旧約聖書39巻のうち17巻は預言書です。相対的にかなりの割合を占めていますが、このように語ったことが文書として残った預言者の出現はかなり時代がくだってからです。書としてまとめられるのはバビロン捕囚以降でしょう。イスラエルの民にとってバビロン捕囚はヤハウェ神の無力を思い知らされるような絶望的な出来事でしたが、最も打撃を受けた事態はエルサレム神殿が破壊されたことと移住先で礼拝場所をもてなかったことだと思われます。礼拝と言うと頭のどこかに現代的なイメージがあって、祭司が神殿で律法を教えるというような礼拝を思い浮かべがちですが、当時の礼拝がそういうものだったわけではありません。もちろんなにがしかの朗読や民江の語りかけのようなものはあったでしょうが、それ以上に受け継がれてきた最古の伝承に基を置く動物犠牲の祭儀が中心だったはずです。それを行う場所がなくなったのですから大問題で、礼拝そのものの仕方を変える必要に迫られたことでしょう。
祭司から預言者へというケースはこの時が初めではなかったのかもしれないと思ったのは、ヨシュア記や士師記を読んだ時です。士師の時代と言えばモーセの後継者たるヨシュアに率いられたイスラエルの民がカナンに定着するまでのもうめちゃくちゃ野蛮な話ですから、私はこれまでほとんどまともに読んだことがありませんでした。イスラエルという民族はヤハウェ神と共にあった民ですから、神と会うため天幕「臨在の幕屋」をもち、それに伴って祭司や祭儀に関わる仕事を担う人々を擁していました。士師の時代に臨在の天幕を置いたのはシロの地であり、「イスラエルの人々の共同体全体はシロに集まり、臨在の幕屋を立てた。」(ヨシュア記18章1節) との記述があります。この臨在の天幕は、時と共に次第に立派なものになりやがて神殿になったようです。神殿と言えばソロモンのエルサレム神殿しか思いつかなかったのですが、士師時代は神殿はシロにあり、後代には荒廃しなぜか再建されることはなかったようです。そのかわりといっては何ですが、列王記上11章29節では「シロの預言者アヒヤ」との記述がありますから、神殿に奉仕していた祭司から預言者へ転身という流れがあったのかもしれないと思います。
ですから捕囚以降に偉大な預言者が輩出し預言書が書かれていくのは理の必然とも言えます。イザヤについてはわかりませんが、そもそもエレミヤは祭司ヒルキヤの子であり、エゼキエルは祭司であると、それぞれエレミヤ書、エゼキエル書の冒頭に書いてあります。祭司職は世襲ですから、何もなければ二人とも祭司として一生を送ったはずなのです。しかし神殿がない以上、儀礼的祭祀を執り行うというかつて中心的だった職務自体がもうないのです。エゼキエルはケバル川のほとりでひとしきり泣いた後立ち上がったことでしょう。彼が冒頭で見た幻の不思議な生き物(ケルビム)は自由自在に動く神の乗り物です。神殿はなくとも神はどこにでも存在し得るという暗示です。ケバル川のほとりでの礼拝がどのようなものだったのか想像の域を出ませんが、預言者が告げる神の言葉を聴く、そして祈るという形にならざるを得ないのではないかと考えられます。こうして祭司から預言者に転じていく者が現れ、その言葉が書き記されていくという道筋が生まれたのでしょう。
一方で父祖より受け継がれてきた伝承を最古のところまで遡って書き記し、モーセ五書や史書としてまとめあげるという作業も動き始めたのでしょう。現在おかれている悲惨な状況の意味を知るには自らを徹底的に振り返るしかなかったのです。そして罪の問題に行きついた、それがイスラエル民族のバビロン捕囚の総括です。ですから、バビロン捕囚がなかったら、今のような形での旧約聖書はなかったし、イエス・キリストの誕生の意味も理解されずに歴史の闇に沈んでしまったことだろうと思います。バビロン捕囚はユダヤ民族の歴史にとって最大の信仰的苦難でした。神は一度まったく無力のように思われましたが、千年のスパンで見ればそうではなかった。ひょっとすると今起きている様々な絶望的状況も千年後には見方が逆転するということがあるのかもしれません。