21世紀になり、百年に一度のはずのことがこう度重なると、もうそういう世界をデフォルトとして未来設計をしなければならないと感じます。これまで一般庶民の経済活動を取材した報道の中で「コロナの影響はほぼないです」と答えていたのは、東京の郊外で放し飼いの養鶏業を行っている農家の方だけでした。その方は、折り紙付きの素晴らしい卵を地元のケーキ屋さんに卸したり、自動販売機に卵を入れておくとすぐ売れてなくなる、「欲しい方全員に行き届かせられないのが悩み」と答えていました。 すでに価値の転換が起こっているようで、これまで子どもたちのあこがれの職業(医者、航空業界、アスリート、アーティスト、メディア関係のタレント等)は、もはや手放しで目指される職業ではないかもしれません。
感染症の流行が起きてから、経済について、とりわけ何故こんな世界になってしまったのかについて知らなければならない気がして、資本、貨幣、市場、賃金等について自分なりに調べてみました。全く関心のなかった分野についてわずかでも学べたのはまさしくコロナウイルスのおかげです。素人の感性で辿り着いた感触としてわかったのは、「感染症は、もうとっくに終わっている資本主義に最後の引導を渡すために到来した」ということです。資本は常に拡大する性質を有するものですが、もう拡大する外界がないところまで来ているにもかかわらず、無理やり内部に拡張先を創出したため、世界各地で悲劇が起きました。日本の非正規雇用の出現、米国のサブ・プライムローン破綻、それに端を発し世界中に打撃を与えたリーマン・ショックはその一例です。資本拡大の最後の形態は実物を伴わない金融の分野に行きつきます。現在はこの段階の最終章です。各国の資本が際限なく国境を越えて世界中に移動できるようになったため、国民国家経済は全く統制が効かない状態になりました。株価に関与しているのはどの国でもほんの一握りのグローバリストたちであり、グローバリストには所属する国は必要ないのです。必死に延命措置を施して生き残りを図ろうとしているグローバリストに対して、「資本主義はもう死んでるんだよ」とコロナウイルスは語りかけているのです。彼らはきっと耳を塞いで聞かないようにしていることでしょうが・・・・。
とはいえ、資本主義の後に何が来るのか、まだ誰にもわかりません。これから繰り返し起こるであろう感染症が、まさに人と人との関係を遮断することに狙いを定めているのなら、社会という概念を根底から考え直さなければならないのです。大前提として人が生きるためまず第一義的に必要なのは、食糧の地産地消および医療や日用品といった必需品の可能な限りの自給自足と、一地域でまかないきれない物を運搬する物流でしょう。そしてもちろん医療、教育・文化、国民のための政治が続きます。旧態依然たる硬直した社会では太刀打ちできない時代になったと感じている人も多いことでしょう。とにかく愚かな政治、国民をごまかして頭越しに権力をほしいままにする政府は、百害あって一利なし。これからは国民のための国家を作り上げた賢明な社会だけが生き残れるのです。この国もそうとう足腰が弱っているので、そのような国家を作っていけるのか私には自信が持てません。不本意ながら老人はせめて邪魔をせぬよう退場致します。若い方々に大きな期待を寄せています。今から十年後、二十年後に日本が存続できている、いや存続すべきものであるなら、若い方々に立ち上がっていただくしかありません。「こんな世界にしてしまい、本当に申し訳ありませんでした」と、まっとうな大人は皆、若い方々に謝らなければならないのではないでしょうか。