人間の場合は社会の中でしか生きられない動物ですから、できるだけ社会のメインストリームに合うように自己を変化させていきます。しかし、それがしっくりこないと感じている人も少なからずいます。私はごく小さなころから人と感じ方が違うなと思うことがありましたが、今でも日常の出来事や習慣、美術的な趣味、言葉に対する反応等で大方の人の感覚が理解できないということがよく起きます。そういう時寂しい気持ちはしますが、特に生活の基盤にかかわることではないので、昔からマイノリティとして生きてきたのだからそんなものだろうと諦めています。
芸術に携わりそれを生業にしている人だったら大いに悩むところでしょう。よく世に認められない芸術家が世間の人を馬鹿呼ばわりしたり、無理解に恨みを募らせたり、死んだ後に作品が評価されたりという話を聞きますが、そういう人はおそらくごく少数で、大多数の人は知らず知らずでもあれ世間の評価に合うように、少しずつ自分を変えてすり寄ってしまうでしょう。歴史に名を残すような人は、どんなに酷評されてもかたくなに自分のスタイルを変えず、いや変えられず、一生を終えた人なのだと思います。これは芸術に限りません。人からは不思議に見える生活でも変えられず続けていることならその人のスタイルであり、自分で変えられるようなものならスタイルでも何でもないのです。
さっき飼い主に似るかどうかは犬によるといいましたが、自分のスタイルを変えられないという点で言えば、りくは飼い主に似ているのかもしれません。