2015年4月3日金曜日

「ドイツ航空機事故」

 事故直後からいやな予感がしていたのですが、今度の事故は人間による故意の墜落であったことがはっきりするにつれて世界中が沈痛な思いに包まれました。ことに交換留学から戻るところだった十数名の若い中高生が含まれていたことが悔やまれてなりません。

 事件を引き起こした副操縦士について様々なことがわかってきていますが、疾患があったとはいえごく普通の人のように思えます。むしろパイロットになるという夢をかなえただけでも恵まれた人だったと思うのですが、人生にはいろいろなことが起ります。日々の暮らしにあっては思い通りに行かないことが多いと不満を募らせたり、将来に不安を感じたりすることは誰でもあることです。でもこの人は、結局悪の力に飲み込まれてしまったのです。150人もの人を巻き添えにしたのは、その方々を自分の計画を際立たせる道具としか考えていなかったからでしょうし、自分の名が知れ渡り記憶されることを望んだのはある種永遠の名声を求めたのでしょう。「私の前にひざまずくなら全世界の権威と栄華をあげよう」と悪魔に言われて、その声に従ってしまった人なのです。どんなに機器が発達しシステムが整備されても、悪意をもって何かをしようとする人を止めることはできません。結局人なのです。とはいえ、何もかもが瞬時に伝わる現代の情報環境が、人間の思考を根底から変えつつあるのも事実でしょう。

 二十年前に母とヘルベルトと三人でドイツを巡り帰国する際、ヘルベルトのアドバイスで母とコックピットを訪れたことを思い出します。搭乗してから客室乗務員にその旨を頼んでおくと、離陸してずいぶん経ってからでしたが呼びに来てくれて母とコックピットに入れたのです。パイロットはドイツ人で、飛行中大変なことは何かと聞くと、「何もないよ。機械がみんなやってくれるから。」という答えでした。2、3分でしたが180度の雲のパノラマを味わうことができました。一般乗客が楽しみのためにコックピットに入れた時代があったなんて今では夢のようです。わずか20年前のことなのですが。