2016年2月15日月曜日

「強運の日本語」

 自らの文化を世界的に特異なものと主張する見解にはよほど注意してかからないといけないと、常々思っているのですが、こと日本語という言語については冷静に考えてそういう側面を否めない気がします。水村美苗は、『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』の「四章―日本語という 〈国語〉 の誕生」において、大陸から漢字が渡来した時を次のように述べています。

 「周知のように、十五世紀に西洋の大航海時代がぱじまるまで地球の多くの部分は無文字文化であった。それが、朝鮮半島との近さが幸いして、日本列島は、四世紀という、太平洋に浮かぶほかの島々と比べれば僥倖としかいいようもない時期に漢文が伝来し、無文字文化から文字文化へと転じたのである。文字文化の仲間入りをしたのを記念した「文字の日」を作り、ブラスバンドに演奏させぽんぽんと花火を上げて祝いたいような―あるいは、漢文明に感謝の意を表して、銅鑼を打ちパチパチと爆竹を鳴らして祝いたいような慶ばしいできごとである。」

 文字の渡来という歴史的な出来事を伝える熱が伝わってくる、こちらまでうれしくなるような表現です。これが最初のそして最大の幸運でした。

 象形文字である漢字を、そのうち「音」として用いる万葉仮名が使用されるようになり、表意文字と表音文字の両方を用いた表記体系になっていったこと、これが第二の幸運です。いいとこ取りの発想で漢字を改変し独自の発展を遂げたことにはそうなる必然があったのでしょう。本来のものを保持しつつ利便性を追及しやがては別のものにしてしまうというのが、この国が現在でも採用している変わらぬやり方です。

 かなは学問の言葉ではありませんでしたが、漢字使用を禁じられていた女に日常使える書き言葉があったということ、これが第三の幸運でした。1000年前の女が書いたものを今読める、読めるどころか当時の社会に仰天したり登場人物の心情に共感さえできるというのはタイムマシンを持っているのと同じで、すごいとしか言いようのないことです。

 鎌倉時代後期にはもう漢字ひらがな交じり文で流通していた書き言葉が、江戸時代になると300年の太平の世のおかげで、非西洋圏では例外的に資本主義が発達しており、庶民にも活字文化が行き渡っていたこと、これが第四の幸運です。

 日本がその国語を失う危機は何度かありました。アヘン戦争(1840年6月~1842年8月)による清国の敗北は学問の言葉としての漢文を揺るがすに十分だったでしょうし、またとペリーの浦賀沖来航(1853年7月8日)により現前した西洋の圧倒的科学技術の優位は英語公用語化の引き金になりかねない状況でした。

 「日本に明治維新があったとき、非西洋国圏で、植民地や保護国にされたり、分割されたり租借地として部分的に取り上げられたりしなかった国は、なんと、日本のほかには、五指で足りるほどしかない。ユーラシア大陸では、朝鮮、シャム、アフガニスタン、そしてオットマン帝国の一部。アフリカ大陸ではなんとエチオピアのみである。」と水村美苗は記しています。

 そしてこの時、第五の幸運というか日本語にとって奇跡的なことが起きたのです。憂国の知識人がこぞって通常ありえないような努力を傾けて、国家的事業として夥しい数の翻訳をおこない、それまで知られていなかった概念を日本語に移し変えるという作業をおこなったのです。結局日本は、明治政府初代文部大臣森有礼の英語公用化論に与せず、お雇い外国人を留学経験者にすげかえていくという選択をしました。この時輸入された新たな概念が即座に流通する素地がすでにあったことが幸いしました。明治5年出版の福沢諭吉の『学問のすゝめ』の初編が20万部以上、明治13年には全17編の合計が70万部売れたとのことです。(ちなみに明治初期の人口は3500万人程度と言われています。)こうして歴史上、日本語が自然の法則に反する速度で、著しくその能力を増した時期が一度だけあったのです。これほど人が母国語に情熱を注ぎその威力を増大させた例は他には皆無ではありますまいか。

 もちろん一番最近国語を失う危機に瀕したのは、太平洋戦争直後のGHQにょるローマ字化政策です。結局、民間情報教育局CIEによる全国270ヶ所の市町村、1万7千百人を対象にした日本語テストにより、日本人の驚くべき識字率が判明し、日本語のローマ字化は退けられました。これが第六の幸運です。

 このような事実を踏まえると、今私たちが手にしている日本語はいかに幸運の産物であったかがわかります。人類史の中で多くの言語が消滅していったにもかかわらず、日本語は僥倖に僥倖が幾重にも重なった結果として、今ここにあるのです。この事実はいくら強調してもしすぎることはないでしょう。言語にとって運がいいということは決定的に重要なことだからです。「よくまあご無事で・・・。」という私的な感慨をもって、この極東の島国に神が微笑んだような出来事を言祝ぎたいと思います。