IT機器のトラブルは時に全くお手上げで泣きたくなるようなことが多いですが、ここ10日くらいで種類の違う幾つかのトラブルに見舞われました。
1. パソコンが立ち上がらない
スリープ状態にして開けたら、ずっと画面が真っ暗なまま、どのキーを押しても変化がなかったので、強制終了したのがいけなかったらしい。でもほかにどうすればよかったのか。その後、いくら電源を入れてもスタートアップせず、自動修復させようにも「システムのヴァージョンが違います」という表示でそれもできず、途方に暮れました。サポートセンターに電話しましたがつながりゃしない。ただウィンドウズ10へのヴァージョンアップに関するトラブルの案内を流していたのでピンときました。以前パソコンを修理してもらった工場に電話したら、半年も前のことなのに親身に相談にのってくれ、やはり機械的な故障ではないと確信しました。また初期化するしかないかとがっくりしましたが、それで駄目なら工場で見てくれるという心強い言葉に励まされ、初期化に取り掛かりました。その時。ウィンドウズのバージョンに関する項目を見つけ、「ええい、、ままよ」とウィンドウズ10にしてみたらなんと使える画面に立ち上がったではありませんか。やはりこのことが何らかの悪さを及ぼしていたとしか思えない。パソコンが立ち上がったのでインターネットで調べると一か月以内なら元のバージョンへ戻せるということがわかり、すぐ実施。完全に元に戻ったときは信じられないほどでした。丸二日くらいかかる初期化を覚悟していたのでなんとうれしかったことか。と同時に、ウィンドウズ10へのヴァージョンアップを常に押しつけがましく告げてくる案内に猛烈に腹が立ちました。「私の時間と労力を返せ~」と、ビル・ゲイツに叫びたい気持ちです。
2. メールが届かない
電子メールでやりとりできたら楽だなと思い、別の友人にアドレスを聞いてメールを送ったのですが、送れない。もちろんこれまでもそういうことはありましたが、今回は「その友人からは送れる」という点と、「システムエラーのレポートがほとんど送った瞬間に来る」という点、および「空(カラ)メールを送ってもらいそれに返信するという形でもエラーになる」という点で、今までと違うケースでした。友人からは問題なく送れているのだから私のサーバーの問題かと思い、すぐに解決することは望めないのでその時は手紙にしました。この時、メールと手紙ではどれほど手間が違うかを実感し、また現在の感覚では手紙は大げさすぎるということもあるなと考えて、再びトライ。
どうもアドレスの@の前にピリオドがあるのがいけないらしいと感じましたが、ピリオドを取ればいいという話ではありません。いろいろ調べてみると、前半部分、@の前までを” ”(ダブルクォーテーション)で囲むと遅れる場合もあるとわかりました。やってみると大正解。新しい機種では囲まなくても送れるらしく、この問題の全部が腑に落ちました。ただ、問題はやはりもらったメールにそのまま返信できないことで、「了解しました」とか「ありがとう」とかの一言でもやはり新規メールにして送らなければならないことくらいです。
3. プリンターで黒字のみが印刷できない
これは上記に関連して手紙を作成した時起きた問題で、この日は何をやってもうまくいかない呪われた日でした。カラーでの印刷はできているのでこんなことってあるのかなという感じでした。ブラックのインクは減っているとはいえま使える程度はありますし、以前視覚障碍者が白黒反転させた画面で文書を作成した時、何かの手違いで文字が白の設定になり、白い紙に白い文字で印刷したため見えなかったという話を思い出しましたが、もちろんそのケースでもありません。その時はしかたなく、黒字のところを濃い青に変えて印刷しました。
しかし、プリンターをこのままというわけにはいきません。ノズルチェックパターンを印刷してみましたが、見事に黒が出ていない。修理に出すしかないと調べたところ、なんと古い機種のためもう修理期間は終了しており、修理にさえ出せないことがわかりました。となれば新たに購入するしかないので、壊れてもいいから自分でできるところまで修理してみることにしました。
ネットにはあらゆることが載っているもので、インクを取ってヘッドをり外しクリーニング溶剤を用いて目詰まりを溶かすという方法が見つかりました。太いブラックインクは顔料で、その他は染料だということもわかりました。しかし動画があってもこの方法はとてもできない。ヘッドを取り出すだけでも壊れそうと思いあきらめ、もう少し自分にできそうな方法を試みてそれで駄目なら購入を決意しました。すなわち最後にヘッドクリーニングおよび強力ヘッドクリーニングをかけ、ブラックインクを新しいものにし、念のためもう一度ノズルチェックパターンを出してみたら、なんと黒も印刷されているではありませんか。恐る恐る黒字の文書を印刷したらちゃんと出ている!修復したのです。やったーという感じでした。なお、プリンターは使用しなくても10日に一度くらい電源を入れた方がよいようなことを知らされました。この点では、不在でない時はスキャナーとしていつも使っているのでこれが吉と出たのかもしれません。
こうしてトラブル続きで大変だった10日間でしたが、何とか乗り越えられたことで、どうも変な自信がついたようです。試行錯誤の末今回学んだのは、とにかく知ってる人に聞く、わからなくても諦めずにしつこく調べる、無理はせず自分でできる程度のことをやってみる、以上三点です。
2016年5月30日月曜日
2016年5月28日土曜日
「栄養だけじゃない食物摂取」
栄養や食品についての関心は一段落していたのですが、最近再びこの案件が浮かび上がってきました。まっさらな状態で健康によい食品について考えるなら事は簡単で、あらゆる食品を満遍なくとればよいのですが、年を重ねるとそうもいかず健康上注意すべきことがわかってきます。また最近は、糖質、脂質、タンパク質、ミネラル、ビタミンからなるいわゆる5大栄養素以外にも、第六の食物繊維、そして第七のファイトケミカルについても大いに考慮する必要があります。さらに個人の健康状態によって考えなければならない変数が増えるので、単純には済まないのです。
たとえば、鉄が不足しがちだからレバーなどを食べるのは、プリン体の多い食品を避けなければいけない人には不正解。やはりひじきやゴマ、小松菜、アーモンド、プルーンあたりから摂るのがよいということになります。またDHAやEPAの多い優良食品として特に青魚がよく知られていますが、これもプリン体の多い食品を避けなければいけない人は考えどころです。まずイワシはあきらめるにしても、カツオもとなると少々つらい。しかしよく調べると、カツオやマグロのような回遊魚は乳酸の分解を促すアンセリンというペプチドを含有し、これによって尿酸の生成を防げるのなら、多少プリン体が多くてもそれを減殺する効果がありそうです。アンセリンは水溶性で熱にも強いというようなことも覚えておく必要があります。食品の持つ有効成分の絡み合いは実に複雑だと感心します。
ファイトケミカルに関しては、「植物ってえらいなー」の一言です。ほぼ全ての野菜・果物が含有するこの様々な有効成分が、過酷な環境から移動できない身を守るための自己防衛物質であると知れば、「ありがたくいただきます」と手を合わせたくなる気持ちです。ビタミン的にいかにも強そうな緑黄色野菜ばかりでなく、またいかにも薬効成分のありそうなねぎ・にんにく・しょうがのような野菜だけでなく、大根やキャベツといったごく普通に毎日食べる野菜にも必ずあるのがうれしいです。果物はだいたい何でも好きなのでよく食べますが、今回あらためて見直したのはバナナのすごさです。バナナには、白血球の3要素であるマクロファージ、顆粒球、リンパ球を増やす効果があり、またうつ防止に不可欠のセロトニンを生成する原料としての、トリプトファン、ビタミンB6、マグネシウムが同時にとれてしまうという優れた食材です。元気の源と再認識しました。
さて、どんなに健康にいいとわかっても、食品の取り方を工夫しないとおいしく食べて長続きというわけにはいきません。調理の仕方も大事で、たとえば、にんじん、きゅうり、かぼちゃ、りんごなどに含まれるアスコロビナーゼという酵素は、ビタミンCを酸化すなわち破壊するのですが、酸や熱を加えればその酵素の働きを抑えることができます。それぞれ単体で食べるなら問題ありませんが、ビタミンCの多い野菜と組み合わせてしかも生でたべる場合は工夫が必要です。かぼちゃは普通加熱して食べるしにんじんも加熱する場合はそれでよいのですが、きゅうりやにんじんを生で食べるときは酢と合わせるのがよいことになります。付け合せの紅白なますやきゅうりの三杯酢は理にかなった調理法で、昔の人はすごいなと思います。
自分なりに調理法を大別しているのは
1、そのまま食べてもおいしいもの(あるいはそのまま食べた方がいいもの)、
2.軽く熱を加えただけの調理で素材の味をそのまま生かしたいもの、
3.そのまま又は加熱して酢でしめるもの、
4.そのままでは食べづらいのでミルサーにかけて粉末にしていただくもの、
5.蒸して又はゆでてつぶして餡状にしておくもの、
6.具材を合わせて普通に炒める又は煮るもの
などで、これら様々なパターンをうまく組み合わせて食事を作っています。
栄養のことを学んだらすっかり試してみたくなり、しばらくスーパー通いとなりました。今、冷蔵庫や食品保管場所には保存用のパックに入った大量の調理品が並んでいます。実際に食べてみて摂取方法を改善していきたいのですが、人間が一日に食べられる量には限度がありますから、この企画が一段落するにはかなり時間がかかりそうです。
たとえば、鉄が不足しがちだからレバーなどを食べるのは、プリン体の多い食品を避けなければいけない人には不正解。やはりひじきやゴマ、小松菜、アーモンド、プルーンあたりから摂るのがよいということになります。またDHAやEPAの多い優良食品として特に青魚がよく知られていますが、これもプリン体の多い食品を避けなければいけない人は考えどころです。まずイワシはあきらめるにしても、カツオもとなると少々つらい。しかしよく調べると、カツオやマグロのような回遊魚は乳酸の分解を促すアンセリンというペプチドを含有し、これによって尿酸の生成を防げるのなら、多少プリン体が多くてもそれを減殺する効果がありそうです。アンセリンは水溶性で熱にも強いというようなことも覚えておく必要があります。食品の持つ有効成分の絡み合いは実に複雑だと感心します。
ファイトケミカルに関しては、「植物ってえらいなー」の一言です。ほぼ全ての野菜・果物が含有するこの様々な有効成分が、過酷な環境から移動できない身を守るための自己防衛物質であると知れば、「ありがたくいただきます」と手を合わせたくなる気持ちです。ビタミン的にいかにも強そうな緑黄色野菜ばかりでなく、またいかにも薬効成分のありそうなねぎ・にんにく・しょうがのような野菜だけでなく、大根やキャベツといったごく普通に毎日食べる野菜にも必ずあるのがうれしいです。果物はだいたい何でも好きなのでよく食べますが、今回あらためて見直したのはバナナのすごさです。バナナには、白血球の3要素であるマクロファージ、顆粒球、リンパ球を増やす効果があり、またうつ防止に不可欠のセロトニンを生成する原料としての、トリプトファン、ビタミンB6、マグネシウムが同時にとれてしまうという優れた食材です。元気の源と再認識しました。
さて、どんなに健康にいいとわかっても、食品の取り方を工夫しないとおいしく食べて長続きというわけにはいきません。調理の仕方も大事で、たとえば、にんじん、きゅうり、かぼちゃ、りんごなどに含まれるアスコロビナーゼという酵素は、ビタミンCを酸化すなわち破壊するのですが、酸や熱を加えればその酵素の働きを抑えることができます。それぞれ単体で食べるなら問題ありませんが、ビタミンCの多い野菜と組み合わせてしかも生でたべる場合は工夫が必要です。かぼちゃは普通加熱して食べるしにんじんも加熱する場合はそれでよいのですが、きゅうりやにんじんを生で食べるときは酢と合わせるのがよいことになります。付け合せの紅白なますやきゅうりの三杯酢は理にかなった調理法で、昔の人はすごいなと思います。
自分なりに調理法を大別しているのは
1、そのまま食べてもおいしいもの(あるいはそのまま食べた方がいいもの)、
2.軽く熱を加えただけの調理で素材の味をそのまま生かしたいもの、
3.そのまま又は加熱して酢でしめるもの、
4.そのままでは食べづらいのでミルサーにかけて粉末にしていただくもの、
5.蒸して又はゆでてつぶして餡状にしておくもの、
6.具材を合わせて普通に炒める又は煮るもの
などで、これら様々なパターンをうまく組み合わせて食事を作っています。
栄養のことを学んだらすっかり試してみたくなり、しばらくスーパー通いとなりました。今、冷蔵庫や食品保管場所には保存用のパックに入った大量の調理品が並んでいます。実際に食べてみて摂取方法を改善していきたいのですが、人間が一日に食べられる量には限度がありますから、この企画が一段落するにはかなり時間がかかりそうです。
2016年5月24日火曜日
「合同クラス会」
先日40年ぶりに中学時代の同窓会がありました。まだ現役でお忙しい方や老親の看護・介護で手が離せない方も多い中、半分近く集まれたというのはたいしたものです。実際、発起人の一人も急に来られなくなりましたが、急遽司会を頼まれた方(テレビにも出ているマドンナです!)がこころよく引き受けてくれて和やかな会でした。ただ先生がどなたも来られなかったのが、しかたのないこととはいえとても残念でした。お年を召されお疲れもあるでしょうし、いろいろお考えになってのことだと思います。その気持ちはとてもよくわかります。
中学時代といえば生き恥をさらしていた時期であり、十代から二十代前半にかけては人生で最も人づきあいが下手だった時期でもあり、私はほとんどお詫び行脚のような気持ちで参加したのですが、会わなかった月日の長さが、あんなことこんなことのすべてを水に流してくれました。私たちはあと30年もすればおおかた消えているのです。同じクラスの人はもちろん、これまであまり話せなかった方々とも、また小学校も一緒だった方々ともわだかまりなく話ができて、大人になって本当によかったと思いました。地元に根ざして立派になられている方、両親が亡くなって福島を引き払った方、お互いの立場や状況は様々ですがもう関係ありません。お互いをあだ名や君・ちゃん付けで呼べる人など他にはいません。
「今思うと、親はえらかったね。」とか、
「もう、この年なのだから、やりたいことをして、会いたい人に会っておかないとね。」とか、いろいろ話しましたが、各クラス幾名かの逝去者がすでにいるのは受け止めなければならない事実です。
居所不明者を次回還暦の年までにできる限り探そうという呼びかけと「集いの歌」斉唱で会が終了しました。昔からスパルタ的極端さが目立つ中学でしたが、予想にたがわずこの同窓会も会場貸切4時間というすごいものになりました。それでもまだまだ話せていない、話が聞けていない人がいたのが本当に残念です。発起人の方々に心から感謝し、またみんなの健康と幸福を心から願って会を後にしました。
中学時代といえば生き恥をさらしていた時期であり、十代から二十代前半にかけては人生で最も人づきあいが下手だった時期でもあり、私はほとんどお詫び行脚のような気持ちで参加したのですが、会わなかった月日の長さが、あんなことこんなことのすべてを水に流してくれました。私たちはあと30年もすればおおかた消えているのです。同じクラスの人はもちろん、これまであまり話せなかった方々とも、また小学校も一緒だった方々ともわだかまりなく話ができて、大人になって本当によかったと思いました。地元に根ざして立派になられている方、両親が亡くなって福島を引き払った方、お互いの立場や状況は様々ですがもう関係ありません。お互いをあだ名や君・ちゃん付けで呼べる人など他にはいません。
「今思うと、親はえらかったね。」とか、
「もう、この年なのだから、やりたいことをして、会いたい人に会っておかないとね。」とか、いろいろ話しましたが、各クラス幾名かの逝去者がすでにいるのは受け止めなければならない事実です。
居所不明者を次回還暦の年までにできる限り探そうという呼びかけと「集いの歌」斉唱で会が終了しました。昔からスパルタ的極端さが目立つ中学でしたが、予想にたがわずこの同窓会も会場貸切4時間というすごいものになりました。それでもまだまだ話せていない、話が聞けていない人がいたのが本当に残念です。発起人の方々に心から感謝し、またみんなの健康と幸福を心から願って会を後にしました。
2016年5月19日木曜日
「文学部に行く意味」
私が学生生活を送っていた頃はのんきでよい時代でした。その後、大学から文学部がどんどん消えていった印象がありますが、今はどうなのでしょう。少なくともただ「好きだから」という理由で将来の見通しもなく文学部に行くという高校生はもうほとんどいないのではないかと思います。「それが何の役に立つの?」とか「将来何になるの?」とか聞かれたら沈黙するしかない。そんな問いにすらすら答えられるような人は、大学で文学をやりたいなどと思わないでしょう。
私はヘンリー・ジェームズで卒論を書いたことを覚えていましたが、英米文学史上では周辺的な人ですし、先生の話ではその数年前頃から卒論のテーマに選ばれる文学者の傾向が変わってきて、サリンジャーが4人、シェークスピアがゼロという年もあったと嘆いておられたので、選択を誤ったかしらと漠然と思っていました。自分でもよくわからないけれど、なんだかマイナーな作家で卒論書いてしまったなと思い、それきり卒論のことはまったく記憶に上ることはなかったのです。
ところがつい先日、まったく唐突に、卒論のことが頭に浮かんだのです。思い出したのは、学部の図書館に通って彼の手紙類をかなり読んだこと、「あらゆる点で屈折しているけれど、書くならこの人だな。」と思ったことです。屈折の一つの原因はおそらく、彼の目から見て荒涼としたアメリカ社会を描くには、彼の文体は豊穣過ぎたためだろうと思います。どれほどヨーロッパ社会に慣れ親しみ最後はイギリスに帰化までしても、またその有り余る筆力でどれほど巧妙にヨーロッパ社会を描いたとしてもアメリカ人作家と分類されてしまう何かを持っており、アメリカにもヨーロッパにも居場所を見つけられない彼に、同情を禁じ得なかったのです。
題材として取り上げた作品は、「ある貴婦人の肖像( The Portrait of a Lady )」でした。読んだはずなのに筋を覚えておらず、「自由闊達なアメリカ娘が老成したヨーロッパ人との付き合いに苦労する話だっけ。話の全編を貫く結婚問題があったな。最後はアメリカ人らしい終わり方だったような・・・」という、まことに曖昧模糊とした記憶しかなく、さらに「なんでこの作品で書いたんだっけ。たぶん、代表作と言われる『デイジー・ミラー』には全く関心が持てず、後期の作品は手に負えそうになかったからだな。」と、それさえ明確に思い出せなかったのです。とりあえず、Gutenbergで部分的に読み返してみたところ、もう驚倒しました。なんとこれはある意味モラハラの話ではありませんか。当時の私にとってヘンリー・ジェームズのよいところは宗教性が薄いということだったのですが、素直で闊達なアメリカ的心性をもった主人公が、開放された人間性あふれる社会に惹きつけられながら、何かしら邪悪なものにからめ捕られていく様が見事ではあるが痛々しい。しかし、自分が誤ったことを彼女は認めて受け入れ、自分を心底愛していた従弟を死の床に見舞った後、以前から自分に好意を示していたアメリカ人実業家を振り切り、決然として再び伏魔殿に向かうのです。理由は明示されていませんし様々な解釈をゆるすのでしょうが、私には「闘うため」以外であるとは思えません。
三十年ぶりにこの話と再会してうなってしまいました。あの時、なぜかわからないまま選んで卒論を書いてしまった作家と作品の意味が、今頃になってわかるとは。当時、何が自分の心に引っかかっていたのかがわかっただけでなく、それは今現在も同じく自分の関心事なのだということを思い知ったからです。それは、非常にかすかな、人によってはそうは呼ばないかもしれない類の「人間の邪悪さ」だったのです。もしこのことが一貫して無意識にでも私の中にあったとしたなら、それだけで卒論を書いた意味はあったのです。私がこれまで様々な失敗や過ちをしながらも、この点に関してはそれを逃れて、広々とした心持ちの連れ合いに出会えたのは偶然ではなかったのだと得心がいきました。今更ながら文学部に行ってよかったと思います。
私はヘンリー・ジェームズで卒論を書いたことを覚えていましたが、英米文学史上では周辺的な人ですし、先生の話ではその数年前頃から卒論のテーマに選ばれる文学者の傾向が変わってきて、サリンジャーが4人、シェークスピアがゼロという年もあったと嘆いておられたので、選択を誤ったかしらと漠然と思っていました。自分でもよくわからないけれど、なんだかマイナーな作家で卒論書いてしまったなと思い、それきり卒論のことはまったく記憶に上ることはなかったのです。
ところがつい先日、まったく唐突に、卒論のことが頭に浮かんだのです。思い出したのは、学部の図書館に通って彼の手紙類をかなり読んだこと、「あらゆる点で屈折しているけれど、書くならこの人だな。」と思ったことです。屈折の一つの原因はおそらく、彼の目から見て荒涼としたアメリカ社会を描くには、彼の文体は豊穣過ぎたためだろうと思います。どれほどヨーロッパ社会に慣れ親しみ最後はイギリスに帰化までしても、またその有り余る筆力でどれほど巧妙にヨーロッパ社会を描いたとしてもアメリカ人作家と分類されてしまう何かを持っており、アメリカにもヨーロッパにも居場所を見つけられない彼に、同情を禁じ得なかったのです。
題材として取り上げた作品は、「ある貴婦人の肖像( The Portrait of a Lady )」でした。読んだはずなのに筋を覚えておらず、「自由闊達なアメリカ娘が老成したヨーロッパ人との付き合いに苦労する話だっけ。話の全編を貫く結婚問題があったな。最後はアメリカ人らしい終わり方だったような・・・」という、まことに曖昧模糊とした記憶しかなく、さらに「なんでこの作品で書いたんだっけ。たぶん、代表作と言われる『デイジー・ミラー』には全く関心が持てず、後期の作品は手に負えそうになかったからだな。」と、それさえ明確に思い出せなかったのです。とりあえず、Gutenbergで部分的に読み返してみたところ、もう驚倒しました。なんとこれはある意味モラハラの話ではありませんか。当時の私にとってヘンリー・ジェームズのよいところは宗教性が薄いということだったのですが、素直で闊達なアメリカ的心性をもった主人公が、開放された人間性あふれる社会に惹きつけられながら、何かしら邪悪なものにからめ捕られていく様が見事ではあるが痛々しい。しかし、自分が誤ったことを彼女は認めて受け入れ、自分を心底愛していた従弟を死の床に見舞った後、以前から自分に好意を示していたアメリカ人実業家を振り切り、決然として再び伏魔殿に向かうのです。理由は明示されていませんし様々な解釈をゆるすのでしょうが、私には「闘うため」以外であるとは思えません。
三十年ぶりにこの話と再会してうなってしまいました。あの時、なぜかわからないまま選んで卒論を書いてしまった作家と作品の意味が、今頃になってわかるとは。当時、何が自分の心に引っかかっていたのかがわかっただけでなく、それは今現在も同じく自分の関心事なのだということを思い知ったからです。それは、非常にかすかな、人によってはそうは呼ばないかもしれない類の「人間の邪悪さ」だったのです。もしこのことが一貫して無意識にでも私の中にあったとしたなら、それだけで卒論を書いた意味はあったのです。私がこれまで様々な失敗や過ちをしながらも、この点に関してはそれを逃れて、広々とした心持ちの連れ合いに出会えたのは偶然ではなかったのだと得心がいきました。今更ながら文学部に行ってよかったと思います。
2016年5月15日日曜日
「紅春 86」
今年の冬から春にかけての寒暖の変化は異常でした。おかげでりくも私もひどい目にあいました。1月から抜け毛が始まったかと思うと断続的に4か月続き、5月半ばになってもまだまだ終わる気配がありません。脚のもものところはニッカーボッカーのように膨らんで、飛び出した下毛を引っ張るとごそっと抜けます。首回りもまだモコモコで毛の飛び出し方が半端ではありません。お風呂に入れた後の抜け毛がが最も悲惨でもうお手上げです。羊のように毛刈りしたいくらいです。最近気づいたのは頭頂の毛の抜け替わりで、ハゲみたいでなんだか笑えます。でもこれ、どう見てもハート型でしょ。脱毛するにしてもハート型っていうのがりくなんだなあ。
2016年5月12日木曜日
「麗ちゃんのこと」
中学時代の級友で多くの時間を共に過ごした友人がいました。大人になってからも年賀状のやりとりはあったのですが、やがてそれも途絶えて20年近くたちました。その間、時々は思い出していましたが忙しさに紛れてそのままになっていました。連絡をとろうにも、彼女は郵便局に住所変更届を出していなかったのでそのすべもありませんでした。まだ携帯電話も普及していなかった頃です。
ほとんど似たところがない人とでも友達になれるのは子供の特権です。彼女は明るく外交的な人でいつも多くの友人に囲まれており、面白くて一緒にいると元気が出ました。活発で運動が得意な反面、思索好きな文学少女でもありました。私がソフトボール部と文芸クラブに入っていたのは、彼女の気さくさにひかれるところが大きかったのです。日曜の朝に荒川グランド、通称夢の島でソフトボールの練習をしたり、やなせたかしが監修していた「詩とメルヘン」をよく貸してくれたっけ。中学3年間は同じクラスだったし、教会でも時々一緒でした。高校ではクラスが違ってしまってあまり親しくする機会がなくなりとても残念な思いをしました。鮮明に覚えているのは中学の時お父さんが亡くなったこと。あれはつらかった。かける言葉がなかった。もう一つ覚えているのは、いつだったか、「生まれ来る子供たちのために」というオフコースの歌について、「これってイエス様のことなのかな。どう思う。」と訊かれ、「そんなふうにとれるけど、どうなんだろうね。」などと話したこと。
大人になってから、一緒にもう一人の友人の家に遊びに行ったことがあり、何年もあっていなかったけれど中学時代と同じ口調で仕事や近況について話したことがありました。楽しかったな。でもそれが最後でした。
連絡がつかなくなったことはずっと心にかかっていたので、時間ができてから少し探してみましたが消息はわかりませんでした。別の友人から今年40年ぶりに中学の同窓会が行われるというメールが来て、その友人も麗ちゃんの消息を探していることを知ったので、もう一度本腰を入れて探し始めました。長い時がたち時代も変わったのです。インターネットというかつて私たちが手にしていなかった探索方法で探すうち、中学時代の同窓生かと思われる人のブログ上に麗ちゃんの名前が見つかりました。思い切ってメールしてみるとやはりそうでした。彼はひょんなことから、数年間麗ちゃんと電子年賀状のやりとりがあったとのこと。そして、麗ちゃんがもう数年前にがんで亡くなっていたことを知らされました。亡くなる何年か前に彼が受け取ったウェブ年賀状には、「父が亡くなった年を越えました。」と書いてあったそうです。
私は茫然とし、ひとしきり泣きました。もう会えないのだという事実に打ちのめされ、もっと早く探すべきだったと悔やみました。しかし探していく中で、彼女がかつて所属していたはずのところから何も情報が得られないことを考え合わせると、ひょっとしたら彼女は静かに消えようとしていたのではないかという疑念がきざし、心が騒ぎました。実際のところ、彼女の最期がどんなだったかわかりませんが、ホスピスに入って「もう誰にも会わない。」と宣言して亡くなったヘルベルトと同様、自分の最期の姿を見られずに静かに逝きたいという人がいることも今では理解できます。でも、この点に関しては本人と周囲の人の気持ちは見事にすれ違うのです。たとえ本人がそのような形で記憶に残りたくないと思うような状態になっていたとしても、私は会いたかった。ずっと離れていても、麗ちゃんは私の友達だったのだから。今はただ彼女が平安のうちにあることを祈るばかりです。
ほとんど似たところがない人とでも友達になれるのは子供の特権です。彼女は明るく外交的な人でいつも多くの友人に囲まれており、面白くて一緒にいると元気が出ました。活発で運動が得意な反面、思索好きな文学少女でもありました。私がソフトボール部と文芸クラブに入っていたのは、彼女の気さくさにひかれるところが大きかったのです。日曜の朝に荒川グランド、通称夢の島でソフトボールの練習をしたり、やなせたかしが監修していた「詩とメルヘン」をよく貸してくれたっけ。中学3年間は同じクラスだったし、教会でも時々一緒でした。高校ではクラスが違ってしまってあまり親しくする機会がなくなりとても残念な思いをしました。鮮明に覚えているのは中学の時お父さんが亡くなったこと。あれはつらかった。かける言葉がなかった。もう一つ覚えているのは、いつだったか、「生まれ来る子供たちのために」というオフコースの歌について、「これってイエス様のことなのかな。どう思う。」と訊かれ、「そんなふうにとれるけど、どうなんだろうね。」などと話したこと。
大人になってから、一緒にもう一人の友人の家に遊びに行ったことがあり、何年もあっていなかったけれど中学時代と同じ口調で仕事や近況について話したことがありました。楽しかったな。でもそれが最後でした。
連絡がつかなくなったことはずっと心にかかっていたので、時間ができてから少し探してみましたが消息はわかりませんでした。別の友人から今年40年ぶりに中学の同窓会が行われるというメールが来て、その友人も麗ちゃんの消息を探していることを知ったので、もう一度本腰を入れて探し始めました。長い時がたち時代も変わったのです。インターネットというかつて私たちが手にしていなかった探索方法で探すうち、中学時代の同窓生かと思われる人のブログ上に麗ちゃんの名前が見つかりました。思い切ってメールしてみるとやはりそうでした。彼はひょんなことから、数年間麗ちゃんと電子年賀状のやりとりがあったとのこと。そして、麗ちゃんがもう数年前にがんで亡くなっていたことを知らされました。亡くなる何年か前に彼が受け取ったウェブ年賀状には、「父が亡くなった年を越えました。」と書いてあったそうです。
私は茫然とし、ひとしきり泣きました。もう会えないのだという事実に打ちのめされ、もっと早く探すべきだったと悔やみました。しかし探していく中で、彼女がかつて所属していたはずのところから何も情報が得られないことを考え合わせると、ひょっとしたら彼女は静かに消えようとしていたのではないかという疑念がきざし、心が騒ぎました。実際のところ、彼女の最期がどんなだったかわかりませんが、ホスピスに入って「もう誰にも会わない。」と宣言して亡くなったヘルベルトと同様、自分の最期の姿を見られずに静かに逝きたいという人がいることも今では理解できます。でも、この点に関しては本人と周囲の人の気持ちは見事にすれ違うのです。たとえ本人がそのような形で記憶に残りたくないと思うような状態になっていたとしても、私は会いたかった。ずっと離れていても、麗ちゃんは私の友達だったのだから。今はただ彼女が平安のうちにあることを祈るばかりです。
2016年5月7日土曜日
「人格指標」
2009年6月に「障害者郵便制度悪用事件」で、大阪地方検察庁特別捜査部によって、虚偽公文書作成と行使の容疑で逮捕された女性厚労省官僚がいましたが、彼女を知る人は皆口をそろえて「彼女に限ってそんなことが絶対あるはずないと」言っていたことを知り、感銘を受けたのを覚えています。結局この事件は、担当した特捜部主任検事が証拠改竄を行っており、上司もそれを知りながら隠したとして犯人蔵匿の容疑で逮捕されるというとんでもない事態に発展し、社会に衝撃を与えました。このような場合に、周囲の人が「あの人も魔が差したのか」と思うのではなく、「あの人は絶対そんなことをする人ではない」と言われる人がどれだけいることかと考えると、この方は並はずれてすぐれた人格者だったのだろうと思います。
日々の生活の中で、仕事に関するものにせよそうでないにせよ、人間が自分一人でできることには限りがありますから、だれでも他人に何かを頼んだり頼まれたりして過ごしています。その時おそらくどの人も、「この案件はあの人に、こちらはあの方にお願いしよう。」と決めていくはずです。それは、想像ですが、相手の性格やこれまでの行動や振る舞い方、付き合いの深さなどから、瞬時に相手の顔が浮かぶことがほとんどでしょう。そういう人をどれだけ持っているかが生きていく時間の豊かさと大いに関係があると思います。特に借りがあるわけでもないのに、「あの方の頼みなら何とかして聞いて差し上げなければ。」と思う人もいますし、困った時に「あの人なら多少無理しても、きっと頼みを聞いてくれる。」と思う人もいます。それはどういうことなのでしょうか。
例えば社会で要職についている人でも、あってはならない事をしでかすといった事件が頻繁に報道されますが、取り返しのつかない事件を予測することはできるのでしょうか。事件が起こる前に信頼するに足る人を雇う方法があればいいと思う人がでてくるかもしれません。予想ですが、グローバル資本主義を信奉する人たちの間で将来的には人格の数値化が行われ、公にか隠れてか、流通するようになるのではないでしょうか。なにしろ数値化されたものしか信じられない方々です。人格指標にはいくつかの観点があり、(これは「高潔さ」「穏和性」「社交性」「思いやり」「公共心」「自尊心」「「知性」「柔軟性」「ユーモア」「強靭さ」「向上心」「積極性」等いくらでも増やせますが)、を5段階で評価し多角形のグラフにします。もちろん面積が多い方が人格指標の数値が高いことになります。これを見ると、「頭がよく人当たりもよいが、ずるいところがあり嫉妬深いので足をすくわれるかもしれない」とか、「明るく外交的で好奇心も強く、リーダーシップもとれるが、時にカッとして判断を誤る可能性がある」とか、「物静かで何を考えているかわからないが、周囲への目配りができ、コツコツと小さな仕事を積み上げて大きな達成を期待できる」等々がわかるかもしれず、また企業ごとに採用規定ができ、評定点の合計が高いに越したことはないが、「高潔さ」と「穏和性」だけは5でないと採用しないなどということが起きるかもしれません。こういったデータは、その人のこれまでの言動の集積や他の人がその人をどう見ているかに関わるビッグデータから解析されて作成され、人を雇う時にひそかに調べたり、提出を求めたりするようになるだろうと思います。人格指標は一社だけでなくいくつもの企業から出され、それぞれ違った評価を得るでしょう。
一見、人の信頼度がわかってよさそうな気がしますが、妨害するための情報が流されたり、旧東ドイツ並みのスパイ活動が行われたりしないとも限らない途方もない企てです。一旦数値化が始まるととどまるところなく一方向へ進むので、こんなものがあればとんでもないことになります。子供のころからこの数値を上げるための心理規制がかかりそれがどれだけ人格を捻じ曲げ、鬱屈した行き場のない恨みつらみが社会をゆがませるかと思うと恐ろしくなります。何より、人格指標の数値が低いとは学業成績が悪いとか年収が低いなどということとは桁違いに、立ち直れない打撃を人に与えることになるでしょう。
今の社会状況から決してありえないこととは言えない悪夢を仮想してみましたが、この指標には決定的な瑕疵があります。どれだけその人の言動に関するデータを集めてどのような人であるかある程度わかった気になっても、それが今後その人が何を行うかを担保するものではないということです。数値にそのような力はないからです。しかしその人と付き合いのある生身の人間ならこれができるのです。これは親しい人であればあるほどまずはずれることはないし、まれにはずれても、「私に人を見る目がなかった。」だけのことだと納得できます。テレビのインタビューで、友達3人と会社を立ち上げた若者の一人が企業に就職しなかった理由を問われて、「こいつらとならやっていけると思った。こいつらに裏切られるのならそれでいいと思った。」と述べていましたが、これはけだし卓見で、その人を知らなければどんなに人格指標が高い人相手でも到底言えない言葉です。インターネット、とりわけSNSの発達により多くの人と知り合えるようになったことはある意味革命的なことですが、そこから発展的に本当にその人を知ること、そして人を見抜く力の涵養についての知見はいまだ見つかっていないように感じます。個人的にはまず人間の脆弱な心身への深い理解が必要で、顔と顔を合わせての付き合いが不可欠だと思っています。
2016年5月4日水曜日
「紅春 85」
父が亡くなってからうちに客人が見えることはほとんどなくなりましたが、それでも町内会関係やガス機器の点検等で人が来ることはあります。一番多いのは私が頼むネット通販の配送ですが、こういった人の来訪に関してはチャイムが鳴る前にほぼ100%察知することができます。りくが家の前に止まった車や足音を聞き分けて、吠えて知らせてくれるからです。ほんの数秒でも早めに誰かが来ることを知ることができると、何とはなしに心の準備ができるので思った以上に役に立ちます。
チャイムが鳴って廊下をいく時りくも必ず一緒についてきて、扉をあけて対応すると二、三回ワンワンしますが、この時は吠えると言っても喜んで吠えているのです。よく荷物を配達してくれるヤマトさんでは、想像ですがうちに柴犬がいることを知っておられるのではないかと思います。先日はいつもと違う青年が来ましたが、「あっ、この犬か・・・。」と小さな声で言ったので荷物の仕分け等をしながら話にのぼっているのかもしれません。それから、「触ってもいいですか。」と言ってりくをなでていきました。宅配の方には本当にお世話になっているので、「りく、あなたのご飯とおやつですよ。『いつもおいしいもの届けてくれてありがとう』って言ってください。」と挨拶させています。
チャイムが鳴って廊下をいく時りくも必ず一緒についてきて、扉をあけて対応すると二、三回ワンワンしますが、この時は吠えると言っても喜んで吠えているのです。よく荷物を配達してくれるヤマトさんでは、想像ですがうちに柴犬がいることを知っておられるのではないかと思います。先日はいつもと違う青年が来ましたが、「あっ、この犬か・・・。」と小さな声で言ったので荷物の仕分け等をしながら話にのぼっているのかもしれません。それから、「触ってもいいですか。」と言ってりくをなでていきました。宅配の方には本当にお世話になっているので、「りく、あなたのご飯とおやつですよ。『いつもおいしいもの届けてくれてありがとう』って言ってください。」と挨拶させています。
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