2021年3月30日火曜日

「新型コロナウイルス感染症とは何だったのか」

  新型コロナウイルスについて過去形で書いているのは、今の時点での自分の結論がまとまったので、後で読んで「全然違ってたな」と笑うため、大胆で馬鹿げた考えを排除せずに仮説を展開するためです。

 何冊か本を読んで、2004年頃から流行した鳥インフルエンザA(H5N1)や2009年ころから流行した豚由来のいわゆる新型インフルエンザA(H1N1)亜型について知るにつれて、今回の新型コロナウイルスは、ウイルスの立場からすると満を持して登場したものだということがよく分かりました。思えばこのウイルスに対しては随分不可解な現象がいろいろと報道されてきました。簡単なところからさらってみます。

1.感染しても5人中4人は人に移していないこと。

2.無症状の人からも他の人に感染すること。

3.発症前の潜伏期間が長く(5日~10日ほど)、ウイルスは発症前が一番量が多く、強まること。

 ここからわかるのは、「弱毒性の方がすぐに制圧されることなく、感染速度を速めて多くの人に感染させやすい」ということでしょうか。ウイルスは致死性を高くしないことで、広く速く感染拡大を起こし、生き延びる道を選んだようです。


 次に私が不可解に感じたこと、疑問点などを思いつくままに書いてみます。

1.新型コロナウイルスは、「重症肺炎を引き起こす非常に危険なウイルス」という一般的な理解に対して、「本来風邪と変わらないウイルス」との見解を持つ医師が高名な研究機関の感染症専門医の中にさえいること。

 → そもそも「普通の風邪の15%ほどは何種類かあるコロナウイルスの一つである」ことと関係があるのだろうか。

 → 新型コロナウイルス流行時には季節性のインフルエンザに罹患する人がほぼ見られなかった。また、新型コロナウイルスは夏場でも感染拡大が見られた事実をどう考えたらよいか。風邪・季節性のインフルエンザ・新型インフルエンザ・新型コロナウイルスを分けて考えることにどれほどの妥当性があるのか。

2.ワクチン実験に用いる適切な動物を定常的に得ることができないということ。

 → ペットの猫や犬が新型コロナに感染したというニュースはあったが、どうもハムスターや特に猿やチンパンジー等の動物は自然には感染しないらしく、注射で無理に感染させてもうまく再現できないため、動物モデルの確立が急がれているようである。つまり、動物実験は人での治験とは別物と考えなくてはならない。これは何を意味するだろうか。

3.重症化例のほとんどがウイルス性肺炎であり、中高年のみならず若い人にも生じるが、何週間もその症状が消えなかったり、さらに全身の炎症による多臓器不全を起こしたりして、重篤な後遺症を残すのはなぜか。

 → このあたりが季節性のインフルエンザとは大きく違うところであり、これがなければさほど恐ろしい感染症ではなかったであろう。まず、呼吸器系については、日本をはじめ医療が整った国では、人工呼吸器およびECMO(エクモ)によって救われた命が多いことは非常に重要で特筆に値する。逆に言うと、このような処置が受けられない人々は無くなる可能性が高い。

 → 次に全身に現れる炎症症状については、いわゆるサイトカインストームと呼ばれる免疫系の暴走により、過剰に自分の体を傷つけ、多臓器不全を起こすとされている。肺についても単なる肺炎ではなく、抹消まで及ぶ炎症であることからも、重篤化する要因が免疫にあることは明らかであろう。

4.自然免疫では抗体が獲得できず、ワクチン接種によらずには抗体獲得が有効ではないとされるのはなぜか。

 → 自然感染により集団免疫を獲得しようとしたスウェーデンの試みが失敗したこと、また、感染した人の抗体が比較的短期で消失していたことなどが報道された。これは何を意味するのか。


 ここから想像力を駆使して考えたことを書いてみます。科学的エビデンスはありませんが、敢えて言えば、これまで生きてきた自分の体自体がエビデンスです。

 現代の社会は複雑系です。感染症医療に関してもこれが一義的な原因であるとか、唯一の治療法・解決法だとかいうものはあり得ません。それ以前に述べなければならないのは、第一に、日本ではPCR検査を徹底すると医療機関に人が殺到して医療崩壊を起こすということは理解するにしても、感染症に関して分母(感染者)と分子(重篤者・死亡者)が分からなければ、科学的な解明ができないでしょう。分母が全く分からない状態でどうやってウイルスの危険度を判定したらよいのかということです。

 第二に、WHOは「世界保健機関」という名称に矜持を持ち、そのあきれるばかりの政治的立ち位置が、世界の保健を司るために役立っていないことを反省すべきでしょう。それをわきに置いても検討をお願いしたいのは感染拡大の段階分類の方法についてです。今のやり方の感染拡大の段階分類は、ウイルス自体の危険性の度合いに関わらず、空間的・地理的なものとして国同士の熾烈な駆け引きを背景に決定されるようです。この分類に或る程度ウイルスの危険度を反映させるべきではないでしょうか。日本ではパンデミックといわれてカミュの『ペスト』の再来かとパニックを起こしてから、「あれっ、インフルエンザみたいなもの?」という感じになってしまいました。

 私は感染死者数の多い国というと、「ブラジルかな、次がアメリカあたりか」と思っていました。2021年3月24日時点での人口100万人当たりの累積死者数をまとめたものが見つかり(実際の死者数は10万人以上多かったというメキシコのニュースが入ってきたばかりなので、どれだけ実数に近いかという問題はありますが)、結果を見るとあっと驚くものでした。以下、2021年3月24日時点での人口100万人当たりの累積死者数(小数点以下切り捨て)

イギリス 1865人

イタリア 1758人

アメリカ 1647人

メキシコ 1548人

フランス 1426人

ブラジル 1414人

アルゼンチン 1215人

ドイツ 900人

南アフリカ 883人

ロシア 648人

カナダ 602人

トルコ 361人

世界 352人

サウジアラビア 190人

インドネシア 146人

インド 116人

日本 70人

オーストラリア 35人

韓国 33人

中国 3人


 これはどう理解したらよいのでしょう。アメリカは国民の医療格差が大きいので、トップレベルの学術研究をもってしても感染者が多いのは理解できますが、イギリスが死者数一位とは驚愕の事実です。この表をじっと眺めると、カナダとトルコ、もしくはトルコとサウジアラビアの間に断絶があるように思えるのは私だけでしょうか。カナダより上に書かれた国はほぼヨーロッパと南北アメリカ。中には国内格差がひどく医療が行き届かない国や公衆衛生に無頓着な指導者がいる国など感染による死亡者が増えた理由が推測できるものもありますが、私はそれ以外の、世界基準で見て裕福な国、世界の医療をリードする国がこれほど多い死亡者を出していることに衝撃を受けました。iPS細胞の山中教授が言及していた「ファクターX」を想定するしかなさそうです。

 表においてトルコより下に書かれているのはほぼアジアの国々です。オーストラリアは島国で当初から徹底したウイルス対策を敷いていたため、そもそもウイルスが存在していない。ウイルスがいなければ感染はありません。オーストラリア以外でも早期に感染を制圧した韓国、中国(そしてこの表にはありませんが、もちろん台湾)も同様でしょう。

 ファクターXに関しては確かなことは何もわかっていませんが、いろいろなアイディアが提出されています。BCG接種国であるとか、アジア系はウイルスの増殖を抑えるDNAを持っているらしいとか、などが知られています。私は昨年5月11日に「感染症に強い国づくり」という題で何か書いたことを思い出し、読み返してみて、大きく間違ってはいなかったと思うのですが、こんなキツイことを書いたのかと仰天しました。その時の記述の中からいくつか取り出してみます。

①2020年5月時点では、「人口当たりに換算して米国の死亡者は日本の約50倍」と書いていましたが、1年近くたった2021年3月末にはその半分ほど(23.5倍)になっています。

②SF的仮説として、「小麦文化圏は死亡者が多く、コメ文化圏は比較的死亡者が少ない」と書きましたが、これは現在もあてはまります。そしてその理由を一部要約しながらまとめると、「穀物の大きな市場に目を付けたグローバリストが遺伝子組み換え食物、とりわけ穀物(小麦、とうもろこし、大豆など)を作り出し、強力な除草剤とともに販売したため、遺伝子レベルで人体に影響しても不思議はない。危険な除草剤をふんだんにかけて育てられた農産物に、これまた危険な食品添加物を加えて製造されたグローバルな食品を構造的・恒常的に食べさせられている貧困層のみならず、貧困層ではない40代、50代の男性で持病もない方がたくさん亡くなっているのは、体に良くない化学物質が濃縮された状態で体内に取り込まれる肉食の影響ではないか。こういったことの積み重なりがヒトの遺伝子を損傷することは十分あり得る」と書いていました。


 私はウイルスとワクチンについて知るにつれ、また自己免疫疾患という持病の体験からして、新型コロナウイルスが細胞の或る種のDNAに深くかかわるものであると考えるようになりました。ウイルスは自分のコピーを作れる細胞にしか取り付かないということを熟慮して私が出した仮説は、「新型コロナウイルスとは、化学物質そのものもしくは化学物質により損傷した細胞遺伝子を感知して取り付くウイルスなのではないか」ということです。新型コロナウイルスを検知するためのPCR検査とはそもそも遺伝子組み換えや遺伝子研究に使われる検査ですから、ウイルスのそのものを検出できるわけではなく、検査したいウイルスの遺伝子を専用の薬液を用いて増幅させ検出する検査方法です。このウイルスの感染は個々人の細胞のDNAの状態に深く関わっているのは間違いありません。もっと言えば、化学物質によって損傷した(通常出ない状態になった)細胞が多ければ多いほど簡単に感染し、しかも重篤化するだろうということです。逆に細胞のDNAがよい状態であれば、生得的に持っている自然免疫で撃退できる場合も十分あると考えられます。

 免疫不全状態を抱える人、免疫抑制剤を用いている自己免疫疾患を持つ人、手術その他で薬剤を投与されている方は、個々人の全身状態に応じて熟慮に熟慮を重ねた対応が必要でしょう。

 高齢者の場合は一般的に加齢のため免疫力は落ちていますが、一方これまで経験した感染症や受けたワクチンが有利に働くことも考えられ、さらに病歴によって用いられた薬剤等が体に影響を残しているかもしれません。

 まだまだ学びが必要です。今回読んだ本の中で一番印象に残ったのは、森下竜一著『新型コロナワクチンを打つ前に読む本』(かや書房、2021年2月20日発行)です。著者は大阪発の新型コロナウイルスワクチン(DNAプラスミドベースのワクチン)を開発しているアンジェスとタカラバイオのアドバイザーで、昨年6月から大阪市立大学医学部附属病院での治験契約の締結を発表した方です。ウイルスとワクチンのことがよく分かると同時に、ここまで書いていいのかなと思うようなすごいことをさらりと書いていらっしゃいます。これを読んでワクチン接種を決意せよというのは酷なのではないだろうか、というのが私の率直な感想です。ワクチンは打たないと決めている人はともかくとして、迷っている方はタイトルの通り、新型コロナワクチンを打つ前に読まれてはいかがでしょうか。

 私の仮説を好き勝手に書いてきましたが、この観点から考え直すと冒頭で述べた新型コロナウイルスについての不可解な点がほぼすべて説明できる気がします。

(1)感染しても5人中4人は人に移していないのは、その4人は状態のいい細胞が多くて、ウイルスがあまり入り込めなかったためではないか。

(2)無症状の人からも他の人に感染する、また、発症前の潜伏期間が長く、さらに、ウイルスは発症前が一番量が多いのは、ウイルスが取り付こうとする個体のDNAの損傷状態を調べるのに時間がかかるからであり、その間は無症状であるが、いざすべての細胞の状態を調べ終わって取り付いた時が一番ウイルスが多いのは当然ではないだろうか。

(3)動物実験ができない(動物があまり感染しない)というのは、人間とはDNAが違うからかもしれないが、動物は人間ほど化学物質にさらされることなく生きてきたため、細胞のDNAがさほど傷つかずに済んでいるという理由も否定できないのではないか。

 ウイルス自体は同じでも、それを受け止める個々人が細胞レベルで一つ一つ違うとすれば、発症の形態は千差万別になって当然です。そして仮に私の仮説が正しいとすれば、この感染症を終息させるためには人は生活自体を根本から変えなければならないという結論になります。そうでないとウイルスとワクチンのイタチごっこは増幅しながら続いていくだけだからです。人がさらされる化学物質は食べ物として口から入るだけではありません。大気汚染、水質汚染、居住空間が発する化学物質、洗濯や台所で日常的に使う洗剤、化粧品や染髪剤、衣料品その他ありとあらゆるものに関わっているのです。電子レンジで食品をチンすることで発生する化学物質について懸念する人もいます。こういったものを個人の力でどれだけ回避できるのか、懐疑的にならざるを得ません。

 日本では2018年4月に種子法が廃止となりました。種子法は1952年5月に主に主要作物であるコメ、麦、大豆を公共財として守っていこうという基本的な考え方のもとに制定されました。地域性や食味を追求した「奨励品種」も多数誕生し、農業試験場などの研究機関で育てられた品種を農業振興公社や種子センターといった公的機関が栽培し、採種農家が増産するというしかたで、各農家に供給されてきました。日本の農業にとって非常に重要な種子法が廃止されたのは、ご推察の通り、農林水産省および政府がグローバリストの圧力に屈したためです。民間の活力の活用云々と体裁のいいことを言っても、種子が市場経済のただなかに投じられればどうなるか知れています。結局国民はどうなってもいいと思っているのでしょう。どんな付帯項目をつけていたとしても、最終的に安価な遺伝子組み換え作物に取って代わられると考えると、胸を搔きむしる思いです。どこまで愚かなのでしょう。いや、知っていてやっているのでしょうから、恐ろしく邪悪というべきです。


2021年3月24日水曜日

「専門家と素人の境界とは?」

  私は以前から専門家の知見を高く評価し、敬意を抱いてきた者ですが、近年その信頼が揺らいできています。ウイルスとワクチンについて調べ始めたことに端を発し、おかしなこと・恐ろしいことが見逃されて、あるいは未必の故意として、行われているらしいことに気づいたからです。おそらくこれは医学界に限らずどの分野でも進行している状態なのではないかと思います。

 このようなことがわかってきた背景には、一つにはインターネット時代になり、素人がかつては専門家しか知り得なかった情報にアクセスできるようになったことがあります。これはあらゆるアカデミックな分野に言えることで、ギルド的同業者組合の中でしか流通していなかった知識や技能が、世界的な共有財産になったことによります。ですから、誰かが真剣に何かを学びたいと願い、文献(最新の研究結果も含むすべての情報)を正確に理解し、論理的に思考する力さえあれば、素人でも正しい結論に達することができるでしょう。四十年前に学生時代を送ったものにとってはこれは革命的状況であり、今の大学教育は、教授と学生の圧倒的な知識の水位差をかなりの程度前提になされていたかつての高等教育とは別次元の様相を呈しているに違いありません。膨大な量の情報を読み漁というのは体力勝負でもあり、その中からどれだけ正しい情報、優れた研究結果を見分けられるか、そしてそれを自分の研究に行かせるかが鍵になるとすれば、ひょっとすると若い研究者の方が有利ということだってあるでしょう。

 学問の世界がおかしなことになっているもう一つの背景は、経済環境、社会状況が年を追うごとに厳しくなっていることです。研究者が期限付きの短期のポストしか与えられず、その間に業績を上げなければならないとすれば、スタップ細胞事件のようなことが起きても不思議はありません。この点、医学界においてさらに深刻なのは、日本では急激な人口減少の中で収益を上げ、病院の経営をしていかなければならないということがあります。身もふたもない話ですが、患者一人当たりの診療単価を上げるか、患者を増やすかするしかないのです。すると、高額もしくは不必要な検査や治療を施すか、健康とされる検査基準を引き上げて病人を増やし、病院に呼び込むしかないわけですが、これは経済上の要請ですから、病院を存続するにはいいも悪いもないのです。ふと、製薬会社なら収益を一挙に増大させる思わぬケースがあり得るなと気づきました。パンデミックです。感染症が世界中に拡大すれば検査キットやワクチン製造による臨時収益が見込めるでしょう。いや、悪い冗談を申しました。

 この時代、医療現場で素人が専門家と肩を並べることができるとすれば、それは自分の病に関してでしょう。これだけは本質的に自分にしかわからない。似た症状でも体質や病歴は一人一人異なるので、実は全く違う病ということもあるでしょう。毎日自分の体調の変化を丹念に観察できるのは本人だけです。その人が正しい情報を読み込んで論理的に辿り着いた結論なら、名医から見てどんなに笑うべきものでも、その方が事実に適っている場合がないとは言えません。

 先日或る薬に関することを知ろうとして、ひょんなことから患者の闘病記を読みました。読み始めて数ページで、「あ、この方膠原病だわ」とすぐわかりましたが、患者はもちろん医者もすぐにはそうと気づかないのです。それもそのはず、その本は米国でさえ自己免疫疾患が十分研究されていなかった25年ほど前に書かれたものだったのです。タイムマシンがあれば教えてあげたいとジリジリしましたが、その方は闘病記を書き始める5年前には腎臓病の治療をしたとを記していたので、私にはもう相当病気が進行していることがわかりました。しばしば起こる発熱、突発性難聴、関節の痛み、ヘルペス、骨粗しょう症、全身の倦怠感等、次々と起こる症状に対して、医者も患者も一生懸命治療に励むのですが、私から見るとまったく見当違いの治療です。素人の私でさえ、25年の医学的知識の進歩を背負えば、「そんな時に鎮痛剤や解熱剤を使ったら絶対ダメ」と絶叫するほどです。病の全体像が見えない中で対処療法に振り回される患者の悲哀に涙が出て仕方ありませんでした。ちなみにこの患者さんは非常に有益な社会活動をなさり、著述家でもあり、要するに大変な文化人です。情報網も広く、多くの著名人の協力も得られる立場にあり、当時知り得る限りの知識で医者と相談しながら治療に当たっているのです。そしてその経過を特有の執念ともいうべき熱意で国名に書き残しているのです。書き残された様々ん病名と用いられた薬剤の処方があるからこそ、25年後の素人が「そんな治療はないでしょう」と呆然とする思いで、患者さんに対し気の毒で憐れで悲しくなるのです。介護常体の記述はとても読めませんでした。ただ、最期は肺の病気で突然亡くなられたとのことで、やはりという思いでした。今から見ると、あまりに典型的な重篤化の進行と死因だったのです。25年という年月は素人が専門家を超えるのに十分でした。

 しかし今、やはり親身になってくれる専門家がほしいと思うのは、あまりに医学の進歩が進んだため、学術書においては、素人が見抜けない非常に巧妙なデータ処理がなされていたり、都合の悪いデータを書き落としていたり、些末なものとして扱っていたりすることがあるようだからです。こうなると、専門家の分析の確かさを見抜く目を素人が持たなければならないことになりますが、これは何故だか案外できる気がします。というより、私たちは毎日毎日そういうことを判断しながら生きています。「素人が専門家を見抜く目を持つ」ということは、一見あり得ない矛盾に思えるかもしれませんが、できる人にはできるのです。なぜなら現代はそれができなければ生きられない時代だからです。


2021年3月22日月曜日

「自己免疫疾患とワクチン接種」

  自分の体のことは結局自分にしかわからないのだろうという思いを強くしています。来院して病名がついても、どうして発症するに至ったかを医者が説明してくれるわけではありません。もちろん症状が和らいで良い方向に向かっているというだけでも十分有難いのですが、最終的には「いかにして」の部分を患者は知りたいと思うのではないでしょうか。そして、それがわかれば、将来的に発症を妨ぐ方法が見つかるかもしれません。

 ワクチン接種問題から出発して、自分の病についてきちんと考えてみる気になりました。私の場合、本来元気だけがとりえのように過ごしてきたのに、五十代になって病に襲われたわけがわからなかったのです。このところ自分なりに調べてみてわかってきたことがあります。学術書ではありませんが、一番考える手がかりになったのは『免疫の反逆 自己免疫疾患はなぜ急増しているか』(ドナ・ジャクソン・ナカザワ (著),石山 鈴子 (訳):ダイヤモンド社, 2012年3月)でした。9年ほど前の、まだ自己免疫疾患という言葉が世間に流布していなかった頃書かれた本であり、その後の研究成果には目覚ましいものがあるはずですから、そのまま鵜呑みにすることはできませんが、当事者(患者)にしかわからない様々な事例を自分に引き付けて、「そうだったのか」と腑に落ちることが何度かありました。病というものは一つの原因だけで発症することは少ないものですが、自己免疫疾患の発症に関して大まかに述べると、

①人は日々大量の化学物質にさらされて生きているが、それらが体内に蓄積して臨界点を越えた時に発症する。

②生まれつきっ自己免疫疾患になりやすい因子を持っている場合は、発症のリスクが高まる。

という2点に要約されるようです。これ自体は常識の範囲、当たり前と思う指摘ですが、細かいことに関する情報の中には衝撃的なものもありました。他で調べた情報も取り交ぜて記してみます。

*現代人が普通に社会生活をしているだけで、膨大な種類と量の化学物質を体内に取り込んでいること。

*赤ちゃんにも症候が見られるのは、自然界の食物連鎖の中で最上位にあるのが、母乳を飲んでいる乳児であるため。

*ウイルスの侵入の際、主に体内に取り込んだ化学物質の量が臨界点を越えるなどの要因で、自己の細胞を異物と見なす免疫反応が作動してしまう場合があること。

*ほとんどのワクチンは劇薬であり、インフルエンザワクチン等の不活化ワクチンにはチメロサールと呼ばれる防腐剤(有機水銀)が添加されていること。。

*乳児へのワクチン接種により自閉症が発症したとの裁判が起こされたことがあること。もととなった論文が不正なものとして撤回されたものの、依然として自閉症との関連に根強い疑いを向ける人もいること。

*この病が広く知られていない頃は、症状に悩んだ患者が幾人もの医者をめぐり、診察を受けても診断がつかず、重篤になったり死亡したりする人が少なくなかったこと。


  以下、記憶があいまいな部分もありますが、自分が辿ってきた体調の変遷に重ねてみます。

①1999年3月: 都心に転居。皮膚にアレルギー反応が出て、3年ほど続いた。

 → 転居当時は都のディーゼル車乗り入れ規制がまだなかった。大気中の有害物質にさらされたのが原因か。


②2009年12月頃: 新型インフルエンザの予防接種を受け、具合が悪くなる。

 → それまでインフルエンザに罹ったことがなかったのに、この冬のインフルエンザは大変危険と喧伝されたため、初めて予防接種を受けたところ、体調が悪くなり寝込んだ。


 以下はこれに関連して、「薬事日報」に書かれていたことの要約です。

「新型インフルエンザワクチン(国産)について、2009年10月から2010年6月までを集計すると、約2283万回接種して、2428件の副反応があった。うち、重篤例は416件で、死亡は133件。死亡の91.0%は60歳以上が占め、70歳以上が78.2%、80歳以上が49.6%となっている。」

「副反応報告のうち、専門家の評価でギラン・バレー症候群が否定できない症例が10件、急性散在性脳脊髄炎が否定できない症例が5件あった。また、アナフィラキシーの可能性があるとする報告121件のうち、55件で確実性が高かった。間質性肺炎の増悪が否定できない症例は7例だった。」

「一方、季節性インフルエンザワクチンは2009年度の集計で、約4159万人が接種し、企業が報告した重篤な副反応症例は120件。このうち回復・軽快は68件、未回復141件、不明26件、後遺症あり3件、死亡9件となっており、ワクチン接種との因果関係が否定できないとされた死亡も1件あった。」

 こうしてみると、季節性のインフルエンザワクチンに比べ、新型インフルエンザワクチンはいかに副作用の強いものだったかわかります。なかでも免疫性の副作用症状が多いことが大変気になります。(副反応などという言葉のごまかしはやめて、はっきり副作用と書いてほしい。) にもかかわらず、このワクチンに対して、専門家の評価は、「大部分は、基礎疾患の悪化や再発による死亡の可能性が高いと考えられ、死亡とワクチン接種との明確な関連が認められた症例はない」とのこと。4159万の接種し重篤例120件の季節性ワクチンに対して、新型ワクチンは約2283万回接種し重篤例416件、すなわち重篤例6倍以上、死者10倍以上でもこの見解なのです。私にわかったのは、専門家の言うことを信じてはいけないということだけです。ワクチン自体が基礎疾患の悪化を引き起こしている可能性を無視しているのです。

 このワクチンの危険性に関しては、既に2009年12月11日時点で『週刊朝日』で取り上げられ、「新型インフルエンザワクチン接種後26人死亡 『死にすぎ』の怪」という記事が出ています。1~2カ月で26人死亡というのは、先ほどの2009年10月から2010年6月までの集計結果、死亡133人というのとほぼ符合します。

 日経メディカルによると、東京大学医科学研究所の上昌広准教授(当時)が取材協力し、「マスメディアが高齢者への新型インフルエンザワクチン接種の危険性を指摘したのは、これが初めて」と述べています。さらにご自身が、11月21日に厚労省で開催された「新型インフルエンザワクチン予防接種後副反応検討会」と薬事審医薬品安全対策部会安全対策調査会の合同部会の資料を読んで死亡人数の多さに驚き、これまで「持病を持つ高齢者は、新型インフルエンザに罹ると致命率が高いため、ワクチンを打つべき、また、確実に免疫を獲得するために、1回よりも2回接種が好ましいと主張してきた」ことを詫びています。11月21日の検討会において、21の死亡報告例のうち、19人が何らかの基礎疾患をもち、17例が70歳代以上の高齢者であること、また、14人がワクチン接種後2日以内、7人は接種後24時間以内に死亡であったと明かしたうえで、「持病を持つ高齢者には新型インフルエンザワクチンの接種は危険な可能性がある」と述べています。

 私は自分が体調悪化を起こしたことを報告すべきだったと悔やんでいます。そういう人は他にもいたことでしょう。死ななくてよかったとゾッとしました。この時点で私は自分に持病があるとは思っておらず、発症前だったのかもしれないのに、この時のワクチンに含まれていた有機水銀が自己免疫疾患へのトリガーになったように思えてなりません。それにより、ウイルスに対してだけでなく自己の免疫細胞に対しても攻撃を開始したとするなら、具合が悪くなって当然です。

 新型コロナワクチンの接種が迫ってきた今、このようなワクチンの危険性、とりわけ基礎疾患を持つ高齢者が接種することへの危険性が強くアナウンスされていないように思います。「高齢者をコロナから守るため」と言っても、逆にワクチン接種が命を危険にさらすという方もいるに違いありません。調べれば誰でも同じ結論になると思うのですが、ここまで調べることを自己責任として、このまま皆で接種の方向に向かってよいのでしょうか。なお、ファイザーのワクチンの成分表には、マイナス70℃での保管というだけあって、防腐剤としてチメロサール(有機水銀)は見当たらないようです。別の名で入っていたらわかりませんが。


③2010年6月: 腸にひどい炎症を起こし入院

 → 連れ合いが入院中のホスピスにて亡くなるという出来事があり、心身に最大級のストレスがかかったことは間違いない。当時は「ストレスが原因」と診断されたが、今になって考えると、強いストレスがかかったことで発症していた自己免疫疾患のスイッチが入り、免疫系が制御不能となり、腸の自己細胞を攻撃したものと考えられる。外科的な検診はすべて異常なしの診断結果で、結局対処療法しかできず、炎症がおさまった時点(十日ほど)で退院となった。


④同8月: 再入院

 → 6月の時と同じ、腸の炎症で再び倒れ、入院。連れ合いの葬儀(日本でいう納骨)のため、心身の無理を押してドイツまで出かけたため、6月と同じメカニズムで発症したものと思われる。今度は大学病院で徹底的に調べてもらったが、やはり外科的には全く異常なし。二週間近く仕事を休んでの入院はつらかった。腸の症状がおさまったところで退院。


⑤同9月頃?: 自己免疫疾患と診断される。

 → 入院が大学病院だったため、カルテが他科に回されたらしく、内科に通院して自己免疫疾患と診断された。診断がついたことで次に進めたのが何よりよかった。あれから十年以上たった今きづいたのは、連れ合いの逝去がなければ、「体がだるさは歳のせいかな」と勝手に解釈して病院に行こうとまでは思わず、どんどん症状が進行していただろうということである。自己免疫疾患は早期に適切な治療がなされれば重篤にならずに済む場合も多い。発症から一年も経たずに診断がついたのは幸運だったというしかない。あのような時にも確かに神様は私とともにおられたのだとわかった。


 なお、今になって私には遺伝的な因子もあったことが判明しました。母の病歴を思い出すと、その当時は独立した病名を与えられていたので気づきませんでしたが、今では自己免疫疾患という大きな括りの中に入れられているのです。夕方になるといつも横になっていた母の姿は今の私とと重なるものがあります。

 今回思わぬきっかけから、素人考えながら自分の体質、自分の病について解明できた気がします。特に持病を持った体にとって、「してはいけないこと」が明確になったのが何よりよかったことです。他の方には安全なことでも自分には致命的なことがあれば、自分で避けるしかありません。自分の体は自分で守るしかないのです。大事なのは病気を治すことではなく、生き延びることです。或る病気の予防や治療の過程で死んでは元も子もありません。ウイルスとワクチンは今後もイタチごっこを続け、ウイルスの猛威は高まるばかりでしょう。軽く感染して数日寝込んで済むくらいに体力、抵抗力をつけておきたいと思います。


2021年3月21日日曜日

「紅春 174」


  犬川柳に「足上げて おしっこした時 大歓声」というのがあり、思わず「うまい!」と思いました。ちっちゃな体がだんだん大きくなって、マーキングの必要からなのでしょう、りくの初めての時のことを思い出します。優しい女の子のような気性の子犬だったので、「おっ、りくもやはり男の子だな」と感じました。成犬になると、できるだけ高い位置にマーキングしようとがんばっていました。

 ところがこの頃はちょっとしか足を上げなくなってきたなと思っていたら、そのうち「おっとっと」というようにバランスを崩すようになりました。脚力が弱ってきて、三本足で体を支えるのが難しくなっているようです。ほんのちょっと申し訳程度に上げる時もあり、とてもマーキングにはなりません。しかし、散歩を続けていると要領がつかめるようになるのか、うまくバランスをとって片足を上げることができる時もあります。やはり無理のない程度に運動させるのが一番です。散歩すると汗ばむほどの暖かさとなってきたので、帰って来るとごくごく水を飲みます。


2021年3月17日水曜日

「ワクチン接種への疑念」

  日本におけるワクチン予防接種の概要を知るため、ネットでさっと検索したところ、或る地方自治体の「予防接種の種類と接種時期」について掲載されていたので、一部要約しながら記します。

定期予防接種:原則的に受けたほうがよいとされるもので対象年齢のうちであれば無料

ポリオ・BCG・三種混合(ジフテリア、破傷風、百日咳)・麻しん(はしか)・風しん(三日ばしか)・日本脳炎・二種混合(ジフテリア、破傷風)

任意予防接種:希望によって受けるもので有料

おたふくかぜ・水ぼうそう・インフルエンザ

 以下、定期接種について、予防接種の種類、接種対象年齢、標準的な接種年齢、接種回数の順に書いてあります。

ポリオ

 3ヶ月~7歳6ヶ月未満 3ヶ月~1歳6ヶ月 2回

BCG

  6ヶ月未満に個別摂取  1回

※これだけが各自医療機関での個別接種なのは、1976年ごろに社会問題化した予防接種による健康被害(主に副作用によるもの)が尾を引いているためであろう。

三種混合(ジフテリア、破傷風、百日咳)

(1期) 3ヶ月~7歳6ヶ月未満 3ヶ月~1歳 3回

(1期追加) 3ヶ月~7歳6ヶ月未満

  3回接種後1~1年半経過後 1回

二種混合(ジフテリア、破傷風)(2期) 11歳~13歳未満 

 三種混合(1期)を乳幼児期に接種している子ども 12歳 1回

麻しん(はしか)

風しん(三日ばしか)

麻疹風疹二種混合ワクチン

  第1期:生後1年から2年未満までに1回

第2期:5歳から7歳までのあいだで、小学校に入学する前の日まで(4/1~3/31)の1年間に1回

第3期:中学1年生に相当する年齢

第4期:高校3年生に相当する年齢 各1回

日本脳炎

(1期) 6ヶ月~7歳6ヶ月未満 3回

(2期) 9歳~13歳未満 小学4年  1回


 なんだか頭が痛くなってきました。これによると、まだ1歳にならないうちに接種するワクチンは6つ、1歳から2歳が2つ、同じワクチンを間をおいて複数回打たなければならないものもあり、その後学齢期に二期目、三期目を打たなければならないものもあります。ワクチン漬けという気がします。疑問なのは標準的な接種年齢が接種対象年齢よりかなり早められていること。子どもに必要な抗体は母胎から受け取っているものなのではないでしょうか。

 考えるともなくさらにネット検索をしたところ、さらに仰天の現実に出会いました。どうも私は古いページを見ていたらしく、東京都福祉保健局のホームページによると、予防接種の種類はもっと増えていたのです。以下、令和2年年8月現在の定期予防接種の種類です。


 【A類疾病】(予防接種法に基づき接種対象となる感染症)

(1)ジフテリア、(2)百日せき、(3)破傷風、(4)急性灰白髄炎(ポリオ)、(5)麻しん、(6)風しん、(7)日本脳炎、(8)結核、(9)Hib(ヒブ)感染症、(10)小児の肺炎球菌感染症、(11)ヒトパピローマウイルス感染症、(12)水痘、(13)B型肝炎(14)ロタウイルス感染症)

*ロタウイルス感染症は令和2年10月1日から対象


【B類疾病】(接種努力義務はありません)

(15)インフルエンザ、(16)高齢者の肺炎球菌感染症

  すなわち、

(9)Hib(ヒブ)感染症

(10)小児の肺炎球菌感染症

(11)ヒトパピローマウイルス感染症

(12)水痘

(13)B型肝炎

(14)ロタウイルス感染症)

が加わっていますが、(12)水痘は任意接種からの格上げ(?)になったようです。疑問なのは、致死率が高い感染症ならともかく、こんなに増やしてどうするつもりなのでしょう。しかも(11)ヒトパピローマウイルス感染症のいわゆる子宮頸がんワクチンについては、接種した健康体の女子中学生に副作用からの後遺症が残って大問題になったのが記憶に新しいところです。

 そう考えると、数十年前の日本脳炎ワクチンなども本当に接種が必要なのかわからなくなります。昔はコガタアカイエカは恐ろしい蚊として知られていましたが、何十年もその存在を聞いたことがありません。天然痘と違ってまだ世界から根絶されていないから必要だとするなら、リストから消えることはないのかもしれません。しかし、感染する危険よりもワクチン接種による副作用の方が危険という期限があるのではないでしょうか。

 私の場合、一度もインフルエンザに罹ったことがなかったのに、十年ほど前、何の気なしに予防接種をしたところ、寝込むほど具合が悪くなりました。ワクチンによって罹患したとしか思えず、「インフルエンザってこんな感じなんだ」と、予防接種したことを悔やみました。

 医学的なエビデンスは知りませんが、そもそも人体は自分の体を免疫機能によって守れるようにできているはずです。私もワクチン行政の中で欠かさず法定ワクチンを打って大人になりましたが、インフルエンザ・ワクチンを接種したことで、免疫系の全体像が損なわれる最後の一押しになったのではないかという疑念を禁じ得ません。唯一よかったと考えざるを得ないのは、インフルエンザ・ワクチンで予行演習したので、新型コロナについては接種を試みないで済むということでしょう。人が生きて来た年代によってワクチン行政も様々であり、またそれまでに罹患した病によっても体内の抗体の状態は千差万別です。まもなく始まる一般人へのコロナ・ワクチン接種については、後悔しない対応をしたいものです。


2021年3月11日木曜日

「そっとしておいてください」

 スマホに「不在配達」メールが着信、「おやっ」と思いました。念のためパソコンをチェック、着信無し。私はほとんどの作業をパソコンで行っており、通販関係も同様です。自分の思慮の無さを知っているので、スマホとパソコンは切り離して使っています。最近は注文もしていないし、「これは詐欺だな」とわかりました。スマホを調べると、着信時には確かに在宅していたし、インターホンを使用した形跡が残っていない。さらに階下のロビーまで行ってメールボックスを見てみましたが、不在票は入っていませんでした。けしからんことです。着信を削除するまでこれほど手間を掛けさせられ、平穏な時間を奪われました。信じやすい人なら引っかかっていたかもしれません。信頼を前提に成り立っている社会を根底から揺るがすとんでもない悪行です。

 NHK受信料徴収の下請け業者がまだやってきます。すでにテレビは処分して家にはラジオしかないのです。(実家でテレビを見て一番興味深い点が、「話題のあの人はこういう顔だったのか」というのは情けないですが。)コールセンターにもしっかり伝えてあるのに、下請け業者が徴収のお仕事で定期的に巡回するのは止められないのだそうです。そんな馬鹿なことがあるでしょうか。徴収名簿から外せばいいだけです。きっといやがらせなのでしょう。放送法を守って暮らしている者に対し、何という非道な仕打ちかと、心底から怒りを禁じ得ません。

 マイナンバーカード交付申請の案内書が送られてきました。ご丁寧に「マイナンバーカードが健康保険証として利用できる」と書いてあります。健康保険証はもっているので必要ありません。その他に、緊急時の国民給付金処理が迅速になる等々と宣伝していますが、これほどマイナンバーカードが普及しない理由を国は知っているのでしょうか。信用がないのです。こんなものを作ったら大変なことになると国民は知っているから、普及しないのです。マイナンバーと銀行をひもづけるつもりでしょうが、別に悪いことをしていなくても御免被りたい。確定申告や医療関係の申請等の必要な申告・申請はきちんとしているのですから、何の不都合もありません。国はまず、明確な汚職だけでなく、「大きな疑惑をもたれても証拠がないから白」、と強弁する態度を改める必要があるでしょう。国民の不信感はいまや最高レベルにあります。

  ワクチン接種に関わる騒動がまだまだ続きそうです。日本では、接種後のアナフィキラシーが14万人に対し25例報告されているとのことで、諸外国に比して明らかに多いのが気になります。日本での治験がちゃんとなされていないワクチンを接種しても大丈夫なのでしょうか。

  そもそもワクチン製造を自国でできないほど日本の医療はダメなのかということの方が、私にはショックです。私は薬というものに不信感があり、製薬会社と研究機関が結託したデータ改竄はこれまでもたくさんありましたし、これからも亡くならないだろうと思っています。製薬会社とて資本主義を基盤としていますから、資本の増大を図るため、無理に病気を作り出してきた歴史があるのです。ワクチン供給会社として名前の挙がっている製造会社の中にもそれはあります。新型コロナのワクチン接種に関しては、個々人が自分の体質、体調を考え併せて判断するしかないでしょう。何十億人規模で感染する病では、ワクチンを作れば金が儲かるということを皆が知ってしまった今、それが新たなウイルスに悪用されないことを願っています。


 私は老人特有の頑固さが強くなっています。毎日の運動や健康食の準備に加えて、読みたい本が積み上がっており、したい勉強もあります。どうしても欠かせない毎日の務めもあります。一つ一つに時間がかかり、持病で動けない時もあるので、時間が足りないのです。外から到来するものに煩わされ、心を乱している暇はありません。大事なことは自分で決めるので、放っておいてください。世間様、こんなささやかな願いも聞いていただけないのでしょうか。


2021年3月4日木曜日

「紅春 173」


 寒風の中にも春の日差しがうれしい季節です。りくはよりいっそう散歩を楽しんでいます。雪があると匂いが消されてつまらなそうでしたが、今はちょっとの匂いも逃すまいと全集中で嗅いでいます。とても大事なことのようなのです。嗅覚は味覚・触覚と共にりくに残された大切な感覚なので、失わないでほしいなと願っています。

 りくが引き綱をぐいぐい引いて散歩できるのは喜ばしいのですが、それでも脚力の低下は顕著になってきました。以前は兄を迎える時、頭をつけて後ろの両足をピョンピョンと蹴り上げて跳ねていたのに、それがちょっとヨタヨタになったかと思ったら、しばらくして全く跳ねなくなりました。

 毎月のお風呂はできるだけ快適にして嫌がらないようにと努めているのですが、先日は風呂桶に入れて少し洗ったところで、「ヒ~ン」と鳴いてもう無理そうでした。前足を風呂のふちに掛けて、後ろ脚で立たせてお湯につけて洗っていたのですが、やはり脚が限界にきたのです。お湯から出して四つ足の格好のまま、急いで流して終わりにしました。

 老化現象は自分も身にしみているので、負担のない程度に脚を使って弱らないようにできたらいいなと思います。人間の場合、立っているだけでも少しは運動になるようですし、家の中にいるといつも寝てしまうりくのために、外で庭仕事する私のお相伴をさせています。あまり動き回ったりはしませんが、それなりに刺激があって飽きないようです。私は垣根の陰で見えなかったはずですが、近所の方が車で通りかかる時、わざわざ車を止めて、「りくちゃ~ん」と離れたところにいるりくに呼び掛けてくれました。りくは見えていないし、聞こえてもいないのですが、「ああ、りくはみんなに愛されているなあ」とうれしかったです。