ベルリンの壁が崩壊した後、といっても翌々年くらいのことだったと思うのですが、ベルリンは旧東ドイツを見に来たバックパッカーで異様な熱気にあふれていました。ツォー駅のあたりで宿を探す人も多かったのですが、もう1泊8マルクのテント村しかなく、日本でユースホステルを予約してきてよかったと思いました。確か旧西ドイツでは、一定の年齢以上の人はユースには泊まれなかったのですが、旧東ドイツの地域には予約を入れられたのです。普通のホテルは異常に宿泊代が高騰しており馬鹿馬鹿しいほどでした。
昔の国境線を列車で抜ける時、「世が世ならこんなにあっさり国境を越えることはできなかったのだ。」と思って感慨深いものがありました。この2つの地域は気をつけていなくても国境線を通過したことはすぐわかりました。西から東へ入るとすべてが色彩を失ったからです。花もなく、家々の屋根も壁も文字通り灰色でした。色彩というのは人間が作り出している営みなのだとこの時初めて知りました。何十年間一度もモデルチェンジされたことのないトラバントがまだ走っていたベルリンで、現実離れした時間の流れを感じたのでした。