとは手を付けずに放っておきます。半年後に冷静な目で見てその先を考えることに致しましょう。ま、或る意味、ずっとやらなくちゃと思っていた仕事を終えたと感じています。
しかしその後も旧約聖書を読んでいると、さらにわかってくることが急激に増え、自分の理解を書きとめる必要がでてきました。せっかくなので出来上がっていた作品にわかったことをどんどん盛り込んでいくことにしました。これは全く地道な作業で、フィクションを書いた時のようにすいすいとは進みませんでしたが、この過程で発見することは多く、口語訳と新共同訳の比較から思わぬことに気づいたり、各書のつながりが見えたりして別の楽しさがありました。結局、分量が3倍になりその分中身も厚みが増して、話の骨格は同じながらなんだか違う作品になった気がしました。とりあえず完成としたのは、聖書を読み込むという営みは終わらないと言えばいつまでも終わらないからで、しかしどこかで切らないときりがないためでした。
もともと出来上がったらちょっとずつブログに載せようと思っていましたが、途中ではたと思い返し、それはいつでもできることだからその前にどこかに応募してみることにしました。自分なりには旧約聖書を概ね概観できるので、確かにかなり特殊なお話ではあるものの、聖書と無縁な一般的日本人にも案外伝わるのではないかと思います。とりあえずもう送ったので、半年は塩漬けです。少し後始末がありますが、いまさら致命的な間違いを見つけても困るし、あとは手を付けずに放っておきます。半年後に冷静な目で見てその先を考えることに致しましょう。ま、或る意味、ずっとやらなくちゃと思っていた仕事を終えたと感じています。
2017年4月20日木曜日
「里山を守らなければ」
先日、福島の宝、花見山に連れて行っていただきました。考えてみれば、震災の翌年、養生のため一般公開されていなかった折に行って以来でした。ちょうど花が見ごろの時で、天候もよかったので大変な人出でした。周囲の山も含めて何とも言えないパステル調に曇った風景も、鮮やかな菜の花畑との対照も全てが味わい深く、時折吹くゆるい春風にはためく庭先の鯉のぼりも里山の風物詩です。
先日(4/17)のニュースで、「キノコ違法採取 共謀罪、妥当か」という記事が報道されました。「共謀罪」の構成要件を改め「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案をめぐっての話で、金田勝年法相が保安林でのキノコや鉱物の採取も対象犯罪としたことについて述べた時のものです。理由は「相当の経済的利益を生じる場合もある。組織的犯罪集団が必要な資金を得るために計画することが現実的に想定される」とのことでした。
これは或る意味、テロ以上に恐ろしい話です。山の幸に対して、ついにここまで魔の手が伸びて来たのかという思いです。この案件の狙いは実は里山の破壊にあるのではないかとの疑念を抱いています。数年前に『里山資本主義』が出版されてからは特に、里山が象徴する自然の豊かさに目を見開かされ、お金に依存しないサブシステムを上手に作りだし活用しようとする人々が増えてきました。これがマネー資本主義にとってどれほど危険なアイディアであり、まだ芽のうちに摘み取ってしまわなければならないと考える人々がいるのは事実でしょう。そういう人々が経済界を牛耳り政権を担っており、躍起になってこの流れの拡大を阻止しようとしています。里山を荒廃させ、人々を都市に回帰させないと、地方の行政は立ち行かなくなります。また、過密状態でも都会に人を集中させ一円でも多く出費させないと、マネー資本主義は回りません。彼らの目論見が成功した時、その先に何が待っているのか、私には想像もつきません。命の源ともいえる豊かな里山がなくなった後、いったい日本に何が残るのでしょうか。
花見山の周辺はお店もでていましたが、とても商売っ気のないゆったりした商いでほっとしました。のんびりした雰囲気の中、行政サイドの派遣員だけでなくボランティアのガイドも大勢出て、交通規制をしたり、案内や説明をして環境を守っている姿をとても清々しく感じました。いかにも福島らしいことです。こういった趣すべてはお金では買えないものなのです。そして、これはいくら強調してもしすぎることはないことですが、あの山は個人所有であるにもかかわらず無料で公開されているのです。こういった金儲けのチャンスをみすみす逃すような行為は、キノコ法案を通そうとしている方々にはおよそ理解に苦しむ馬鹿げた事例に見えるに違いありません。しかし、これこそが福島の豊かさなのです。花見山に象徴される里山は、市民がしかと慈しみ守っていかなければならないものだと深く感じました。
先日(4/17)のニュースで、「キノコ違法採取 共謀罪、妥当か」という記事が報道されました。「共謀罪」の構成要件を改め「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案をめぐっての話で、金田勝年法相が保安林でのキノコや鉱物の採取も対象犯罪としたことについて述べた時のものです。理由は「相当の経済的利益を生じる場合もある。組織的犯罪集団が必要な資金を得るために計画することが現実的に想定される」とのことでした。
これは或る意味、テロ以上に恐ろしい話です。山の幸に対して、ついにここまで魔の手が伸びて来たのかという思いです。この案件の狙いは実は里山の破壊にあるのではないかとの疑念を抱いています。数年前に『里山資本主義』が出版されてからは特に、里山が象徴する自然の豊かさに目を見開かされ、お金に依存しないサブシステムを上手に作りだし活用しようとする人々が増えてきました。これがマネー資本主義にとってどれほど危険なアイディアであり、まだ芽のうちに摘み取ってしまわなければならないと考える人々がいるのは事実でしょう。そういう人々が経済界を牛耳り政権を担っており、躍起になってこの流れの拡大を阻止しようとしています。里山を荒廃させ、人々を都市に回帰させないと、地方の行政は立ち行かなくなります。また、過密状態でも都会に人を集中させ一円でも多く出費させないと、マネー資本主義は回りません。彼らの目論見が成功した時、その先に何が待っているのか、私には想像もつきません。命の源ともいえる豊かな里山がなくなった後、いったい日本に何が残るのでしょうか。
花見山の周辺はお店もでていましたが、とても商売っ気のないゆったりした商いでほっとしました。のんびりした雰囲気の中、行政サイドの派遣員だけでなくボランティアのガイドも大勢出て、交通規制をしたり、案内や説明をして環境を守っている姿をとても清々しく感じました。いかにも福島らしいことです。こういった趣すべてはお金では買えないものなのです。そして、これはいくら強調してもしすぎることはないことですが、あの山は個人所有であるにもかかわらず無料で公開されているのです。こういった金儲けのチャンスをみすみす逃すような行為は、キノコ法案を通そうとしている方々にはおよそ理解に苦しむ馬鹿げた事例に見えるに違いありません。しかし、これこそが福島の豊かさなのです。花見山に象徴される里山は、市民がしかと慈しみ守っていかなければならないものだと深く感じました。
2017年4月17日月曜日
「紅春 103」
福島に帰ってりくとひとしきり挨拶を済ませると、だいたいすぐ一緒に散歩に出ます。その一時間後くらいにネットスーパーで注文したものが届くことになっているからです。りくも車が止まると「来たよ」と知らせてくれ、ピンポーンと同時に一緒に玄関に出て行きます。配達のおじさんにも慣れてきて、以前は逃げていたのに最近は頭をなでられても平気です。いつも食べ物が届くのを知っているので、届いたものをのぞきこんでくんくんしたりしています。
「りく、何かおいしいの来たかな~。『いつもありがとうございます』って言ってください」
と言いながら頼んだ物を受け取り、受領印を押して終了。この頃にはりくは茶の間に戻っていますが、おじさんは犬好きなので一応私はりくを呼んでみます。やって来て「さよなら」を言うこともありますが、まったくの気分屋なので廊下の向こうで顔だけ出して来ないこともあります。「挨拶、終わりだそうです」とおじさんに伝えて、笑っておしまいです。
2017年4月14日金曜日
「アンスリューム 2」
昨年9月ごろ購入して5か月咲いたアンスリュームも、2月末くらいには花がなくなりました。よく咲いてくれたなあと、葉だけになってからもそのままにしておいたのですが、もうよいだろうと思い、春になる前に同じ花屋さんに買いに行きました。以前「勧められてとてもよかったので」と言って同じものを求めると、「あるけど、花はまだないよ」とのこと。とはいえ、店に置いてあるとはどういうことかと思い、「これから咲くんですか」と訊くと、春になったら作とのこと。その一言を聞いて、それでは私の家のも咲く可能性があるかもしれないと期待が一挙に高まりました。果たして尋ねてみると、「肥料と水をあげていれば咲く」とのこと。いや~驚きました。まだ咲くと決まったわけでもないのにすっかりうれしくなり、「やってみます」と店を後にしました。
それから水と液体肥料を時々やりながら、ずっと温室で様子を見ていましたが、なんと先日本当に一輪の赤い花をつけているではありませんか。しかも、花はもちろんその辺りの新しい葉もニスを塗ったようにピカピカに光っています。まるで造花のように見えることがあるのがアンスリュームですが、その面目躍如です。今のところまだ一輪のみで、これはひょっとすると花屋さんに話を伺う前に自己流に剪定してしまったのがいけなかったのかもしれません。これから様子を見ますが、一時はもう処分しようと思っていただけに、一輪だけでも咲いてくれたのはまさにイースターのこの時期、死んでいた植物が復活したようでとてもうれしいです。
それから水と液体肥料を時々やりながら、ずっと温室で様子を見ていましたが、なんと先日本当に一輪の赤い花をつけているではありませんか。しかも、花はもちろんその辺りの新しい葉もニスを塗ったようにピカピカに光っています。まるで造花のように見えることがあるのがアンスリュームですが、その面目躍如です。今のところまだ一輪のみで、これはひょっとすると花屋さんに話を伺う前に自己流に剪定してしまったのがいけなかったのかもしれません。これから様子を見ますが、一時はもう処分しようと思っていただけに、一輪だけでも咲いてくれたのはまさにイースターのこの時期、死んでいた植物が復活したようでとてもうれしいです。
「宅配の見直し」
ヤマト運輸がアマゾンから受託している即日配送サービスから撤退するとの報道がありました。正直ほっとしました。ドライバーさんの負担を考えたらとても無理な設定だからです。そもそもどうしても当日に手に入れなければならない物などないはずで、それがあるとしたら当然事前に手配しておく準備を怠っていたことにほかならないのです。これはアマゾンが年間3900円の料金でプライム会員に対して行っているサービスの一つだと思うのですが、以前巧妙な誘導で知らないうちに1年間プライム会員になっていた経験から言うと、或る種悪魔的なシステムだと感じました。自分もその一人ですが、現代人の忍耐力は著しく弱っています。通信状況の発達にさらされてきたせいで、すぐ目に見える結果が出ない、思うような効果が現れないといらいらするようになってきています。そして思い通りの効果が出たら出たで、人の欲望はまた別の物に際限もなく移っていくのです。
私も通販はよく使うので言えた義理ではありませんが、せめて心がけていることとして、なるべく注文する物をためてまとめて注文すること、うまくいかないことも多いですが、到着日に在宅できる日を選んで注文すること、そして何より、荷物を持って来られる業者の方にはいつも心からの感謝を表すことなどです。根本的には、物がすぐに手に入るという日常は実は異常なことであるという認識に立ち、長い目で計画を立てるというゆったりした心持ちを取り戻す訓練が必要でしょう。
少し前に、ヤマトが日中の時間帯の配送をやめたことも聞きましたがよかったと思います。現代人の生活スタイルからして、そんな時間に在宅して受け取れる家などごく少数でしょうから、無駄足になるのは目に見えています。コンビニでの受け取りという手もあるようですが、重い物の受け取りや、コンビニから遠い家はどうするのか疑問ですし、コンビニ側の仕事も大変でしょう。マンションの場合は宅配ボックスがあるので頼む方も気が楽で、防犯面での懸念が解消されれば一般家庭でもこの方向に進むしかないのではとも思います。
といいつつ、これはヤマトさんではありませんが、先日しでかした大失敗の話を書きます。りくのドッグフードを注文し、到着するあたりの日はなるべく買い物等の外出を控え、散歩をせがむりくにも、「もうすぐりくのご飯が届くから」と言い聞かせ、けっこうそわそわと日を過ごしました。届かぬまま2、3日が過ぎ、いくらなんでも遅いと思って配送追跡サービスで調べてみると、なんともう「配達完了」になっていました。配達先は自宅の宅配ボックス…。思わず呆然としました。3キロのりくのフードを東京に送ってしまったのです。「バカバカバカ・・・」と自分に言い、がっくりして「姉ちゃん、だめだな」とりくに謝りました。「東京にも犬がいるんですかい」と、りくに嫌味を言われながら、「今度来るとき持ってくるね」と答えました。私の場合、まずこういう愚かな失敗をなくすのが第一です。
私も通販はよく使うので言えた義理ではありませんが、せめて心がけていることとして、なるべく注文する物をためてまとめて注文すること、うまくいかないことも多いですが、到着日に在宅できる日を選んで注文すること、そして何より、荷物を持って来られる業者の方にはいつも心からの感謝を表すことなどです。根本的には、物がすぐに手に入るという日常は実は異常なことであるという認識に立ち、長い目で計画を立てるというゆったりした心持ちを取り戻す訓練が必要でしょう。
少し前に、ヤマトが日中の時間帯の配送をやめたことも聞きましたがよかったと思います。現代人の生活スタイルからして、そんな時間に在宅して受け取れる家などごく少数でしょうから、無駄足になるのは目に見えています。コンビニでの受け取りという手もあるようですが、重い物の受け取りや、コンビニから遠い家はどうするのか疑問ですし、コンビニ側の仕事も大変でしょう。マンションの場合は宅配ボックスがあるので頼む方も気が楽で、防犯面での懸念が解消されれば一般家庭でもこの方向に進むしかないのではとも思います。
といいつつ、これはヤマトさんではありませんが、先日しでかした大失敗の話を書きます。りくのドッグフードを注文し、到着するあたりの日はなるべく買い物等の外出を控え、散歩をせがむりくにも、「もうすぐりくのご飯が届くから」と言い聞かせ、けっこうそわそわと日を過ごしました。届かぬまま2、3日が過ぎ、いくらなんでも遅いと思って配送追跡サービスで調べてみると、なんともう「配達完了」になっていました。配達先は自宅の宅配ボックス…。思わず呆然としました。3キロのりくのフードを東京に送ってしまったのです。「バカバカバカ・・・」と自分に言い、がっくりして「姉ちゃん、だめだな」とりくに謝りました。「東京にも犬がいるんですかい」と、りくに嫌味を言われながら、「今度来るとき持ってくるね」と答えました。私の場合、まずこういう愚かな失敗をなくすのが第一です。
「旧約時代の食からみる社会の変化と『申命記』改革」
これまで、「『申命記』の食物規定からわかること」及び4回の「旧約聖書における調理方法」において、旧約聖書の食に関する記述を手掛かりに疑問点を考えてきました。調べるうち、なんとなくこのまま進むとかなり衝撃的な結論に達するのではないかと思っていたのですが、その通りになりました。これまでのところで気づいた、旧約聖書の中にある様々な記述から論理的に導き出される結論を書いておきます。
イスラエル民族には古来より動物犠牲による祭儀がありました。祭儀ですから「調理」という言い方は適切ではないのですが、ここは割り切って食という観点から考えてみます。まず代表的な3つの献げ物、燔祭・罪祭・酬恩祭について、主として『レビ記』にそってまとめてみます。
「燔祭」については、以前書きましたが、私個人としては神に献げるものとして祭壇で焼き、その肉は食べられていたと考えていますが、まだまだ一般的に肉は「焼き尽くして灰にした」と考えられているようなので、とりあえずそこに触れないでおくとします。この場合でも『レビ記』の規定から動物の皮は祭司に帰属します。
一方、罪祭(新共同訳では「贖罪の献げ物」)ですが、これは罪を犯した人の立場や身分によって祭儀方法が違い、大祭司は若い雄牛、全会衆の罪の贖いのためには雄牛、司(族長や王)は雄山羊ですが、一般の人はそれぞれの経済状態に合わせて、雌山羊または雌羊または小麦粉を献げます。動物の場合は、脂肪は全部焼いて煙にしますが、皮、肉、頭と足、内臓と汚物の一切を、「ことごとく宿営の外の清い場所である焼却場に運び出し、燃える薪の上で焼き捨て」ます(『レビ記』4章12節)。『レビ記』5章13節で、小麦粉の場合、残りは祭司に属することは知っていましたが、4章12節にある通り、罪祭の肉は誰の口にも入らないものと思っていました。ところが、なんとこれは祭司が「食べなければならないもの」のようなのです。下記の引用は新共同訳ですが、口語訳では二度もはっきりと、「これを食べなければならない」と訳出されています。
「アロンとその子らに告げてこう言いなさい。贖罪の献げ物についての指示は次のとおりである。贖罪の献げ物は、焼き尽くす献げ物を屠る場所で主の御前に屠る。これは神聖なものである。この贖罪の献げ物は、それをささげる祭司が聖域、つまり臨在の幕屋の庭で食べる。 (『レビ記』6章18~19節)
4章12節と整合性がとれませんし、様々な点で驚きを隠せない記述ですが、これを見ると罪祭の肉が焼き尽くされて灰になっていないことは明らかです。
次に酬恩祭(新共同訳では「和解の献げ物)に関しては、牛または羊または山羊(雌雄どちらでもよい)を献げますが、脂肪と腎臓だけは火で焼き尽くし神への香ばしいかおりとして献げます。肉は祭司と奉献者およびその家族で分け合い、動物の皮は奉献者のものとなります。
このほかに、愆祭(新共同訳では「賠償の献げ物)、自発の献げ物などがあります。イスラエルの民はそれぞれ自分の必要や現状に合わせて、動物や穀物等を献げてきたのです。ざっと見てわかるように、奉献者が献げた物の分け前に与れるのは、酬恩祭です。これなら皮も自分のものとなりますし、肉も食べることができます。
イスラエルは遊牧時代からカナン定着を経て、やがて王制となります。ソロモン時代には国中に徴募の長や代官を置いて、労役や年貢を課していくことになりました。『列王記上』の4章7節には、ソロモンがイスラエル全土に置いた十二人の知事がそれぞれ一か月ずつ王と王室の食糧調達を担ったこと、さらに4章26節には、戦車の馬の厩四千と騎兵一万二千にも同様に、十二人の知事たちが一カ月交代で食糧を調達したことが書かれています。これは一般庶民から強制的に徴収するのですから、民にとってはいわば避けられない出費です。王制になって庶民の暮らしは苦しくなったはずです。また、エルサレム土着のバアル礼拝だけでなく、ソロモンの多くの妻たちが様々な地域の神々を流入させたため、イスラエルの民は自分たちのヤハウェ礼拝が、他の宗教の神々と相当違うことに気づいたでしょう。献げ物の相違にも敏感になっただろうと思います。
『歴代誌下』13章9節にこんな記述があります。
「また主の祭司であるアロンの子らとレビ人を追い払い、諸国の民と同じように自分たちの祭司を立てているではないか。若い雄牛一頭と雄羊七匹をもって任職を願い出た者が皆、神でないものの祭司になっている。」
これはソロモンの次のヤラベアム ― アビヤの時代に関する記述ですが、その頃にはすでに「誰でも雄牛一頭、雄羊七頭で」祭司になれたと言うのです。なぜこんなことになったかを考えると、やむにやまれぬ時代の要請であることがわかってきます。祭司となる側と庶民の側、双方にとって利益があったのです。庶民にとっては税金は払わずに済ませられないのですから、動物供犠で経費節減をしなければなりません。おそらくレビ人祭司のところへ行くより、他のにわか祭司のところへ行った方が自分の取り分が多かったのでしょう。例えば、全くの想像で言うと、燔祭の場合でも少しの肉と引き換えに皮が奉献者のものとなるとか、酬恩祭の場合なら、レビ人祭司のところへ行くと肉は半分ずつ分けることになるが、他の祭司なら三分の一だけ渡せばよいとかといったケースを思い浮かべればよいでしょう。最上の部位として神に献げられていた脂肪が手に入るということもあったかもしれません。あるいは庶民に限らず王や司たちにとっても食指が動いたに違いないこととして、祭儀のたびに動物を無駄に取られてしまうより、食事用に屠る時に少しだけ祭儀の要素も加えて祭儀行為に代替するという仕方があったとしたらどうでしょう。ちょっと考え方を変えれば大幅な節約になるとしたら、それを目当てに人は集まったに違いありません。にわかに祭司となった者にも、祭司としての商売が十分成り立ったのです。
今はどうかわかりませんが、以前ドイツでは所属する教会籍により自動的に十分の一税を象徴する献金が徴収されていました。ヘルベルトはカトリックだったので、そのお金はカトリック教会に納められていました。それを初めて聞いた時は衝撃を受けました。日本で自由意志で捧げる献金は、ドイツでは教会税、第二の税金とも言えるものでした。徴税は国家が先か教会が先か知りませんが、いずれにしてもそれなしには国家は無論のこと、教会制度も成立しえないものだったのでしょう。この税金を節約したいと思うなら、ずいぶん前にシュティフィー・グラフがしたように、教会籍を離脱するだけでよいのです。信仰心がないなら簡単なことです。この、コスト・パフォーマンスを至上命題とする身の振り方に近いことが、おそらく三千年前のパレスチナでも起きたのです。この合理的思考がカナン的誘惑であり、この世の罠なのです。そのうちさらに、アッシリアや新バビロニアといった世界帝国に蹂躙されたのですから、グローバル化の波は貧富の格差の拡大に伴い、この思考に一層拍車をかけたことでしょう。それから三千年後にも、世界中で同じことが起きており、この「1円でも安いものを求める」という姿勢が賢い振る舞いとされているのです。いや、三千年後の今だけでなく、この三千年間連綿と変わることなく進められてきたのが、このような一見合理的思考に象徴されるカナン的生き方です。その意味で、『列王記』に描かれる王・祭司・民は紛れもなく私たちと同時代人なのです。
これで、なるほど、列王記上3章3~4節の記述が納得できます。
「ソロモンは主を愛し、父ダビデの定めに歩んだが、ただ彼は高き所で犠牲をささげ、香をたいた。 ある日、王はギベオンへ行って、そこで犠牲をささげようとした。それが主要な高き所であったからである。ソロモンは一千の燔祭をその祭壇にささげた。」
これはギブオンの聖なる高台の話なので、明らかに正統的なレビ人祭司による祭儀ではありません。ソロモンはおそらく高台を廃したくても廃することができなかったのです。自らが課している重い年貢のために民が疲弊していることを、彼は知っていたはずだからです。民から見れば、家計から出ていく収穫物や家畜は、王制以前のほぼ2倍になっていたのですから、レビ人祭司のところへ行くより少しでも負担の少なくて済む(すなわち奉献者が自分の取り分を多くできる)、高台の祭司のところへ行く流れは止め難く、従ってソロモンほか歴代の王たちは高台の祭壇を廃止するわけにはいかなかったのです。
『申命記』の記述に見られる大幅な規定の変更は、この流れになんとか歯止めをかけることを目指したものでした。そのため、地方聖所を廃して中央聖所に集約し、正統的な祭儀を挙行するとともに、過越の祭を家庭ごとの祝祭から巡礼の祝祭に変え、その意味を一変しようとしたのです。そのためなら、肉は焼くのではなく煮る(16章7節)ことになってもしかたない、羊でなくて牛(16章2節)でもやむを得ないということになったに違いありません。また、それぞれの町で時代の流れに取り残され没落していくレビ人を救うには、彼らを中央聖所に集めて職を与える制度が必要になる。レビ人が不足する地方では清めの手続きができなくなるため、汚れた者も食べてよい(12章15節、12章22節、15章22節)ことにし、町に残ったレビ人をも三年ごとのもてなし(14章28~29節、26章12節)で保護しなければならない。
「三年目ごとに、その年の収穫物の十分の一を取り分け、町の中に蓄えておき、あなたのうちに嗣業の割り当てのないレビ人や、町の中にいる寄留者、孤児、寡婦がそれを食べて満ち足りることができるようにしなさい。そうすれば、あなたの行うすべての手の業について、あなたの神、主はあなたを祝福するであろう。」 (14章28~29節)
これを見ると、レビ人が社会の最下層に属する寄留者、孤児、寡婦と同程度に困窮している現実があった、或いはそれほどに零落する危険があったということがわかります。なにより切迫した事態を伝えるのは、
「あなたは、地上に生きている限り、レビ人を見捨てることがないように注意しなさい。」 (『申命記』12章19節)
「あなたの町の中に住むレビ人を見捨ててはならない。レビ人にはあなたのうちに嗣業の割り当てがないからである。」 (『申命記』14章27節)
という、特に具体性のないやみくもな規定です。
『申命記』には、正統派レビ人祭司が時代の流れにせめてもの抵抗を試みた痕跡が色濃く残っています。私はこのことについて誰からも聞いた覚えがありません。私が知らないだけかもしれませんが、聞こえてこなかったのです。しかし、このようなことは旧約聖書全体を読めば誰にでもわかります。素人でもわかることですから、おそらくどこかで述べられているのでしょうが、ひょっとするとそれを明確に述べることにためらいがあったのかもしれません。私が大きな勘違いをしている可能性は常にありますが、それはおそらくもっと旧約聖書を読み込むことにより判明するでしょう。というわけで、今後さらに新しい発見があり、もっと深い結論に至るかもしれませんが、とりあえず今のところの結論をここに記しておきます。
イスラエル民族には古来より動物犠牲による祭儀がありました。祭儀ですから「調理」という言い方は適切ではないのですが、ここは割り切って食という観点から考えてみます。まず代表的な3つの献げ物、燔祭・罪祭・酬恩祭について、主として『レビ記』にそってまとめてみます。
「燔祭」については、以前書きましたが、私個人としては神に献げるものとして祭壇で焼き、その肉は食べられていたと考えていますが、まだまだ一般的に肉は「焼き尽くして灰にした」と考えられているようなので、とりあえずそこに触れないでおくとします。この場合でも『レビ記』の規定から動物の皮は祭司に帰属します。
一方、罪祭(新共同訳では「贖罪の献げ物」)ですが、これは罪を犯した人の立場や身分によって祭儀方法が違い、大祭司は若い雄牛、全会衆の罪の贖いのためには雄牛、司(族長や王)は雄山羊ですが、一般の人はそれぞれの経済状態に合わせて、雌山羊または雌羊または小麦粉を献げます。動物の場合は、脂肪は全部焼いて煙にしますが、皮、肉、頭と足、内臓と汚物の一切を、「ことごとく宿営の外の清い場所である焼却場に運び出し、燃える薪の上で焼き捨て」ます(『レビ記』4章12節)。『レビ記』5章13節で、小麦粉の場合、残りは祭司に属することは知っていましたが、4章12節にある通り、罪祭の肉は誰の口にも入らないものと思っていました。ところが、なんとこれは祭司が「食べなければならないもの」のようなのです。下記の引用は新共同訳ですが、口語訳では二度もはっきりと、「これを食べなければならない」と訳出されています。
「アロンとその子らに告げてこう言いなさい。贖罪の献げ物についての指示は次のとおりである。贖罪の献げ物は、焼き尽くす献げ物を屠る場所で主の御前に屠る。これは神聖なものである。この贖罪の献げ物は、それをささげる祭司が聖域、つまり臨在の幕屋の庭で食べる。 (『レビ記』6章18~19節)
4章12節と整合性がとれませんし、様々な点で驚きを隠せない記述ですが、これを見ると罪祭の肉が焼き尽くされて灰になっていないことは明らかです。
このほかに、愆祭(新共同訳では「賠償の献げ物)、自発の献げ物などがあります。イスラエルの民はそれぞれ自分の必要や現状に合わせて、動物や穀物等を献げてきたのです。ざっと見てわかるように、奉献者が献げた物の分け前に与れるのは、酬恩祭です。これなら皮も自分のものとなりますし、肉も食べることができます。
イスラエルは遊牧時代からカナン定着を経て、やがて王制となります。ソロモン時代には国中に徴募の長や代官を置いて、労役や年貢を課していくことになりました。『列王記上』の4章7節には、ソロモンがイスラエル全土に置いた十二人の知事がそれぞれ一か月ずつ王と王室の食糧調達を担ったこと、さらに4章26節には、戦車の馬の厩四千と騎兵一万二千にも同様に、十二人の知事たちが一カ月交代で食糧を調達したことが書かれています。これは一般庶民から強制的に徴収するのですから、民にとってはいわば避けられない出費です。王制になって庶民の暮らしは苦しくなったはずです。また、エルサレム土着のバアル礼拝だけでなく、ソロモンの多くの妻たちが様々な地域の神々を流入させたため、イスラエルの民は自分たちのヤハウェ礼拝が、他の宗教の神々と相当違うことに気づいたでしょう。献げ物の相違にも敏感になっただろうと思います。
『歴代誌下』13章9節にこんな記述があります。
「また主の祭司であるアロンの子らとレビ人を追い払い、諸国の民と同じように自分たちの祭司を立てているではないか。若い雄牛一頭と雄羊七匹をもって任職を願い出た者が皆、神でないものの祭司になっている。」
これはソロモンの次のヤラベアム ― アビヤの時代に関する記述ですが、その頃にはすでに「誰でも雄牛一頭、雄羊七頭で」祭司になれたと言うのです。なぜこんなことになったかを考えると、やむにやまれぬ時代の要請であることがわかってきます。祭司となる側と庶民の側、双方にとって利益があったのです。庶民にとっては税金は払わずに済ませられないのですから、動物供犠で経費節減をしなければなりません。おそらくレビ人祭司のところへ行くより、他のにわか祭司のところへ行った方が自分の取り分が多かったのでしょう。例えば、全くの想像で言うと、燔祭の場合でも少しの肉と引き換えに皮が奉献者のものとなるとか、酬恩祭の場合なら、レビ人祭司のところへ行くと肉は半分ずつ分けることになるが、他の祭司なら三分の一だけ渡せばよいとかといったケースを思い浮かべればよいでしょう。最上の部位として神に献げられていた脂肪が手に入るということもあったかもしれません。あるいは庶民に限らず王や司たちにとっても食指が動いたに違いないこととして、祭儀のたびに動物を無駄に取られてしまうより、食事用に屠る時に少しだけ祭儀の要素も加えて祭儀行為に代替するという仕方があったとしたらどうでしょう。ちょっと考え方を変えれば大幅な節約になるとしたら、それを目当てに人は集まったに違いありません。にわかに祭司となった者にも、祭司としての商売が十分成り立ったのです。
今はどうかわかりませんが、以前ドイツでは所属する教会籍により自動的に十分の一税を象徴する献金が徴収されていました。ヘルベルトはカトリックだったので、そのお金はカトリック教会に納められていました。それを初めて聞いた時は衝撃を受けました。日本で自由意志で捧げる献金は、ドイツでは教会税、第二の税金とも言えるものでした。徴税は国家が先か教会が先か知りませんが、いずれにしてもそれなしには国家は無論のこと、教会制度も成立しえないものだったのでしょう。この税金を節約したいと思うなら、ずいぶん前にシュティフィー・グラフがしたように、教会籍を離脱するだけでよいのです。信仰心がないなら簡単なことです。この、コスト・パフォーマンスを至上命題とする身の振り方に近いことが、おそらく三千年前のパレスチナでも起きたのです。この合理的思考がカナン的誘惑であり、この世の罠なのです。そのうちさらに、アッシリアや新バビロニアといった世界帝国に蹂躙されたのですから、グローバル化の波は貧富の格差の拡大に伴い、この思考に一層拍車をかけたことでしょう。それから三千年後にも、世界中で同じことが起きており、この「1円でも安いものを求める」という姿勢が賢い振る舞いとされているのです。いや、三千年後の今だけでなく、この三千年間連綿と変わることなく進められてきたのが、このような一見合理的思考に象徴されるカナン的生き方です。その意味で、『列王記』に描かれる王・祭司・民は紛れもなく私たちと同時代人なのです。
これで、なるほど、列王記上3章3~4節の記述が納得できます。
「ソロモンは主を愛し、父ダビデの定めに歩んだが、ただ彼は高き所で犠牲をささげ、香をたいた。 ある日、王はギベオンへ行って、そこで犠牲をささげようとした。それが主要な高き所であったからである。ソロモンは一千の燔祭をその祭壇にささげた。」
これはギブオンの聖なる高台の話なので、明らかに正統的なレビ人祭司による祭儀ではありません。ソロモンはおそらく高台を廃したくても廃することができなかったのです。自らが課している重い年貢のために民が疲弊していることを、彼は知っていたはずだからです。民から見れば、家計から出ていく収穫物や家畜は、王制以前のほぼ2倍になっていたのですから、レビ人祭司のところへ行くより少しでも負担の少なくて済む(すなわち奉献者が自分の取り分を多くできる)、高台の祭司のところへ行く流れは止め難く、従ってソロモンほか歴代の王たちは高台の祭壇を廃止するわけにはいかなかったのです。
『申命記』の記述に見られる大幅な規定の変更は、この流れになんとか歯止めをかけることを目指したものでした。そのため、地方聖所を廃して中央聖所に集約し、正統的な祭儀を挙行するとともに、過越の祭を家庭ごとの祝祭から巡礼の祝祭に変え、その意味を一変しようとしたのです。そのためなら、肉は焼くのではなく煮る(16章7節)ことになってもしかたない、羊でなくて牛(16章2節)でもやむを得ないということになったに違いありません。また、それぞれの町で時代の流れに取り残され没落していくレビ人を救うには、彼らを中央聖所に集めて職を与える制度が必要になる。レビ人が不足する地方では清めの手続きができなくなるため、汚れた者も食べてよい(12章15節、12章22節、15章22節)ことにし、町に残ったレビ人をも三年ごとのもてなし(14章28~29節、26章12節)で保護しなければならない。
「三年目ごとに、その年の収穫物の十分の一を取り分け、町の中に蓄えておき、あなたのうちに嗣業の割り当てのないレビ人や、町の中にいる寄留者、孤児、寡婦がそれを食べて満ち足りることができるようにしなさい。そうすれば、あなたの行うすべての手の業について、あなたの神、主はあなたを祝福するであろう。」 (14章28~29節)
これを見ると、レビ人が社会の最下層に属する寄留者、孤児、寡婦と同程度に困窮している現実があった、或いはそれほどに零落する危険があったということがわかります。なにより切迫した事態を伝えるのは、
「あなたは、地上に生きている限り、レビ人を見捨てることがないように注意しなさい。」 (『申命記』12章19節)
「あなたの町の中に住むレビ人を見捨ててはならない。レビ人にはあなたのうちに嗣業の割り当てがないからである。」 (『申命記』14章27節)
という、特に具体性のないやみくもな規定です。
『申命記』には、正統派レビ人祭司が時代の流れにせめてもの抵抗を試みた痕跡が色濃く残っています。私はこのことについて誰からも聞いた覚えがありません。私が知らないだけかもしれませんが、聞こえてこなかったのです。しかし、このようなことは旧約聖書全体を読めば誰にでもわかります。素人でもわかることですから、おそらくどこかで述べられているのでしょうが、ひょっとするとそれを明確に述べることにためらいがあったのかもしれません。私が大きな勘違いをしている可能性は常にありますが、それはおそらくもっと旧約聖書を読み込むことにより判明するでしょう。というわけで、今後さらに新しい発見があり、もっと深い結論に至るかもしれませんが、とりあえず今のところの結論をここに記しておきます。
2017年4月1日土曜日
「旧約聖書における調理方法 4」
イスラエルの民が半遊牧民時代を経て、ついで農耕時代、とりわけ王制となってからの食について考えてみます。当然のことながら、この時代には貧富の差が拡大します。『レビ記』1章によると、燔祭の献げ物は、雄牛または雄羊または雄山羊または鳥の4種類ですから、貧しい者は鳥(山鳩か家鳩のひな)を献げたことでしょう。ちなみに燔祭ではありませんが、罪の清めとしての罪祭は、『レビ記』4~5章によると立場や身分によってそれぞれ定められており、大祭司は若い雄牛、全会衆の罪の贖いには雄牛、司たち(共同体の長、族長や王か?)は雄山羊となっています。一般の人は雌山羊または雌羊または山鳩二羽か家鳩のひな二羽、または小麦粉十分の一エパとなっており、それぞれの経済状態に合わせて献げたのでしょう。罪を犯さずに生きられる人はいないのですから、罪祭は誰にとっても必須の献げ物だったはずで、それゆえ最も貧しい者は小麦粉を献げればよかった、いや小麦粉を献げるしかなかった、ここまで貧富の差がひらいてということです。ザレパテの寡婦とその子のように、一握りの粉とわずかな油を最後の食糧とし、それを食べ終えたらもう死を待つしかないと言う困窮した者がいる(列王記上17章9~12)一方で、ソロモンの王宮で一日に消費された食糧は、「細かい麦粉三十コル、荒い麦粉六十コル、 肥えた牛十頭、牧場の牛二十頭、羊百頭で、そのほかに雄じか、かもしか、こじか、および肥えた鳥」(列王記上4章22節)が食べられているという現実がありました。コルという容量は約230リットルとのことですから、いかに膨大な量の食糧が消費されていたかわかります。
過越の祭は元来家庭ごと、或いは隣近所で羊を屠って行う儀式でした。しかし、半遊牧時代から時を経て、この祭は中央聖所で行う巡礼祭になっていきます。この時代になると、貧しい者が食物連鎖の最上位に位置する家畜の肉を口にできる機会はほとんどないほど、貧富の差がひらき、全会衆で行う巡礼祭、すなわち、過越の祭、七週の祭、仮庵の祭の時くらいしか食肉の幸には与れなかったことでしょう。
一方で、裕福なものは普段の食卓に肉料理が上り、極端な場合は毎日、毎食ということもあったかもしれません。こうなると、これはもはや動物犠牲を神に献げるという祭儀でさえなくなり、動物を食用に屠るということを職業的に行う者が現れたことでしょう。『レビ記』を読み直してちょっと驚いたのですが、もともと燔祭にせよ酬恩祭にせよ罪祭にせよ、鳥以外の家畜を屠り、皮を剥ぎ、体の節々を切り分けるのは奉献者の役目で、祭司の役目は血の注ぎと切り分けられた部位を祭壇の上に並べて焼くという作業部分です。動物を屠ること自体は一般の人誰でもができることでした。つまり、純粋に作業的部分に焦点を当てれば、食肉加工は誰にでもできる行為だったということです。
するとどうなるかと言えば、全くの想像ですが、宗教的祭儀と言う観点を取っ払えば、どう考えても動物を屠って皮を剥ぎ切り分けるという作業より、その血を所定の場所に注ぎかけ肉を祭壇で焼くと言う方が簡単な作業ですから、食肉加工の技術的観点からは一般人と祭司の境界はほとんど見分けがつかなくなっていきます。これがヤラベアム以来、あるいはそれ以前からずっと行われてきた一般民の祭司化の正体です。なぜそんなことをしたのかの理由もわかってきます。私は以前から『レビ記』を読んで、「祭司の取り分が多い、というか奉献者の取り分が明記されていない」と感じていました。たとえば燔祭における動物の皮は祭司に帰すと書かれていますが、では酬恩祭ではどうなのか、これがわかりませんでした。それもそのはず、「『レビ記』には祭司の取り分しか記されておらず、言及されていない部分が奉献者の取り分になるのだ」ということに、最近ようやく気づいたのです。祭司の取り分は決して多くはないのですが、それはあくまで信仰心に支えられた理解があってのことです。また、信仰心はあってもあまりにも経済的に窮乏している場合は、祭司の取り分に関して疑念がよぎるということもあるでしょう。この問題に関してはさらに考えてみる必要があります。
過越の祭は元来家庭ごと、或いは隣近所で羊を屠って行う儀式でした。しかし、半遊牧時代から時を経て、この祭は中央聖所で行う巡礼祭になっていきます。この時代になると、貧しい者が食物連鎖の最上位に位置する家畜の肉を口にできる機会はほとんどないほど、貧富の差がひらき、全会衆で行う巡礼祭、すなわち、過越の祭、七週の祭、仮庵の祭の時くらいしか食肉の幸には与れなかったことでしょう。
一方で、裕福なものは普段の食卓に肉料理が上り、極端な場合は毎日、毎食ということもあったかもしれません。こうなると、これはもはや動物犠牲を神に献げるという祭儀でさえなくなり、動物を食用に屠るということを職業的に行う者が現れたことでしょう。『レビ記』を読み直してちょっと驚いたのですが、もともと燔祭にせよ酬恩祭にせよ罪祭にせよ、鳥以外の家畜を屠り、皮を剥ぎ、体の節々を切り分けるのは奉献者の役目で、祭司の役目は血の注ぎと切り分けられた部位を祭壇の上に並べて焼くという作業部分です。動物を屠ること自体は一般の人誰でもができることでした。つまり、純粋に作業的部分に焦点を当てれば、食肉加工は誰にでもできる行為だったということです。
するとどうなるかと言えば、全くの想像ですが、宗教的祭儀と言う観点を取っ払えば、どう考えても動物を屠って皮を剥ぎ切り分けるという作業より、その血を所定の場所に注ぎかけ肉を祭壇で焼くと言う方が簡単な作業ですから、食肉加工の技術的観点からは一般人と祭司の境界はほとんど見分けがつかなくなっていきます。これがヤラベアム以来、あるいはそれ以前からずっと行われてきた一般民の祭司化の正体です。なぜそんなことをしたのかの理由もわかってきます。私は以前から『レビ記』を読んで、「祭司の取り分が多い、というか奉献者の取り分が明記されていない」と感じていました。たとえば燔祭における動物の皮は祭司に帰すと書かれていますが、では酬恩祭ではどうなのか、これがわかりませんでした。それもそのはず、「『レビ記』には祭司の取り分しか記されておらず、言及されていない部分が奉献者の取り分になるのだ」ということに、最近ようやく気づいたのです。祭司の取り分は決して多くはないのですが、それはあくまで信仰心に支えられた理解があってのことです。また、信仰心はあってもあまりにも経済的に窮乏している場合は、祭司の取り分に関して疑念がよぎるということもあるでしょう。この問題に関してはさらに考えてみる必要があります。
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