2017年1月14日土曜日

「クラーナハ展」

 ずいぶん迷ったのですが、開催期間終了が迫ったクラーナハ展に行って来ました。迷ったのは第一に人ごみが苦手なこと、第二に美術館では近寄って鑑賞できない、すなわち行っても見えないこと、第三にクラーナハが特に好きというわけではないことがその理由です。ただ、これほど数多くのクラーナハの作品を実際に一つ一つ美術館を巡って見ることはできないし、世界遺産になってから国立西洋美術館に行っていないなと思い、出かけることにしました。

 開館は9時半とありましたが、それは開門の時間でした。せめて30分くらい前に開門して、庭を散策できるくらいのサービスはあってもいいのではないでしょうか。入る前に気持ちを高める意味でも有効だと思います。絵画展は想像以上に楽しめましたが、それは金曜の朝一の見学だったことが大きいでしょう。開館時間にはすでに列ができるほど人はいましたが、他の日時に比べれば少ないはずです。金曜は夜8時まで開いているので、なおさら人が分散するのです。一つ一つの絵の前に立ち止まって、一人でゆっくり見る余裕があったのが、よい印象をもてた大きな理由です。作品数は非常に多く、クラーナハ展としてはヨーロッパでも望めないほどの大規模なものだと思います。ウイーン美術史美術館からはもちろんのこと、ウフィツィやワシントン・ナショナル・ギャラリーからも来ていました。ほかにもブタペスト、トリエステ、リヨン、台湾から来ている作品もあり、美術館だけでなく、教会や財団、個人所有の作品等、様々なところから結集したようです。要するにこれは日本でしかできない展覧会だったのです。ヨーロッパ諸国も日本であれば思惑なしで貸し出せるし、なにより安心でしょう。もしかすると、日本行はむしろその絵に箔が付くくらいのことかもしれません。作品が丁寧に扱われるだけでなく、あふれるほどの敬意が示されるのですから。開門前に聞こえてきた会話からすると、訪問者はアート業界関係者もいますし、クラーナハの名前も知らなかった巣鴨マダムの友達連れもいます。皆、遠い外国から来る世界の名作を見に来るのです。とてもよいことだと思います。

 ウィーン美術史美術館は二度行ったことがあるので、来ていた作品の中にはおぼろげな記憶に残っていたものもありました。ほかにひとつだけ、「この作品ははっきり覚えている」と思えるものがあり、休憩用の腰掛に置かれた作品集で調べたら、「ああ、やっぱり」でした。フランクフルトのシュテーデル美術館にあった「ヴィーナス」だったのです。シュテーデルでの私のお目当てはフェルメールの「地理学者」だったので、この絵が前景化することはなかったのですが、やはりヘルベルトと毎年行っていたので記憶の底から浮かび上がってきたのでしょう。帰宅してから半券をふと見たら、右下の部分が少しちぎれており、もぎりの方がこんながさつなのでは困ったものだと、残念に思った以外は言うことなしの展覧会でした。