クリスマスを故郷で過ごしたものの、東京の暖かさに慣れた体には寒さが身に沁み、早々に舞い戻ってきてしまいました。昨年の大晦日は日曜日、「一年を礼拝で終えるのもいいものだな」としみじみ感じながら渋谷へ行きましたが、なんとこの日は礼拝後に信仰50年の祝いの品として聖書をいただきました。事前に希望を聞かれていた通り、「聖書協会共同訳のスタンダード版、大型本」をいただいて本当にうれしく思いました。一つには一番新しい「聖書協会共同訳」をまだ持っていなかったこと、もう一つには視力の低下が進んだため「大型本」は願ってもないものだったからです。
家に帰ってそおっと包みを解くと、真新しい聖書を手にしたのは本当に何年振りかと、何とも言えない感激が沸き上がりました。同じ聖書でも日々新しく読めるのですが、物理的に真新しい聖書と言うのはやはり格別だと知りました。しばらく前から読書と言えばもうずっとほぼ音声で、本当はもう活字は読めないのですが、わずかずつでもゆっくりでも毎日少しずつ読みたいと強く思いました。とりあえず、旧約は「詩編」を、新約は「マルコによる福音書」を読み始めました。両方ともいつ読んでも新しい発見があり、胸が熱くなる書で非常に惹かれます。
こうしてとてもよい大晦日から元日を迎え、昼過ぎに街の様子を見に散歩を兼ねて買い物に出かけました。「穏やかな正月でよかった」と思いながら帰宅し、休憩してからパソコンに向かっていた時です。「やっぱり疲れたのかな、なんか眩暈がする」と思ったら、部屋の電灯の紐が揺れています。「あ、地震」と、ラジオをつけると能登半島で震度7という大地震が起きていました。それからはラジオに釘付け、「よりによって元日からこんな災害が・・・」と打ちのめされました。この時期の北陸の寒さを思うと、東北から帰ったばかりの身にはそれが身体の痛みとして感じられました。この日は横になったまま11時ころまで眠れず、ラジオを聞いていました。うとうとして目覚めた時、「あれっ、暖かいな」とまず思い、自分が避難所にいるわけではないことを自覚しました。東日本大震災の時も私は東京にいたので、現地の寒さや辛さの経験がないのに、何故そう思ったのか分かりません。
1月2日には日本航空と海上保安庁の航空機の衝突という大事故も起き、正月の明るい気持ちは急速にしぼみ、箱根駅伝もどこかうわの空で聞きました。それでも1月3日は、あまり気乗りしなかったものの、今年新たに通うことになる病院の場所の下見に行ってきました。地図音痴の私はこういう手順を省略すると必ず失敗するのです。
1年の幕開けとしては稀に見る悲惨な出来事が重なりました。今年はどんな年になるのかと暗澹たる気持ちですが、浮かれ気分になる暇がなく、現実に立ち向かう心持ちになりました。様々な困難がきっとあるに違いないと覚悟しつつ、神様に依り頼んで歩むのみです。