2015年2月7日土曜日

「報道で知る後藤健二さんという人」


 連日イスラム国による日本人人質事件のニュースが流れ、二人とも殺害という最悪の結末で幕を閉じました。初めはほとんど気に留めていなかったのですが、事件が長引く中、人間像がはっきりしていくにつれ関心を持つようになりました。私は公に報道されていること以外の情報は知りませんが、この二人の人質はあまりに対照的です。片や民間の軍事会社の経営に関わってシリア入りをし、一度拘束されて助け出されたにもかかわらず再び拘束された人であり、片やシリアの現状を伝えるフリージャーナリストで、今回は再び前述の湯川さん救出のためにかなりタイトな日程を押してシリア入りしたのです。この後藤健二さんというジャーナリストは現地の方にも知られていたようで、インタヴューを受けた人が、それも子供から大人まで、彼に対してよい印象を語っていました。その地に住むごく普通の人々の暮らしがよくなることや将来の人々の幸せを願って活動していた使命感を持つ人だったのです。ジャーナリストほどピンキリの幅が大きく、その人柄がそのまま仕事の質に直結する職業もないと思うのですが、彼はジャーナリスト仲間からも「真にプロとしての職業倫理に立った人である。」と評価されていて、だんだん心に引っ掛かり目が離せなくなりました。

世間では私も含め、危ない目に会いたくない人が圧倒的に多いのですから、殺害された原因を好き好んで危険地帯に行った人の自己責任に帰す論調になってしまうのもわからないわけではありませんが、前者はともかかく後者のような人がいるから、そこで何が行われておりどれ程危険なのかもわかるのです。後藤さんはかなり早い段階から、「イスラム国はイスラムに名を借りたテロリスト集団にすぎない。」と発信していたようです。その言葉を証明するように、ヨルダンのパイロットも含め三人とも残忍な殺され方をしました。人間の悪魔的な邪悪さを極限まで追求したものでした。

亡くなってから後藤さんがクリスチャンであったことを初めて知りました。「そうだったのか。」となんとなく胸にすとんと落ちる感じでした。周囲の人が「普段は非常に慎重であった彼にしては、今回の渡航は軽はずみに見える。」と口をそろえて言っていたのを思い出し、何か彼にしかわからない事情があったのだろうと思うようになりました。たぶん誤った情報だったのですが、湯川さんを救助できるかもしれないと思える感触を得て、なんとか救いたいという思いに突き動かされたのではないかと。残念な結果になってしまいましたが、特徴的な人でした。キリストの香りを放つ人だったのです。天国における平安とご家族の慰めを祈ります。

友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。(ヨハネによる福音書15 13節)