2023年12月30日土曜日

「転院の作法」

  今となっては今年の前半期に何をしていたか全く思い出せずにいますが、今年の総括をするなら最後の3か月だけで十分です。体調の変化、加齢の進行に合わせて転院を考え、駆けずり回ったことが一番の出来事です。

 私の場合は主に2つの診療科にかかっていますが、どれも十年以上通ってきた病院なので、それを変更するのはそう簡単ではありません。いえ、本当はそんなに難しくはないのです。1つの方は「近くで診ていただけないかと・・・」と言うだけでよかったですし、もう一方も「遠くて通いきれなくなったので、〇〇病院に紹介状を書いてほしい」と言ったら、あっさり承諾してくれました。ですから、これをせずにここまで来てしまったのは、やはり精神的にやり遂げる気力が湧かなかったからなのです。

 それなりに長い間病を抱え込んだのちに、自分の病を説明するというか、もう一度一から掘り起こされるのは気が重いものです。どちらも治るような病ではないので、いずれにせよ治らないなら同じところに通って経過観察をしていた方が楽なのです。しかし、治療に疑問を感じたり、体力がなくなって通うのに困難を感じてきたら話は別です。止むに止まれず動くにも勇気が要るのです。

 それといまだに分からないのは、どのタイミングで紹介状を書いてもらうのが良いのかということです。前に待合室で或る老婦人が、「今近くで通ってるところの先生は、『ここと話をつけて紹介状持ってきたら、うちはいつでもOKだよ』って言ってくれてるんだけど、何を理由にしたらいいか分からないのよ」と話しているのが聞こえました。この場合は理由など言わなくても「紹介状書いてください」と言えばいいので話は簡単ですが、当然紹介先の病院が決まっている必要があるでしょう。紹介状というのは、言わば転出届のようなものであって、確かに一度はかかって医師の応対や全体の雰囲気を試してからお願いするものだ、と私は思っていました。転院先が合わないところだとまた戻ることになりかねず、それはお互い避けたいはずです。

 ところがどうも医師は初回から紹介状を持ってくるのが正しい受診方法と思っている節があります。二つ目の科の転院先を求めて、「ここで引き受けてもらえないかな」と思いつつ、自分のデータを持って近くのクリニックを受診したところ、「紹介状を持たずに来たのはどういうわけ?」と尋ねられたからです。もちろん、「診ていただけるかどうか分からなかったので」と答えました。このあたり、考え方に齟齬があるらしいと分かりましたが、ともかく相手にも私の窮状は伝わったようでした。

 結局、このクリニックには受け入れてもらえませんでしたが、その理由(将来的に入院等があり得るのでやはり大学病院をお勧めする)を示してくれたので私は納得しました。それだけでなく、「〇〇病院だったら電車で通いやすいんじゃない? △△病院は近いけど、あそこは専門医が一人しかいないからなあ」等と、有意義な情報を教えてくれました。おかげで私は紹介状の宛先を決めて、次の受診日に担当医に紹介状の作成依頼をお願いすることができました。

 それが年内に届いたので、相手先に「紹介状のある初診」として予約を入れることができました。今は紹介状の無い初診を受け付けない大学病院が多いようで、この手続きが年内に済んで晴れやかな気分で新年を迎えられそうです。年が明けて実際行ってみないとどうなるか分かりませんが、ともかく一歩踏み出した感じでホッとしています。あとから振り返った時に、「あの年が節目だったな」と2023年を思い出すことになる気がします。


2023年12月23日土曜日

「別人格への変貌」

  11月は兄の入院もあって前半に2回帰省したため、12月は六週間後のクリスマスの時期の帰省となりました。前々日に連絡した時に「どんな具合?」と聞いたら、「あれから一度診察があったけど、異常無しだった」との答え、また「生活を変えた」とも言っていました。何事もなく過ぎて安堵する一方、後半部分に関しては、私は結構半信半疑でした。人間そうそう変わるものではありません。

 これまで兄の場合極端な夜型で、私とはすれ違いが多く、超朝型の私が起きる頃寝るような生活でした。朝食も、良くて、ブランチ、あるいは一日の最初の食事が昼頃ということもよくあり、とにかく生活時間帯が全く合わないので難儀しました。何かちゃんと話したいことがあってもタイミングが難しく、落ち着いて話す時間が取れない感じでした。

 ところが今回帰省してみたら、兄の生活態度が180度変わっていました。朝は6時か6時半ころには起きて、朝食を食べ、散歩に出かけるという生活スタイルになっていたのです。これには本当にびっくりしました。また、カップラーメンやお菓子の間食をやめ、甘い炭酸飲料やエナジードリンクも飲まなくなっていました。これらを備蓄・保存していた棚はすっかり空になっています。今まで買ったことのないブロッコリーやカリフラワーといった野菜、エリンギなどのキノコ類も積極的に食べているようです。

 最も困難だろうと思っていた禁煙もできており、タバコはすっぱりやめていました。以前はいくら私が頼んでも隠れて吸っており、私は二階から降りて来る化学物質を押し戻すため、階下で扇風機を回すということまでしていたのです。どうも知人から最初の発作で介護状態になってしまった人の話を聞き、心底反省したようです。

 私は今朝、台所のストーブに火を入れ、お湯を沸かして一日を始めました。そのうち、「あ、来年の『ゴミの日の一覧表』出しとかなくちゃ」と考え、その案内を探しました。毎年年の瀬になって、「12月の『市民だより』どこにある?」と聞いて、「どこかにあるはず、いじってない」とのやり取りがあり、やっと見つけ出して冷蔵庫に貼るということを繰り返していたのです。ところが今年は12月の「市民だより」に一覧表がない! 「そんなはずは…」と思ってふと見ると、すでに冷蔵庫に貼ってあるではありませんか。兄は本当に変わった、言ってみれば、「普通の真人間になった」ということを目の当たりにした瞬間でした。

 私は本当に驚いています。人間これほど変われるのですね。大げさに言うと、これは「放蕩息子の譬え」を地で行くような話です。放蕩息子は言い過ぎですが、私の目から見るとそれほどの人格の変貌というか、「人が生まれ変わった」感があります。これはもう神様に感謝するしかないでしょう。本当にすばらしいクリスマス・プレゼントをいただいた気持ちです。


2023年12月18日月曜日

「ドッグランにて」

  猛暑となった夏以来、ウォーキングの習慣を失くしていましたが、久しぶりに大好きな公園に朝のウォーキングに行きました。いつもはいかない側の入り口から入って少し行くとドッグランがあり、犬たちが引き綱なしで柵の中で遊んでいるのが見えました。小型・中型犬用と大型犬用に分かれていて、常連さんたちなのでしょう、飼い主たちは同じく柵の中でおしゃべりに花を咲かせています。小型・中型犬たちは数が多いのですが、みな思い思いに楽しんでいてケンカしている子なんていません。大型犬の柵の中では、数は少ないながらやけに細身の犬が、人間で言うとジョギング並みの速さで駆けていたりします。

 手前の方にはなんとセントバーナードがおり、私が見ているとのっそりやって来て体を摺り寄せてきます。向こうを向いてベンチに座っている飼い主さんが見て見ぬふりをしてくれたので、思わず声掛けしながら策越しに触らせてもらいました。つやつやと輝くひどくきれいな毛並みで、どれほど手をかけて手入れされているのかと思わされました。その子は白地に茶色いぶちでしたが、何ともう一頭黒いぶちのセントバーナードがやって来るではありませんか。普段見ない人が来て、仲間と遊んでいるのが気になったようです。こちらも策越しに撫でてやりましたが、2頭はそっくりの顔をしています。ここに至って、年配の飼い主さんに挨拶し、「兄弟犬ですか」と聞くと、「そう。男の子と女の子」とのこと。その日はそれだけで大満足でドッグランを後にしました。思いがけぬ朝の幸運に舞い上がってしまい、あやうくウォーキングの続きを忘れるところでした。

 翌週、「またいるかな」とワクワクしつつ公園に行くと、「あ~、いたいた」。この日は雨tが降りそうな天気だったので、犬たちは少数、大型犬のフィールドでは例のセントバーナードが離れたところに2頭いるだけでした。飼い主さんに挨拶をしていると、茶色のぶちの子が気付いてやって来ました。声掛けしながら撫でて名前を聞くと、「こっちがレイナ、向こうがキング」と教えてくれました。いつも人懐っこいのはレイナちゃんの方、やはり女の子は優しいのかな。せっかくのドッグランなのに、私が見た時2頭とも伏せていたので。「走ったりするんですか」と聞いてみましたが、「もうあんまり走らないね」とのお返事で、確かにこの巨体で走るのは大変なのだろうと思いました。ちなみにお年は4歳とのこと。

  見るとお座りしているレイナちゃんがハアハアしています。「暑いの?」と尋ねると、「まだ暑いの」と飼い主さんからのお返事。さすがスイス・アルプスの犬! もっともこの日は夜更けから朝にかけて気温が上がり朝7時でも15℃近くありました。でもこれで暑いとなると…と、思わず「夏なんか大変じゃなかったですか」と尋ねると、「24時間エアコンだね」とのお答えでした。そうだろうな~。

  その日は何といっても2頭のお名前が分かったのでとてもうれしく、「レイナちゃん、バイバイ」、「キングくん、バイバイ」と名前を読んで挨拶ができました。飼い主さんにも「ありがとうございました」とお礼を言って帰りました。犬のいる風景はなぜこんなに幸せな気持ちにしてくれるのでしょう。様々な個人(個犬)情報もゲットし、お近づきになれた幸いを寿ぎました。あ、勝手にバラしちゃってまずかったかしら。だって可愛いんだもん。


2023年12月12日火曜日

「炊飯器」

  炊飯器に関しては、これまではとにかく少量炊きでと考え、1.5合炊きの可もなく不可もなくという製品を使っていましたが、急に「美味しいご飯が食べたい」と思い立ち、新しい炊飯器を購入することにしました。最近はいろいろな会社が新製品を世に出しているのでしょうが、私にとって炊飯器メーカーと言ったら、猛獣の顔(昔より可愛くなってる?)のマークで有名なあの会社しかありません。さっそく必要十分な機能を持つ3合炊きが届きましたが、実家にある5.5合炊きと同じシリーズなので使いやすいです。

 ご飯の炊きあげ方として、「白米」、「極うま」、「エコ炊き」、「冷凍ご飯」、「無洗米」、「早炊き」として6種類に分かれています。実家では炊き分けるということは皆無で、いつも「白米」で炊いていましたが、今回私がまず試したのは「冷凍ご飯」です。冷凍用に特化した炊きあげ方とはいかなるものか興味深かったのですが、「時間をかけて給水し、べたつきを抑えてふっくら炊き上げる」と書いてあります。確かに、給水時間は「白米」より15分以上、炊飯時間は「白米」より10分以上長いようです。これより給水時間、炊飯時間とも長いのが「極うま」で、給水時間は「白米」の2倍、時間をかけて加熱することで、甘味・旨味・粘りを引き出すとのこと。この炊きあげ方で炊くと、確かにお米一粒一粒がつやつやと立ち上がっている状態で炊きあがります。してみると、ご飯を美味しく炊くこつは給水と炊飯を十分時間をかけて行うことだと分かります。「エコ炊き」、「早炊き」はまだ試しておらず、お米の炊きあげ方に命を張って研究・開発している方々には申し訳ありませんが、私の鈍い舌では炊き上がりの明確な区別は望むべくもなく、「白米」、「無洗米」でも十分美味しいと感じます。さすが炊飯器メーカーです。

 さて、これまで使っていた小ぶりの炊飯器ですが、もちろん捨てるわけはありません。これは少量のパン焼き、惣菜の調理に極めて便利だと分かりました。これまではホームベーカリーでこねたパン生地を小分けにしてフライパンで焼いていましたが、このクッカーに入れて焼くと、かわいい円柱形のパンがきれいに焼き上がります。焦げ色を付けるため、途中で一度さかさまにするひと手間を入れるとなお良いようです。また、高温になり過ぎずにじっくり加熱する炊飯器に特徴的な機能により、肉じゃがやスペイン風オムレツなどはとても美味しくできます。これはガスや電子レンジを使用して他の調理をしながらできるので、調理器具がもう一つ増えたことになります。放っておいても電気だから安心です。まだまだレシピを調べて、特に煮込み料理を試してみたいです。あとは、土鍋が大中小とそろっているので、これで冬の調理用具は万全と言ってよいのではないでしょうか。


2023年12月6日水曜日

「アドヴェントに」

  今週アドヴェントに入り教会暦では一年の始まりですが、日本では年末の慌ただしさが交差するこの時期、私はいつも一年を振り返り感謝の気持ちが日ごとに募ってきます。世界にむき出しの悪意が満ちる中、とりわけ戦禍のもとに自己の存在そのものを脅かされている人々がいることを思う時、よくまあ平和に過ごせたものだと不思議な気さえします。

 そしてまた、この時期は人間の邪悪さ、罪深さが身に沁みる時でもあります。パレスチナの絶望的な状況は、世界史で学んだ通り、そもそも第一次大戦中に戦局を有利に運ぼうとした英国の二枚舌外交(ユダヤ人国家の建設を支持する「バルフォア宣言」および、アラブ人国家の建設を約束する「フサイン=マクマホン協定」)にあります。この神をも畏れぬ所業によって、それまで平和に暮らしていた土地が突如破壊と流血の絶えない場所になったのです。英国によらずかつての帝国主義国家は現在みな百年前の悪行のしっぺ返しを食らっています。人間の罪は償う人がいなければそのまま残るしかないのです。

 人間は状況がそろえばどんなことでもしてしまう弱く恐ろしい存在です。自分の良心に一点の曇りもないという人がいたならそれはよほど鈍感と言うべきで、大抵の人は心の深淵に決して誰にも話せない暗く醜い記憶があるのではないでしょうか。これは人間によっては救われない、神様に話して赦していただくしかないものです。神の正しさを損なわずに人間の罪を赦すには、神の御子がその罪を引き受けて死ぬ以外に手立てがありません。

 毎朝感謝のうちに起きてお湯を沸かし、ガラスの耐熱ポットに注いで緑や紅の美しい揺らめきを見ながら一杯のお茶を味わう時、すべての罪赦されて在ることの平安をしみじみ感じます。今朝もラジオで人権のために差別と闘っている人の声を聞きました。神様の御旨を行う人々に大きな御祝福を祈らずにはいられません。


2023年12月1日金曜日

「ガラスの靴」

  靴選びは私にとって子供の頃から厄介な問題でした。同年齢の子供の中ではいつも足が大きかったのでサイズ探しが大変で、いくつか見つかっても「デザイン的にちょっと・・・」ということが多かったのです。しかし、とにかくあるものの中から選ばねばならず、たいてい不満が残りました。「足が小さい子はいいなあ」と思ったものです。

 しかし大人になる頃には、大柄な女性も珍しくなくなったせいか、サイズ探しに困ることはなくなりました。とはいえ足の形は人様々なようで、平均的な形から逸れるとやはり違和感なく履ける靴は多くはなかったのです。しかしこれも現在では大幅に改善され、かなり足に合う靴が増えてきたと感じています。ウォーキングに力を入れる年配者が多いせいか、特にウォーキング用の靴は足になじんでほぼ満足に感じるフィット感です。もうこの歳になるとヒールのある靴はほぼ履きませんし、見映えもさほど気にならなくなります。履き下ろした一日二日くらいは少しどこかが靴に当たることがあっても、次第に履き心地良くなっていくので、「まあ、こんなもんでしょ」と思っていました。

 ところが、最近ふと秋用にと思い立って近くのモールで試した靴は違っていました。履いてすぐ、「あれっ」と思うくらい履いた感がなく、少し歩いてみても履いているかどうか分からないくらい足にフィットしていました。今まで好んで履いていた柔らかい素材でヒールの無い靴と違い、カチッとした硬さがあり低いながらヒールも付いています。これまでは絶対に足に合わなかったタイプの靴なので「まさか」と思いましたが、ともかくそれを購入し狐につままれたような気分で家に帰りました。

 翌日は外出日で、その靴を履こうかどうか迷いました。今まではどんなに足に合うと思った靴でも最初から遠出には使わず、必ず近場で慣らしてから履いていたのです。しかし、その日はおろしたての靴で出かけ、本当にびっくり! 一日中履いて歩き回ったり少し駆けたりしたのに、帰宅するまで全く異変を感じないどころか、履いていることを忘れるほどでした。これは私にとって初めての体験で、人生何十年目かに出会った魔法の靴のようでした。「シンデレラの足にしか合わない靴とはいかなる靴か」と、これまで訝しんできましたが、「そのようなものは本当にあるのだ」と分かりました。仮にこの靴がガラス製だったとしてもスッっと自然に履ける気がしました。シンデレラの靴は一足限り(しかも片方だけ)ですが、私は翌日もう一足買いに行きました。このような靴にもう二度と出会えるとは思えなかったからです。靴選びに苦労してきた者にとって、これって王子様に会うよりうれしいことではありませんか。