2012年11月30日金曜日

ウィーンの或る教会 Kirche am Steinhof

 教会が第一の観光名所となるほどウィーンには壮麗なカトリック寺院が多いですが、中でもオットー・ワグナーt設計のキルヒェ・アム・シュタイン・ホフは特筆に値します。この教会は広い精神病院の敷地内にあり、患者さんが礼拝を守れるように建てられたものです。そのため一般の見学は土曜の三時からガイド付きのみで行われていす。

 その日、不慣れな土地のため五分ほど遅れた私と連れ合いは集合場所に息せき切って駆けつけましたが、もう人影はなく「直接、教会までおいで下さい」の貼り紙。といっても、教会の場所がわかいません。患者さんの一人に尋ねると、そのおばあさんは親切にも教会まで案内してくれました。おかげでガイドさんの説明に間に合い、中に入ることができました。

  説明によると、ワグナーは明るい会堂をめざしましたが、過度の採光・照明は病気に悪いとの医者の助言があり、金色を多用することできりぬけたことと、中央に描かれた絵画は、未熟な職人が途中で挫折したり、プロテスタントの妻を得たりしたため、結局三人目の職人が完成したこと、様々な曲折を経て従来の固定観念が破られ、ステンドグラスに髪がショートカットの天使が採用されたことなどがわかりました。

見上げた天井

 丸天井ははるかに高く、見上げるとまるで星空の下にいるようでした。また、患者への配慮から、壁にはカトリック特有の華美な装飾物は一切なく、いすなどの端は丸く削られていました。また、聖水で遊んだりせぬよう触れると水が数滴だけ出る仕掛けもあり、不慮の事態に床が水洗いできるよう、いすの足の最下部は金属製でした。礼拝中は医者2名と看護婦5名が待機し、万一に備えているとのことでした。

 ただ美しいだけでなく、患者さんに対する深い気遣いに感銘し、この病院における魂の癒しを祈らずにはいられませんでした。帰りに仲間の人達と丸くなって草地に座っている先ほどのおばあさんを見つけました。近寄ると彼女は
「教会はどうでしたか。」と明るい声で話しかけてきました。
「すばらしかったです。そのお礼を言いにきたのですよ。」と私たちは答えてその場を後にしました。                                  1993年 夏

2012年11月29日木曜日

6枚目の絵 「天文学者 Der Astronom 」


 この絵は、6枚の中で唯一実際に見ていない絵です。
ルーブルは2、3日かけてじっくり見たい美術館ですが、なかなか機会に恵まれず今日まできてしまいました。

 いつか、連れ合いと一緒に行くはずでした。しかし、それがかなうことはもうありません。彼が天に召されたからです。今後、私が一人でルーブルなりどこへなりへ行くことはおそらくないだろうと思います。 

 言葉の問題もあり、これまでフランスを訪れたのはほぼアルザスに限られています。覚えているのは、コルマールにあるグリューネヴァルトのイーゼンハイム祭壇画 Isenheimer Alter を見に行ったことです。悪魔の誘惑を受けるアントニウスのすさまじい形相が忘れられません。その絵のことを私は知らなかったのですが、見ることができて本当によかったと思いました。どうして私が見たいと思うものがわかるのか不思議でした。

 フェルメール・カフェでは、「天文学者」と「地理学者」は西の壁面に仲良く並んでいます。対になる作品ですから、それが一番落ち着きがよいようです。

  傑作と呼ばれる世界の絵画は、人類共通の財産として美術館で鑑賞すべきものという考えもありましょうが、これら6点の絵画は、私にとっていつ眺めても思わず見入ってしまう、どうしても手元に置きたい絵画なのです。

5枚目の絵 「窓辺で手紙を読む女                                     Briefleserin am offenen Fenster」


 「真にドイツ的なものはみな旧東ドイツにある」とは、旅先で出会ったドイツ人の言葉です。
 真偽はともかく、東西ドイツ統一まもないドレスデンのアルテ・マイスター絵画館 Gemäldegalerie Alte Meister を訪れた時のことです。ここに、「やり手婆」があることは知っていたのですが、ここにあることを知らずに出会ったのがこの「窓辺で手紙を読む女」です。 ぜひとも見たいと思っていた1点で、「この絵はドレスデンにあったのか。」と、思いがけない幸運をとてもうれしく思いました。

 私には、この絵と「やり手婆」が同じ作者の手によるものとは思えないのですが、「やり手婆」が大きなキャンバスに描かれたものであるのに対し、こちらはとても小ぶりの絵画です。その落ち着いた色合いは、そこだけ時を止めるほどの静寂に包まれていました。 手紙を手にした女の構図は他にも何点かありますが、私はこの絵が一番好きです。

 のちにこの絵を注文したとき、「手紙を読む女の絵で、全体が薄緑色っぽい・・・」と説明すると、電話口の女性は「『窓辺で手紙を読む女』ですね。」と応じましたが、正確なタイトルを知らなかった私は、「あの・・・若い女の人で・・・あ、ドレスデンにある絵です。」と言いました。「そうです、そうです。」と相手の弾んだ声が聞こえ、話がすっとつながったのでした。同じ絵を見たというだけで、これほど親近感が沸くというのも不思議なものです。

4枚目の絵 「絵画芸術 Die Malkunst」


 私は長いこと、この絵のタイトルを「画家のアトリエ」だと思っていましたが、もっと抽象的な絵画のようです。
この絵は生活の一場面や人物の肖像を描いた作品とはかなり違っていますが、なんと美しい絵でしょうか。何一つ欠けたものも余分なものもない完璧な絵です。フェルメールが最期までこの絵を手放さなかった訳がわかる気がします。

 この絵はウィーンの美術史美術館 Kunsthistorisches Museum にあるものですが、ここにはブリューゲルの部屋ともいうべき一室があり、「雪中の狩人」「農民の踊り」等の逸品が数多くあります。私はブリューゲルも大好きです。

 ウィーンは連れ合いと初めて旅行した場所でした。彼はウィーン生まれで6才までそこで育ったので、子供のころ過ごした家を見に行ったのですが、とても懐かしそうでした。

 その集合住宅たるや、私がそれまでに見たこともないだだっ広い螺旋状の内階段とむやみに高い天井を持ち、現代の合理性というものをまったく排したハプスブルク帝国の象徴のような建物でした。

 オーストリア人の父と、ドイツ人の母がどこでどうして出会ったのか彼もよく知らないようでしたが、6才の時に家族でドイツに帰化したとのことでした。

 ウィーン時代の家は、プラーター Prater まで歩いて行ける距離にあり、よく行って砂遊びをしたこと、いつも帰りたくなくて母を困らせたことを話してくれました。童心に返ってリリプットバーン(子供用の機関車)に乗ったのを思い出します。

3枚目の絵 「地理学者 Der Geograph」

 
 私の連れ合いはドイツの人でした。

 毎夏、フランクフルトを訪れると、彼自身は絵画にさほど興味がないにもかかわらず、必ずシュテーデル美術館 Städelsches Kunstinstitut und Städtische Galerie に連れて行ってくれました。ここは静寂に満たされた館内で、私はほぼいつでも「地理学者」を一人で鑑賞できました。

「僕は向こうのソファーで休んでるから、好きなだけ見てていいよ。」と彼は言い、私は好きなだけこの絵を眺めました。幸せな時間でした。でも困ったことに、絵を見飽きるということがないので、やはりどこかで切り上げなくてはならないのでした。

 天気のいい日にはそれからリービークハウス Liebieg Hausまで歩いて行き、気さくなカフェの美しい中庭で軽食をとるのが毎年のならわしでした。

2枚目の絵 「真珠の耳飾りの少女                               Das Mädchenmit dem Perlenohrgehänge」

 *「青いターバンの少女」という方がわかりやすいかもしれません。

  早朝のマウリッツハイスでした。

  今から考えると信じられないようですが、その絵の前に私は一人で立っていましたその頃は、今ほどこの絵の名声が響き渡っておらず、その絵を独り占めすることができたのです。

 その瞬間、私は文字通り、まさにこの絵に魅入られてしまい、トランス状態に陥りました。まったく動くことができなかったのです。

 警備の方が緊張して私を見守っているのがわかりました。レンブラントの「夜警」に、スプレーが吹きかけられる事件が起きたのはこの翌年ですし(さらに前には切り裂き事件もありましたっけ)、イタリアのウフィツィ美術館が爆破されたのがその数年後のことで、世界の絵画や美術館はいつでもテロの対象になり得るからです。

  どのくらいの時間か、私は他の人が来るまでこの絵の前でユーフォリアに包まれておりました。それからようやく正気に戻り、後ろ髪を引かれる思いでその場を離れたのでした。 。

1枚目の絵 「牛乳を注ぐ召使い Dienstmagd mit Milchkrug」

 
  フェルメールとの出会いは二十数年前にさかのぼります。 
  絵画にほとんど関心が無かった私は、母が少しずつ買いそろえた画集に時折陶然と見入っている姿を、なかば当惑しながら見ているような子供でした。
  ところが、オランダに旅行した折、話の種にと訪れたアムステルダム国立美術館でこの絵に出会ってしまったのです。一分の隙もない、完璧な絵でした。朝食の準備であろうか、牛乳を注ぐ揺るぎない動作。
  「ああ、この女の人はこの行為を何百回も、いや千年も続けてきたのだ。」と感じました。この絵には、過去から連綿と続けられ、未来永劫永遠に続いていく人間の営みの確かさが宿っていました。
 フェルメール詣での始まりでした。

2012年11月24日土曜日

フェルメール・カフェの紹介

 我が家の片隅に、「フェルメール・カフェ Vermeerscafe」もしくは「ルーエ・プラッツ Ruheplatz」と呼んでいる静かな場所があります。
 

 
 ここには、フェルメールの絵が6点あり、珈琲をいれて一息ついたり、考えごとをしたりするときの休憩場所になっています。

  絵画は、ジクレーによる複製ですが、私には区別がつかない以上、本物と同じです。朝な夕なにしばらく眺めていると、心が穏やかになっていきます。なんという静謐、なんという至福の時でしょうか。


 
 また、夜中に目覚めたとき、薄明かりの中に、ぼんやり浮かび上がる絵画もなんともいえず風情のあるものです。

 
フェルメール・カフェでは、美術館とはまた別の愉しみ方ができます。しばし、ゆっくり休んでいってください。珈琲をいれましょうね。