世界の感染者数が一億人を越えました。丸一年感染症禍にあって考える中、科学的解明ではないにせよ、この現象の意味することについて或る結論に導かれざるを得ません。具体的には二つに集約されるのですが、それはどちらも人を陰鬱にさせるものです。
一つ目は、人類の欲望に冷水を浴びせるために新型ウイルスが到来したのだということです。無論ウイルスは生物に取りついて増殖するだけの病原体ですが、地球という巨大な自然の中で何らかの調整機能として存在すると考えれば、このウイルスが引き起こしている結果の指し示すものがあぶり出されるように思います。
もっと便利で楽な暮らしがしたい、もっと楽しいことがないか、もっと美味しいものを食べたい、もっと知らない場所に行ってみたい、もっと珍しい体験がしたい、もっと、もっと・・・。インターネットやSNSを通して際限なく膨張していく人間の欲望に応えるべく、経済活動が回っていましたが、人が集まることを忌避するよう求められる社会では、どんでん返しが起こります。ステータスの高い職業である医者がまさに3K(きつい、きたない、危険)の職業として、差別されかねないことになるなど、誰が想像できたでしょうか。また、旅客運送業の中でも憧れのパイロットや、世界的スターを目指すショービズ界のアイドル、そして日々鍛錬を積み重ねそれぞれの分野で上り詰めたアスリートなど、思いもかけない事態に当惑していることでしょう。あとは推して知るべしです。厳しいなと思うのは、毎日を必死に、言わばほんのささやかな欲望のもとに生きてきた人々にも何らかの振り返りが求められていることです。そのうえ恐ろしいのは、別のウイルス感染症の流行が今後二度と起きない保証がないということです。
二つ目はさらに陰鬱な結論なのですが、世代間の齟齬に関することです。感染症は誰でもかかるものですが、重症化して死亡に至るケースは圧倒的に高齢者に多いのが現状です。若い方々への感染及び後遺症のリスクが盛んに報道され、またお年寄りへの思いやりや配慮がアナウンスされています。感染症による犠牲者を減らすにはそうするしかないのはその通りですが、ロックダウン下のフランスで「私の青春はどうなるの」と叫んでいた少女の報に接すると、感染に頓着しない活動的な若者を責めるのはどうなのかという気がします。後発国に「これ以上二酸化炭素を出すな」と申し入れる先進国にも似て、自分が若かった頃のことを正確に思い出せる人ほど、とても若者を責められないのではないでしょうか。少なくとも私にはできないなと思ってしまいます。彼らはかけがえのない時を過ごしており、貴重な体験になるはずの時間が指の間からこぼれ落ちていくのをジリジリした思いで見ているしかないのです。南会津町の高齢者施設で発生したクラスターの報道で、インタヴューされたお年寄りが「成人式をしたのが間違いだった」との意見を述べていましたが、このように若者にとっては一生に一度のイベントについてさえ、お互いの考えは相容れないものになっています。
さらに「年寄りに配慮せよ」というほどに、これまで若者に配慮してきたのかという重い問いがあります。バブル崩壊後の氷河期に就活をした若者に対し、年配者は何らかの配慮をしてきたのでしょうか。年ごとに厳しさを増すグローバリゼーションの荒海に投げ出された若者に、救助の手を差し伸べたでしょうか。自己責任と言って静観しなかったでしょうか。
人口ピラミッドにより、今後の年金制度を支えられないことから厚生年金の支給開始年齢の段階的引き上げが決まった時、企業に対して65歳までの雇用確保措置が努力義務化されたのは2000年のことです。そして、2012年には希望する労働者全員を65歳まで継続雇用することが義務化されました。これは年配者からすれば当然の要求で、これができなければ労働組合の存在意義がないと言ってもいいほどのことです。しかし、年配者のポストを用意することが、就活をはじめその後の若者の労働条件に影響しなかったはずはありません。しかたがなかったこととは言え、また辛いこととは言え、年配の者は、年金問題も含めて、自分の暮らしが若者の犠牲の上にあるという有責感を持たなければならないと思うのです。
当該時期の、あるいは現在の世界経済が、また日本の人口ピラミッドの在り様が最悪なのは若者の責任ではありません。しかし彼らに対してそう告げても何の助けにもならないのは、「コロナに感染したのはあなたのせいではありません」と重症者に告げても意味がないのと同様です。今を生きるために活動の自粛ができない方々の行動が、結果的にあたかも年配者に対する意趣返し的様相を呈しているのはまことに皮肉なことです。誰のせいでもないことに対して、年配者は自分への配慮を求める前に、その人生体験の知恵をもって、少しでも希望が持て、これからでもできる具体的な試みを真剣に考えなくてはならないと思います。しかし、私自身、これは真剣に考えれば考えるほど、体調が悪くなるほどの課題です。