3月19日版「柴犬とオランダ人と」に、大規模デモのニュースが載りました。
「水曜に極左の反資本主義デモがありまして、フランクフルト東部は大荒れでした。。。パトカーが燃やされたり、投石で銀行が壊されたり、ペンキで汚されたり。職場が東部にあるので、アドちゃん(注:筆者の夫)は家で仕事になりました。」
以前、移民法の改正に伴うフランクフルト国際空港での騒動を書きましたが、それ以来かもしれません。或る意味いかにもドイツらしい話で、日本ではさすがに反資本主義デモは起きないでしょう。それで思い出したのは、先日特許庁に行ったとき見たデモ隊です。まあまあ天気がよかったので私は東京駅まで歩くことにしたのですが、3月11日という日が日であるだけに、また霞が関の経済産業省に近い場所だっただけに、「原発反対」のデモ隊が出ており、交差点には「福島を忘れるな」の立て看を持った人がいました。通りには警察車両が止まっており、大勢の機動隊がでていました。私は日比谷公園から皇居のお堀沿いに出て静かに歩いて東京駅へ行くつもりでしたが、どう間違えたのか新橋の方へ行ってしまい、結局高架橋に沿って二駅歩くことになりました。その途中でまたデモ隊にあったのです。このデモ隊はなぜか天皇制にも反対しているらしくシュプレヒコールはそれが原発反対とセットになっています。それを迎え撃つかのように他方の道の端には大きな日の丸をお腹のあたりで掲げ持った別の集団がずらりと並んでいました。デモ隊が通り過ぎる時、両者はお互い口汚く罵り合っており、両者が接触しないよう夥しい数の機動隊がデモ隊を取り囲む形でいっしょに進んでいきました。衝突や混乱はなかったので一切ニュースにはなりませんでしたが、その場に居合わせた者としては「すごかったなあ。」の一言です。
「事件を起こさせない」ことだけにあれほど多くの警官が割かれたのだということをあらためて考えてしまいました。生産的なことは何一つ行われたわけではないのです。世界に目を向けてみると、もっと大きなグループが、あるいは国論を二分するくらいの大きな対立があり、実際衝突を繰り返していたり、端的に殺し合いをしていたりするのです。その治安の維持にかかる労力、経費、いや人材喪失はいかばかりでしょうか。日本が戦後経済発展をしたのは、世界レベルで見れば争いごとがなかったからだということがはっきりわかります。「和を以って貴しとなす」が国是のような国であったればこそ可能なことだったのです。
2015年3月26日木曜日
「献堂式終わる」
今朝起きたら外は銀世界でした。3月下旬でもこういうことがあるのが福島の気候です。献堂式はこれを恐れていたのですが、当日はこれ以上ない好天でとても暖かく、そのうえ春先特有の強風が全くない穏やかな日でした。もし今日のような天候だったら写真撮影ひとつにしても大変だったことでしょう。
礼拝と感謝会からなる献堂式は、遠方からかけつけてくださった方々を含め140名を超える出席者によって祝われました。会堂の一般的な収容人数を越えていますが、前室とホールを礼拝では礼拝堂につなげて用い、感謝会Ⅱでは集会室につなげて用いたので全員の座席を確保することができました。献堂式はこの日の天候に象徴されるような恵みあふれる日となりました。神様に心からの感謝を捧げます。
これまで準備してきた献堂式がとりあえず一段落しほっとました。しばし脱力です。あとは後日発送分の整理ですが、これはもう少し時間がかかりそうです。そして本当に大事なのはそこから先のことであり、与えられた会堂をどのように用いていくかがこれからの大きな課題です。
礼拝と感謝会からなる献堂式は、遠方からかけつけてくださった方々を含め140名を超える出席者によって祝われました。会堂の一般的な収容人数を越えていますが、前室とホールを礼拝では礼拝堂につなげて用い、感謝会Ⅱでは集会室につなげて用いたので全員の座席を確保することができました。献堂式はこの日の天候に象徴されるような恵みあふれる日となりました。神様に心からの感謝を捧げます。
これまで準備してきた献堂式がとりあえず一段落しほっとました。しばし脱力です。あとは後日発送分の整理ですが、これはもう少し時間がかかりそうです。そして本当に大事なのはそこから先のことであり、与えられた会堂をどのように用いていくかがこれからの大きな課題です。
2015年3月20日金曜日
「紅春 60」
1月から献堂式の準備で出かけることが多くなりました。りくがおそらく一番嫌いな言葉は「お留守居」だと思います。私が朝から準備でバタバタしていると、りくは私が出かけることがわかるらしく、目に見えて元気がなくなりしょんぼりしています。私はりくに気合を入れて出かけます。
「姉ちゃん出かけるから、お留守居頼みます。お留守居はりくにしかできないんだからね。おうち守っててください。」
ドアを閉める時、りくは向こうで恨めしそうに見ている時もありますが、諦めて出て来ない時もあります。
私のいない間どう過ごしているのかは分かりませんが、たぶん大方寝ているのだろうと思います。私が東京にいる時は、りくは兄が帰るまで昼間10時間くらいひとりでいるのですから、6時間ほど家をあけても平気です。むしろ私がいると、りくは張り切って起きていて、昼寝をしないので寝不足になっているのです。
家に帰るとりくは大興奮で出てきて、それから「ずいぶん遅かったじゃないか。」と言わんばかりにワンワン吠えて抗議します。
「お留守居ご苦労様でした。がんばりました。お利口さんでした。」
と言って、すぐ散歩に連れ出し機嫌をなおしていただきます。
「姉ちゃん出かけるから、お留守居頼みます。お留守居はりくにしかできないんだからね。おうち守っててください。」
ドアを閉める時、りくは向こうで恨めしそうに見ている時もありますが、諦めて出て来ない時もあります。
私のいない間どう過ごしているのかは分かりませんが、たぶん大方寝ているのだろうと思います。私が東京にいる時は、りくは兄が帰るまで昼間10時間くらいひとりでいるのですから、6時間ほど家をあけても平気です。むしろ私がいると、りくは張り切って起きていて、昼寝をしないので寝不足になっているのです。
家に帰るとりくは大興奮で出てきて、それから「ずいぶん遅かったじゃないか。」と言わんばかりにワンワン吠えて抗議します。
「お留守居ご苦労様でした。がんばりました。お利口さんでした。」
と言って、すぐ散歩に連れ出し機嫌をなおしていただきます。
2015年3月17日火曜日
「特許熱再び」
前々回と前回の間は丸一週間たっていたことに気づかずにいました。その間一心不乱に特許出願申請書を書いていたのです。願書の1ページの最初に書く提出日は普通全部書き終えてから入れるのでしょうが、目標の日を決めないと出来上がらない気がしたのでまず日付を入れることにしました。この時期なら3月11日以外あり得ない。
現物でなら簡単に説明できるものでも言葉と図で解説するのは並大抵ではありません。以前書いたものを下敷きにしようとしたら、今読むとよくこんなもの出したなというくらいひどい代物でした。形式はわかっていたので前より楽でしたが、ちょっと書いてはぐったりし食生活もいい加減、いつものジョギングも割愛しました。朝は午前2時に目が覚め、寝ている間にまとまってきたことを一気に書いてまた布団に入り、再び起きて、「僕の一番欲しかったもの」を聴いて涙を流してはパソコンに向かうという相当変な生活でした。
特許電子図書館で閲覧できる出願された特許は、おびただしい数のユニークなアイディアの宝庫というか墓場のような様相を呈していますが、これを見ると人間に対するいとおしさが湧いてきます。自分のアイディアを占有したいという気持ちが全くないとは言いませんが、それだけでこれほどの情熱を傾けられるとは思えません。自分が思いついた発想を知ってほしいという欲求がまずあるのは間違いなく、ただ世の中には悪い人もいるから、自分のアイディアが悪用されそうになったり不愉快な奴に使われそうになったりするのを阻止する目的で出願する人もいることでしょう。
とはいえ、出願には勢いが必要です。途中で気が緩んだらそのまま空中分解ということもありえます。思い出すのは、特許ではありませんが父が生前ごくまれに宝くじを買っていたことで、年末にくじ券を眺めながら「これがもうすぐうん千万円になるんだよな。」なんて言っているのを聞いて、私はよくそこまで楽観的になれるなとあきれていました。しかしある意味この手の妄想は有効で、それが出願への推進力にもなるのです。宝くじよりは希望が持てる感じですし・・・。私の場合はりくを目の前に座らせて、「これがうまくいったらアキレススティックを好きなだけ食べさせてあげるからね。」と話している場面を思い浮かべるのです。(アキレススティックはりくの好きな鶏のすじ肉のおやつです。)
11日の早朝申請書は一応できたものの、その後読み返して単純なミスを見つけやっぱり今日申請するのは無理かなと思ったりもしました。結局お昼頃完成ということにして特許庁に出かけました。申請受付の職員が手際よく点検してゆき、途中で「あっ」と小さな声を上げて別の職員に何か問い合わせに行きましたが、戻ってきてから訂正を求められることはなくほっとしました。最終的に訂正は1ページ目に一か所あっただけで(それだけでも大変なことですが)、その場で一文字直してOKでした。今回オンライン出願を検討したのですが、住民基本台帳カードなどの準備が間に合わず見送ったのは正解でした。特許庁の職員というのはきっとみな弁理士の資格があるのでしょうが、最後に担当の女性職員が「ではこれでお預かりします。」と言って受け取ってくれた時どことなく笑いをかみ殺したような顔だったと思うのは気のせいでしょうか。面白がってくれたのなら来た甲斐があったと思いました。しんどかったけど楽しかった。これもあとから読むと、なんでこんなの出しちゃったのかなというようなものになるんでしょうけど。
現物でなら簡単に説明できるものでも言葉と図で解説するのは並大抵ではありません。以前書いたものを下敷きにしようとしたら、今読むとよくこんなもの出したなというくらいひどい代物でした。形式はわかっていたので前より楽でしたが、ちょっと書いてはぐったりし食生活もいい加減、いつものジョギングも割愛しました。朝は午前2時に目が覚め、寝ている間にまとまってきたことを一気に書いてまた布団に入り、再び起きて、「僕の一番欲しかったもの」を聴いて涙を流してはパソコンに向かうという相当変な生活でした。
特許電子図書館で閲覧できる出願された特許は、おびただしい数のユニークなアイディアの宝庫というか墓場のような様相を呈していますが、これを見ると人間に対するいとおしさが湧いてきます。自分のアイディアを占有したいという気持ちが全くないとは言いませんが、それだけでこれほどの情熱を傾けられるとは思えません。自分が思いついた発想を知ってほしいという欲求がまずあるのは間違いなく、ただ世の中には悪い人もいるから、自分のアイディアが悪用されそうになったり不愉快な奴に使われそうになったりするのを阻止する目的で出願する人もいることでしょう。
とはいえ、出願には勢いが必要です。途中で気が緩んだらそのまま空中分解ということもありえます。思い出すのは、特許ではありませんが父が生前ごくまれに宝くじを買っていたことで、年末にくじ券を眺めながら「これがもうすぐうん千万円になるんだよな。」なんて言っているのを聞いて、私はよくそこまで楽観的になれるなとあきれていました。しかしある意味この手の妄想は有効で、それが出願への推進力にもなるのです。宝くじよりは希望が持てる感じですし・・・。私の場合はりくを目の前に座らせて、「これがうまくいったらアキレススティックを好きなだけ食べさせてあげるからね。」と話している場面を思い浮かべるのです。(アキレススティックはりくの好きな鶏のすじ肉のおやつです。)
11日の早朝申請書は一応できたものの、その後読み返して単純なミスを見つけやっぱり今日申請するのは無理かなと思ったりもしました。結局お昼頃完成ということにして特許庁に出かけました。申請受付の職員が手際よく点検してゆき、途中で「あっ」と小さな声を上げて別の職員に何か問い合わせに行きましたが、戻ってきてから訂正を求められることはなくほっとしました。最終的に訂正は1ページ目に一か所あっただけで(それだけでも大変なことですが)、その場で一文字直してOKでした。今回オンライン出願を検討したのですが、住民基本台帳カードなどの準備が間に合わず見送ったのは正解でした。特許庁の職員というのはきっとみな弁理士の資格があるのでしょうが、最後に担当の女性職員が「ではこれでお預かりします。」と言って受け取ってくれた時どことなく笑いをかみ殺したような顔だったと思うのは気のせいでしょうか。面白がってくれたのなら来た甲斐があったと思いました。しんどかったけど楽しかった。これもあとから読むと、なんでこんなの出しちゃったのかなというようなものになるんでしょうけど。
2015年3月12日木曜日
「特許制度の本質」
ビール会社2社がノンアルコールビール風味飲料の販売をめぐって争っています。S社は自社が取得した特許をA社が侵害していると言い、A社はS社の特許は無効であり特許の権利行使は認められないとしています。
数年ぶりに寝込むような風邪をひき(インフルエンザだったかもしれません。)、しばらく外出を控え家で過ごしました。その間沈みがちな気持ちを上げるために手仕事をしていろいろなものを作っていたら、来たのです、アイディア・グッズ作製の波が。使いようのない物がたくさんできましたが、そのうち「これはひょっとしたら・・・」という物ができました。だんだん楽しくなってしまい、どんどんアイディアが出ました。周囲の人が見たら、「また変なもの作ってるな。」という感じでしょうが、本人は脳内が沸騰したような状態で、「これは他の人にも便利かも。」と気持ちが高揚しているのです。
私は歌にはまったく疎いのですが、最近CMで流れる歌に思わず聴き入ってしまったものがありました。槇原敬之の「僕が一番欲しかったもの」という歌で、ふいに胸を衝かれたという感じでした。私もお世話になった人に何かを差し上げたいと思うことが時々ありますが、人が欲しいと思っているものと私があげたいと思うものが一致することはめったにありません。何を選択するかは相当難問ですが、もし本当に欲しいと思っているものをあげられたらとてもうれしくなります。最近はこの贈与こそが、人間を人間たらしめる根源的なものではないかと考えるようになりました。ようやく文化人類学の深遠な知見を心情として理解できたように思います。
今回の思いつきを四苦八苦しながら文章にし、へたくそな絵を描いて特許出願の申請書を書きました。特許制度が存在するのはおそらく一般に考えられているのとは逆に、或る発明を占有的に行使するためではなく、「すごくいいこと思いついたよ。」と多くの人に告げ、贈与するためなのです。先行技術を調べているととてもユニークな発想にぶつかり思わず微笑んでしまうということがあります。しかし、出願したもののなかで審査請求までしたものはそう多くはないようです。自分のアイディアを告知する最適の場として特許制度を利用している人もかなりいるのではないでしょうか。それは「これ面白いでしょ。使える人がいたら使って。」という意思表明であり、自分の発明を見て面白がったり喜んだりしてくれる人がいるだけで十分なのです。その気持ちはとてもよくわかります。
私は前述のビール会社の訴訟について何も知りませんが、その業界に携わる人が容易に考えつくようなことをS社が占有的に特許として取得してしまったとするなら、とてもつまらないことだし、特許制度の根本概念に反するのではないかと思います。何より創業者がそれを聞いたら嘆くか激怒するかするのではないでしょうか。
数年ぶりに寝込むような風邪をひき(インフルエンザだったかもしれません。)、しばらく外出を控え家で過ごしました。その間沈みがちな気持ちを上げるために手仕事をしていろいろなものを作っていたら、来たのです、アイディア・グッズ作製の波が。使いようのない物がたくさんできましたが、そのうち「これはひょっとしたら・・・」という物ができました。だんだん楽しくなってしまい、どんどんアイディアが出ました。周囲の人が見たら、「また変なもの作ってるな。」という感じでしょうが、本人は脳内が沸騰したような状態で、「これは他の人にも便利かも。」と気持ちが高揚しているのです。
私は歌にはまったく疎いのですが、最近CMで流れる歌に思わず聴き入ってしまったものがありました。槇原敬之の「僕が一番欲しかったもの」という歌で、ふいに胸を衝かれたという感じでした。私もお世話になった人に何かを差し上げたいと思うことが時々ありますが、人が欲しいと思っているものと私があげたいと思うものが一致することはめったにありません。何を選択するかは相当難問ですが、もし本当に欲しいと思っているものをあげられたらとてもうれしくなります。最近はこの贈与こそが、人間を人間たらしめる根源的なものではないかと考えるようになりました。ようやく文化人類学の深遠な知見を心情として理解できたように思います。
今回の思いつきを四苦八苦しながら文章にし、へたくそな絵を描いて特許出願の申請書を書きました。特許制度が存在するのはおそらく一般に考えられているのとは逆に、或る発明を占有的に行使するためではなく、「すごくいいこと思いついたよ。」と多くの人に告げ、贈与するためなのです。先行技術を調べているととてもユニークな発想にぶつかり思わず微笑んでしまうということがあります。しかし、出願したもののなかで審査請求までしたものはそう多くはないようです。自分のアイディアを告知する最適の場として特許制度を利用している人もかなりいるのではないでしょうか。それは「これ面白いでしょ。使える人がいたら使って。」という意思表明であり、自分の発明を見て面白がったり喜んだりしてくれる人がいるだけで十分なのです。その気持ちはとてもよくわかります。
私は前述のビール会社の訴訟について何も知りませんが、その業界に携わる人が容易に考えつくようなことをS社が占有的に特許として取得してしまったとするなら、とてもつまらないことだし、特許制度の根本概念に反するのではないかと思います。何より創業者がそれを聞いたら嘆くか激怒するかするのではないでしょうか。
2015年3月5日木曜日
「日本のクリスチャン」
日本のクリスチャン人口は1%を超えたことがないと言われています。もちろん歴史的な経緯や国民性といった理由があるでしょうが、近ごろこの数字を少ないという前に、人口の1%の信者数というのは案外妥当な数字なのではないかと思うようになりました。
いわゆるキリスト教圏の国々で国民の大半が信者であるといっても、日本におけるほど明確な自覚があるかというと疑問に思わざるを得ません。間違っていたら申し訳ないのですが、キリスト教国においてそれなりに信仰に基づいた生活を送っている人でも、自らの信仰について厳しく問うことがないまま、日本における神道や仏教のようにただ古くからの慣習に従っているだけということもあるかもしれません。相当前からヨーロッパではかなりの規模でキリスト教会が消えているのではないかと思います。フランクフルトのパウルス教会のように教会としては維持することができず、展示スペース等として利用されている建物も多いことでしょう。悲しいことです。しかし、かといって、目端の利く指導者が入念なマーケットリサーチをもとに経営しているビジネスのような、アメリカのメガチャーチもどうかと思います。聖職者による説教付きのショッピングモールやコンサートホール、シネコンとどこが違うのでしょうか。これもまた目指すべき姿ではありません。
日本のキリスト教も特に地方で衰退が顕著ですが、高齢化や少子化、加速する社会の多忙さ等のせいもあると重々わかったうえで、敢えて言うならそれは聖職者と信徒両方の責任です。進む方向は間違っていないと思いますが、伝道する力が欠けているのです。新興宗教等による犯罪が起きるたび日本の宗教アレルギーは高まり、普通の信仰者が気後れしてしまうのはわからないでもありません。しかし、これほど自殺者や病んでいる人が多いのです。人の魂を救う本当の言葉を知っているなら伝えずにはいられないという気持ちは必ずどこかにあるはずです。
以前、キリスト教と縁もゆかりもない人が教会に行ってみたいと思いたった時の実録を読んだことがありますが、この方はリサーチして近くまで行くもののどうしても会堂に入れず、入るまでに1カ月かかったと書いていました。それまでキリスト教と縁のなかった人が自力で教会に行くのがこれほどまでに大変なことだとは想像できませんでした。何か手助けになるようなことができないものかと考えてしまいます。
いわゆるキリスト教圏の国々で国民の大半が信者であるといっても、日本におけるほど明確な自覚があるかというと疑問に思わざるを得ません。間違っていたら申し訳ないのですが、キリスト教国においてそれなりに信仰に基づいた生活を送っている人でも、自らの信仰について厳しく問うことがないまま、日本における神道や仏教のようにただ古くからの慣習に従っているだけということもあるかもしれません。相当前からヨーロッパではかなりの規模でキリスト教会が消えているのではないかと思います。フランクフルトのパウルス教会のように教会としては維持することができず、展示スペース等として利用されている建物も多いことでしょう。悲しいことです。しかし、かといって、目端の利く指導者が入念なマーケットリサーチをもとに経営しているビジネスのような、アメリカのメガチャーチもどうかと思います。聖職者による説教付きのショッピングモールやコンサートホール、シネコンとどこが違うのでしょうか。これもまた目指すべき姿ではありません。
日本のキリスト教も特に地方で衰退が顕著ですが、高齢化や少子化、加速する社会の多忙さ等のせいもあると重々わかったうえで、敢えて言うならそれは聖職者と信徒両方の責任です。進む方向は間違っていないと思いますが、伝道する力が欠けているのです。新興宗教等による犯罪が起きるたび日本の宗教アレルギーは高まり、普通の信仰者が気後れしてしまうのはわからないでもありません。しかし、これほど自殺者や病んでいる人が多いのです。人の魂を救う本当の言葉を知っているなら伝えずにはいられないという気持ちは必ずどこかにあるはずです。
以前、キリスト教と縁もゆかりもない人が教会に行ってみたいと思いたった時の実録を読んだことがありますが、この方はリサーチして近くまで行くもののどうしても会堂に入れず、入るまでに1カ月かかったと書いていました。それまでキリスト教と縁のなかった人が自力で教会に行くのがこれほどまでに大変なことだとは想像できませんでした。何か手助けになるようなことができないものかと考えてしまいます。
2015年3月2日月曜日
「外向的性格と内向的性格」
人を性格で二分するとしたら、外向的か内向的かが最も重要な分類であり、それは人の一生に決定的な影響を与えるものでしょう。当てずっぽうですが、これまでの経験上日本人の生来の性質として、外向的な人と内向的な人の割合は3対7くらいかなと思います。前者は周りの人を巻き込みながら比較的楽に社会生活が送れる人であり、後者の2割くらいは人とのコミュニケーションに苦痛を感じるほど社会生活が苦手であり、残りの人はそれぞれのレベルでそこそこにあるいはだましだまし、社会に適応しているような気がします。もちろん社会生活は慣れによる部分が大きく、訓練する意味はあるのですが、よく言われるように病気は治ることがあっても性格が変わることはないのです。
農業など従来の第一次産業や職人業は比較的人とのコミュニケーションが少ない職業だったかもしれませんが、これらはもはや希少と言ってもいい部類の職業です。現代はサービス業に従事する人が圧倒的に多いのですから、高度なコミュニケーション能力なしに職に就くことが難しくなっており、内向性の度合いが高い場合、非常につらい立場に追い込まれることになります。人は容姿、芸術性、知性など、それぞれ持って生まれたもので世渡りしていくわけですが、今ではその中に外向性というのも大事な要素として入れなければならないだろうと思います。
ただ、内向的だからと言って悲観する必要はありません。変な言い方ですが、それに気づかなければいいのです。私は自分をどちらかといえば内向的だがまあ普通だろうと思って30年近く勤めてきましたし、やっている時は天職だとさえ思ってもいたのです。退職して初めて自分がいかにその職に向いていなかったか、いかに無理をしてきたかわかりました。職業とはある意味、自分に合わないと思ったことをどうやって続けていくかの問題だと言ってもいいくらいなのですから、間違っていたわけではないのです。勘違いでここまでやってこれたのは幸せなことでした。自分は内向的だから世渡りがつらいなと気づいてしまった人は、このさい思い切り開き直って、仕事中は演技に徹して楽しむというのも手かもしれません。
農業など従来の第一次産業や職人業は比較的人とのコミュニケーションが少ない職業だったかもしれませんが、これらはもはや希少と言ってもいい部類の職業です。現代はサービス業に従事する人が圧倒的に多いのですから、高度なコミュニケーション能力なしに職に就くことが難しくなっており、内向性の度合いが高い場合、非常につらい立場に追い込まれることになります。人は容姿、芸術性、知性など、それぞれ持って生まれたもので世渡りしていくわけですが、今ではその中に外向性というのも大事な要素として入れなければならないだろうと思います。
ただ、内向的だからと言って悲観する必要はありません。変な言い方ですが、それに気づかなければいいのです。私は自分をどちらかといえば内向的だがまあ普通だろうと思って30年近く勤めてきましたし、やっている時は天職だとさえ思ってもいたのです。退職して初めて自分がいかにその職に向いていなかったか、いかに無理をしてきたかわかりました。職業とはある意味、自分に合わないと思ったことをどうやって続けていくかの問題だと言ってもいいくらいなのですから、間違っていたわけではないのです。勘違いでここまでやってこれたのは幸せなことでした。自分は内向的だから世渡りがつらいなと気づいてしまった人は、このさい思い切り開き直って、仕事中は演技に徹して楽しむというのも手かもしれません。
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