子どもの頃はどんなに遊び疲れても、「疲れを知らない子供のように」とはよく言ったもので、一晩寝ると翌日は元気になったものです。十代のうちは無謀な生活をしていてもそれで済んでいましたが、二十台になると運動した翌日には「あれっ」という感じで疲れが出なくなりました。体が鍛えられたのかと思ったら、言うまでもなく疲れは翌々日に来たのです。「疲れが翌日に出なくなったらもう『トシ』だよね」と、同じ世代の少しだけ先輩の方々は口々に言っておられましたので、「これがそうかあ」と思ったものです。
しかし、二十代、三十代にとっての「トシ」などかわいいもので、歳をとるにつれて疲れからの回復力が落ちていくのをはっきりと感じていました。今年は7月の帰省の往復が相当体にこたえ、翌々日どころか回復にほぼ一週間を要しました。なんだかだるくてやる気が起きず、寝たり起きたりを繰り返す状態だったので、「これは新たな段階に入ったな」と実感せずにはいられませんでした。
厚生労働省の平均余命の年次推移によると、終戦後1947年の0歳児の平均余命すなわち一般に言われる平均寿命は男50.06歳、女53.96歳と「アッ」と驚く数値が載っています。2010年の男79.64歳、女86.39歳と比べるとまるで人の寿命が30歳も延びたかのように錯覚してしまいがちですが、これはもちろんその大部分が乳幼児の死亡率の差がもたらす統計のマジックです。65歳時の平均余命は1947年の男10.16歳、女12.22歳に対し、2010年は男18.86歳、女23.89歳ですから10年ほどの延びにすぎません。これが75歳となると、平均余命は1947年の男6.09歳、女7.03歳に対し、2010年は男11.58歳、女15.38歳になり、およそ男は5年、女は8年ほどの延びということになります。もちろんこれは大きな成果ではありますが、大局的に見れば「老年に達した人の平均余命はそれほど無茶苦茶延びているわけではない、戦前も老人になるまで生きられた人はそこそこの天寿を全うできた」ということです。
戦後、寿命が延び元気な老人が増えたとは言っても、所詮この程度の違いにすぎず、人間の身体は生物的制約を免れないのですから、そう大きく変わるものではないということがよく分かりました。そうしてみると、還暦とはケジメの歳を自覚させる実によくできた慣習です。身体が第三段階に入ったことを嫌でも知らせてくれるのです。
昨日のことですが、早朝、公園へ行く替わりに自転車でJR駅までスイカのチャージに行きました。最近は公共交通機関をなるべく避けているので駅を通るついでにチャージするということができなくなっていたからです。往復して、心地よい疲れに体はすっきり、今日の運動は終了と思っていましたが、たまたま涼しい日だったこともあり、「今日を逃したら行く日がない」と愛用している強力粉を買いに離れた市街に行くことを思いつきました。こちらは途中まで自転車、そこから歩いていく場所にあり、実益も兼ねてバランスよく運動できるのです。疲労を感じながらも無事用事を終え、帰宅してからよくよく考えるとその日は自転車で25キロ、徒歩で3キロの運動になっていました。この結果はいつ体に来るのだろうと怯えつつ、今を過ごしています。しばらくはどの程度無理しても平気なのかをテストしていくしかないようです。この先の古稀やら喜寿やら米寿、卒寿等々と命名される区切りの歳も何かしら身体の変化に伴う、意味のある階梯を表しているのでしょうが、それがどのようなものなのかは今の段階では想像もつきません。
2020年7月31日金曜日
2020年7月20日月曜日
「紅春 161」
腎機能低下のため処方されたお薬を飲み続けて1か月たち、先日動物クリニックに行ってきました。処方された薬は米粒大の小ささなので飲ませるのが大変でしたが、肉やチーズに埋め込んで何とか与えてきました。血液検査の結果が改善されていることを期待していたのですが、全くダメでがっかり。あまっさえ体重がついに8kgになり、やや脱水気味と言うので三重のショック。
ドッグフードに鶏肉のトッピングをしていたのですが、獣医さんの話ではたんぱく質過多は腎臓にはよくないとのこと、「あとは食事療法ですね」ということで、サンプルのフードをいただきました。念のためお薬も継続、次回は二か月後です。ただ、「水を十分飲ませてください」と言われても、そりゃ無理でしょ。なるべくこまめに水を取り替えていますが、諺にもあるように、水のそばまで連れていけても飲ませることはできません。りくは必要な時には自分でちゃんと飲んでますから。
何だか重病患者を抱えたように気分が若干落ちていますが、りく自体は普段はいたって元気。本人のリクエストで毎日3~5キロくらいは歩きます。帰ってきてご飯の時、獣医さんにいただいたサンプルの療法食をあげてみました。二種類のうち一つはさほどでもありませんでしたが、もう一つはまず半分あげると、こちらが「え~」というほど勢い込んで食べ完食。何もトッピングをせずにフードを食べたのは久しぶり。カリカリという音を聞くのもここしばらくありませんでした。歯も弱ってきているので肉汁などでちょっと湿らせてからフードをあげていたからです。このサンプルは「チキン入り」と書いてあり、味付けがおいしいのかもしれません。さっそく通販サイトで1kgの小袋を注文。腎臓ケアのできるドッグフードだけで食事が澄むなら苦労はありません。りくに「早く届くといいね」と言いながら、心の中に「でもきっとこれも飽きるんだろうな」との思いがわきます。時々は前の食事も織り交ぜながら、だましだまし食べさせていくしかありません。散歩の途中、ころころ太った柴犬を見ると「いいなあ」と思ってしまいますが、あれはあれで飼い主さんにはご苦労があるのでしょう。
ドッグフードに鶏肉のトッピングをしていたのですが、獣医さんの話ではたんぱく質過多は腎臓にはよくないとのこと、「あとは食事療法ですね」ということで、サンプルのフードをいただきました。念のためお薬も継続、次回は二か月後です。ただ、「水を十分飲ませてください」と言われても、そりゃ無理でしょ。なるべくこまめに水を取り替えていますが、諺にもあるように、水のそばまで連れていけても飲ませることはできません。りくは必要な時には自分でちゃんと飲んでますから。
何だか重病患者を抱えたように気分が若干落ちていますが、りく自体は普段はいたって元気。本人のリクエストで毎日3~5キロくらいは歩きます。帰ってきてご飯の時、獣医さんにいただいたサンプルの療法食をあげてみました。二種類のうち一つはさほどでもありませんでしたが、もう一つはまず半分あげると、こちらが「え~」というほど勢い込んで食べ完食。何もトッピングをせずにフードを食べたのは久しぶり。カリカリという音を聞くのもここしばらくありませんでした。歯も弱ってきているので肉汁などでちょっと湿らせてからフードをあげていたからです。このサンプルは「チキン入り」と書いてあり、味付けがおいしいのかもしれません。さっそく通販サイトで1kgの小袋を注文。腎臓ケアのできるドッグフードだけで食事が澄むなら苦労はありません。りくに「早く届くといいね」と言いながら、心の中に「でもきっとこれも飽きるんだろうな」との思いがわきます。時々は前の食事も織り交ぜながら、だましだまし食べさせていくしかありません。散歩の途中、ころころ太った柴犬を見ると「いいなあ」と思ってしまいますが、あれはあれで飼い主さんにはご苦労があるのでしょう。
2020年7月17日金曜日
「メンテナンス力」
実家の茶の間の外に面した障子が破れていたので部分的に張り替える。以前は取り外して全面張替えをしたが、張り替え後にはまらなくなり父の助けを借りて入れてもらったことがあった。もう父はいない。そこは取り外しての張り替えは無理な場所なのだ。部分的張替えなので『巨人の星』っぽい雰囲気になるがしかたない。
靴下に穴があく。ほかの97%は無事なので修繕する。なぜかこういうものが捨てられなくなっている。
マンションのフローリングが浮く感じがする。ドリルで小さな穴をあけ、それ用の接着剤を流し込んで床下と接着する。ふ~ん、素人でも直せるのか。
外出するときポケットの多い服が便利なので、見えないようにポケットを付け足す。ポケットがあっても必要なボタンやチャックがない服(ポケット口が斜めになっていて入れたものが落ちそうになる箇所)にはホックをつける。
アコーデオン式の網戸が開閉に支障を来しているのでこれも修繕しないと。そもそもアコーデオン式の網戸の利点がよくわからない。下手したら開閉時に虫入るよね、ぶつぶつ・・・。
人生のほとんどはメンテナンスだなと思います。新しく作るより、日々壊れゆく事物を維持・管理するほうがどれほど大変なことか。私も時間がなかった頃は捨てては新しくし、ダメになってはすぐ交換し・・・を続けていました。メンテナンスがきちんとできる人は社会で信頼される人だと思います。メンテナンスの最たるものは人間関係です。忙しい時は物に関するメンテナンスは業者に任せてもよいのですが、人間関係はそうはいきません。ちょっと手を抜くとどんどんこじれて事態が悪化したという経験は誰でもあるでしょう。そしてそうなると取り返しがつかないことも多いということも身に沁みてわかっているのです。世の中がますますせわしなくなってゆく昨今、若い人は多忙すぎて時間がなく、年老いると時間があっても体力・気力がないというのは残念ながら世の常。現実世界のものは全て、放っておくと必ず少しずつ壊れていきます。この強大な力に立ち向かい抗いながら、日々ちょっとの時間を見つけ自分を励ましつつメンテナンスに取り組んでいくしかないようです。
靴下に穴があく。ほかの97%は無事なので修繕する。なぜかこういうものが捨てられなくなっている。
マンションのフローリングが浮く感じがする。ドリルで小さな穴をあけ、それ用の接着剤を流し込んで床下と接着する。ふ~ん、素人でも直せるのか。
外出するときポケットの多い服が便利なので、見えないようにポケットを付け足す。ポケットがあっても必要なボタンやチャックがない服(ポケット口が斜めになっていて入れたものが落ちそうになる箇所)にはホックをつける。
アコーデオン式の網戸が開閉に支障を来しているのでこれも修繕しないと。そもそもアコーデオン式の網戸の利点がよくわからない。下手したら開閉時に虫入るよね、ぶつぶつ・・・。
人生のほとんどはメンテナンスだなと思います。新しく作るより、日々壊れゆく事物を維持・管理するほうがどれほど大変なことか。私も時間がなかった頃は捨てては新しくし、ダメになってはすぐ交換し・・・を続けていました。メンテナンスがきちんとできる人は社会で信頼される人だと思います。メンテナンスの最たるものは人間関係です。忙しい時は物に関するメンテナンスは業者に任せてもよいのですが、人間関係はそうはいきません。ちょっと手を抜くとどんどんこじれて事態が悪化したという経験は誰でもあるでしょう。そしてそうなると取り返しがつかないことも多いということも身に沁みてわかっているのです。世の中がますますせわしなくなってゆく昨今、若い人は多忙すぎて時間がなく、年老いると時間があっても体力・気力がないというのは残念ながら世の常。現実世界のものは全て、放っておくと必ず少しずつ壊れていきます。この強大な力に立ち向かい抗いながら、日々ちょっとの時間を見つけ自分を励ましつつメンテナンスに取り組んでいくしかないようです。
2020年7月10日金曜日
「夏朝一刻値千金」
週間予報をチェックしたら、一週間先までずっと雲と雨の図柄で構成されていました。がっかり。最近は夜目覚めると、窓際に行って空模様を見ています。とにかく朝だけ止んでくれないかなあと。とにかく健康を保つこと、歳をとるとこのことの重要性が身に沁みます。ただ元気でいるのが大事というより、「しっかりした身体と堅実な習慣が人の思考を司る」ということに深く同意するからです。
今日は三日ぶりに朝の見回りに行けました。雨でさえなければ、私は毎朝領地の見回りに出かける領主となります。近隣にある広大な某公園にウォーキングに行くのです。非常によく手入れが行き届いた美しい公園です。都心から遠いので早朝にここに来られるのはほぼ区民だけ。感染症の影響で立ち入りが一時禁止された都立公園もありましたが、ここは遠すぎて人が来ないせいか、その時期も立ち入り禁止にはなりませんでした。しかし、遊具等は使えないようテープが貼ってあり、草刈もきれいに行われており、とにかくよく管理されていることは確かです。負け惜しみでなく、毎朝ここを利用できる場所に住んでてよかったとつくづく思います。帰省して家の周りの草むしりをするだけでも四苦八苦しているので、これほど広大な公園を維持管理するのがどれほど大変かよくわかります。私は領主として見回るだけ・・・庭師さん、ありがとうございます。おかげで区民がどれほど快適に過ごせることか! 走りながら見回り中の方、三頭立ての馬車ならぬ、三頭立ての柴犬様と共に見回り中の方、毎朝杖を突きながらゆっくり見回りをされているお年寄りの方・・・今日も数名の領主と出会いました。みな幸せそうです。
帰ってきて温泉に入り、といっても勿論ただの朝風呂ですが、お洗濯をして一段落。水汲みに往復数時間の地に暮らす少女のことを思えば、何と幸せなことか! いつもこんなふうに負荷を極限まで下げたスモール・ステップで生活しているので、「今日の仕事はほぼ終わったな~」と、好きなことをすべく一日の残りの計画を立てながら、ゆっくり朝食をとっています。
今日は三日ぶりに朝の見回りに行けました。雨でさえなければ、私は毎朝領地の見回りに出かける領主となります。近隣にある広大な某公園にウォーキングに行くのです。非常によく手入れが行き届いた美しい公園です。都心から遠いので早朝にここに来られるのはほぼ区民だけ。感染症の影響で立ち入りが一時禁止された都立公園もありましたが、ここは遠すぎて人が来ないせいか、その時期も立ち入り禁止にはなりませんでした。しかし、遊具等は使えないようテープが貼ってあり、草刈もきれいに行われており、とにかくよく管理されていることは確かです。負け惜しみでなく、毎朝ここを利用できる場所に住んでてよかったとつくづく思います。帰省して家の周りの草むしりをするだけでも四苦八苦しているので、これほど広大な公園を維持管理するのがどれほど大変かよくわかります。私は領主として見回るだけ・・・庭師さん、ありがとうございます。おかげで区民がどれほど快適に過ごせることか! 走りながら見回り中の方、三頭立ての馬車ならぬ、三頭立ての柴犬様と共に見回り中の方、毎朝杖を突きながらゆっくり見回りをされているお年寄りの方・・・今日も数名の領主と出会いました。みな幸せそうです。
帰ってきて温泉に入り、といっても勿論ただの朝風呂ですが、お洗濯をして一段落。水汲みに往復数時間の地に暮らす少女のことを思えば、何と幸せなことか! いつもこんなふうに負荷を極限まで下げたスモール・ステップで生活しているので、「今日の仕事はほぼ終わったな~」と、好きなことをすべく一日の残りの計画を立てながら、ゆっくり朝食をとっています。
2020年7月7日火曜日
「老齢の女」
今から百年ほど前の小説を読んでいて、「六十歳の老婆が・・・」という言葉にぶつかりました。「六十歳の・・・老婆とはあんまりじゃありませんか」と思うのは今だからで、百年前は六十の女は老婆だったのだとしばらく言葉が出ませんでした。そして思い出したのは、「そう言えば子どもの頃は顔に深いしわを刻んだ女の人がいたなあ」ということです。あれは今は全く見ない顔です。子ども心に、老婆とはあのような老年の女性を形容する言葉でした。
還暦を迎えていても、現在女優のOやHを老婆と呼ぶ人はいません。それどころか、後期高齢者の仲間入りをした国民的大女優Yに対してもそんな風に呼ぶ人はいません。女優さんはそれこそ様々な魔術を使っているのかもしれませんが、一般の人でも実年齢より十や二十ほども若く見える人は少なくありません。別に美容手術などしなくても、見た目に影響する三大要素は肌・髪・歯で、この手入れをそこそこしていればよいのです。一番難しいのは肌のお手入れですが、これは体質に大きく左右されるので、残念ながら手入れすればそれだけ効果があるというものではありません。間違いなく言えるのは、食事と運動が内側から肌を美しくするということでしょう。自分のペースで長続きさせることができるかどうかが鍵です。髪について私の印象では、白髪が目立たないだけで十歳は若く見えるようです。歯は体質による個人差が現れやすいですが、口から食事が摂れることがどれだけ大事かを考えると、こまめな手入れが一番必要な部位です。
昔、家事は文字通り重労働でした。仕事を持ちながら片手間に行えるようなものではなかったので、家庭内ではほぼ女性が担う役割でした。外での仕事も多く、紫外線を浴びる中で「老婆」がつくられたのです。現在新しい家電が出ると、常ならぬ好奇心が沸くのは遠い記憶が呼び起こされるからでしょう。ともかくこの百年で日本の老婆の基準は二十歳上がりました。これはやはりよいことなのでしょうね。
還暦を迎えていても、現在女優のOやHを老婆と呼ぶ人はいません。それどころか、後期高齢者の仲間入りをした国民的大女優Yに対してもそんな風に呼ぶ人はいません。女優さんはそれこそ様々な魔術を使っているのかもしれませんが、一般の人でも実年齢より十や二十ほども若く見える人は少なくありません。別に美容手術などしなくても、見た目に影響する三大要素は肌・髪・歯で、この手入れをそこそこしていればよいのです。一番難しいのは肌のお手入れですが、これは体質に大きく左右されるので、残念ながら手入れすればそれだけ効果があるというものではありません。間違いなく言えるのは、食事と運動が内側から肌を美しくするということでしょう。自分のペースで長続きさせることができるかどうかが鍵です。髪について私の印象では、白髪が目立たないだけで十歳は若く見えるようです。歯は体質による個人差が現れやすいですが、口から食事が摂れることがどれだけ大事かを考えると、こまめな手入れが一番必要な部位です。
昔、家事は文字通り重労働でした。仕事を持ちながら片手間に行えるようなものではなかったので、家庭内ではほぼ女性が担う役割でした。外での仕事も多く、紫外線を浴びる中で「老婆」がつくられたのです。現在新しい家電が出ると、常ならぬ好奇心が沸くのは遠い記憶が呼び起こされるからでしょう。ともかくこの百年で日本の老婆の基準は二十歳上がりました。これはやはりよいことなのでしょうね。
2020年7月2日木曜日
「医療機関への国の支援を!」
現在東京都の感染者は一日50人程度であることが発表されていますが、夜の繁華街での感染者が多く、そういった生活習慣のない人にとってはコロナ感染は中休み的な状態になっています。地域によらず、昼のカラオケによる感染もあるようですが、コロナははっきりと「飛沫感染」のリスクが初めからわかっていますので、これは不注意によるものと考えられます。発話したり、歌ったりというのが最も危険な行為なのです。お好きな方には気の毒ですが、一人で行くか少人数で離れて行うかするしかないでしょう。
一時は時短や営業時間の変更があったスーパーは平常に戻ってきましたので、今一番気になるのは病院です。定期的に通院している或る病院は、先日行ってみたところ患者がかなり減っていました。そこはコロナ患者の受け入れ病院ではなく、院内感染はもちろん職員にも感染者は出ていないのですが、私が見たところ患者は半減しているように思えます。早く終わるし、次の予約も入れやすいのでありがたいのですが、やはり考えてしまいます。もともと診察の必要のない人が感染症騒動で来院を控えているのならよいのです。風邪程度で病院にかかるのは日本くらいですから、不要な通院を控えることにより膨れ上がった医療費の削減につながるとしたら望ましいことです。しかし、心配なのは病院の先行きで、これまでの方式で出来上がっていた経営からすれば、急に収益が半分になるのは大変なことでしょう。
私が通院しているもう一つの病院はコロナ患者受け入れ病院ですが、院内感染を起こさずに事態を収束させました。緊急の感染症対策に取り組み、「それでこそ病院」と思える見上げた態度だったと思います。しかし一方で、ここは入院患者が大量に退院して、大きな赤字を抱えることになりました。患者が病院を選ぶのはしかたのないことですが、コロナ患者受け入れを要請した国がここで何らかの赤字補填をせずにどうしようというのでしょうか。そうしなければ今後もっと致死率の高い感染症が流行しても、患者の受け入れをする病院はなくなるでしょう。支援の程度を見極めるのは難しいかもしれませんが、これは国にしかできないことなのでしっかり取り組んでほしいと思います。各国の医療体制があからさまになる中、日本は様々な観点から見てよく奮闘し、健闘したと思います。よいことばかりとは言えませんが、「自粛」でそれなりに済んでしまうこれほど民度の高い不思議の国はないでしょう。せめて国には「絶対に国民の命を守る」という気概をもって、医療体制の維持に努めてほしいと思います。
一時は時短や営業時間の変更があったスーパーは平常に戻ってきましたので、今一番気になるのは病院です。定期的に通院している或る病院は、先日行ってみたところ患者がかなり減っていました。そこはコロナ患者の受け入れ病院ではなく、院内感染はもちろん職員にも感染者は出ていないのですが、私が見たところ患者は半減しているように思えます。早く終わるし、次の予約も入れやすいのでありがたいのですが、やはり考えてしまいます。もともと診察の必要のない人が感染症騒動で来院を控えているのならよいのです。風邪程度で病院にかかるのは日本くらいですから、不要な通院を控えることにより膨れ上がった医療費の削減につながるとしたら望ましいことです。しかし、心配なのは病院の先行きで、これまでの方式で出来上がっていた経営からすれば、急に収益が半分になるのは大変なことでしょう。
私が通院しているもう一つの病院はコロナ患者受け入れ病院ですが、院内感染を起こさずに事態を収束させました。緊急の感染症対策に取り組み、「それでこそ病院」と思える見上げた態度だったと思います。しかし一方で、ここは入院患者が大量に退院して、大きな赤字を抱えることになりました。患者が病院を選ぶのはしかたのないことですが、コロナ患者受け入れを要請した国がここで何らかの赤字補填をせずにどうしようというのでしょうか。そうしなければ今後もっと致死率の高い感染症が流行しても、患者の受け入れをする病院はなくなるでしょう。支援の程度を見極めるのは難しいかもしれませんが、これは国にしかできないことなのでしっかり取り組んでほしいと思います。各国の医療体制があからさまになる中、日本は様々な観点から見てよく奮闘し、健闘したと思います。よいことばかりとは言えませんが、「自粛」でそれなりに済んでしまうこれほど民度の高い不思議の国はないでしょう。せめて国には「絶対に国民の命を守る」という気概をもって、医療体制の維持に努めてほしいと思います。
登録:
投稿 (Atom)