2014年11月29日土曜日

「紅春 55」


 「犬に服を着せるのはやめようね。」
父がいた頃、よくそう話していました。柴っ子には特に立派な毛皮があるのですから、服など不要だし似合わないのです。ただ、大雨の時に着る合羽は必要だなあと思っており、何度かその製作に挑戦してきました。大雨でも散歩に行かないわけにはいかず、さすがのりくでも勝手口でたじろぐほどの雨ではぬれて可哀そうだからです。

 犬の服というのは結構複雑な形をしています。前足を入れる穴が要るし、かつトイレを妨げないように後ろ足のところは自由度を保てる形にしなければなりません。頭はぬれてもしかたないかと思うものの、背中と頭をつなぐ首の部分はできるだけ雨をしのげるものにしたい。また、ひっぱねが多いお腹はしっかりガードしたい・・・と考えていくとかなり面倒です。一番の問題はどうやって着せるか、つまりボタンか何かで留める開口部をどこにするかです。

 結局、二つの穴に前足を入れさせてから背中部分で留める形に落ち着きました。おとなしいりくでも足を入れる時に抵抗することがあるので、凶暴な犬だとこの形は無理だろうと思いました。一度目は、ずっと前に蓑の合羽をイメージして麻糸で編んであげたのですが、これは失敗でした。雨にあたると水分を含んで重くなるからです。挫折してしばらくそのままになっていましたが、今回アルミシートの布地で再挑戦してみました。軽くて水をはじくので、まあまあ目的を果たせたかなと思います。今後、生地が薄いので破れやすいという問題の克服が必要かもしれません。開口部を留めるものは、安全ピンやスナップボタン、洗濯バサミクリップ等いろいろ試しましたが、ワンタッチで留められるよう皮革とばね式クリップを使用しました。また、できそうだったので帽子もつけてみました。


 試着ではりくは固まってしまい迷惑そうでしたし、兄には「お前の自己満足だ。」と言われていますが、大雨の時はきっと重宝すると自信を持っています。断っておきますが、これ、クリスマスの仮装じゃありませんよ。

2014年11月25日火曜日

「郵便について」

 最近日常的によく行く場所として真っ先にあげねばならないのは郵便局です。青色申告用の領収書が必要なので、事業所の商品発送する時はポストに投函ではなく郵便局にいくのです。おかげで郵便事情にはずいぶん詳しくなりました。

 1kgまでなら定形外がよいが、1kgを越えて2kgまでだと大きさと宛先地域によって定形外かゆうパックを適宜選択することになります。ゆうパックはとにかくできるだけ小さくパッキングするのがこつで重さは気にしなくてよい。最近話題のレターパックはすぐれもので、A4までの大きさで平たく(3cm以内に)梱包できるものなら一押しです。重さにも宛先地域にも関わらず全国一律料金なので、福島から近畿以西への発送には最強と言えるでしょう。「『レターパックで現金を送れ。』はすべて詐欺です。」と大きな赤字で書いてあるのは笑えますが、問題の深刻さの表れです。

 郵便関係の情報サイトでこんなものまであるのかと感心するのは、ポストの集荷時間を検索できるサイトです。東京では結構頻繁に集荷があるからよいのですが、福島では場所によって1日1回しか集荷がなくそれを逃すと丸1日遅れてしまうのです。すぐ近くのポスト同士でも集荷時間が大幅に違ったり、ローソン前のポストは別なのか集荷回数が違ったりするので、郵便収集車のルートまでなんとなく読めてしまいおもしろいです。

 福島では24時間対応している本局まで自転車で20分かかるのですが、発送するまで落ち着かないので雨でなければ集荷時間に合わせて本局まで行くことがほとんどです。(ただし夜は行かないようにしています。一度やって地方都市の夜の暗さが身にしみました。) 東京の自宅からは本局まで自転車で数分なのでとても楽ちんです。夜10時でも朝5時でも平気です。

 郵便が届かなかったことは一度もありませんし、近畿まででも2日あれば届くというのは考えてみればすごいことです。これは先進国においても決して当たり前のことではなく、むしろ例外的なことなのです。ゆうパックにしても宅急便にしても、期日指定や配送時間の細かい指定が普通にできるのは、海外ではまずありえない驚異的なことです。例えばドイツと比べても格段に優れた配送サービスであり、この正確無比な配送システムを、本当は目もくらむような贅沢なサービスだと自覚すべきなのです。そういうわけで、家に配送の方が見えると私はつい丁寧に、「お仕事ご苦労様です。」と挨拶してしまいます。

2014年11月21日金曜日

「父の見ていたもの」


 東日本大震災が起きた当時私は東京で仕事についており、福島教会の状況をつぶさに知ることはできませんでした。食料やガソリンを手に入れるのに何時間も並ぶという生活の中で、教会堂から大事なものを伝道館に運び出し礼拝ができるように整えるという作業は、心身ともに疲労困憊することだったに違いありません。その後やむを得ず行われた会堂の取り壊しに、教会員皆がどれほど打ちひしがれ、さらなる悲嘆と疲労と混乱をもたらしたか想像に難くありません。

 現在福島教会の会堂建築工事は、工事用の覆いカバーもとれてその全貌見ることができるようになりました。あとは内装を中心に工事が進められることと思います。完成に近づくこのような教会堂を目にしてさえも、まだ幻ではないかと時々ふと思うのは、ここに至る迄の過程を思い起こすからです。震災直後4月末の祈祷会に奨励に訪れた牧師によると、その時の出席者は自分も含めて6名だったというし、その後に無牧の時期も経験し、信徒たちは伝道館で礼拝を続けて会堂の再建を思いつつも、一方でこのような小さな群れがそんな大それた負担を負えるのかという現実的な問題が頭をかすめた時期もあったに違いないと思うのです。

 父は震災を入院中のベッドの上で迎えましたが、その後、病院の態勢が整わないこともあり帰宅して家で療養しておりました。父が具体的に会堂建築とどう関わっていたか断片的にしかわからないのですが、一つはっきりしているのは、会堂の再建を父が確信していたことです。
「神様がここに教会を建てなさいと言ってできた教会なのだから、必ずここに会堂は再建されなければならない。会堂は必ず再建されるのだ。」
と父はきっぱり言いました。それから、何か書類を書いたり、放射能の心配のない山形まで山菜採りに行き会堂建築献金を捧げたりしていました。とても前向きな人で、一時的に落ち込んだり悩んだりすることはあっても、目標を決めたら手をこまねいている人ではありませんでした。

 2011年12月には似田先生を迎え会堂建築は大きく動き出し、2012年3月には会堂建築検討委員会が発足、2013年4月には教会総会において会堂建築を正式に決定し、今に至っています。

 父は2014年2月下旬3週間の入院の後亡くなりましたが、会堂建築の道筋が整い、基本設計もできて、あとは施工業者を決めて建築するだけというところまできていたので、入院中会堂建築に関する心配を口にすることはありませんでした。また、自分の寿命が新会堂の完成に間に合いそうもないと知っていたかもしれませんが、それも問題ではなかったのです。父の頭の中ではもう会堂は建っていたからです。もちろん今生きていたら、どれほど喜んだだろうかと思いますが、最期の表情があまりにも穏やかだったので、父が全く安らかな気持ちでこの世を去ったのは確かです。

「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。」(ヘブライ人への手紙11:13)

 福島教会の会堂再建は人間の業ではありませんでした。そして今、私の眼前に建つものは、父がすでに見ていたものなのです。




      
                          福島教会ホームページ Website Fukushima Church




2014年11月18日火曜日

「紅春 54」


 ドイツでオランダ人の夫と2匹の柴犬と暮らす日本人女性のブログ「柴犬とオランダ人と」のことは以前書きましたが、犬も住む所が違うと暮らしも相当違うようです。2匹は、アスカとセナという名の雌ですが、驚くことに、結構な広さの庭で放されるとネズミ狩りをするのです。ドヤ顔の犬の写真に、「2匹しとめました。」などとキャプションが入っていたりします。土日はよくタウナスまで散歩に行くようですが、ここでも藪に入ったと思ったら血まみれの野兎とともに現れたりします。猟犬の本能を保っている姿はりくと同じ犬種とは思えません。

 大晦日に作って翌日楽しみにしていたおせちが大惨事にあった話が以前載っていましたが、あれはお気の毒でした。日本風のおせちばかりでなく、牛肉や合鴨や鮭などのハイカラなお料理を作ったのに、朝起きたら椅子からテーブルへ乗り移ったと思われる犬にタンパク質系の料理は食べられてしまっていたのです。これもりくにはあり得ない。りくは鼻先が座卓にのった料理のすぐそばにあっても、盗み食いをすることはありません。料理を見て鼻をひくひくさせ品定めをするものの、皿に取り分けてもらったもの以外に手を出したことは一度もないのです。その代りおいしい食べ物があるとわかると、ビシッとおすわりをして「食べたいです。」とアピールします。特にしつけたり注意したりしたことはないのに、本当に利口な犬だと思います。(父がしつけていたのかも。)

 犬がアミノ酸系の食べ物を一瞬にして見分ける(嗅ぎ分ける)のは本能でしょうが、最近気づいたのは、りくが魚好きなこと。大好物はサンマで、ご飯と混ぜてやると肉以上に勢い込んでぺろりと平らげます。さすが日本犬と思うほどです。ま、人間が食べてもおいしいのですから無理もありませんね。

2014年11月14日金曜日

「転院」


 東京に暮らす利点の一つは病院が選べることでしょう。特に病院が集中している場所もあり、細分化された専門診療科をもつ病院がそれぞれ定評のある治療で知られています。病院は施設ももちろん大事ですが、診療に当たる医師はもっと大事です。東日本大震災の時に医者がいなくなったり、避難するため医者を変えなければならなかった人たちはどんなにか心許なかったろうといまさらながら思います。というのは、最近同じような体験をしたからです。

 このたび、私が利用している大学病院の新築移転に伴い、担当医が系列の別の病院に異動することになりました。私も同様に転院することにしたのですが、「予約を取ってから診察に来てください。」と言われていたので電話すると、「初診の電話予約はしていません。」との返事。10月初旬から電話して、いつ診療再開になるか尋ねましたが判然とせず、遅くとも10月下旬にはみえるはずだった担当医がその時期になっても現れませんでした。予定を立てる必要上、「せめて診察の曜日を教えてほしい。」とお願いすると、看護婦の話では「11月には診察が再開される予定ではあるが、まだ確定ではない。従って曜日もわからない。」とのことでした。まだ薬はあったのでよかったのですが、その話を聞いてかなり不安になりました。

 11月になった或る日、電話するのもおっくうで、ネットで病院のホームページを見てみると、なんと担当医の名前が載っており、しかも診察の曜日はまさにその日1日だけでした。その週に福島へ帰省することになっていたので、即決断、病院へ向かいました。一度も乗ったことのない国際興業のバスでしか行けない場所にあり、ちょっと違ったバスに乗るだけでもずいぶん風景がちがうものだなと思いました。その点、私にとってはちょっと不便なところにあるので空いているかなと期待していたのですが、とんでもない混雑でした。私以外にもその医者の診察再開を待っていたと思われる患者がわんさかおり、3時間待ちでした。全て終わって遅い昼食をとり、買い物を済ませて帰ってきたらもう夕方、1日がかりの通院でぐったり疲れました。1つよかったのは、これで来月からの診察がつながったということです。加齢のせいか新しいことに慣れるのは、心理的にも身体的にも大変だと思わされました。

2014年11月11日火曜日

「結構多忙な日々」


 毎日なぜこんなにやることがあるのだろうと思うことがあります。朝は5時前から活動すると夜9時にはぐったりします。その間何をしているのかと聞かれるとこれといったことはないので返答に困りますが、何かしらしているのです。全てがいわゆる「仕事」ではないのですから、本来やらなくてもいいことなのですが、おそらくある程度年配の人は多くがそうでしょう、ぼんやりのんびりということはめったにありません。私は無理はしないと決めていますが、時間がもったいないと感じてしまいます。

 おそらくはまだ何十年も生きるのでしょうが、こればかりは保証はない、まさに神のみぞ知ること。明日、危険薬物服用者の犠牲になるかもしれないし、富士山が噴火するかもしれない。現代のペストとも言える病の流行で人口が半分になるかもしれず、テロリストによって核爆弾のスイッチが押されるかもしれない。本当のところは誰にもわからないのです。

 今日、健康で年老いることに異常なほど関心が集まっていますが、生きるのはただ長らえることが目的ではなく、何か意味ある活動をするためでしょう。家族のため、社会のために何かしら善き貢献をしたいと皆心の底で望んでいるのだと思います。


2014年11月10日月曜日

「カメラ盗難事件で思うこと」


 アジア大会で水泳選手Tがカメラを盗んだとされる事件について当初から不可解すぎる違和感を抱いてしましたが、「真実はやっていない」と弁明する会見を見たとき不思議な既視感を感じました。記者たちが矢継ぎ早に繰り出す様々な質問に答えるT選手の姿を見て、「あ~、こういう子いるんだよなあ。」というのが実感でした。

 手首をつかまれても騒がなかったのは危害を加えられたり争うことがいやだったからであり、鞄に何かを入れられたのに黙っていたのはゴミだと思い後で捨てればいいと思ったからであり、カメラをスーツケースに入れたのは部屋にゴミ箱がなく出しておくと相部屋の人の邪魔なので帰る時捨てればよいと思ったからであり、盗んだと認めたのはみんなと一緒に帰れなくなるとJOCや日本水泳連盟に迷惑がかかるからであり・・・。すべてこの調子で、我慢できるところまでは譲り続けるのです。他人に対して何か説明や主張をしたり、人と揉めて摩擦を起こすより黙っている方が楽なのです。勤めていた時の経験からして、こういう生徒は多数派ではないものの相当数いました。

 ただ、あまりにナイーブ過ぎてこのまま社会に出ることはできません。15歳ならともかく、T選手はもう25歳です。国内以外ですごすことがないならまだしも、T選手は国際舞台で競技する選手です。水泳以外のことを教えてくれる人や学ぶ機会はなかったのでしょうか。生来の性格上、むしろT選手の弁明が理解不能という人も多いでしょうし、学ばなくてもなんとか無事に世渡りしていける人もいるでしょうが、そうでない人もいるのです。記者たちの疑問の焦点は、「なぜその時に声をあげなかったのか。」という点にあったと思いますが、T選手は「自分の心が弱くて」と答えていました。その場で抵抗したり自分の主張をきちんとできる人にとって、なぜできないのか不可解の一言に尽きるでしょうが、それがなんでもなくできる人にはできない人の心情は決してわからないのです。これは心が弱いというより或る種性格の問題であり、訓練しなければ本人にはどうすることもできないのです。

 今から30年前頃、「日本人は水と安全はタダだと思っている。」と言われていましたが、基本的に今でもそうでしょう。海外に比べたら圧倒的に安全、安心な社会に生きてきた結果がこうなのです。もちろん悪いことではありません。ただ海外に出る時は、弛緩モードから緊張モードに意識してギアを入れ換えねばなりません。

「海外ではちょっと仲良くなったくらいの人から物を預かってはいけません。トイレに行く間「荷物見てて。」と言われても受けてはいけません。それが麻薬なら日本に帰れなくなります。国によっては死刑になります。」
20年前にホームルームで私が生徒に言っていた言葉です。

 この事件の真相は私にはわかりません。ただ、T選手の話は私には十分理解できますし、あり得ることだと思います。その場合は、なんらかの理由でT選手が意図的に窃盗という濡れ衣を着せられたということになります。そうでない場合は、本当は窃盗したのに今になって虚偽の申し立てをし、なかったことにしようとしていることになります。窃盗が事実にせよ、でっち上げにせよ、人間の悪事に違いありません。この事件に限らず、ニュース報道で人の行う悪事を聞かない日はありません。もっとずっと陰惨な事件も多く気持ちが萎えてしまいます。

主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、(創世記6章5節)

主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。(創世記8章21節)

人が心に思うのはことごとく悪いことだという記述が、まさに聖書の初っ端の創世記にあるのには驚かされます。この見識はあらためてすごいなと思います。

2014年11月3日月曜日

「この世の務めが過剰になると」


 マルタとマリアという姉妹の話が聖書に伝えられています。イエスがある村でマルタの家に迎え入れられたのですが、女主人のマルタが接待のために忙しく立ち働いているのに、妹のマリアはイエスの足元に座って話に聴き入っており、その不満を口にしたマルタに対して、イエスが「なくてならないものは1つだけである。マリアは良い方を選んだのだ。」とたしなめたという話です。

 この話は思わず苦笑するようなささいなエピソードだと思っていたのですが、実はこの世の生活において本質的な話だと思うようになりました。マルタは当時の女性に求められていた大事な務めを誠実に果たしているのであり、実際、日々の生活の中ではこのような働きなくして事は何一つ進みません。これは奉仕であり、仕事なのです。しかし、その務めも忙しさの度合いが越えてしまうと心を損なうもとになります。それは最終的に神に対する不平不満となるのです。

2:ルカによる福音書10章40節
マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」

 自分だけが仕事の負担を負い、われ関せずというような態度の妹にじりじりしている様子がうかがえて気の毒になります。ここで、マルタとマリアという二人の人物に見られる態度は、実は一人の人の二つの側面と言ってよいでしょう。マルタもイエスの言葉を聴きたいのであり、マリアもこのままイエスの話をずっと聴き続けるわけにはいかないでしょう。この二つは両方同時にすることができないのですから、実生活の中では要は比重の問題なのです。

 今振り返ってみると、勤めていた間私はまさしくマルタのごとく、「多くのことに思い悩み、心を乱して」いたのです。仕事には誠実に取り組まねばなりませんが、礼拝に行くのもやっとでなかなか安息を得られない多忙さでした。あまりに神をないがしろにした生活でした。ようやくイエス様の足元に座ってその言葉に耳を傾けられる生活がととのえられたのは神様の恵みというほかありません。