友人という言葉は人によってカバーする範囲の差が相当ありますが、私の場合は数はごく少ないけれども長い付き合いの人を指す言葉です。これまで相手から絶交されたことはありませんが、こちらから縁を切った人が一人います。大学時代からの友人でとてもいい人でした。彼女は仏教系の或る宗教を信奉していましたがお互い干渉しあうことなく、付き合いに支障が出ることはありませんでした。社会人になってからも年に1~2回は会っていましたが、付き合いが20年になる頃、私の視力が低下するという困難な事態が起きました。
彼女にそのことを告げますと大変心配してくれましたが、そのうちどうも変だと思うようになりました。彼女は人間の身に起こることを因果応報という文脈で理解しているようなのです。まさかと思い少しやり取りすると、歯切れが悪いながらやはりそうとらえているようでした。またそこには、自分の信奉する宗教へ誘いたいという意図もあるようでした。
ヨブ記には、この世的に恵まれた人生を歩んでいた義人ヨブが、悪魔と神のやり取りの中で財産、家族、健康のすべてを奪われるという試練に合い、信仰を試されるという話があります。その時、ヨブの3人の友人がヨブを慰めようとやってきて、七日七晩黙してともに地に座した後、やがてヨブを問い詰めます。その時の論理が「因果応報」なのです。身に覚えがないヨブと違い、私は過ちの多い不義だらけの人間だと自覚していますが、そのことで神が私に罰を加えることはないと断言できます。神様はこういう形で罰を与えることはなさらない、「因果応報」それだけは絶対にないというのが私の確信でした。
私は残念ながら彼女と縁を切りました。ヨブは神と論じることを望んだ人ですが、私は悪魔とも論争はしません。この判断は正しかったと今でも思っています。荒野で悪魔の試みに会われた主イエスは、悪魔が繰り出す3つの挑戦に対しそれぞれ旧約聖書からのほぼ一言の引用のみで撃退しています。
ルカによる福音書4章1~13節
さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、 荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。 そこで悪魔が言った、「もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらんなさい」。 イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」。それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて 言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。 それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。 イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。 それから悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、「もしあなたが神の子であるなら、ここから下へ飛びおりてごらんなさい。 『神はあなたのために、御使たちに命じてあなたを守らせるであろう』とあり、 また、『あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』とも書いてあります」。 イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』と言われている」。 悪魔はあらゆる試みをしつくして、一時イエスを離れた。