2020年9月9日水曜日

「局所的ミニマリスト」

 台風通過後の暑さで、まだまだつらい9月です。ひと夏を寝たり起きたりしながら無為に過ごしましたが、読書だけはできました。『陰翳礼讃』の中で谷崎潤一郎が、夏は避暑地に行くより、「自分の家で四方の雨戸を開け放って、真っ暗な中に蚊帳を吊ってころがっているのが涼を納(い)れる最上の法だと心得ている」と書いていました。谷崎の場合は暑さのしのぎ方としてではなく、旅館はどこも明かりが多すぎるという理由からそう言っているのですが、私の過ごし方も少し似ています。冷房機器や扇風機、冷風機、アイスノン、濡れタオルなどを適宜利用しつつ、明るさを極力抑えた環境でのびていたというのが適当かもしれません。読書に目を使わなくなったので、光はさほど要りません。暗くなると、昼間窓辺で太陽光を浴びた小さな機器を部屋にいくつかポンポンとおいていきます。家具にぶつからないようにするためで、夜は照明をつけません。目が慣れてくるとまばゆいほどの光を放ちます。

 エネルギーに関しては私は結構ミニマリストです。それにはやはり東日本大震災の経験がトラウマになっていますし、近年の気候変動を考えるとちょっとでも地球にとっての節約をしないといけないと感じるからです。海水温が高くなりすぎたため生じると思われる台風の異常発達や、さんまや鮭がとれなくなったことで明らかな海の生態系の破壊などは一例にすぎないでしょう。

 最近、農家が丹精して育てた収穫間近の農産物や生育中の家畜が盗まれるということが頻発しています。他人の汗の結晶を盗むという行為は最も憎むべき行為ですが、先日の和牛の子牛の盗難については遺伝子情報を入手するための犯罪ではないかとも言われています。つらつらおもうのですが、お金を払えば美味しいものを好きなだけ食べられるという時代はもう終わったと考えるべきではないでしょうか。食物連鎖の頂点に近い家畜がどれだけの無駄を土台にしているかもう我々は十分知っており、これを続けていたら到底全人類を養うに足る食料がないのです。牛の排出する二酸化炭素が見過ごせない量であることも指摘されてきました。換金性が高く、地球に負荷の多い食料を作っていられる時期はもう過ぎたと私は思います。

 コロナ禍の生活において、また猛暑の中にあって、おそらく家庭では洗濯物が増えているのではないかと思います。私もウィルス除去のため洗濯機を回す機会が増えましたが、或る時から小さい物はその都度手洗いするようになりました。水の使用量が増えたためです。水は人間にとって最も根源的に必要なものです。地球にとってはもはや「お金を払えば好きなだけ使える」ものではないはずです。手間はかかりますが、大きなもの以外はこまめに手洗いすることで、使用料を最低レベルにすることができました。それどころか、以前は「基本料金までならいくら使っても同じ」と考えていましたが、今はとにかく「必要最小限の量しか使わない」と決めました。

 小さなことですが、これらの結論は今夏の暑さの中で身をもって感じた危機感に拠っています。もう手遅れかもしれないという思いはあります。そして、感染症の発生も決して無関係ではないと感じています。人間の欲望が越えてはいけない臨界点を越えてしまった結果でしょう。水・食料・エネルギー、これらは人間が生きていくうえで不可欠なものですが、十分な量があるうちはそれらは商品となり得ますが、全員の必要を満たせなくなった時点でそれらは商品であることを止めます。お金を払っても買えないものとなるのです。そしてそれを手に入れられない場合は生命の危機が訪れます。皆が使用を必要最小限にとどめ、少しも無駄にせず分け合っていくしかない時期が刻一刻と近づいています。