2020年9月29日火曜日

「デジタル犯罪」

 いま感染症以外で日常化する危機といえば、なんといってもデジタル機器を介した犯罪でしょう。最近のドコモ口座への不正送金は、本人がその口座を持っていなくても、それどころか危険性を意識してインターネットバンキングなどを利用しないでいたとしても、被害が避けられなかったという点で社会に大きな不安をもたらしました。その手口の詳細はよくわからないようですが、暗証番号を固定して銀行口座番号を片端から当てはめていったのではないかとも言われています。それによると、何かの折に振り込みの記録がパソコン上に残っていて、ウィルス等により銀行の口座情報を読み取られた可能性があるとのことでした。被害にあったかどうかは、銀行で記帳しない限り気づかれないというのがまた恐ろしいところです。

 私はスマホを手にしてからしばらくの間、最適な入力の仕方を探して、それ用のキーボードを買った方がよいのかと迷いました。そのうち、音声入力が楽だとわかりましたが、私のスマホではなぜか句読点がつかない。そのためそれを補える方策を探すと、「しめじ」というアプリが見つかりました。ダウンロードしかけてふと見ると、「入力したすべての情報が記録されます」という恐ろしい注意書きが! 危なかった。気軽にメモすることで情報が流出するとはこういうことなのだと分かりました。考えてみれば、私のスマホは非常用。ほとんど使わないのですから、そこまで突き詰める必要など無いのだと、ハッと正気に返った感じです。

 パソコンの方でも怪しいことがありました。某通販サイトを彷彿とさせるアドレスから、「あなたのアカウントに異常な活動が検出されましたので、ご注文商品×××はキャンセルされました。 すぐにアカウント情報を更新してください」というメールが来たのです。注文商品なる×××は私が注文しそうもない最新の機器でしたので、「へんなの」と思いましたが、しばらくして「これがフィッシングメールというものか」と納得しました。「キャンセルされました」で安心させて、アカウント情報を新たに入力させて盗み取る手法です。もちろんすぐに、迷惑メールに登録しましたが、敵もさるもの、またちょっとだけ変えた紛らわしいアドレスで送ってきました。これももちろん迷惑メールに登録。油断も隙もありませんが、とにかく登録された知人のメールや自分が送ったメール以外には一切返信しない、手を触れないということだけ気を付ければ大丈夫な気がします。

 スマホを購入した携帯電話会社からは何度もアンケートやら何やら来ていますが、「別に返信しないのは犯罪じゃないもん」と何もしないを決め込んでいます。この場合は限りなく危険でない相手先だと思いますが、万一ということもあるので、もうこちらから働きかけをしたくない。ポイントなんかほしくない。「デジタル機器は危険の塊」という図式が強固に形成されているのです。こうして人は社会が信じられなくなっていくのでしょう。デジタル犯罪を犯す不届き者は具体的な行為による犯罪だけでなく、社会の信頼を根底から揺るがすという大罪を犯しているのです。



2020年9月21日月曜日

「紅春 164」


  二か月ぶりに動物クリニックを訪れました。たまたま連休の始まる土曜だと気づき、早めに出かけて開院十五分前には着いたのですが、十台くらいある駐車場の最後の一区画になんとか滑り込めたという混みようでした。続く連休中は休診なので、皆さん用心して受診されたのではないでしょうか。感染症対策のため順番まで三十分ほど外で待ちました。気持ちの良い曇りの日でしたので好都合でした。

 この二か月、腎臓ケアの食事療法の上、毎日きちんとお薬を飲んで、満を持しての診療でしたが、残念ながら結果は横ばい。項目別に良くなった数値もありましたが、全体として大きく変わったところはなく、やっぱりこれは老化だと納得しました。採血後、いったん連れてこられたりくは脚の止血が十分でなかったのでまた診察室にもどされたということもあり、採血もりくの負担にならないはずがないので、兄と「あとは食事療法とお薬だけで、クリニックに再訪しなくていいね」と話し合いました。今回の診療で一番がっかりしたのは、りくの体重が7.9キロになってしまったことです。「もっと食べさせてください」と言われても、これ以上どうすればいいのというほど一生懸命食べさせているつもりです。そんなに痩せたように見えないのと動きは活発なのが救いです。


2020年9月20日日曜日

「老年期の読書」

 読書が「読む」ものから「聴く」ものになって、時間のある時は、手軽なエッセイや実用本も含めて、日に二、三冊の本が読めるようになりました。あまり難しくない学術書や入門書はよいのですが、最近何だか文学書を読むのがキツくなってきたなと感じます。その理由は、「どうしてそんなふうに考えるの?」、「なんでそんなことするの?」、「なぜそうなるの?」と、登場人物の思考や話の筋に共感できないどころか、理解もできないということが非常に増えたからです。読んでいるうち、出てくる人物の不愉快さや荒唐無稽な筋立て、主人公の置かれたあまりにストレスフルな環境などに付き合う必要があるのかという気持ちが募ってくるのです。もちろん、付き合う必要はなくて、「縁がなかった」と本を閉じればよいだけです。こういう本は若い時ならよんでいたかもしれませんが、それとて「読んでおけば人生に益するものがあるのかも」という気持ちだったはずですから、この歳まで生きてきて、何の役にも立たないような本は読む必要がないなと、はっきり悟りました。自分が知らない世界でもまっとうな方が書いたものなら益するところがあるでしょう。しかし、今感じるのは、こういっては語弊があるかもしれませんが、書いている方の多くが、またその読者層も、大変病んでいると感じます。もちろん人間である以上、自分も病んでいると自覚していますが、その病み方に重なり合うところが全くないのでは、読書していても虚しくなるばかりです。

 その代わりと言っては何ですが、よくミステリーを読むようになりました。中には「その筋立ては無理でしょ」というものも散見されますが、謎解きという方向から光を当てれば「はずれ感」は薄まります。ミステリーは洋の東西を問わず歴史のあるジャンルで、およそ人間の営みのあらゆる方面を侵蝕しながら今日に至った感があります。以前、『少年少女世界推理文学全集』(あかね書房)について書きましたが、あの広大な分野をカバーする趣味の発掘全集の中で、一人だけ二冊本で紹介された作家がいました。ウィリアム・アイリッシュとコーネル・ウールリッチという別々の名で出されているので子どもの頃は気づきませんでしたが、これは同一人物です。少なくとも編集部にとっては相当に影響のあった作家だと言ってよいでしょう。この作家はサスペンスを醸成する手法に優れていますが、それにもまして都会で生きる孤独な人々の乾いた人間模様の描写が滅法うまい。その文学性に思わずはまったという人も多いようです。その後の数十年間のミステリーの発展は目覚ましく、今では謎解きトリックのバリエーション自体は底を打った感があります。そのせいか、現在では社会や人間の周辺部分および人物描写が充実し、文学とミステリーの境が限りなく無くなりつつあるのは確かなようです。別の言い方をすれば、現代では人間そのものがあまりに深い闇を抱えた謎になってしまったのです。


2020年9月17日木曜日

「紅春 163」


 帰省した翌日、早朝の散歩で土手へ上がった後、りくの動きに目を見張りました。タッタッと二歩ほどギャロップしたのです。間違いなく四本の足すべてが地面から離れ、疾走し始めるのではないかと思ったほどです。うれしくて自然と体が跳ねてしまうかのようでした。

 私が「えっ、まさか」と大いに喜んだのにはわけがあって、最近りくは脚が弱ってきているのではないかと思っていたからです。階段を踏み外したり、土手から帰る小道を逸れて隣の敷地に落ちたりしていましたし、兄も「散歩中何度かりくの脚がカクッとなるのを見た」と言って案じていたからです。ところがどうしてどうして、りくの脚はまだまだ大丈夫な様子です。時々こけるのは脚の問題と言うより、目が見えにくくなっているためかもしれません。

 その後もりくのギャロップ姿は何度か見られ、私の散歩の励みとなっています。足腰の老化はいかんともしがたい面もありますが、おそらく骨格や関節以上に筋肉に関係した問題なのだろうという感触を得ました。緩やかでも日頃から鍛えておけば、それなりに何とかなるかなという気がして、りくに倣って私も頑張らなければと思います。


2020年9月9日水曜日

「局所的ミニマリスト」

 台風通過後の暑さで、まだまだつらい9月です。ひと夏を寝たり起きたりしながら無為に過ごしましたが、読書だけはできました。『陰翳礼讃』の中で谷崎潤一郎が、夏は避暑地に行くより、「自分の家で四方の雨戸を開け放って、真っ暗な中に蚊帳を吊ってころがっているのが涼を納(い)れる最上の法だと心得ている」と書いていました。谷崎の場合は暑さのしのぎ方としてではなく、旅館はどこも明かりが多すぎるという理由からそう言っているのですが、私の過ごし方も少し似ています。冷房機器や扇風機、冷風機、アイスノン、濡れタオルなどを適宜利用しつつ、明るさを極力抑えた環境でのびていたというのが適当かもしれません。読書に目を使わなくなったので、光はさほど要りません。暗くなると、昼間窓辺で太陽光を浴びた小さな機器を部屋にいくつかポンポンとおいていきます。家具にぶつからないようにするためで、夜は照明をつけません。目が慣れてくるとまばゆいほどの光を放ちます。

 エネルギーに関しては私は結構ミニマリストです。それにはやはり東日本大震災の経験がトラウマになっていますし、近年の気候変動を考えるとちょっとでも地球にとっての節約をしないといけないと感じるからです。海水温が高くなりすぎたため生じると思われる台風の異常発達や、さんまや鮭がとれなくなったことで明らかな海の生態系の破壊などは一例にすぎないでしょう。

 最近、農家が丹精して育てた収穫間近の農産物や生育中の家畜が盗まれるということが頻発しています。他人の汗の結晶を盗むという行為は最も憎むべき行為ですが、先日の和牛の子牛の盗難については遺伝子情報を入手するための犯罪ではないかとも言われています。つらつらおもうのですが、お金を払えば美味しいものを好きなだけ食べられるという時代はもう終わったと考えるべきではないでしょうか。食物連鎖の頂点に近い家畜がどれだけの無駄を土台にしているかもう我々は十分知っており、これを続けていたら到底全人類を養うに足る食料がないのです。牛の排出する二酸化炭素が見過ごせない量であることも指摘されてきました。換金性が高く、地球に負荷の多い食料を作っていられる時期はもう過ぎたと私は思います。

 コロナ禍の生活において、また猛暑の中にあって、おそらく家庭では洗濯物が増えているのではないかと思います。私もウィルス除去のため洗濯機を回す機会が増えましたが、或る時から小さい物はその都度手洗いするようになりました。水の使用量が増えたためです。水は人間にとって最も根源的に必要なものです。地球にとってはもはや「お金を払えば好きなだけ使える」ものではないはずです。手間はかかりますが、大きなもの以外はこまめに手洗いすることで、使用料を最低レベルにすることができました。それどころか、以前は「基本料金までならいくら使っても同じ」と考えていましたが、今はとにかく「必要最小限の量しか使わない」と決めました。

 小さなことですが、これらの結論は今夏の暑さの中で身をもって感じた危機感に拠っています。もう手遅れかもしれないという思いはあります。そして、感染症の発生も決して無関係ではないと感じています。人間の欲望が越えてはいけない臨界点を越えてしまった結果でしょう。水・食料・エネルギー、これらは人間が生きていくうえで不可欠なものですが、十分な量があるうちはそれらは商品となり得ますが、全員の必要を満たせなくなった時点でそれらは商品であることを止めます。お金を払っても買えないものとなるのです。そしてそれを手に入れられない場合は生命の危機が訪れます。皆が使用を必要最小限にとどめ、少しも無駄にせず分け合っていくしかない時期が刻一刻と近づいています。


2020年9月1日火曜日

「秋来ぬと・・・」

  這う這うの体で八月を過ごしました。暑さにやられてすっかり体がおかしくなった感じです。熱中症で亡くなった方の中にはエアコンをつけていない方もいたという報道がなされる度、「エアコンはつけっぱなしにしてください」というアナウンスが流れましたが、老年者のことが分かっていないと思います。ずっと家にいる人でも最低限の用事や買い物で外出しなければならず、その時の気温差が半端なく身に応えるのです。エアコン入れっぱなしの室内でも、ちょっとずつ体のバランスが崩れていくのがはっきりわかります。唯一の運動機会である朝のウォーキングも、日の出前にすでに28度ということもあり、「今日はいかない方がいいな」との体の発する警戒アラートに従い、泣く泣く取りやめたことも何度かありました。夜は1~2時間おきに目が覚めて眠れず、その分昼間にうとうと・・・。経験上、健康管理にとって最も避けたい事態を招いていました。食欲も減退、手作りにこだわらず、また栄養バランスにさえこだわらず、とりあえず口に入るものを食べるという状態でした。感染症問題が起きてから、恐くて一度も外食ができず、普段の自炊は苦にならなかったのですが、ついに暑くて作る気力がなくなりました。「でも何か食べなきゃ」という危機感から欠かさず食べていたのは具沢山みそ汁です。これは好きな具材で前夜みそ汁を作り、冷蔵庫で冷やしておくと、翌朝本当に美味しく食べることができ、私にとって命綱のような食べ物でした。

 九月の声とともに涼しい朝を迎え、ようやく息ができました。気温が下がっただけでこんなにも体が楽になるとは思いませんでした。急に元気が出て、懸案の掃除ができました。掃除くらいと思われそうですが、この暑さの中で電気用品を使うなど、考えられないことでした。「今日を逃したらまた当分できないかも」と思い、せっせと使用したのは、今年購入した物の中で一押しの商品・「ふとんクリーナー」です。それは、一分間に六千回も叩いてほこりやダニを徹底的に除去する掃除機で、ふとんだけでなく、布製のものを非常に効果的に清潔にできます。うちはフローリングだけでなく絨毯の部屋もあるので、試しにこれで掃除してみたら、温風が吹き付けられるらしく、新品のようなふかふかの床になってビックリしました。ソファや敷物類にも掃除機をかけ、きれいになった空間で過ごせるのは精神衛生上もよいものです。

 猛暑の峠を越しただけで、まだ暑さとの闘いは終わってはいないのでしょうが、夏の暑さは一年ごとにしんどく、体が負けそうになってきていると感じています。感染症よりもずっと暑さに苦しんだ夏でした。