2014年12月24日水曜日

「新会堂竣工」   Our Chapel Has jJust Been Completed.

 福島教会の新会堂の工事は、予定通り12月20日に完了し、検査確認を経てヴォーリズ建築事務所および施工業者安藤組と施主福島教会が一堂に会し、22日に引き渡されました。新会堂は、慣れ親しんだ旧会堂の面影を残しながら、ヴォーリズ建築事務所が近年新たに手掛けたデザインという新しさも併せ持つ大変美しいフォルムです。安藤組は福島市から優良建設会社として表彰された会社にふさわしく、現場監督を中心に朝早くから職人さんが渾身の仕事をされ、設計図を形にしてくれました。何度か試みましたが、私のカメラでは礼拝堂の全体像を写真に収めることはできなかったのが残念です。

 初めて礼拝堂に入った時にはあまりの美しさに言葉も出ず、ただただ畏れと感謝に包まれました。これまでの道のりを思うと、自分たちの力では到底なしえなかった神の大いなる御業に打たれたのです。高い天窓からは明るい光が射し込み、なんとなくヨーロッパの教会のドームを思い起こさせますが、木造の温かさがあり芳しい木の香りが漂っています。それから、施設の仕様や使い方の説明を受けながら皆で部屋を回りました。細部に様々な工夫があり、職人さんの丁寧な仕事ぶりを知ることができました。使い方はだんだん慣れていくしかありません。

 22~23日は備品の搬入や伝道館からの引っ越し作業を行いました。21日のクリスマス礼拝が伝道館での最後の礼拝になり、新会堂での礼拝は24日のイヴ礼拝からです。この3年10か月礼拝ばかりでなく、祈祷会も教会学校も婦人会も教師会も地区書集会もすべてこの伝道館でおこってきました。これほど御用のために十分用いられた空間もないでしょう。震災後も伝道館が残されていたことに深く感謝致します。この数日、毎日教会へ行っていますが、なんだかまだ現実感に欠けておりふわふわした感じです。本当に夢のようです。









2014年12月19日金曜日

「紅春 56」


 最近りくの話題が多かったのですが、手術から2週間ほどたったので抜糸に行ってきました。天気の悪化が見込まれた日だったせいか、前にいたのは一匹のみ、すぐに「りくちゃん、お入りください。」のアナウンス。担当医は女医さんで、りくの鼻の上からショボショボ飛び出している黒い糸をどんどん取っていきます。診察台の上で時々困った顔をして動こうとするりくを、なんとか宥めたり褒めたりしながら数分で終わりました。

 その後、良性という病理の結果を医師からも説明されました。出来物ができやすい体質というのもあるそうで、良性であってもまたできる可能性はあるとのこと。

 抜糸終了後、立ち会っていた看護師さんから
「りくちゃん、おりこうさんでしたね。」
と言われました。犬によっては暴れて危ないので抜糸の時にも麻酔をする子がいるとのことでした。
「家の中で飼っているのですか。」
とも聞かれましたが、その通りです。外で生きられるような子じゃありません。

2014年12月16日火曜日

「心の清い人」


 「真面目に生きているのになぜこんな目に会わなければならないんだ。」
ドラマの中で主人公が呟いていた言葉は、おそらく人間を苦しめる問いの最古のものの一つでしょう。自分の苦しみが無意味であること、もしくは自分が他者と比べて著しく不当に苦しめられていることに人間は耐えられないのです。

 義人を襲う艱難の問題を正面から扱っているものというと、まず頭に浮かぶのはヨブ記です。この世的に恵まれた人生を歩んでいた義人ヨブが、悪魔と神がやり取りする中で、財産、家族、健康のすべてを奪われるという試練に合い、信仰を試されるという話です。その時、ヨブの3人の友人がヨブを慰めようとやってきて、その苦しみの大きいのを見て七日七晩黙してともに地に座すのですが、やがてヨブを問い詰めます。その時の論理は「因果応報」です。

 人が因果応報の観念から逃れるのはとても難しいように思います。また、もう一つ人間にとって難しいと思うのは、自分に対して罪を犯した人を赦すということでしょう。ルターは、「人を赦すのは悪魔に付け込まれないためだ。」と言ったと伝えられていますが、なるほどなと思います。この二つは対処の仕方を誤ると人の心を食い荒らす問題の双璧と言えるのではないでしょうか。なぜなら前者においては、因果応報と言われても身に覚えがない場合、日本的にいうと神も仏もないということになりますが、これは突き詰めるとヨブの妻の言葉、「「神を呪って、死ぬ方がましでしょう。」ということに行きつくからです。

 東日本大震災時に石巻で津波を体験された信徒のお話を思い出すのですが、聞いた時には度肝を抜かれ唖然とするほかありませんでした。その方は津波で何もかも無くなった時に、まず頭に浮かんだのはヨブ記の、「主は与え、主は奪う」だったと言います。もちろんこの前後の言葉は、
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」(ヨブ記1章21節)
なのです。命だけは助かり、両隣の家と励ましあいながら助けを待ち、ヘリコプターで両隣の方が救出され次は自分の番かと待っていましたが、ヘリコプターが戻ってくることはなかったと。この絶望的な状況の中でその方が思ったことは、「私の時ではなかったし、神様の時でもなかった。」というのです。その後、助けられて避難所に行きましたがいろいろな方がおられて、「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す」(イザヤ書11章6節)を思い出し、飴玉とクラッカー数枚だけの食事でも、4日も食べていなかった自分にはこのくらいがちょうどよいのだと思ったと。ヨブの妻のように、「どこまでも無垢でいるのですか。」と言いたい気持ちはありますが、それ以上にあまりの美しさに圧倒され、本当にこのような信仰者がいたのだと心が清くされる思いです。

 年をとってよかったことは、以前は嘘っぽいと思っていたことや実感としてわからなかったことがなんとなくわかる気がすることです。詩編には、「お前の神はどこにいる。」と絶え間なく人にあざけられる詩人の嘆きや悲しみが詠われますが、それにもかかわらずどんな現実もたやすく超えて神に寄り頼む詩人のことが今ではほんの少し分かる気がしますし、この言葉がこれまで何千年もの間、無数の人によって読み継がれてきた事実の重さを感じることができます。

2014年12月12日金曜日

「異常なし」


 りくの病理の結果が来ました。組織診断は大変詳しい所見がいろいろ書いてありますが、「・・・一見したところ、扁平上皮癌(悪性)のような様相を呈しておりますが、細胞異型、浸潤性ともにまったく認められません。病巣は繊維性結合組織によって完全に被包されており周囲組織との境界は比較的明瞭です。以上の組織所見から、峡部角質化棘細胞腫(良性)と診断いたしました。」
へなへなと力が抜けました。ただの出来物だったのです。

 今日りくはいつものように欣喜雀躍して私を迎えました。鼻は手術したところが黒くなっていて痛々しいですが、これはりくの下毛が黒いせいで、だんだんその上に白い毛が生え始めています。血液検査の詳細も見ましたが、何一つ引っかかっていないのは初めてではないでしょうか。つまり全くの健康体なのです。麻酔が覚めるまで動物病院に留め置かれケージに入れられるとき少し鳴いたそうですが、確かにケージに入れたことは一度もないので怖かったのかも。
「りく、あんまりびっくりさせないでね。みんな心配したんだよ。」
と言いながら、今日は午後だけで3回散歩しました。

2014年12月9日火曜日

「りくの手術」


 「りくの診察券どこだっけ。」
兄から電話が来たのは2週間くらい前のことです。
「どうしたの。」
と聞くと、鼻の頭のできものが大きくなっているから医者に連れて行くとのこと。6月に定期検診に行ったときに気づいていればその時尋ねたのですが、夏ごろから何か出来ているなと気づき様子を見ていたのです。兄の話だと1~2ミリだったのが今は4ミリくらいになっているとのことで、私が帰省するまで待てないから獣医さんに連れて行くというのです。

 最初の日は血液検査だけで、悪性かどうかわからないが5日後に切除することになりました。ひょっとしたらマダニかもしれないと思ったのですがそうではないとのことで、マダニの方がまだよかったと思いました。例の柴犬のブログで、仲の良かった友達犬が悪性腫瘍になり安楽死させられた記事を読んだばかりだったので、気持ちがずーんと沈みました。

 血液検査は異状なく、兄の感触では獣医さんはただの出来物くらいの感じだったというのですが、切除したものの病理検査の結果が来なければまだわかりません。この日はりくは全身麻酔をされ、切除したものは直径6ミリくらいのもので、また麻酔をかけた時でもないとできないから、ついでに歯垢も取ってもらったとのことでした。手術は朝9時半ごろからでしたが、全身麻酔なのでりくは5時まで病院におり、兄はいったん帰宅してから夕方引き取りに行きました。

 帰ってからりくは、ふらふらしながら家の中を落ち着きなく歩き回っていたそうで、兄が私を探しているようだというので可哀そうで泣きました。夜は兄が一緒に寝ようとしたようですがりくが眠らないので、いつもと同じにしたとのことでした。りくの一大事に一緒にいてあげられなかったのは痛恨の極みです。りくに申し訳ないことをしたと思います。翌日にはほぼもとに戻ったと言っていましたが、会って確かめるまでは安心できません。2週間後の抜糸の時にはずっとついていて手厚く看病してあげなければと思っています。

2014年12月6日土曜日

「飼う者のない羊」


 最近気がかりが2つありますが、どちらも自分以外の他者の体調に関することです。どうすることができるわけでもないので、祈りつつ神が御心をなされるのを待ちたいと思います。神様は私たちに必要なことは何もかもご存じだからです。夜中に目覚めて遠くで救急車のサイレンなど聞くと、「こんな時間に働いている人もいるのだ。」とご苦労が察せられます。雨露をしのぐ場所があり、贅沢ではないが不自由のない暮らしができていることを心底ありがたく思います。

 刑務所が高齢者でいっぱいになっていると聞きます。年をとって孤立化し、あるいは生活苦から軽微な犯罪を行ってしまい、出所後も生きるすべなく同じことを繰り返す人も多いとのことです。持病を抱えていたり、認知症の症状のある人もいて、職員の態勢も限界に近づきつつあるということは容易に想像できます。また、身近な人による保険金や遺産を狙った計画的な犯罪も、このところ毎日のように取りざたされています。

 イエス様は当時の群衆の有様を見て、「飼う者のない羊」のようだと深く憐れまれましたが、今とまったく変わらないことだと思います。これ以上的確な表現はないでしょう。これは若者だって同じなのですが、若い時は放蕩の限りを尽くしても或る時我に返って神に立ち返るということもまれにあるのを聞きます。人生の晩年になってもこの状態というのは悲しすぎます。

 私の場合、愛する人々の多くがすでに天の国で神様のそばに憩っていますが、このことは見方を変えればある意味実に大きな慰めです。実際父が亡くなった時にまず感じたのは、「父を送れてよかった。」という安堵感だったのです。これまでにその時その時は苦しいことつらいことも多かったのですが、振り返って本当に行き詰ったことがあったかと考えるとそれはないことに気づきました。

「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。」 (詩編46編2節)

主にある平安のうちに、自分も来るべき日に備えて、いつお召があってもよいように一日一日を過ごしていかなければならないと感じています。


2014年12月2日火曜日

「印刷外注の予行演習」


 やっとトンネルの先が見えたと思ったら、あっという間にそこから出ていた・・・。何の話かというと、献堂式関係の書類作成の準備に関わることです。10月くらいから献堂式関係の準備が始まりましたが、広報としては案内状やプログラムの作成等の仕事があります。こういうことに慣れた人なら何でもないのでしょうが、私には初めてのことなので試行錯誤です。案内状は別の方が担当してくださるので、私はプログラムに集中することにしました。とにかく早めに取り掛かるのが肝要で、素案を作り、たたき台を元に意見を出し合い、改訂してしばらく寝かす・・・これを繰り返して何とか形になっていくので、十分な時間が必要です。

 最初は印刷を外注する予定はなかったのですが、少し調べてみるとかなりリーズナブルな値段でできることがわかり、全部電子データで造れるならこれに限ると思い直しました。とはいえ、今までの経験からいって私の場合、初めてすることは大抵失敗するので、予行演習が必要です。そこでひらめいたのが、以前から作ってみたいと思っていた簡単なアルバム冊子です。記念品の候補であるクリアファイルも印刷関係なので、これも作ってみることにしました。一緒のところに頼めればよかったのですが、調査の結果それぞれ得意分野があるようで別々のところに発注することにしました。困るのは、こういうものはイラストレーターというソフトで作り入稿するのが一般的だということです。一度も使ったことのないソフトで、知り合いのグラフィックデザイナーの方に相談したところ、とても高価だしど素人がいきなり使いこなせるものではないことがわかりました。しかし、皆が皆そんな素養があるわけではないのですから、調べてみるとワードで入稿できるところもあることがわかり、その方向でやってみることにしました。

 冊子の方はワードで作ったデータを、指示通りオフィスプリントというソフトで変換し、一つのフォルダに入れて圧縮して入稿。一番緊張したのは、一度しか出せないので、間違って別のものを送らないようクリックする時で、ちょっと指が震えました。クリアファイルの方は、冊子よりデザインの比重が高いせいか、イラストレーターで作成された完全データを入稿するよう求めているところがほとんどですが、「ワードやエクセルの場合、文字がずれたり色が変わったりすることがある。」と書かれているということはワードも一応受け取ってくれるということに違いありません。送ってみてダメならどうすればいいかアドバイスしてもらえるだろうし、費用を負担すれば修正もしてくれるはずと、思い切って入稿しました。結果、冊子の方は入稿してから4時間くらいで「データの確認終了、印刷に入ります。」のメールが、クリアファイルの方は約6時間後に修正なしで校了し、「解像度等これでよければ印刷に入ります。」のメールが来ました。納期は急ぎではないので7日後で発送日も書かれていました。

 案ずるより産むが易しで、しばし放心状態でした。やればできるものだなと。実際どんなものになっているのかは見るまでわかりませんが、ともかく献堂式必需品の作成の目途がついてほっとしました。この3週間くらいはバザーの時期でもあり、事業所の発送もあって職に就いていた時のことを思い出すほどの忙しさでした。ただ不思議なことに仕事が重なることはなく、一つが終わると次が来るという感じでうまく流れていました。東京の自宅では必要なものが手近にあって働きやすく、また家事も手抜きで最低限のことだけすればよい(例えば床に埃がたまろうと本人さえ気にしなければ構わない)ので、とても仕事がはかどりました。勤めていた頃経験したような集中力で臨んだので1日の終わりはぐったりでした。福島ではそれなりに家事もあるし、りくが邪魔しに来るのでたびたび仕事が中断し遅々として進まなかったのですが、まあこれはこれでいいのだろうと思いました。