2020年10月29日木曜日

「紅春 166」


 

今回の帰省はeチケットを使い、新幹線利用でいつもより2時間近く早く家に着きました。りくは寝ていたので、そおっと添い寝したのですが気づきません。しばらくしてツンツンしたら目を覚まして狂喜乱舞。とても元気で安心しました。私がいると、兄に対するりくの態度はあからさまにぞんざいになり、帰宅した兄に挨拶をしに行かないこともたびたびなのですが、今回はちょっと違います。




 夜は兄に「お帰り」を言って甘えていましたし、珍しく階段を上がって兄の部屋を訪問したのです。朝食の時、「それ、いつ?」と聞くと、「ついさっき」とのこと。思うに、兄と二人だけの生活が習慣化したりくは、監視するかのように兄の動静を常に把握していたのではないか。そのため、普段なら起きて来る時間になかなか降りてこない兄の様子を見に行ったのではないかしら。「りく、兄ちゃんの世話まで大変だな」と冗談を言っていると、兄が急に話を止めて耳を澄ましたかと思ったら、「白鳥来たな」と言いました。遠くでかすかに「クォー、クォッ」と繰り返し鳴いているのが聞こえました。

 というわけで、天気も上々だったのでりくと白鳥さんを見に行きました。疲れるくらいりくを歩かせてやろうと、水筒を持って2つ下の橋まで3~4キロ歩き、よい散歩になりました。白鳥はいまのところ十羽くらいでしょうか。まだ十月なのに、今年はずいぶん早い。やはり冬らしい冬になるのかな。ちょっとだけ冬への心構えができました。


2020年10月27日火曜日

「悩みの類型とゆるしについて」

  読書の秋になり、肩の凝らない本を乱読しています。そして分かるのは、人間の悩みは限りがないものの、考えようによっては似たり寄ったりだということです。一般に言われる「生」「老」「病」「死」に関わる悩みについて、殊にあとの三つについては、様々な喪失感や端的な痛み、愛する者との別れに伴うもどかしい思いなど、誰もが直面する非常に似通った悩みがあります。これらは時期が来ると受け入れる心構えができたり、意外とテクニカルな問題だったりして、自然と解消することが多々あります。

 もう一つの「生きる」ことにまつわる悩みは大きなボリュームを占めますが、衣食住に関わる主に経済的な問題を除けばいくつかのパターンが見られます。

①生命にかかわるほどの恐怖で心的外傷を負い、思考や行為の全てにおいて必ずそこに戻ってしまう場合

②何らかの事情で自分を偽っている、本来の自分を発揮できない、自分が何者かわからない等の場合

③何事においても自分と他人を比べることによって自分の幸せや不幸の度合いを計ることを止められない場合

④苦しみの根源が他人(家族を含む)にあり、わだかまりを解消できない、どうしても相手を許せない等の場合

世の小説などで描かれる人間の悩みはほぼこのどれか、もしくはその組み合わせによって引き起こされているように思います。

①に関しては、私には解決方法は思い当たりません。本人が一番考えたくないのに考えてしまうのですから。これは精神科医にも治せない症状ではないでしょうか。

②に関しては、長い苦闘の末にいずれ自分を知り、外へ向かって明らかにする以外、解決方法はないように思います。うまくいけば、心の平安を取り戻せるかもしれません。

③については、私自身がほとんど理解できない心性なので、これという解決のアイディアはありません。自分が愛されていることに気づけばこの悩みは雲散霧消するのでしょう。

④について、これが一番解決し難いケースかもしれません。ゆるすことの本質は愛であり、それはおそらく人間の意志でもつことができないものだからです。世の中にはどう考えても、また世人の統一見解としても、相手が悪いとしか思えないケースがあり、それによって傷つけられた「自分」を抱えた人は決して癒されることのない地獄を生きざるを得ません。これも①の場合と同じく、常にそこへ回帰して居ついてしまい、堂々巡りを繰り返すのです。

 私とて人間のあからさまな悪意を垣間見て、心の中にどす黒いものが宿ることはよくあります。最近はそれが嫌で毎日のニュースもそこそこにしか聞けません。しかし、それなりの時間を生きてきて、自分が生まれてからずっと愛されてきたことを深く納得するようになりました。表面に現れた形としては家族や周囲の人々に愛されてきたのですが、結局のところそれらはすべて神から出たものだということを心から受け入れています。これまで人様に様々な傷を与えてきたに違いない私ですが、それでも私自身傷を負う身であり、「ゆるせない」と思うこともあるのです。神様に赦されている者として人をゆるさなければならないのですが、それができないのが日々の日常です。でも自分の所業を「ゆるしてください」と祈ると同時に、「ゆるせるようになりますように」と祈ることはできます。人の罪をゆるす権能をお持ちの方に祈ることができることで、私はかろうじて正気を保っているのです。私も日々接する様々な人と何ら変わらない人間なのです。ゆるせないことはつらいことです。「ゆるしたい」と思いながら生きることは赦されているからできるのです。そして、赦されていることは神の恵み以外の何物でもありません。



2020年10月20日火曜日

「回帰する『時』」

  腕時計を新しくしました。といっても、電池と革のベルトを換えただけ。8年もつと言われた電池も7年ほど経ってさすがに弱ってきて、ベルトも相当くたびれてきました。もう以前ほどの出番はない時計ですが、どうしても使い続けたい理由があります。

 この時計は入院した父に「置いていって。明日家から腕時計持ってきて」と言われて一晩貸したものですが、突起部分を押すとバックライトで光ることに気づいた父は、自分のオメガの時計を受け取らず、「これでいい」と言って使い続けました。「これがいい」ではないのが父らしいのですが、その後、私の手元に戻ってきたのを使い続けてきました。できるだけ長持ちする電池を入れてもらいたいとお願いしたところ、時計の電池は単三などとは違うらしく、時計屋のおじさんの話では電池の寿命は同じとのことでした。今度はとのくらいもつのでしょう。

 少し前に、大学時代の同級生から精密検査をしに京都の病院まで行くという話を聞きました。「信用できる医者がいない」ので、やはり大学時代の同級生で、何故かその後医学部に入り直して医者になった親友に診てもらうとのことでした。体調という極秘事項は知り合いに知られたくない人も多いはずですが、それを調べてもらうとはよほど仲がいいのでしょう。検査入院と聞いて、「暇だったら読んで」と以前書いた書き物を渡したところ、持参して読んでくれただけでなく、主治医の同級生にも表紙だけ見せたと聞かされました。タイトルだけ見せて「これ、誰が書いたと思う?」と聞いたところ、「これは~川辺野さんあたりかな」との答えがあったそうで、それを聞いて私はじんわりとうれしくなりました。その同級生とはたぶん一、二度しか話したことがなく、私のことを覚えていてくれているだけでも有難いのに、ほとんど「隠れ切支丹」として過ごしていたつもりだった私は、そうでもなかったのかもと思えてうれしかったのです。あまっさえ、「『俺も読みたい』って言ってたから、読み終わったら送る」というメールが来たので、もちろん私からすぐに送ることにしました。検査入院の結果は何事もなかったようで、本当に良かったなと思いました。

 最近、ラジオを聞いていて思わず耳をそばだてたのは日本学術会議のニュースでした。推薦から外された六人として子どもの頃から知っている人の名が流れたからです。震災後、まだ再建前の福島教会を訪ねてくれ、四十数年前と全く変わらぬご様子でした。こういう人がこの世からはじかれてしまうのだなと受け止めました。残念ではあるけれど、むしろこれまで変わらず歩んでこられたことを寿ぐべきなのだと思います。自らの内に自らの考えと異なる視点を持つ人々を内包する包容力のない国家は滅びます。夏目漱石は『三四郎』の中で、上京する車内での会話として、日露戦争が終わって「これからは日本もだんだん発展するでしょう」という三四郎に対して、にべもなく相手の男に「滅びるね」と言わせています。これが 1908(明治41)年のことです。

 このところ記憶がどんどん回帰していく気がします。最近のことは思い出せないのに、十年前、三十年前、五十年前と記憶が飛んで、遠い遠い昔へと遡っていくのです。昔を想起させる出来事が起こったのは事実ですが、脳の老化と関わりがあるに違いありません。個人的には楽しい記憶ですが、世界の在り方としてはどうでしょうか。

かつてあったことは、これからもあり/かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない。  (コヘレトの言葉1章9節)

 まことに、「なんという空しさ/なんという空しさ、すべては空しい(コヘレトの言葉1章2節)」のです。



2020年10月15日木曜日

「同病親しみを覚ゆ」

 同じ持病を持つ方が病状を記した書を読む機会がありました。私の方がずっと軽症なのですが、入院を避けて自宅でできるだけのことをしながら、丁寧に生活されているご様子に心打たれました。私から見て著者がお気の毒でならないのは、まだ十代の時に発症されたことです。本来ならできたはずのことを体調のために諦めなければならなかったのは、言いようのない無念だったに違いありません。大方したいことをやりつくしてから病気が判明した私とは比べものにならない深刻さがあります。一見健康に見えるので、公共の乗り物の優先席で、「若いんだから立ちなさい」と言われたことが相当トラウマになっているらしく、杖を持ったり、難病を証明できる証書を携帯したり、可能な限り座れる特急券を購入したりして自衛しておられるようです。

 身につまされたのは、「一見元気に見える」ということから、本人自身も「気の持ちようなのではないか」とか「疲れているだけではないか」とか「暑さのせいではないか」と考えてしまうという記述で、この方もやはり「体がだるい」ということが主訴であり、この病の特徴だと再認識できました。一例として、投票に行けないことを挙げ、投票自体は往復で30分ほどでも、その前後に2時間は休みを取らないと体に障るということを書かれていました。「ああ、やはり」という感じで、私は近場の外出にはそれほど支障はありませんが、かなりの移動を伴う外出や何か行事予定のある日はその前後の日を空きにしておきます。以前は1日とればよかったのですが、近ごろは2日は必要です。夏場は前後に3日ずつ休まないと無理と言う状態で、これは週に一日しか予定が組めないことを表しています。その一日はもちろん日曜の礼拝に当ててあるのですが、それでもこの夏は朝起きて体に相談して休むという情けない事態が頻発しました。オンラインのライブ礼拝に何度助けられたことでしょう。

 本を読んで感銘を受けたのは、体はきついはずなのに、著者が家でできる仕事をしながら自然体で暮らそうとしていることです。何度か入院を経験し、病院での生活を味わった末に選んだ暮らし方なのだと思います。彼女の精神の強さには比ぶべくもありませんが、一つ気を付けなければと心に刻んだのは「絶対、ケガをしてはいけない」ということです。殊に転んで歩けなくなったりせぬよう慎重に動こうと思いを新たにしました。気候のいい秋になりました。夏の時間帯で行動すると、朝のウォーキングから帰ってもまだ真っ暗です。もはや「こうあらねば」ということは何もないので、朝寝して昼間運動するのもありだなと考えています。

 期間限定の朗報として、インターネットで登録したeチケットを用いて1か月前に予約すると、JR東日本の新幹線が半額になるサービスが出ています。券売機で切符を買う時にもたついて後ろの人に舌打ちされた経験のある私には、スイカのタッチで乗り降りできる新幹線は夢のようです。高速バスでの移動が体調的にややキツくなってきたので試してみようと思います。バスも載っているだけなので楽は楽なのですが、単純に乗車時間だけを比較すると、三分の一の時間で済むのは本当に有難い。

 元気でいるに越したことはないですが、それが目的ではありません。元気でいるもよし、病を抱えているもよし、生かされていることに神を賛美し、喜んで生活できればよいのです。年齢とともにできることは確実に減っていきます。これも「できるもよし」、「できなくてもよし」、ではないでしょうか。たとえ何もできなくなっても、神の目から見て「私」の価が変わるわけではないのですから。


2020年10月9日金曜日

「紅春 165」

 


「りく、何だかちっちゃくなったなあ」と思います。トレードマークのしっぽは立派ですが、ずいぶんと小顔になりました。人間でいう、膝カックンも散歩中たまに起きます。しかし散歩を嫌がることはなく、いつでも催促してきます。外はりくにとって世間に触れる唯一の場所です。出れば情報収集に余念がありません。

 散歩から帰っても、一度は「まだ入らない」と言う頑固さも健在です。時々「ワン」と吠えるのは、必ず犬を連れた人が通る時です。挨拶の声掛けをしているのです。よい季節になったのでできるだけ外においてあげたいのですが、15分おきくらいには「そろそろ家に入ろうか」と言って、引き綱を引くマネをしないといけません。脚を突っ張って本気で「まだ」と頑張る時はそのままにし、これを繰り返して、本人が「もう家に入ってもいいかな」という気分になった時に引いて入れるのです。りくはへそ曲がりなところがあるので、なかなか大変。でも、放っておくと疲れすぎてしまうので、この手順は省けないのです。先日は少し長く外に置いたら、お座りをしてお地蔵さん(いや、狛犬か?)のように固まったまま、目を閉じて眠っていました。すぐそばに寄っても気づかないくらいでした。「いっぱい遊んだね~。楽しかったね~」と言って、足を洗って家に入れるのに抱き上げる時、「ああ、りく軽くなったなあ」と実感します。



2020年10月4日日曜日

「健診・検診をやめました」

  突然降って湧いた今年の感染症騒ぎにおいて、最も大きな変化の一つに医療とのかかわり方があります。多くの人が感染を恐れて医療機関を避けたため、病院に患者がいないという未曽有の事態となりました。私はどうしても必要な持病の治療には細心の注意を払って、できるだけ間隔をあけて受診していますが、これは通院が必要などなたも同じでしょう。「本当に医療が必要な人が、コロナを恐れて通院をやめているのは重大な結果を引き起こしかねない」という懸念が何度も報道されていましたが、私は完全に納得して同意することができません。感染症の致死率や症状について或る程度わかっているのですから、「本当に医療が必要な人」は病状に応じ受診しているはずです。そうでない人は現在の病状・体調と、受診した場合の感染のリスクを秤にかけて、受診を控えているのでしょう。おそらく今年、自分の病に真剣に向き合い、必要ない医療を切り捨てた人が少なくないのではないでしょうか。別の言い方をすると、感染症の流行が図らずも日本の過剰医療の実態を改善したとも言えるのです。

 私は毎年区の定期健診とその他の一部検診を受けてきました。職場の慣習として定着していたので、退職後も深く考えることなしに続けていたのです。今年は健診の案内自体が遅れて配布されましたが、その時点では受けるつもりでした。しかし、スケジュール上適当な日が見つからないまま延び延びになってみると、採血やレントゲンなど結構体に負担がかかるなと思うようになりました。職場の定期健診でも「朝食抜いて通勤なんて体にいいわけない」と健診の日は憂鬱でしたし、結果が分かってもあまりどうということはなかったのです。そして今年になり、「歳も歳だし、もう健診はいいんじゃないか」とふっと思いました。若いうちならともかく、ありがたい歳まで十分生きたし、健診はもう体にはデメリットの方が多いかなと冷静に思えました。それに伴い、以前生検までした部位の毎年の検診もやめることにしました。ただ週間で続けていた検診ですし、考えてみればあれからもう十数年たっているのです。何もないと考える方が妥当でしょう。

 私も過剰医療を自ら選択してきた一人でした。もう健診・検診を受けなくていいと思ったら、何だかパッと気持ちが明るくなりました。もちろん医療を拒否するつもりはなく、持病の通院は続けますし、どこか不調を感じたら迷わず医者に行きます。不調と言っても老化の範囲ならしかたがないと割り切って、あとはほどほどに気を付けながら、好きなものを食べ、適度に運動し、好きなことをして過ごしていこう、きっとそれが一番体にいいに違いありません。生物としてできるだけ自然な終焉を望み、あとは神様におまかせすればよいのだと自分なりの結論が出ました。コロナのことがなければ、このようにゆっくり考えることはできなかったかもしれません。その意味ではコロナのおかげ、コロナだって何の意味もなく到来したものではないはずなのですから。