2021年9月30日木曜日

「病の原点に返る」

 帰省中、りくの世話、草むしり、家事一般に加えて、実家の片づけに精を出したせいか、帰ってからドッと疲れが出て寝込んでしまいました。今までの感触では「明日は大丈夫だろう」と思える体調でも、起きると「動くのはちょっと無理」だとわかるという状態が五日ほど続き、やはり一年と言えない老化が進んでいるなと実感しました。とはいえ、いつものように自宅に帰ってすぐ、必要な食料品は買い込んでいたので、全く何の心配もなく自宅療養をしています。

 昏々と寝る時期が過ぎるとやはり何か読みたくなってきます。もう読書といっても全て耳から聞くものですが、東日本大震災から十年たって、あの惨状のなか格闘した医師たちの記録を読んでみました。災害直後の設備も医療品もほぼない状況で、助けを待ちつつ懸命にできることをし続け、患者と向き合った姿に素直に感動を覚えました。患者も病状に応じ、自分ができることを探して、医療従事者を手助けしようとしており、大災害下の野戦病院的な特殊事情において医療の原点を見る思いでした。

 状況を比べることはできないものの、現在の感染症における対応について、素人なりに考えるところが二つあります。一つは死がすぐそこにあった大災害時と違って、全体的に微妙な緩み、公への依存的な心情・態度の存在を否めないこと、もう一つは大都市と地方の医療格差の問題についてです。

①感染症を避けようとしたら、とにかく衛生に気を付け、人との接触を極力減らすしかないので、動けるうちにしばらく籠城するくらいの準備が必要です。顧みると、日本では食料はじめ生活必需品の買い出しを禁止されたことはなかったのですから、感染症対策が長引く中でも災害対策に準じて籠城準備を各人、各世帯ごとにできたはずです。感染症問題が政治マターなのは間違いありませんが、それが強調され過ぎると「自分の身は自分で守る」という基本が忘れられがちです。政府の対応に問題があったにせよ、皆が少しずつクレーマーになれば解決するというものではありません。様々な事例から、自分の体を知ることがどれだけ重要かを知らされ、自分の命を守るまでの道のりを政府任せにするのは、とてもリスクがあると学びました。

②大病院、大学病院は大都市に集中しています。それでも感染症下では医療崩壊したのですから、致死性の低いパンデミックでは自宅療養をデフォルトとした対策を戦略的に練らなければならなかったのだと思います。それよりも問題は平常時です。普通に考えて、都市部の病院がすべて経営的に安定するためには多くの患者を必要とするはずです。よく過疎地域・人口減少地域では自治体ぐるみで予防的医療を推進し、病院の医療費削減を図っているという話を聞きます。おそらく個々の住民が治療に通う症状は自治体ごとに差があり、近くに病院があれば生きるか死ぬかにかかわらない、できれば改善すべきという程度の症状でも治療することが推奨されるでしょう。(いま念頭にあるのは、程度にも寄りますが、メタボとか高血圧とかです。)ひょっとすると、薬を用いて治すことによって体に別の症状が出たり、症状は無くなっても逆に当人の人生に何らかの弊害があり得る案件もあり得るのではないでしょうか。人の体は百人百様ですから、検査によって一律「正常値」を適用されてもあまり意味がありません。何も治療しない方が実は長生きだったという場合も無いとは言えません。

 つまり大震災の記録を読んで現在の事情に目を向けると、日本ではちょっとしたことで人々が病院に行き過ぎるのではないかという印象を抱いたのです。病院が身近にあるのは幸いなことであり、体調に不安があれば病院に行くのは当然です。しかし今になってわかるのは、歳をとるということは昔の体とは違う自分になるのだということで、体のどこかしら悪いのが自然な状態なのです。私のように医者の手を煩わすことなく、おとなしく寝ていればそのうち良くなるというのは、最高のやり過ごし方じゃなかろうか・・・。寝転がりながら読書をし、つらつらとそういう結論に至りました。これはしかたないんだな、と納得できれば次の段階に行けるというものです。


2021年9月27日月曜日

「紅春 188」


 帰省する前日か前々日あたりに兄に確認メールをする時、りくの様子を尋ねることがあります。最近のは「涼しくなってご飯もバクバク食べてるし、わりと元気」というものでした。帰省して持って行ったおやつをご飯に混ぜてあげてみると、全部は食べないだろうと思っていたのに、すっかり平らげたのでうれしくなりました。しかし一方、「あれ、これまさか認知症じゃないよね」という思いが沸き上がってきました。人間の場合、ちゃんとご飯を食べたのに本人が「食べていない」と言って虐待を疑われるという話を聞くからです。

 その後、りくの状態を見ていると、脳の満腹中枢は機能しているようで、お腹いっぱいになると途中でやめますし、散歩して帰って来て空腹を感じると残りを食べているので大丈夫でしょう。食の細いりくがたくさん食べてくれるのは本当にうれしく、脚を鍛えるために無理のない範囲でなるべく歩かせ、モリモリ食べてほしいと私も頑張っています。人間にとってずっと座っているのはよくないのと同様、りくも適宜外につないでなるべく立たせています。ご近所さんが通る時、「りくちゃ~ん」と声をかけてくださることもあり、りくは聴こえていないようですが、それでもあまり見えない目でそちらを見ているようです。少しでも外部の刺激があるのはよいことでしょう。ありがたいことです。


2021年9月22日水曜日

「電子メールの発展的消滅」

  使っていない携帯電話会社の名を騙る偽メールを見つけて、またかと不快な気分になりました。といっても私程度であれば、偽メールは月に2~3通あるかどうかで、あとは心当たりのあるものばかりです。すなわち、宅配関係の注文に関する返信、使用しているプロバイダーやカード会社などからの毎月の請求書等です。しかしだからといって嫌な気分が減じるわけでないのは、偽メールへの対処は一度の失敗でも致命的になり得るからです。また広告欄に前もってチェックの入った注文メールは、うっかりオプトアウトし忘れ、メールマガジン等が配信されるのも腹立たしい限りです。

 他の人はこういうことをどのように処理しているのかと思う時があります。ジャンクメールを上手に仕分けしたり、捨てアドを作っていくつか用途別にアドレスを分けたりしている方は多いことでしょうが、有名人や仕事の関係上アドレスを公開せざるを得ない人は、月に何千、何万というメールを受け取っているのではないでしょうか。SNSをやっている方はなおさらです。開封すべきメールかどうか判断する時間が無駄ですし、大事なメールが迷惑メールフォルダに入ってしまう事態もゼロにはできません。このように、とんでもない数のメールが何カ所かのアドレスに送られてくるとしたら、到底対処できるものではなく、未開封のメールが何万通、何十万通とたまっている場合もあるでしょう。つまり、もう電子メールは機能として半ば死んでいるのです。

 私は基本的に登録されている知人・友人からのメールは必要に応じてテキストを別の記憶媒体に保存していますが、その他でチェックするのは自分がアクションを起こした返信メール(通販の配達予定など)のみです。あとは複数あるパソコンから順次1~3か月ごとに受信メールと迷惑メールを全削除しています。これは災害で所有物を全部失くしたとかパソコンが壊れたと思えば何でもないことで、実にすっきりします。これまでの経験から、以前のメールを探し出してもう一度確認するなどということは金輪際したことがないのですから、全部要らないものなのです。

 ジャンクメールや偽メールに侵食されて電子メールという便利な通信手段が消滅していくのは残念ですが、現状を見ると宿命かもしれないと思います。「○○、急用にて連絡待つ、△△」とか「◇◇、至急家に戻られたし、✗✗」といった短い電報のような機能は残るかもしれません。いっそのこと全部なくなって手紙に戻るとかすれば、どんなにのどかになることでしょう。偽はサクラに通じ、私はもはや「世の中にたえてメールのなかりせば日々の心はのどけからまし」という気分です。


2021年9月16日木曜日

「『子供』と『子ども』」

 十数年ほども前でしょうか、「子ども」という表記を見て「変なの」と思いました。その後、この書き方はじわじわと広がり、今では市民権を得た感があります。私にとっては依然として非常に違和感のある書き方で、それ以上にこういう書き方をすることにより或る種の表明がされているらしいことに何か落ち着かない感じがするのです。それを分析すれば、「私は子どもに対して配慮を怠らない人間です」という「配慮の装い」とでも言ったらいいのでしょうか。一説には「子供」の「供」は「お供」から来ており、「大人に付き従う者」という意味であるとか、「供え物」から来ているとか、といった理由が挙げられるようです。私には複数を表す接尾語の古い形にしか思えず、従って「子供」を「子ども」に変えるのはこじつけの感が拭えません。また、昔から単語に漢字とひらがなが混じるというのはそうそうあるものではなく、こんな間の抜けた書き方があっていいものでしょうか。

 何の変哲もない誰もが使う単語だった「子供」を「子ども」に変えることで、この言葉には何とも言えないおかしなニュアンスが加わります。敢えて口にするなら、配慮すべきもの、保護されるべきもの、弱いもの、虐げられているもの、特別扱いすべきもの・・・という意味合いでしょうか。社会の中の当たり前のメンバーとしての子供が、それ以外の視点で眺められているのです。私のこども時代はあくまで「子供時代」であって、間違っても「子ども時代」ではありません。ちゃんとした大人がいて、普通に子供がいたのです。

  もっと気になるのはこの語がメディアに浸潤してきていることです。それも自らの見解を問うことなく、圧力に負ける形で自己規制していくとなると、ろくなことにはならないと分かるので肌に粟を生じるのです。つまり一般的に言って、何かを区別し目印をつけると、それを或る種の目的でいいように利用することができるようになります。そこに生まれた間隙に小さな差別が忍び込んできて、そこから利権が生まれるという経過を辿ります。そういうことを私は忌み嫌っています。

 たとえば、現代は何だかよく分からない病が増えています。社会が複雑化し、人々が人体に有害な物質に囲まれて生活している中で、得体の知れない病が起こるのは理解できますし、実際それを示す脳に残された痕跡が脳科学によって解明される場合もあります。しかし、精神医療の領域で特に子供をめぐって病が作られるということもあるのではないでしょうか。昔はADHD(注意欠如・多動性障害)の子どもなんていませんでした。単に「子供」と言ったのです。かくして病は見いだされ、「子ども」は手当されねばならない存在になるのです。どれほど子供と家族の気を萎えさせることでしょう。病に限らず「子ども」とタグ付けすることで広がる暗くて深い深淵に怒りと悲しみを感じます。

 古い言葉が消えていくのは致し方のないことです。昔の文学や芸術作品はいわゆる「政治的に不適切な」言葉で満ちており、今では「本文中の引用には現在の基準に照らして不適切な部分もあるが作品のままとする」といった断りなしには掲載できません。しかし、程度の問題は重要で、不適切な言葉の妥当性と、それが際限もなく増えていくことの不便さを慎重に見極める必要があります。言葉あっての世界なのですから、「目の見えないお方」などと言われたのでは座頭市も浮かばれないでしょう。全盲の方が「何故『めくら判』といってはいかんのだ」と怒っているのを聞いたことがありますが、差別的として葬られた言葉が返り咲くことはありません。「子供」という表記もすでに分水嶺にあるのかもしれませんが、私は誰かに遠慮や差し障りがあるわけでもないのでこれからも使います。私にとって「子供」というのはほっこりとした温かさを持ち、歳とともに郷愁さえ覚える言葉なのです。


2021年9月13日月曜日

「八方塞がり」

 ニュースはコロナか政局ばかりなので、このところラジオを聞いていません。読書がはかどるのはいいのですが、何を読んでも楽しめず鬱々としています。以前も書きましたが、コロナについて私にわかったのは、2020年の日本に限った総死亡者数は前年より9373人減少したことであり、それまでの10年間の総死亡者数が毎年平均2万4千人ずつ増えていたことを考え合わせると、見方によっては、昨年はコロナの流行により3万人以上の人が命拾いをしたと言えなくもないのです。諸外国とくに欧米では全く違った状況かもしれませんが、日本においてはインフルエンザ以上に悪い影響をもたらしたとは言えません。この不思議な結果の前提となるファクターXはまだ分かっていませんが、以前ささやかれたBCG接種との関連などは、主症状が肺疾患に深く関わる点でさほど見当外れとは言えないのではないでしょうか。異なった感染症であれば違うタイプの遺伝子情報を持つ方が影響を被ることでしょうが、生活環境を含む人間の遺伝子情報は千差万別なので、完全に解明するのは難しいかもしれません。

 この時代になってもまだ経済成長を唱える人がいますが、見渡す限りもうフロンティアは無いように思えます。それでも経済成長を望むなら無理にでもフロンティアを創出しなければなりません。これまでは戦争がその役割を担ってきました。しかし、それ以外にも方法はあるようで、それは「災厄」です。ゼロサム的世界では「甲の得は乙の損」という形でその内部にフロンティアを作り出し、持てる者はさらに富を増し加えることができます。また、自然災害であれ人的災害であれ大災害となれば、そこにフロンティアができます。こんな形でしか「経済成長」できないのなら希望は見えません。

 日本学術会議の問題は、1950年および1967年に示されていた「軍事目的のための科学研究を行わない」との声明を踏まえて、2017年3月24日に出された「軍事的安全保障研究に関する声明」が大きな一因なのでしょう。せっかく戦争法案を通しても国産の兵器がなくては戦えませんから。首相は任命拒否は学問の自由に抵触しないという論拠として、「学者が自由に研究するのは妨げない」といった趣旨の答弁をしていたように記憶していますが、学問の自由はそもそも国家権力の介入からの自由を指しているのですから、これほど国民を愚弄する発言はないでしょう。こうしたむき出しの邪悪さが露わになっても、もはや文書改竄を平気で行えるようになった政府に恐いものはありません。しかし、政府が学問の自由にまで手を出すようになったら、その国に未来はないでしょう。

 健康や医療関係の本は特によく読みますが、ほとんど分からないというのが正直なところです。ただ、「人間の身体は一人一人未知のものである」ということは確かなようで、既に抱えている病はしかたないにしても「できるだけ医療には関わらないでいたい」と強く思いました。知れば知るほど暗い闇が横たわっているようです。水や食べ物にしても本当に安全と言えるものはなさそうですから、せいぜい少しでも汚染度が低いものを選ぶくらいしかできません。また、今まで気に留めていませんでしたが、家の内外の電磁波の問題もあります。これとて都市で社会生活をするならば完全に避けられる場所などあるわけがなく、せいぜい調理中の電子レンジから離れたり、スマホは遠いところに置いておくといった対処しかありません。

 他にもインターネットを用いた犯罪に巻き込まれる危険や、外出時の回避できない事態(交通事故や無差別犯罪)に遭遇する危険は常にあり、ひとときも気が休まる時がないのです。どうしてこんなことになってしまったのでしょう。その経過の時代を生きてきたのですから、自分も含め多くの同時代人の欲が際限なく実現していった結果と認めざるを得ません。こうなると、若い方々の怨嗟の叫び、鬼束ちひろのヒット曲まで一直線です。でもあれは20年も前のこと・・・。この間、状況は悪くなりこそすれ、全く好転していません。そして昨年は、10歳から39歳までの死因の第一位が自殺なのです。絶句するほかない。そして現在はSNSで「死にたい」などと呟いたりしたら、瞬く間に、砂糖に群がるアリのように、何人もの人が邪悪な目的でコンタクトしてくるという恐ろしい時代です。私に何か言えるとしたら、「教会に来ればいいのに」ということだけです。そこでの礼拝は静謐と平安に満たされ、私が唯一安心できる時間です。歳をとるほどにそう感じますが、一体どれくらいの人がそういう時間と空間をもてているのでしょう。ぜひ若いうちから神様の恵みを知って、この困難な世界を生き延びられるようにと心から願います。


2021年9月6日月曜日

「紅春 187」

 


 夜中に目覚めて、「今日も来るんだろうなあ」と思っていると、傍らでシャッシャと密やかな音が・・・。もう来てる・・・りくが前足で布団のヘリを搔いているのです。見ると満面の笑み、散歩のお誘いです。でも今は午前3時、外は真っ暗。「まだ早いよ」と撫でて帰すのですが、りくはめげずに間をおいてまた来ます。その間隔が次第に狭まり、「だめだ、もう絶対に眠れない」と起きるのが4時。それでもまだ暗い。着替え始めると、りくは散歩に行けるとわかるので、せわしなく家中を歩き回って気持ちがますます高まっていくようです。

 下の橋まで一周約2キロ、朝は涼しいし、りくも大丈夫歩けるのでこの運動は大事です。何よりうれしそうに勢い込んで、道端の情報を読み取るのに真剣です。帰ってきて外に繋ぎ、水の入った容器と蚊取り線香を設置、りくは届く範囲でそのへんをぶらぶらしたり、草むしりする私の働きぶりを見たりしています。可動域を広げるため兄がワイヤーを伸ばしたので、りくは半径7メートルくらいを自由に歩けます。雑草は全部取って帰ったはずなのに、帰省するたび「うそだろ」というほど風景が変わっています。なにゆえ草はこんなに伸びるのか・・・。ご近所の迷惑にならぬよう毎日小一時間草むしりをするので、雨の日などは正直休めてほっとします。

 その後は朝食、りくがまだ外にいたいという時はりくを残して家に入ります。最近はここでうっかりしてはいけない、時々覗いて見ると大変なことになっています。引き綱が木に絡まって立ち往生していても、日陰もあるのになぜか陽の当たるところでハアハアしていても、突然ザっと雨が来ても、りくは黙っているのです。慌てて出て行って、「姉ちゃん呼ばなきゃダメでしょ」と言いながら、りくを取り込むことになります。どこ吹く風のりくに食事を食べさせて、なんとか朝は一段落です。りくは家でお休みタイム。弟くんたちとまどろんでいます。あたしも寝たいよ!