2020年5月5日火曜日

「緊急事態に慣れました」

 緊急事態宣言が延長され、今一番考えるべきは子どもたちのことです。最も心身を鍛え、社会活動の基盤を育むべき時期にもかかわらず、それが許されない状況です。かといって、私が9月入学制に軽々に賛成できないのは、多くの方がこの状況をこれきり起きないと考えているからです。感染症について知れば知るほど、これからはコロナウイルスに限らず様々な感染症の流行がいつ何時起こってもおかしくないということに慄然とします。今はとにかく、入学月を変えるという、いきなり社会制度全体に波及する拙速な制度変更より、次善の策としてオンライン授業の環境を整えるべきでしょう。というより、なぜ今だにそれが遂行されていないのか不思議でなりません。

 不思議といえば、新型コロナウイルスは何か掴みどころのない得体の知れないウイルスだという気がします。8割くらいの人には軽傷もしくは無症状の症状しか現れないが、2割くらいの人は重篤になり得る、どういう人が重篤化するかはまだわかっていない。高齢者、持病のある人のみならず、持病のない40代、50代の男性もたくさん亡くなっているのです。わかっているのは「免疫力が低いと重症化する」ということですが、これは同語反復にすぎない言い方で、その詳しい中身や「免疫力」以外の要因はないのかが解明されるべきでしょう。発表される各国の感染者数、死亡者数には何かカラクリがあるのかもしれませんが、厚生労働省の公表資料では5月4日の死者は韓国253人、日本510人となっています。SARSやMERSを経験した韓国の対応はさすがでこの結果も納得ですが、ヨーロッパでは唯一対応に成功している医療制度の優等生ドイツでも、イタリアや英国の四分の一とはいえ6866人も亡くなっています。台湾やニュージーランドの対応の見事さはその通りとしても、一般論としてアジアはどの国も明らかに死者が少ない。これはなぜなのでしょう。このウイルスによる死亡率を全部各国政府の対応方法や社会の在り方に帰するのは難しい気がします。感染しても無症状の人がいる一方で、急速に重症化して亡くなる人もいるという発症状態の大きな落差をも考慮すると、この病の結末は「一人の人間が生物としてこのウイルスに対し何らかの抵抗力となる要因をもっているかどうかに左右される」ように思われてなりません。

 最近はPCR検査と共に抗体検査も取り沙汰されています。これは私も受けてみたいと思う検査です。自分の生活からすると、「私が感染しているなら都民は全員感染しているはず」と言えるほど注意して過ごしてはいるのですが、無症状のまま感染していてもう抗体もあるのならそれはそれでひとまず安心です。こう言うと疑惑の目を向けられるのですが、私はこれまでインフルエンザにも罹患したことがなく、一度だけ予防注射を受けてかえって具合が悪くなってから、予防注射も一切していません。ウイルスがうようよいると思われる職場に勤めていた時にそれでもインフルエンザになったことがないのですから、ひょっとしたら何か特殊な免疫力をもっていやしないだろうかとお気楽に思っているのです。スウェーデンが集団免疫を目指して市民生活には一切制限なく過ごしているとのことですが、人口比当たりの死者数は日本の8倍とのこと。平時でも寝たきり老人のいない北欧ならではの対応なのでしょう。寝たきり老人がいないというのは延命措置をしないということなのですから、これは日本では考えられない強烈な死生観を基盤にしているでしょう。もちろんもっと死亡率の高い感染症が起きた時には何らかの措置をとるのでしょうが、今この現状に対し「放置しているだけじゃないか」と私は違和感を禁じ得ません。私としては感染しても亡くなる人がいなければ良いと考えるので、重症化因子が解明され、重症化リスクのある人を事前に知ることができれば、事態を収束する方策も明らかになると思います。

 とりあえず外出できない日がまだまだ続きそうです。今まで感染流行の時期が暑い時期でなかったのは本当にありがたかったなと思います。体力だけは落とさないようにして、少しでも楽しいことを探しながら過ごすことにします。持病があるので休み休みですが、読書や調べものをしているといくら時間があっても足りず、本当に楽しいですし、緊急事態宣言のおかげで車も人も少なく安全なので、公共交通機関に頼らずともかなり遠くまで行けることがわかりました。そこにしかないものを買いに行くとか、ICカードのチャージをするとか、何か実用的な小さな目標を決めておくと達成感もあり、体力もついてきた気がします。とはいえ、自分の命がいつどうなるかは神様の思し召し次第ということがいっそう身に染み、一日一日が愛おしくなるのです。家では朝晩、区の防災無線からアナウンスが聞こえてきます。
「一人一人の責任ある行動が社会全体を守ります。ご協力をお願いいたします。」
 真剣に聞いてみると、自分が妙に感動していることに気づきます。これは誰も抗えない、なんと立派なカント的明察でしょうか。