2015年2月10日火曜日

「ドイツの犬 日本の犬」

 私の印象では、ドイツの犬はこれが同じ犬かと思えるほど公共の場での振る舞いがきちんとしていて、(例えば電車の中や屋外レストランのテーブルの下で、身を小さくして飼い主の足元に長時間伏せているなど)、誰が主人であるかをたたきこむのがしつけの第一歩なのだと思われました。犬だって人の上に立ちたいのですから、この序列をきっちり教え込んで初めて社会生活が許される犬となるのです。

 しかし、日本の場合、犬に限らず動物は共に生活する家族という位置づけです。子供の数よりペットの数の方が多い昨今、ペットのいきすぎた甘やかしはよくないと思いますが、もともと動物に対する接し方が違うので育て方も違ってくるのはいたしかたないし、その結果としての有り様が相違しているのも当然です。

 りくの様子を見ていると、自分を他の家族の上でもなく、下でもなく、まったく対等と考えているようです。子供のころ飼っていた洋犬は、私が子供だったこともあってか明らかに上位に立とうとしていましたから、ひょっとするとこれは長年培われた日本犬の特徴かもしれません。教えなくてもお座りはできたし、教えてもお手はしなかったのは、礼儀はわきまえているが媚びるようなことはしないということなのでしょう。気づくと私もりくを対等に扱っています。

「おっ、世界で一番かわいい子いたな。」
台所をして茶の間に戻る時、しばらく外につないでおいて家に入れる時、仕事が一段落してお茶にする時、私はりくにそう話しかけます。
「人間は馬鹿だなあ。りーの方がよっぽど賢いよな。」
殺伐としたニュースを聞いたり、何でもないことでへまをしてしまったり、自分の大人げない行為を振り返って反省する時、やはりりくに話しかけます。りくから返事が返ってくることはありませんが、まんざらでもない顔で聞いています。