2014年5月31日土曜日
「年齢考」
何か大きな事件が起こるたび、それを引き起こした人の年齢を見る癖がついてしまいました。若い人の場合は目新しい手法に驚き、「最近はそんなこともできるのか。」と感心してしまうこともあるのですが、ある程度年輩の人(「天命を知る」歳を迎えた人を目安にしています。)があまりにも考えなしの事件に関わっていると、その方のそれまでの来し方が思われてブルーになります。
一方で、こんなふうに年老いていけたらいいなと思う手本にしたい方もいます。人となり全体はその方が何十年もかけて磨いてきたものです。
「いつも朗らかで感じがいい方」、「言いにくくても必要なことをちゃんと伝えてくださる方」、「てきぱきしていていつも前向きな方」、「物静かであまり口には出さないけれど、いろいろなところに目配りしてくださる方」、「冗談がうまくて場を和ませてくれる方」・・・等々、それぞれに自分にはない素敵な側面を見せていただくことも多く、「人皆わが教師」の念を強くしています。
先日、友人が宮崎市定による「知天命」の現代語訳を教えてくれました。宮崎によれば、この時代の天は正義を執行する神ではなく、全く不可知の恐るべき力を持った存在だったとのことで、「五十歳で人間の力の限界を知った。」と訳されていると。古典というものはどうしてこうずばずばすごいことを言うのだろうと思います。
2014年5月24日土曜日
「国と国家」
正確なことは調べていないのでわからないのですが、頼りない私の感覚で言うならば、国家という概念ができたのはヨーロッパなら17世紀半ばのウェストファリア条約によって、日本ならさらに二百年後の明治維新を待たねばならないだろうと思います。「郷里」とか「郷土」という意味の「国」を「国家」という概念にまで高めた人はどなたか存じませんが(一人ということはないでしょうね。)、すごい人だと思いますが、やはりちょっと無理があったのかなあという気がしています。
国家というのはあくまで外国から見て何らかの統一政体のように見えるということであって、国民自体はよほどのことがないと「国」的意識から出ることはまれでしょう。「福島から逃げる勇気を」と言われるなら、「東京に原発を作る勇気を」と言わざるをえないのです。人種や民族および宗教の違いによる困難な問題がさほどなくてもこの有様ですから、そうでない諸外国は国家が分裂へ向かう力を押さえつけるのは大変エネルギーのいることだと思います。
さらに国家の概念ができた頃には想像もできなかった事態が起こっています。インターネットの登場で情報に関して事実上国境線はなくなり、マネーは24時間世界を駆け巡っており、グローバリストたちはすでに母国から離脱し自分にとって最も有利な国家に移り住んでいます。また、アメリカでは富裕層が自分たちの自治体を作り、自らが支払う税金に見合うサービスを求めています。ここにはもう公という概念はなく、すべてがビジネスの言葉で語られているのです。 「国家」という概念は欧米でも400年、日本でなら200年の寿命だったのかもしれないなあと思うこの頃です。
2014年5月18日日曜日
「年をとることの効能」
年をとったなと感じるのは、以前はなんとも思わなかった常識的な言葉に接して、「残念ながらその通りだ。」と思うときです。若いころは生ぬるくてとても読めなかったモラリストの言葉などが好例です。時に独りよがりの極論に走って正しさを論じていた頃を思い出しつつ、「中庸」なる言葉に触れると、今ではそれこそが真実だと思うのです。
ラ・ロシュフコーを例にとるならば、
「他人が真実を隠蔽することに対して、我々は怒るべきでない。なぜなら、我々も自身から真実を隠蔽するのであるから。」(箴言 No.11)
「自分の記憶にケチをつける者は多いが、自分の判断にケチをつける者は少ない。」(箴言 No.89)
「正真正銘の騙され方とは、自分が他人よりも一枚上手であると思い込まされることである。」(箴言 No.127)
「虚栄心に駆り立てられることがないとき、我々は沈黙する。」(箴言 No.137)
「他人を支配するよりも、自分が支配されないようにする方が難しい。」(箴言 No.151)
「一人で賢くなろうなどと願うことは、たいへん愚かなことである。」(箴言 No.321)
「口論はそんなに長くは続かないであろう。もし、どちらか一方が間違っているだけならば。」(箴言 No.496)
どれもいちいちもっともで深く納得してしまいます。
そして、モラリストと言えばなんといってもモンテーニュ。
「糸はどこで切れようと、それはそこで完成したのだ。そこが糸の端なのだ。最も意欲した死こそ、最も美しい死である。生は他人の意志による。死に臨んでこそ、最も我々は我々の意志に従わねばならない。」(『エセー』IIー3)
「愚者を相手にまじめに議論することは不可能である。かかる向こう見ずの先生にかかっては、私の判断ばかりか私の良心までも腐ってしまう。」(『エセー』IIー8)
「私が書物に求めるのは、そこから正しい娯楽によって快楽を得たいというだけである。勉強するのも、そこに私自身の認識を扱う学問、よく死によく生きることを教える学問を求めるからに他ならない。」(『エセー』IIー10)
「我らは最も小さい病気も感ずるくせに、完全な健康は少しもこれを感じないのである。」(『エセー』IIー12)
「たくさんの部面をもつ事柄を、一ぺんに判断しようというのは間違っている。」(『エセー』IIー32)
「極端は私の主義の敵なのである。」(『エセー』IIー33)
「私はあまり自分の意見を重んじないが、その代わり他人の意見をもあまり重んじないのである。私は人の意見をあまり重んじないのである。私は自分の意見を人に押しつけることはなおさら少ない。」(『エセー』IIIー2)
「我々は誰でも我々が考えるよりも豊かである。それだのに人は借りること、求めることばかり我々に教える。自分のものよりも他人のものを使用するように我々を仕込む。」(『エセー』III-12)
「人生を楽しむにはなかなか加減が要る。私は他の人々の倍それを楽しんでいるが、まったく享楽の深い浅いは、我らがこれにそそぐ熱意の多少によるのである。特に今では余生がこんなにも短くなっているのを知っているから、私はそれを厚みにおいて増したいと思う。」(『エセー』IIIー13)
そして名言中の名言、
「何事に限らず、すんでしまった以上は、それがどのようであったにせよ、私はほとんど悔やまない。まったく、「それは始めからそうなるべきであった。」という考えは、私を苦悩の外におくのである。 (『エセー』III-2)
および、ダメ押しの一言、
「もしもう一度生きなければならないならば、私は今まで生きて来たとおりに再び生きるであろう。私は過去も悔やまなければ未来も恐れない。」(『エセー』III-2)
いやご立派、さすがです。年をとってよかったと思うのはこんな時です。
2014年5月15日木曜日
「ドイツのデパート」
ドイツでお土産を買う時はいつもデパートに行きました。日本になくてドイツにあるものというのは品目としてはそうそうありません。お菓子は日本にはないものもありますが、おいしいというより素朴な味わいのものが多いようです。食品以外のもので私が好きなのは食器類ですが、壊れやすいのでお土産向きではありません。
或る時、タオルをお土産にしようと思いました。余っても困らないし、大きさや色合いが日本のものとかなり違うのでいいかなと思ったのです。ドイツのタオルは小さいバスタオルほどもあり、水にぬらして体を洗うことは重すぎてできません。(よくわかりませんが、体を洗うのは小さくざらざらした布や柄のついたブラシを使うようです。)日本人の感覚からすると中途半端で微妙な大きさですが、体を洗う以外の目的で重宝します。
売り場でいくつか選び、どこ製のタオルかなと思いタグを見ましたが書いてありません。どうせなら国産(ドイツ製)の方がいいなと思い、ヘルベルトに
「これドイツ製かな。」
と聞くと、やはりタグに書いていないのでそのままレジに行き、店員に尋ねていましたが、どうもよくわからないようでした。一見して明らかに外国製であることがわからないならこれでいいやと思いましたが、ヘルベルトは、
「あなたは自分が扱っている品物がどこから来ているのか知らないのか。」
と店員を問い詰めています。「そこまでしなくていい。」と思いましたが、確かに日本なら「すぐ調べて参ります。」というところでしょう。ドイツの店員の態度が悪いとは全く思いませんが、「お売りしましょう。」的な心持ちが往々にしてみられるのも確か、たまにはこういう対応もいいかと思ったのでした。
2014年5月11日日曜日
「旅客船沈没事故事件から」
韓国で大きな旅客船沈没事故がありました。指示に従って海に沈んでいった高校生を思うとあまりに可哀そうで胸が痛くなります。しかし、私にはそれ以上にご家族の方々の心痛が思いやられ、筆舌に尽くしがたい痛みであろうとたまらない気持ちになります。いうまでもなく、自分が家族を送って間もないからですが、病院でそれなりの看護をして亡くなってさえ、様々な後悔が際限なく頭に浮かぶものなのに、今回の事故の場合は家族にどれほどトラウマティックな影響を残すか想像もつきません。
「人間はどれほど悪いものなのか。」と絶望的な気持ちになるような事実が連日明らかにされていきました。船長は船を(そして乗客を)見捨て身を隠すようにして脱出し、乗組員は専用の階段で甲板に逃げてかなりが助かった・・・。船会社の実質的なオーナーはカルトの教祖で金の亡者であり、人件費や必要経費は限界以上に切り下げられ、救命ボートさえ使用不能な状態で放置されていた。船自体、乗客数を増やして収益を上げるため増築され、また制限重量の3倍以上の貨物が積載されていた・・・。 船内放送で乗客を危険な船室にくぎ付けにしながら、3階に上がった船長と船員は乗務員の服を脱ぎ棄て、乗客を装って救出されたのではないかと見られている・・・。怒りとやりきれなさがこみあげてきます。
確かにこの事件は人間の邪悪さが突出していて、誰もが「これはひどすぎる」と思うのですが、しかし、冷静に思い返してみると、こういうことは太古の昔からの人間の本性と言えるものだとわかります。そして、恐ろしいことに、時と場合によっては自分もやりかねないことだと思わざるを得ないのです。
「救助船が来て乗れと言われたから乗っただけです。」
「女が木から取って与えたので、その果実を食べました。」
創世記に記された最初の人間の姿と同じです。「自分はあそこまでひどくない。」とか「それが人間の半面の姿だからしかたない。」と言い切って終われる人はある意味いいなあと思いますが、自分はそうと思えないので、やるせなさに気がふさいでしまうのです。
2014年5月7日水曜日
「法の危機」
以前、改憲論議についての感想に、「中身に入る以前に日本と欧米では法に対する意識が違うので全くこの議論に乗れない」と書きました。日本では法に依らない方法で実効性を高める手法がとられ、その反動か、国民の合意のない案件がいったん法制化されると、苛烈で行き過ぎた実施がなされるというのが体験的にわかったことだとも書きました。
しかし、最近の報道によるともはやそういうレベルではないのです。あまりひと頃ほど改憲の話を聞かないなと思っていたら、国民投票のハードルが高すぎるためか、それを変えるための手間暇さえ惜しんで、まどろっこしいことは一切抜きで、なんと「解釈」によって改憲したのと同じ効果を得ようとしているのです。法秩序が揺らいでいるどころの話ではなく、法治そのものの崩壊だったのです。欧米とは法意識が違うといってもまさかここまでとは。クリミア編入を引き起こしたり、他国の民間企業の所有物を強制的に差押えしている国と同じレベルだったのです。
A Man for All Seasons 「すべての季節の男」 という本を思い出します。国王ヘンリー8世の離婚問題に同意せず処刑されたトーマス・モアを扱った戯曲です。大学の教養課程(昔はそんなものがあったのですね。)の英語の授業で読んだもので、いくつか印象深い場面がありました。その中に、正確な文言ではありませんが、国家を法律の木々におおわれた森になぞらえ、
「自分の都合で法律の森を切り倒してしまったら、悪魔が身をひるがえして襲いかかってきたときどこに身を隠すのか。」
というようなことを言っていた場面がありました。
欧米において人間がまがりなりにも人権意識を持った理性的な社会を築いたのは、数えきれないほどの流血の経験の後に、法の概念を確立したことによってですが、おそらく日本人にはこのことが肌感覚としてはわかっていない。このたびの為政者の法意識の軽さにうすら寒いものを覚えます。もはや日本においては、事実上法の森はことごとく切り倒され、無法の嵐が吹き荒れる直前なのかもしれません。
2014年5月3日土曜日
「紅春 44」
「電飾ガオーに会った。」
「どうだった?」
「相変わらずだけど、離しておいたから。」
私は夜はりくの散歩をしないのでその状態で会ったことがないのですが、「たぶんあの子だなあ。」と心当たりの犬がいます。昼間一度会ったとき、りくが唯一、一戦を交えた犬なのです。普通に散歩させていたら、「グルルルー」とうなり声をあげて襲ってきたのです。りくより少し大きくがたいがよい犬でした。あわててリードを引きましたが、お互い少々やりあった後でした。両者とも噛んではいないと思うのですが一応飼い主同士名前のやりとりをして別れました。
散歩中、気性が荒い犬に出会うことも結構ありますが、あれほどの犬は初めてです。りくだけでなくあらゆる犬に対して凶暴な態度を示すようでした。りくが売られた喧嘩を買うタイプというのもこの時まで知りませんでした。犬川柳にあったっけ。
「喧嘩ダメ、言いつつ内心、負けちゃダメ」
その後一回だけ昼間散歩した時にその犬に会いましたが、飼い主さんが遠くからこちらの姿を認めた途端、かなり重いだろうに犬を抱き上げて草地の端っこに寄っていました。こちらを気遣ってのことなのか、自衛のためなのかわかりませんでしたが、声を掛けられることもなくその後会うことがありませんでした。
兄の言葉では、「気の荒い犬は他にもいるけど、あの子は特別。」とのこと。昼間散歩するといろんな問題が起こるから夜散歩することにしたのだろう、それも相手に警告する意味で遠くからも見える電飾状態でやってくるのだろうと。電飾は飼い主さんもしているとのことで、私はすっかり同情してしまいました。犬だって生まれつきの性格なのだから可哀そうといえば可哀そうです。りくみたいな性格に生まれていたら、なんの苦労もなくかわいがられていたでしょうに。
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